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よしこちゃんの部屋
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2018/03/27のBlog
23日夜は6番安楽寺の宿坊に泊まり、

翌24日は前日打ち残した

7番・8番をお参りしました。

これで1番~17番全てお参りいたしました。

この続きは5月に行く予定です。



で、2ヵ寺の近くにある、

徳島自動車道・土成インターチェンジから

一気に250キロ・・・

愛媛県伊予西条市にある

64番前神寺にワープ(^0^)!



64番前神寺は、

私の公認先達の推薦寺となっています。

4周目・パリの映像作家

エミリベルトさんのご縁で出会った、

引田大先達のご縁で、この前神寺推薦で、

公認先達にならせて頂いた次第です。



強烈なご縁ですが、

私が猛烈LOVEな役行者&蔵王権現様が

祀られている・・・

石鎚山(石鎚大権現様)を

祀られているお寺となっております。

蔵王権現様に導いて頂いた、

前神寺とのご縁だと私は信じています。



で、公認先達になった後、

たまたま大阪楽心会で40年ちょっと前に

寄進された灯明台が随分

ボロボロになっていたので、

この大師堂前に設置されている灯明台も

【修繕奉納】しようという話があり・・・

私はそんなご縁・ご恩が前神寺にありますので、

私が浄財を提供し、

修繕し奉納させて頂いたのが、

今からちょうど2年前です。



その時、初めて前神寺の佐々木管長

(※前神寺は真言宗石鈇派総本山ですので、

「住職」ではなく「管長」となります)と

お会いさせて頂き、

引田大先達と大阪楽心会両方のご縁を

お話しさせて頂きました

(最後の写真。2年前の写真です。

佐々木管長プラス、

大阪楽心会・田渕雄三会長が写っています)。



佐々木管長曰く

「先代(管長のお父様)が、

大阪楽心会の初代会長、故・田渕特任大先達に

大変お世話になっておりました。

大橋さん、本当に良いことをされておられますね。

これからも頑張ってくださいね。」と

熱烈激励を頂き、

それで大阪楽心会のお世話役を

辞めれなくなりました(笑)。



前神寺へお参りに来る度に、

掃除用具持参で、

この灯明台のお掃除をさせて頂いています。

1時間半お掃除させて頂きました。



今回は「秘密兵器☆激落ちくん」を持参し、

今まで以上に綺麗になりましたが、

あと1時間くらい磨きたかったです。

にしてもいつの間にか、

ロウソクを差す針に指が当たりまくり、

ステキに切れてました。

だけどなんだか清々しい、

灯明台のお掃除でした。



お掃除が終わってすぐ、

早速お遍路さんがこの灯明台に

ロウソクを立てられていました。



ロウソク(=ヒカリ)は、

“暗闇の世界の方”におられる先祖を、

子孫の【供養】によって、

“ヒカリの世界”へと導く・

上げる為のものなんだそうです。



これからもたくさんのお遍路さんの・・・

そのお手伝いを、

この灯明台が成されて行くことを、

私はお祈りしております(ー人ー)☆


3月24日(土)午後。

私が公認先達の推薦を頂きました、

64番前神寺にて開催された

「先達研修会」に参加させて頂きました。



年4回程開催されておられ、

毎回の参加は遠方のため難しいのですが今回、

四国3Sネットワークでの四国訪問日と

2日しか違わなかったので、

今回参加することが出来ました!



お遍路さん(人様)を導く

公認先達としての資質向上を目指した、

前神寺独自の勉強会です。

このような勉強会をされているのは、

88のお寺で恐らく、前神寺さんだけだと思われます。

ほんと、良いところにハマらせて頂き、

お大師さんや役行者様、

蔵王権現様に大感謝でございます(ー人ー)☆



私自身、日頃何気なしに、無意識に・・・

そしていつの間にか我流で

お参りをしてしまっております。



一般のお遍路さんはそれでいいかとは思いますが、

公認先達の輪袈裟をし、

先達の朱色の金剛杖を持っている人間は

そうやって我流でお参りするのは、

いろんな意味で自他共に

よろしくないことだと感じています。



研修の前半は、

前神寺の佐々木管長からの法話でした。



今回は、ものすごく俗なお話しと言いますか・・・

知る人ぞ知る、四国88のお寺で

最も問題の在るあるお寺のこと並びに

それに対応している

四国八十八ヶ所霊場会組織のこと・・・

とにもかくにも、

いろんな意味でリアルでものすごいお話しで、

人間という動物の本質的なことを

垣間見ることの出来たお話しでした。



また、人づてのあれこれ聞くと事実と

異なることが多々ありますが、

その渦中におられる方から

直接お話しを伺うことこそが、

真実が分かる!ということが

明確化されました。



後半部分は、当研修会の世話人であられます、

引田大先達による、

巡拝や読経の基本的なことを再確認の意味も込めて

みっちりお教えくださいました。

今更聴けない、いろんなお四国情報を、

たっぷり知ることが出来た善き時間となりました。



若輩者なのは重々承知しております。

だからこそ、もっと高みを目指したい。



・・・こんな感じで、

お四国のコミュニティは「お遍路」

という糸(縁)によって、

見ず知らずの人とでもすぐにご縁が繋がり、

一生のご縁になったりする。。。

本当に大きな&ステキなコミュニティ

【家族】なんだと感じています。



期末の今、日々とても忙しく、

いろんな壁にぶつかっておりますが、

四国での【おかげさまの力】を活かし、

乗り越えて参りたいと思います。



2泊3日ながら、

おかげさまで今回も大変内容の濃い、

善き旅(行)となりました。

ありがとうございました(ー人ー)☆



【写真】前神寺 境内、

本堂(その向こうに霊峰・石槌山があります)


2018/03/23のBlog
ご報告、遅くなりました。

3月17日から20日まで、新潟・長岡、

福島・会津若松、宮城・仙台に行って参りましたので

その旅の、ご報告を12個の日記に分けて

させていただきます~(ー人ー)☆



---------------



3月17日(土)朝、大阪伊丹空港をぶっ飛び、一路新潟へ♪

そこから新幹線「MAXとき」に乗り、

新潟県長岡市まで行きました。

ちなみこの新幹線の間に薄いピンク色がつけられているのは、

地元で有名な鳥である「とき」の色なんだそうです。



新潟~長岡間はほぼ雪が溶けていて、

春を予感させる素敵な晴天でした。

が、遠くに見える越後山脈はまだまだ深い雪に覆われていて、

とても美しい&清々しい北越の風景でした。



我が師匠&恩師の古芝保治さんが講師を務められている

「新潟3Sネットワーク」の

2周年発表大会に参加させていただきました。



徹底3S(整理・整頓・清掃)を

古芝さんから学ぼうを新潟市内・長岡市内の会社さんが

毎月古芝さんを講師としてお招きし、

自らの会社に徹底3Sを落とし込んでおられます。



私は半年程前から、

このグループの兄弟分であります「四国3Sネットワーク」の

事務局を拝命しており、

そのご縁で一度新潟3Sグループの方々と

お会いしたいと思っていました。



今日の大会では改めて徹底3Sの基本的なこと

(導入部分のポイントや概要)を再認識し、

新潟3Sの方々の発表に深く感銘を受け、

TTP(徹底的にパクる・笑)を

させていただきたいなと思いました。



そして、、、【長岡】と言えば、

司馬遼太郎先生の小説『峠』~河井継之助~が超有名で、

河井継之助ゆかりの地にいつか行ってみたいと

数年前より猛烈に願っており。。。

その念願がこのような形で実現し、

ただただ、感無量でございます(ー人ー)☆



明日・18日は古芝さんと共に

長岡市内を散策した後、一人、

福島・会津若松に移動します♪


今回は新潟県長岡市(旧長岡藩)→

福島県会津若松市(旧会津若松藩)→

宮城県仙台市(旧仙台藩)の

歴史探訪旅でゴザイマス(^0^)!



江戸末期、最末期まで佐幕派

(それに対する派閥は薩長等の倒幕派です。

幕末の戊辰戦争時、奥羽越列藩同盟に所属していた雄藩)だった

旧3藩の足跡を辿ることにより、

今から150年前の「この国のかたち」を

自分なりに見つけ出し、

これからの自身のまた日本社会の

「あるべきかたち(未来)」を

検証したいなというのが今回の、旅のコンセプトです。



発表大会後の懇親会では、

たまたま長岡の方の周りに座ることが出来ましたので、

新潟・長岡の歴史や今のお話しを

たくさんお伺いすることが出来ました。

その後行ったお寿司屋さんの大将にも、

いろいろと教えて頂きましたので、

また後日まとめてみなさんにご報告させて頂きたいなと思います。



にしましても、新潟・長岡のお料理、、、

ごはん、お酒(※普段は飲まないのですが^^;)。。。

美味し過ぎです~(>0<)♪


3月17日(土)夜。

新潟3Sネットワーク2周年発表大会後の

懇親会 in 新潟県長岡市にて・・・
じゃんけん大会で勝った方の景品がなぜか

【たい焼きのかぶりもの】で、

お笑いネタが大好きな大阪人・よしこちゃんは

ついつい「一度かぶらせてください~(^0^)」と懇願し、

かぶらせて頂いていると、

ちょうどそこに我が恩師&師匠の

古芝保治さんがやって来られました。



懇親会の場のノリと勢いで、

「たい焼き君になってください~」と言いますと、

さすが大阪人☆ノッてくださいました

(っていうか、ノリ過ぎ ?!笑)



普段は硬派で清く正しくお美しい古芝さんですが、

意外な一面があるということを、

また一つ知ってしまいマシタ。。。(キラーン☆)



にしましても、

新潟の食べ物は美味しすぎです。。。

越後、万歳~~~~っ☆




3月18日(日)。

朝から古芝さんと長岡市内の歴史探訪♪ということで、

河井継之助記念館(http://tsuginosuke.net/)や、

山本五十六記念館(http://yamamoto-isoroku.com/

などに行って来ました。



このお二方のこと(長岡・越後人について)の

詳細はまだ後日まとめて

ご報告させていただきたいなと思います。

(いっぱいいろんなことを聞き、

いろんな資料を頂き、これらをともに更に勉強・研究

したいと思ってます!)



長岡の街は戊辰戦争と第二次世界大戦で

二度も火の海となり、大部分を焼失し・・・

また冬期は常に雪深い街ですので、

耐えがたきを耐え。。。

状態のとても辛抱強いといいますか、打たれ強い、、、

一見静かで温和なのですが、

内なる情熱や、勤勉さ、

客観的現実&本質主義を貫き通しつつも、

和(人との縁や恩)を重んじる

地域性があるように感じました。



そして何より、長岡・越後は正に【義】の人であった

上杉謙信公が治めていた場所であり・・・

この【義】というものを私は

今回の旅で学びに来たという感覚が私はあります。



お昼ご飯には超有名店・小嶋屋

http://www.nagaokakojimaya.com/)の

お蕎麦をマンキツさせて頂きました。


海藻でつなぐ「へぎそば」が長岡のお蕎麦の特色で、

何とも言えない、

ちゅるっとした食感がたまりません(^0^)♪



その後古芝さんとお別れし、新幹線で新潟駅まで戻り、

そこから高速バスにて福島・会津若松まで来ました。

明日・19日(月)は終日、会津若松で観光をし、

夕方、宮城・仙台に向かいます~☆


3月18日(日)。

長岡→新潟間、たまたま乗った新幹線が、

今まで見たことの無い・・・

「ただの移動手段である電車」という

既成概念を遥かに超えた、

目からウロコ&摩訶不思議な、

6両編成の新幹線でした~~~~っ(>0<)!!!



「鉄子魂」に炎がメラメラと燃え盛り(笑)、

思わず車内&車外をバチバチ☆写真撮影~♪



新潟~越後湯沢間のみ営業運転中の、

「世界最速芸術鑑賞」

というのがコンセプトのようです。



萌え~過ぎます!!!

鉄子・よしこちゃん、、、

完全にノックアウトされマシタ~(>0<)♪




【JR東日本「現美新幹線」公式ホームページ】

http://www.jreast.co.jp/genbi/



3月19日(月)。

福島県会津若松市にあります鶴ヶ城などなど、

旧会津若松藩の歴史探訪に行って参りましたぁ~(^0^)♪



例え鉄筋コンクリート造りであったとしても、

会津若松の方々のお城(=地域のシンボル、

歴史的誇り)に対する想い【愛】は、本当にすごい。。。

会津若松魂をひしひしと感じて参りました。



全国あっちこっち行きますが、

未だにお城が残っている・数々の戦災で

焼失したにも関わらず、行政の多額の税金や

市民の浄財によって再建されたお城がある街って、

本当に地域愛がハンパない。。。

旅人としましてもとても清々しいですし、感動的です。



鶴ヶ城ホームページ

http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html


会津若松駅から一駅南にあります、

七日町駅は、とってもレトロで、

しかも「駅カフェ」や、

おしゃれな&カワイイお土産屋さんがあります♪



ウインドウショッピングだけでも十分楽しめる、

ステキな場所でした。



たまたま普通列車が来たので、

撮影してみました。



田舎のどこにでもある、

すてきなニッホンの鉄道風景に、

じわり、感動です。。。



七日町駅「駅カフェ」ホームページ

http://www.aizu-furusato.com/ekicafe/


「あいづっこ宣言」は以前より知っていましたが、

会津若松駅前にデカデカと掲げてあったり、

小学校にものぼり旗でいっぱい掲げられている・・・

こんなにも本気で徹底的にあっちこっちに

掲げまくり実践しているという、

会津若松人の絶大なる教育力に脱帽です☆



しかも下記・市役所ホームページ内に・・・

【「あいづっこ宣言」は、子どもの立場からは、

「このような子ども・会津人になります」

という宣言ですが、同時にまた、大人の立場からは、

「子どもたちの手本となり、

このような子ども・会津人を育てます」

という宣言でもあります。】と書かれています。



いやはや。。。

子どもたちの手本になりきれていない

自分自身の日々の行いを猛省いたしました(凹)★



私が入っている地元八尾の商工会議所青年部で

毎年夏季に「ジュニアエコノミーカレッジ

http://jec-net.com/)」という、

子どもたちに商売体験をさせ、

「自分で決める」ということを

学んでもらうプログラム(事業)を行っています。

そもそもこの事業が始まったのも、

会津若松商工会議所青年部からで、

それが全国に広がって行っているんです。

なぜ会津若松からスタートしたのか?

そんな歴史的土壌があるからなんですよね。納得です!




司馬遼太郎先生の

『街道をゆく~白河・会津のみち~』内にも・・・

「江戸期ーとくに後期ー二百数十藩のなかで、

会津藩の教育水準はおそらく肥前佐賀の鍋島藩とともに、

日本第一等であったかもしれない。」と記載されています。

かつての旧会津若松藩藩主・保科正之(会津松平家)等、

歴史的偉人のおかげなんでしょうね。。。



会津若松市役所“あいづっこ宣言”公式ホームページ

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/d…/2013011700133/

白虎隊の墓参に行って参りました。

あれこれ資料を見、あれこれ人に聞きまして・・・

どうやら鶴ヶ城&市内が見える飯盛山で最期、

白虎隊が全員自害した中で

偶然一人生き残った人がいて、

その人が白虎隊の真の語り部となり、

世に広がって行ったようです。



この白虎隊の悲劇を象徴とする、

幕末維新・戊辰戦争の惨劇は、

決して一言では書き切れないものがあります。

詳細は各書籍や司馬先生の

『街道をゆく~白河・会津のみち~』を

ご覧ください(笑)♪



私がその場所飯盛山に行った感想の一つですが、

革命によって齎された「勝者」と「敗者」が在って、

その勝者=100%善であり正しい、

逆に敗者=悪であり全部間違っているという

図式は真実として存在しないということです。



歴史とは、先人たち全てが紡いで来た、

いろんな色の糸であり、

ざっくりとした流れは分かっても、

全容は宇宙の如く分からず、詳細は誰も分りません。

なぜなら、人間は長くとも

120年くらいまでしか生きれないので、

だれもそれ以前の過去を、

それ以前生きていた人の人生をこの目で

確かめることは出来ないからです。



歴史は勝者が作るもの、勝者の都合の良いように、

書き換えて伝わっていくものであります。

例え虚実が真実であるかのように伝わっても、

人間が死に生まれを繰り返しているうちに、

だれも真実が分からなくなるからです。



人間は正しい情報【真実】を得、正しい判断をし、

そして正しい行動をしなければ、

人間として正しい生き方は出来ません。



浅はかで無知で欲に囚われておりますと、

正しい情報が入って来ない

【ありのままが観得ない】と思います。

従って常に歴史であれ、日々の人間関係であれ、

インターネットやマスコミであれ、常に

【これは真実か?虚実か?】を見極める能力・・・

つまり【直観力】を身につける必要があろうかと思います。



私の場合は、その力を身につける一つの鍛錬・方法として、

このような「歴史探訪をすること」であります。

歴史(=過去)を知ると、今が観得て来ます。

すると【流れ・横】と【本質・縦】が観得、

おのずと未来(先、方向性)が観得て参ります。



会津若松の方々は、

白虎隊の悲劇を象徴とした戊辰戦争や、

第二次世界大戦の失敗を深く味わいつつも、

【艱難汝を玉にす】で、

廃残の会津若松から後年多数の人材を

輩出して世に広く活躍していきました。



貫徹する会津若松の方々の強さ・凄さは、

①石高が高い=比較的気候がよく、

米をはじめとする農作物がよく採れたり

(=食べるものに困らない)、

土地が豊かであり、名産品も多く、

交通の要で人の行き来が多い。

②藩の施策により教育的レベルの高い、

他藩と比較して中級階級が多い(教育・貧富の格差が少ない)。

③不条理な歴史的苦難を多く与えられるも、

それをバネによりよく生きる術を知っている。



現代においては、幕末、徹底的に会津若松を

苛め抜いた長州(山口・萩界隈)よりも、

会津若松の方がいろんな意味で水準(レベル)が

高いように感じます。

苦難は人をより強く、よりよく導く糧であると、

会津若松人は先祖代々知っているのでしょうね。



東北人は粘り強いし、耐える力も凄いし、

コツコツ努力することに長けていそうです。

(どうも我々西国の人間は、義よりも利、

立ち止まりコツコツと深めることよりも、

常に流れる・変わることに目が移る

傾向があるように感じます。

これも風土や歴史が深く関係していると思います)



・・・薩長が革命を興すためだけに、

(さっさと大政奉還して逃げた15代将軍徳川慶喜の代わりに)

会津藩を「賊軍」として、歴史に虚実を創造し、

会津を火の海にし、会津人を会津から追い出したのです。

果たしてそれが正義なのでしょうか。

天から観た【真実】なのでしょうか。

これは、河井継之助がいた越後・長岡藩もしかりです。

北越戊辰戦争を回避出来る方法が、

薩長にあったかどうか。。。

薩長側にも物事を分かる善き人材が

多ければ良かったのですが。。。



要は私が感じたことは、人間が人間である以上、

100%善人もいないし、

100%悪人もいないということであり、

そのパーセンテージの間(真実と虚実の間)で

歴史が生まれ、紡ぐまれ、流れていく・・・

まさに時間と想念の大河、

そのものが歴史であるということです。



その大河の流れいかに、より善く生きていくのか?

歴史的賢者に“直に”学びたいというのが、

私が歴史探訪をし続ける、もう一つの理由であります。



白虎隊十九士の墓

https://www.aizukanko.com/spot/137/


3月19日(月)夕方。

またまた高速バスに乗り、

今度は宮城・仙台に行きました。



途中、美しい磐梯山が見えました。

不思議なお山です。。。



とても慈愛に満ちた優しい感じと

とても荒々しく恐ろしい感じとが

共存している感じです。

私たち日本人が、罪深くなっていくと、

怒ってバーン!と噴火しそうな勢いです。

そうやって、私たちを日々戒め、

教え導いて下さっています。



もともと磐梯山は「いわはしやま」と読み、

「天に掛かる岩の梯子」という意味だったとのことです。



もしかして、ここもかつては、

天意を求める修験者がいっぱいおられ、

権現様を祀っておられたのかも知れませんね。

何とも心、惹かれるお山でした。。。(ー人ー)☆


[ 18:33 ] [ ぶらり旅日記 ]
3月20日(火)。

朝から夕方まで仙台で歴史探訪していました。

(先月仙台に行った時は、

「東日本大震災の復興を知る」がテーマでした)。

20日夜、格安ピーチにて大阪に帰って来ました。



仙台市内を一望出来る、青葉山

(青葉城があった場所。

残念ながらこのお城は第二次世界大戦時、

焼失してしまいました)にある、

伊達政宗像がとても凛として美しかったです(^^)♪


3月20日(火)。

司馬遼太郎先生の

『街道をゆく~仙台・石巻~』を片手に、

仙台市内の歴史スポットを

効率良く&安価に回るために、

仙台市が運行している『るーぷる仙台』

http://loople-sendai.jp/)という

仙台市内の観光地をくるっと一周する

循環バスを使いました。

こんな主旨のバスは会津若松にもあって、

2回使いました。



一日乗車券620円。

一回乗ると一律260円なので、

3回以上乗ると一日乗車券の方が安くなります。



私は、仙台駅→瑞鳳殿前、瑞鳳殿前→仙台城跡、

仙台城跡→大崎八幡宮、大崎八幡宮→仙台駅の

4回乗りました。



運転手さんがとてもきめ細かいおもてなしをしてくださり、

しかも合間合間で地理や歴史の案内もして下さいました。


瑞鳳殿(ずいほうでん)は、

今の仙台の街を作ったと言っても過言ではない、

伊達正宗公の霊屋などがある、

仙台で最も荘厳且つ神聖な場所だと感じられました。

残念ながら第二次世界大戦で焼失してしまいましたが、

昭和54年に再建されたとのことです。
豊臣秀吉が権力を握っていた時代

(秀吉好みの)絢爛きらびやか な

【桃山様式】となっています。

実際秀吉が権力を握り、



建築様式までも影響を与える時代は

数十年しか無かったようで、

未だその様式の建築が残っているのは、

ほぼ仙台界隈のみだけなんだそうで

(これも伊達政宗の権力のおかげです)、

文化的に大変貴重なものなんだそうです。

なお大崎八幡宮は戦災を逃れ、

桃山様式の建築が今も残っています。



青葉城が現存していないのは非常に残念ですが

(会津若松にように鉄筋コンクリート造でもいいので、

再建を望みますが)、

さすが東北の所要とあって、

とてつもなく大きな&広いお城群だったようですので、

再建は難しそうです(さすが、仙台ですねぇ~ ^^;)。



【写真】

瑞鳳殿 http://www.zuihoden.com/ と

大崎八幡宮 http://www.oosaki-hachiman.or.jp/


3月20日(火)。

大崎八幡宮(http://www.oosaki-hachiman.or.jp/

にお参りし、『るーぷる仙台』(仙台駅発着の観光循環バス)に

乗ろうとバス停に行くと丁度バスが出たところで、

次のバスが来る15分程、バス停あたりで待っていました。



バス停のある八幡宮の一番目の鳥居をくぐった

すぐ左側に、強烈な光(西日)を放つ

とても美しい祠がありました。

その光に魅了され、思わず写真撮影☆



「なんやろ、この小さな祠。。。?」。

まじまじと見てみると【大日如来】と

記載されていてビックリ、、、そしてナットク☆



ああ。。。だから、我々地球人にとって

最も宇宙というものの恩恵を感じられる

【太陽】が強烈に光放ち、

私に教えて下さったんや。。。と

(勝手な思い込み? 笑)♪



後でそこで撮影した写真をパソコンで見ると、

未だかつて撮影したことのない高レベルの

【ヒカリの写真】が撮影出来たことを知りました。



ほんと・・・今回の旅でもこんな感じで

たくさんの【おかげさま】を頂きました。

感謝しかありません(ー人ー)☆



恐らく、明治政府による廃仏毀釈(神仏分離令)の際、

大崎八幡宮の境内にあった仏様関連のものを

捨てるのは忍びないだろうと、

この入口側の小さな祠あたりに集め、

ひっそりと祀っている・・・

という感じがいたしました

(実際はどのような経緯でそこに在るのかは分かりません)。



私はこの廃仏毀釈という明治政府による施策は、

どこをどう考えても良いものとは思えません

(その個人的に思う理由・真意は長文になるので割愛)。

当時の政治家・権力者に対しての強い憤りを感じ

我が肉体の半分をちぎり取られた感じがずっとしていました。



が、その大日如来様から

以下のようなことを聴いたのです(幻聴? 笑)。



「恨むことなく、嘆くことなく・・・

全てありのまま受け入れ、己を無に空にし、己の中で、

神と仏と(=別々になっているもの)を

習合させれば良いのです」



つまり、自分以外の他者

(神社や仏閣、神職の方やお坊さん等)によって

既に習合された【おかげさまの力】を

与えて貰うのではなく、自力本願&自己努力・・・

自発的な行(正しい実践)によって、

自らの力で&自らの心の中で、

分離されたものを合一・習合させましょう・・・

とうことです。



自らの(信仰の)力により、分離したものを一つにする・・・

多を一にすることが、行の根本的目的なんやなぁ・・・と、

目からウロコの真理を得る瞬間を体験しました☆



神も仏も・・・森羅万象の真実は一つ。

全て「全一統体」。



あれとこれは違う、あなたと私は違う・・・

これは五感レベル・次元のシイ(私意・思惟)の

レベル・判断基準であります。

あるべき真のレベルとは、全て一、

宇宙という名の同一の存在であるということの

自覺なのではないでしょうか。。。



以上のような【一への自覺】は、

人間の真の悟り、弘法大師空海の言う

【即身成仏】へのスタートであり、

根幹的部分を成しているように感じました。



また一つ、宇宙(絶対的真理)への気づきを得られ、

本当に善き旅となりました。

お世話になった全てのみなさま、

ありがとうございました(ー人ー)☆


2018/03/15のBlog
[ 20:04 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
BSプレミアムで放送中の

「英雄たちの選択」(http://www4.nhk.or.jp/heroes/

に最近ハマってます。



今日放送されたのは、

備中松山藩の山田方谷(やまだ ほうこく 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7

のお話し。これまた感涙ものでした。。。



私の母方の祖母の先祖は代々備中松山藩

(現・岡山県高梁市)の農家でしたので、

私の先祖は方谷先生の政治的な恩恵や、

塾生としての恩恵を受けていたのだと思います。

2年前、日本商工会議所青年部の

全国大会で岡山に行った時、

備中松山城を始めとする、

高梁探訪をする分科会に参加したことがあり、

そこで方谷先生のことを知りました。

我ながら、武士の格好がものすごく

お似合いだと自負しておりマス(1枚目の写真)♪



その後、司馬遼太郎先生の『峠』という小説を読み、

『峠』の主人公である、

越後長岡藩家老・河井継之助の師匠が

この方谷先生だと知り、

ますます方谷先生が好きになりました。



今週末、念願だった旧長岡藩(新潟県長岡市)に

旅しに行けることになり今、

テンションMAXでございます~(^0^)♪



・・・江戸時代後期、

備中松山藩(5万石。山間の小藩)は、

事実上財政破綻をしていました。

農民の出でしたが、幼少より聡明だった方谷先生は、

20歳で士分に取立てられ、

藩校の筆頭教授に任命されました。

備中松山藩藩主だった板倉勝静(かつきよ)に懇願され、

大抜擢されて藩政改革を断行します。


忠義そうに見えて、

実は武士の意地やプライドばっかり状態だった、

最悪な藩政をたった7年程で立て直し、

一足先に殖産興業(現代でも使われている

「備中鍬」も方谷先生発明&備中高梁のオリジナル商品です)

&富国強兵(「刀による戦い」に固執する

武士に代わって農兵制を導入し、

長州藩で有名な奇兵隊よりも6年早く、

農民&最新の鉄砲による兵隊組織づくり)を行います。



が、幕末の動乱期、「徳川幕府はもうアカン」と

知り抜いていた方谷先生は、

新政府軍の命令で攻めにやって来た岡山藩とうまく折衝し、

無血開城し、徳川慶喜の老中をしていた藩主・板倉勝静を、

あの手この手を使って戊辰戦争の最後の激戦地であった

函館から救い出し、

明治時代よりまた新たな人づくりを行います。



その手腕が評価され、明治政府より、

出仕して欲しいと何度も依頼が来たそうですが、

頑なに断り続け、自身は母親の実家である場所

(高梁・長瀬)で長瀬塾を開き、

後進の育成に専念される教育者の道を歩まれ、

静かに生涯を終えられます。



政権や社会的システムは時代と共に変わるけれど、

人間の本質的なことは変わることがなく・・・

真の豊かな国、真に豊かで幸せな人生とは?と考えた時に、

それは良き教育から全てが始まってゆく。。。

ということなんでしょう。

その長瀬塾の塾生は増えに増え、6棟まで増えたそうです。



方谷先生の無血開城と比べ、弟子である河井継之助は、

新政府軍に対して徹底抗戦し、北越戦争に突入、

長岡の町は火の海となり、それが引き金となって

継之助も死んでしまいます。

地元長岡の人たちの河井継之助への評価は

極めて良くなかったうですが、

司馬先生の『峠』が発表されてから再評価され、

記念館も出来たと聞いております。



その師匠と弟子の手腕の違いも改めて、

長岡を訪問した時に、じっくりと

またあれこれと検証してみたいなと思います。



【歴史】とは即ち、「過去この国・この地球で

生きていた全ての人の人生そのもの」だと私は認識しています。

ほんと、膨大な天文学的な知識・経験の量ですよね!



私は山田方谷先生や河井継之助が

生きていた時代には生きていませんので、

お二人に実際お会いすることが出来ません。

しかしながら今、【歴史】というものを通して、

お二人の様々なことを断片的且つ推測的部分も

多々ありますが、知ることが出来、

それを今を生きる私たちが活かすことが出来ます。



ですので、私は【歴史】というものを

自分なりにもっと掘り起こして、感謝感動し、

自分のこれからに生かして生きたいと考えております。



書籍やテレビを見るだけでも十分勉強になりますが、

やっぱり実際、その場所に生き、

歴史的偉人の【残り香】に

ちょっとでも触れてみたいです。



この「英雄たちの選択」・・・次週は、

怨念の天皇と呼ばれている「崇徳天皇」なんだそうで。。。

これまた楽しみです(>0<)☆


2018/03/14のBlog
[ 20:24 ] [ よしこちゃんの日常風景 ]
3月14日(水)。

最近めっちゃドタバタでこのフェイスブック&

ブログの更新が全く出来ておりませんが(涙)、

おかげさまで41歳の・・・いや。

気分は【永遠の28歳】(!?)の

誕生日がやって参りました。



みなさまお祝いのメッセージ・御品などなど、

本当にありがとうございます。

益々精進して参りますので、

今後ともご指導の程、

どうぞよろしくお願いいたします(ー人ー)☆



我が家には今、お客様がお見えになっております。

貿易商を営む父の会社のパートナーの方

(と言っても私よりも年下のおにいさんで韓国の人。

奥様?パートナー?と来られています)です。



最初父より「15日から来る」と聞いていたのですが、

昨日になって「あ。14日からやった」と言われ、

家族全員大慌てで準備&おもてなしの最中です(^^;)。



そのドタバタの中で、

私の誕生日が家族全員から忘れ去られて

しまっていたのですが(嘆)、

私が英語でそのお二人に

「今日は私の誕生日です」と言いますと、

「実は私たち、(韓国で有名な)

ホットケーキの粉を持って来ているので、

今から台所をお借りして、

よしこさんのためにケーキを作らせていただきます!」と言われ、

せっせとホットケーキを焼いて下さいました。



韓国でハンバーガーと並ぶ人気の

カジュアルフードだけあって、

日本人であってもとっても美味しく、

お二人の食べ方のオススメである、

果物やアイスクリーム(たまたま我が家にありました)を

上に乗せてみんなで一緒に食べました。

ついでに(?)

ハッピーバースデーの歌も歌ってくれました。



その韓国のおねえさん、

韓国でロック・バンドのボーカリストなんだそうで、

旦那さんからテレビに出た時の動画を

見せてくださいました。

サインもらっとこーかなぁ~(笑)♪



過去の冬ソナブームの影響で私は昔、

韓国語を学んでおり、

ハングルは読める&カタコトは話せるので、

それを披露するというパフォーマンスで

喜んでいただきながら、

日韓の民間交流をステキに

エンジョイさせていただきました。



我が家では、こんな感じで昔から父の関係で、

外国の方々が頻繁に家にやって来て、

一緒に夕食を食べたり、泊まって頂いたりして、

異文化コミュニケーションを

学ばせて頂いております。



お隣の国・韓国とは国同士では

いろいろドンパチやっておりますが、

これからも民間交流・・・

ステキにやっていきたいなと思います。



そんなかんだで思わぬ形で、

隣国の方々に誕生日のお祝いをして頂き、

感謝感激の時間となりました。

ありがとうございました(ー人ー)☆


2018/03/05のBlog
[ 19:49 ] [ 商工会議所青年部(YEG) ]
3月4日(日)

ホテルニューオータニにて開催された、

日本商工会議所青年部(YEG)・政策提言委員会主催

「故郷の新しい風会議 in 東京」に参加して来ました。



この「風会議」とは、

全国の商工会議所青年部に所属する有志と、

若くて情熱のある国家(時に地方)

公務員の方々とが積極的に

ディスカッションする場(機会)となっています。



同じ日本国民でありながら、

官と民という視点や立場の違いを超え、

この国をよりよくするために、

お互いに理解・交流しあえる場となっています。



普段は地元八尾の商工会議所青年部の

活動のみに参加している私ですが、

時々こうして、心を【無】にし、

一人でまったく知らない人や場所に飛び込んで行き、

いろんなことが見聞き出来る場に参加することに、

一種の必要性、そして感動を感じています。



この「風会議」は全国の青年部メンバーだけでなく、

参加する国家公務員の方々も自発的に

参加費を払って来られています。

みなさんの意識並びに次元の高さはハンパないので、

いい意味でとても刺激的で清々しいです。



このような人たちがこの国にもっと増えれば、

日本・地域創生も一気に、

そして真っ直ぐに進んでいくのではないでしょうか。



私が座った丸テーブルには、

同世代の国土交通省の方を始め、

岡山・千葉・茨城・愛知の青年部の方がおられ、

途中飲食も交えながら数時間あれこれと

自分が知らない情報たっぷりの

ディスカッション・情報交換をさせて頂きました。



私の持論・・・と言いますか、

自分なりにいろんな活動をして来た中で、

ある種の確信を得ていることは、

同じような(同質の)価値観や立場、

世代や性別などの人たちが集い、

いくらディスカッションをし活動を展開しても、

本当に根幹的部分からの世の中を創生

(創造と再生)することは出来づらいということです。



この「風会議」のような、立場や役割、

活動地域が異なる異色の方々と

出会い・交わることによって、

今までに知ることもなかったことを知ることが出来、

そして喧々諤々しながらも、交わり共有し、

共に活動を展開していくと、

いづれ化学反応が起こり、

【真の創生】が達成出来るのではないか?と観ています。



幕末の明治維新にしても、

そんな異質な者たちが、時代の流れ(時勢)や

正に命をかけた人間の決死の衝突や努力により

成されたものでしょう。

表面上は薩長がしれかした維新であっても、

実際は薩長も含め、

その時代の皆が化学反応を起こしまくって、

興した革命でありました。



意外とこんな形式の会合(コミュニティ)って、

身の回りにはとても少ないので、

この風会議のあり方ややり方を学びたいと思い、

今回この会に参加することにいたしました。



時空間、そしてお金の制約があり、

何でもかんでもしたり行ったりは出来ませんが、

自分の既存の人間付き合いや行動範囲、

そして価値観に囚われ続けることなく、

自分の感性や想い(=人生のあるべき姿、方向性)

を大切にしながら、今後もいろんな場所に出向き、

いろんな人と出会い、

いろんな価値観に触れていきたいなと思います。



日本YEG政策提言委員会のみなさま、

ありがとうございました(ー人ー)☆



[ 19:41 ] [ ぶらり旅日記 ]
3月4日(日)、

東京のホテルニューオータニでの

会合に参加することになり、

司馬遼太郎先生の『街道をゆく』片手に

東京・赤坂に行きました。



その会合は4日(日)だったのですが、

前日午後から夕方まで散策し、

更にホテル前の清水谷公園

(大久保利通が暗殺された場所)へは、

4日お昼前に行って来ました。



大都会東京であっても、

【江戸】の雰囲気を残す雰囲気が

未だ残っていることに、

いち日本人として密かな喜びとなっています。



今を生きる私たちが実際この目で

【江戸】を観ることは不可能ですが、

江戸時代の雰囲気が残る場所を

この司馬先生の本片手に辿ることが出来、

また今までとは違った

東京のかたちを知ることが出来ました。



いろいろ印象深かったのですが、

やはり、「高橋是清」という人物

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85

が一番印象に残っています。

高橋是清が暗殺された場所

(自宅。今は記念公園となっています)に

行って来ました。




他にも・・・

日枝神社:http://www.hiejinja.net/

豊川稲荷(東京別院):http://www.toyokawainari-tokyo.jp/

氷川神社:https://www.akasakahikawa.or.jp/

乃木希典自宅(夫人と自害した場所)&

乃木神社:http://www.nogijinja.or.jp/

勝海舟自宅跡(坂本龍馬との像があります):

https://mainichi.jp/articles/20160910/k00/00e/040/237000c

などに行って来ました。



ほんと、今を生きる私たちが知らない歴史

(過去の人の営み)という土台の上に立っている、

今の私たちの人生。

改めて深い感動と感謝をかみしめて参りました(ー人ー)☆



次々週は同じくこの本を片手に、

福島・会津若松・・・

それ以外に司馬先生の小説『峠』の舞台になった

新潟・長岡、宮城・仙台の『街道をゆく』を

旅しに行く予定です(^^)♪


2018/03/01のBlog
[ 15:33 ] [ よしこちゃんの日常風景 ]
大神神社(三輪大社 http://oomiwa.or.jp/)の

崇敬会に入っておりまして。。。

「誕生祭」(ご祈祷)をして頂ける

とのことですので行って参りました。



で、頂いたものが写真のものです。

御札以外にも、おまめさんが入っていました。



忠実(まめ)な人:まごころのあるまじめな人

忠実(まめ)につとめる:努力を惜しまないで働く

達者(まめ)にくらす:健康ですごす



なるほど。。。☆

今年一年・・・これからも益々“まめ”に

くらして参りたいと思います。

ありがとうございます(ー人ー)☆


[ 14:50 ] [ よしこちゃんの市民活動 ]
私・大橋良子が入っております、

(一社)政経倶楽部連合会 大阪支部 

https://www.seikei-club.jp/

3月例会のご案内のご案内をさせていただきます。



興味ご関心おありの方、是非ともご参加くださいマセ♪

なお、詳細・チラシデータ(PDFファイル)を下記に添付しています↓