ニックネーム:  パスワード:
| MyBlogトップ | Blogポータル | ブログガイド | よくある質問 | サポート |
よしこちゃんの部屋
記事一覧イベント一覧
[ 総Blog数:4059件 ] [ このMyBlogをブックマークする ] [ RSS0.91  RSS1.0  RSS2.0 ][ ATOM ]
2018/03/23のBlog
「あいづっこ宣言」は以前より知っていましたが、

会津若松駅前にデカデカと掲げてあったり、

小学校にものぼり旗でいっぱい掲げられている・・・

こんなにも本気で徹底的にあっちこっちに

掲げまくり実践しているという、

会津若松人の絶大なる教育力に脱帽です☆



しかも下記・市役所ホームページ内に・・・

【「あいづっこ宣言」は、子どもの立場からは、

「このような子ども・会津人になります」

という宣言ですが、同時にまた、大人の立場からは、

「子どもたちの手本となり、

このような子ども・会津人を育てます」

という宣言でもあります。】と書かれています。



いやはや。。。

子どもたちの手本になりきれていない

自分自身の日々の行いを猛省いたしました(凹)★



私が入っている地元八尾の商工会議所青年部で

毎年夏季に「ジュニアエコノミーカレッジ

http://jec-net.com/)」という、

子どもたちに商売体験をさせ、

「自分で決める」ということを

学んでもらうプログラム(事業)を行っています。

そもそもこの事業が始まったのも、

会津若松商工会議所青年部からで、

それが全国に広がって行っているんです。

なぜ会津若松からスタートしたのか?

そんな歴史的土壌があるからなんですよね。納得です!




司馬遼太郎先生の

『街道をゆく~白河・会津のみち~』内にも・・・

「江戸期ーとくに後期ー二百数十藩のなかで、

会津藩の教育水準はおそらく肥前佐賀の鍋島藩とともに、

日本第一等であったかもしれない。」と記載されています。

かつての旧会津若松藩藩主・保科正之(会津松平家)等、

歴史的偉人のおかげなんでしょうね。。。



会津若松市役所“あいづっこ宣言”公式ホームページ

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/d…/2013011700133/

白虎隊の墓参に行って参りました。

あれこれ資料を見、あれこれ人に聞きまして・・・

どうやら鶴ヶ城&市内が見える飯盛山で最期、

白虎隊が全員自害した中で

偶然一人生き残った人がいて、

その人が白虎隊の真の語り部となり、

世に広がって行ったようです。



この白虎隊の悲劇を象徴とする、

幕末維新・戊辰戦争の惨劇は、

決して一言では書き切れないものがあります。

詳細は各書籍や司馬先生の

『街道をゆく~白河・会津のみち~』を

ご覧ください(笑)♪



私がその場所飯盛山に行った感想の一つですが、

革命によって齎された「勝者」と「敗者」が在って、

その勝者=100%善であり正しい、

逆に敗者=悪であり全部間違っているという

図式は真実として存在しないということです。



歴史とは、先人たち全てが紡いで来た、

いろんな色の糸であり、

ざっくりとした流れは分かっても、

全容は宇宙の如く分からず、詳細は誰も分りません。

なぜなら、人間は長くとも

120年くらいまでしか生きれないので、

だれもそれ以前の過去を、

それ以前生きていた人の人生をこの目で

確かめることは出来ないからです。



歴史は勝者が作るもの、勝者の都合の良いように、

書き換えて伝わっていくものであります。

例え虚実が真実であるかのように伝わっても、

人間が死に生まれを繰り返しているうちに、

だれも真実が分からなくなるからです。



人間は正しい情報【真実】を得、正しい判断をし、

そして正しい行動をしなければ、

人間として正しい生き方は出来ません。



浅はかで無知で欲に囚われておりますと、

正しい情報が入って来ない

【ありのままが観得ない】と思います。

従って常に歴史であれ、日々の人間関係であれ、

インターネットやマスコミであれ、常に

【これは真実か?虚実か?】を見極める能力・・・

つまり【直観力】を身につける必要があろうかと思います。



私の場合は、その力を身につける一つの鍛錬・方法として、

このような「歴史探訪をすること」であります。

歴史(=過去)を知ると、今が観得て来ます。

すると【流れ・横】と【本質・縦】が観得、

おのずと未来(先、方向性)が観得て参ります。



会津若松の方々は、

白虎隊の悲劇を象徴とした戊辰戦争や、

第二次世界大戦の失敗を深く味わいつつも、

【艱難汝を玉にす】で、

廃残の会津若松から後年多数の人材を

輩出して世に広く活躍していきました。



貫徹する会津若松の方々の強さ・凄さは、

①石高が高い=比較的気候がよく、

米をはじめとする農作物がよく採れたり

(=食べるものに困らない)、

土地が豊かであり、名産品も多く、

交通の要で人の行き来が多い。

②藩の施策により教育的レベルの高い、

他藩と比較して中級階級が多い(教育・貧富の格差が少ない)。

③不条理な歴史的苦難を多く与えられるも、

それをバネによりよく生きる術を知っている。



現代においては、幕末、徹底的に会津若松を

苛め抜いた長州(山口・萩界隈)よりも、

会津若松の方がいろんな意味で水準(レベル)が

高いように感じます。

苦難は人をより強く、よりよく導く糧であると、

会津若松人は先祖代々知っているのでしょうね。



東北人は粘り強いし、耐える力も凄いし、

コツコツ努力することに長けていそうです。

(どうも我々西国の人間は、義よりも利、

立ち止まりコツコツと深めることよりも、

常に流れる・変わることに目が移る

傾向があるように感じます。

これも風土や歴史が深く関係していると思います)



・・・薩長が革命を興すためだけに、

(さっさと大政奉還して逃げた15代将軍徳川慶喜の代わりに)

会津藩を「賊軍」として、歴史に虚実を創造し、

会津を火の海にし、会津人を会津から追い出したのです。

果たしてそれが正義なのでしょうか。

天から観た【真実】なのでしょうか。

これは、河井継之助がいた越後・長岡藩もしかりです。

北越戊辰戦争を回避出来る方法が、

薩長にあったかどうか。。。

薩長側にも物事を分かる善き人材が

多ければ良かったのですが。。。



要は私が感じたことは、人間が人間である以上、

100%善人もいないし、

100%悪人もいないということであり、

そのパーセンテージの間(真実と虚実の間)で

歴史が生まれ、紡ぐまれ、流れていく・・・

まさに時間と想念の大河、

そのものが歴史であるということです。



その大河の流れいかに、より善く生きていくのか?

歴史的賢者に“直に”学びたいというのが、

私が歴史探訪をし続ける、もう一つの理由であります。



白虎隊十九士の墓

https://www.aizukanko.com/spot/137/


3月19日(月)夕方。

またまた高速バスに乗り、

今度は宮城・仙台に行きました。



途中、美しい磐梯山が見えました。

不思議なお山です。。。



とても慈愛に満ちた優しい感じと

とても荒々しく恐ろしい感じとが

共存している感じです。

私たち日本人が、罪深くなっていくと、

怒ってバーン!と噴火しそうな勢いです。

そうやって、私たちを日々戒め、

教え導いて下さっています。



もともと磐梯山は「いわはしやま」と読み、

「天に掛かる岩の梯子」という意味だったとのことです。



もしかして、ここもかつては、

天意を求める修験者がいっぱいおられ、

権現様を祀っておられたのかも知れませんね。

何とも心、惹かれるお山でした。。。(ー人ー)☆


[ 18:33 ] [ ぶらり旅日記 ]
3月20日(火)。

朝から夕方まで仙台で歴史探訪していました。

(先月仙台に行った時は、

「東日本大震災の復興を知る」がテーマでした)。

20日夜、格安ピーチにて大阪に帰って来ました。



仙台市内を一望出来る、青葉山

(青葉城があった場所。

残念ながらこのお城は第二次世界大戦時、

焼失してしまいました)にある、

伊達政宗像がとても凛として美しかったです(^^)♪


3月20日(火)。

司馬遼太郎先生の

『街道をゆく~仙台・石巻~』を片手に、

仙台市内の歴史スポットを

効率良く&安価に回るために、

仙台市が運行している『るーぷる仙台』

http://loople-sendai.jp/)という

仙台市内の観光地をくるっと一周する

循環バスを使いました。

こんな主旨のバスは会津若松にもあって、

2回使いました。



一日乗車券620円。

一回乗ると一律260円なので、

3回以上乗ると一日乗車券の方が安くなります。



私は、仙台駅→瑞鳳殿前、瑞鳳殿前→仙台城跡、

仙台城跡→大崎八幡宮、大崎八幡宮→仙台駅の

4回乗りました。



運転手さんがとてもきめ細かいおもてなしをしてくださり、

しかも合間合間で地理や歴史の案内もして下さいました。


瑞鳳殿(ずいほうでん)は、

今の仙台の街を作ったと言っても過言ではない、

伊達正宗公の霊屋などがある、

仙台で最も荘厳且つ神聖な場所だと感じられました。

残念ながら第二次世界大戦で焼失してしまいましたが、

昭和54年に再建されたとのことです。
豊臣秀吉が権力を握っていた時代

(秀吉好みの)絢爛きらびやか な

【桃山様式】となっています。

実際秀吉が権力を握り、



建築様式までも影響を与える時代は

数十年しか無かったようで、

未だその様式の建築が残っているのは、

ほぼ仙台界隈のみだけなんだそうで

(これも伊達政宗の権力のおかげです)、

文化的に大変貴重なものなんだそうです。

なお大崎八幡宮は戦災を逃れ、

桃山様式の建築が今も残っています。



青葉城が現存していないのは非常に残念ですが

(会津若松にように鉄筋コンクリート造でもいいので、

再建を望みますが)、

さすが東北の所要とあって、

とてつもなく大きな&広いお城群だったようですので、

再建は難しそうです(さすが、仙台ですねぇ~ ^^;)。



【写真】

瑞鳳殿 http://www.zuihoden.com/ と

大崎八幡宮 http://www.oosaki-hachiman.or.jp/


3月20日(火)。

大崎八幡宮(http://www.oosaki-hachiman.or.jp/

にお参りし、『るーぷる仙台』(仙台駅発着の観光循環バス)に

乗ろうとバス停に行くと丁度バスが出たところで、

次のバスが来る15分程、バス停あたりで待っていました。



バス停のある八幡宮の一番目の鳥居をくぐった

すぐ左側に、強烈な光(西日)を放つ

とても美しい祠がありました。

その光に魅了され、思わず写真撮影☆



「なんやろ、この小さな祠。。。?」。

まじまじと見てみると【大日如来】と

記載されていてビックリ、、、そしてナットク☆



ああ。。。だから、我々地球人にとって

最も宇宙というものの恩恵を感じられる

【太陽】が強烈に光放ち、

私に教えて下さったんや。。。と

(勝手な思い込み? 笑)♪



後でそこで撮影した写真をパソコンで見ると、

未だかつて撮影したことのない高レベルの

【ヒカリの写真】が撮影出来たことを知りました。



ほんと・・・今回の旅でもこんな感じで

たくさんの【おかげさま】を頂きました。

感謝しかありません(ー人ー)☆



恐らく、明治政府による廃仏毀釈(神仏分離令)の際、

大崎八幡宮の境内にあった仏様関連のものを

捨てるのは忍びないだろうと、

この入口側の小さな祠あたりに集め、

ひっそりと祀っている・・・

という感じがいたしました

(実際はどのような経緯でそこに在るのかは分かりません)。



私はこの廃仏毀釈という明治政府による施策は、

どこをどう考えても良いものとは思えません

(その個人的に思う理由・真意は長文になるので割愛)。

当時の政治家・権力者に対しての強い憤りを感じ

我が肉体の半分をちぎり取られた感じがずっとしていました。



が、その大日如来様から

以下のようなことを聴いたのです(幻聴? 笑)。



「恨むことなく、嘆くことなく・・・

全てありのまま受け入れ、己を無に空にし、己の中で、

神と仏と(=別々になっているもの)を

習合させれば良いのです」



つまり、自分以外の他者

(神社や仏閣、神職の方やお坊さん等)によって

既に習合された【おかげさまの力】を

与えて貰うのではなく、自力本願&自己努力・・・

自発的な行(正しい実践)によって、

自らの力で&自らの心の中で、

分離されたものを合一・習合させましょう・・・

とうことです。



自らの(信仰の)力により、分離したものを一つにする・・・

多を一にすることが、行の根本的目的なんやなぁ・・・と、

目からウロコの真理を得る瞬間を体験しました☆



神も仏も・・・森羅万象の真実は一つ。

全て「全一統体」。



あれとこれは違う、あなたと私は違う・・・

これは五感レベル・次元のシイ(私意・思惟)の

レベル・判断基準であります。

あるべき真のレベルとは、全て一、

宇宙という名の同一の存在であるということの

自覺なのではないでしょうか。。。



以上のような【一への自覺】は、

人間の真の悟り、弘法大師空海の言う

【即身成仏】へのスタートであり、

根幹的部分を成しているように感じました。



また一つ、宇宙(絶対的真理)への気づきを得られ、

本当に善き旅となりました。

お世話になった全てのみなさま、

ありがとうございました(ー人ー)☆


2018/03/15のBlog
[ 20:04 ] [ よしこちゃんのつぶやき ]
BSプレミアムで放送中の

「英雄たちの選択」(http://www4.nhk.or.jp/heroes/

に最近ハマってます。



今日放送されたのは、

備中松山藩の山田方谷(やまだ ほうこく 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7

のお話し。これまた感涙ものでした。。。



私の母方の祖母の先祖は代々備中松山藩

(現・岡山県高梁市)の農家でしたので、

私の先祖は方谷先生の政治的な恩恵や、

塾生としての恩恵を受けていたのだと思います。

2年前、日本商工会議所青年部の

全国大会で岡山に行った時、

備中松山城を始めとする、

高梁探訪をする分科会に参加したことがあり、

そこで方谷先生のことを知りました。

我ながら、武士の格好がものすごく

お似合いだと自負しておりマス(1枚目の写真)♪



その後、司馬遼太郎先生の『峠』という小説を読み、

『峠』の主人公である、

越後長岡藩家老・河井継之助の師匠が

この方谷先生だと知り、

ますます方谷先生が好きになりました。



今週末、念願だった旧長岡藩(新潟県長岡市)に

旅しに行けることになり今、

テンションMAXでございます~(^0^)♪



・・・江戸時代後期、

備中松山藩(5万石。山間の小藩)は、

事実上財政破綻をしていました。

農民の出でしたが、幼少より聡明だった方谷先生は、

20歳で士分に取立てられ、

藩校の筆頭教授に任命されました。

備中松山藩藩主だった板倉勝静(かつきよ)に懇願され、

大抜擢されて藩政改革を断行します。


忠義そうに見えて、

実は武士の意地やプライドばっかり状態だった、

最悪な藩政をたった7年程で立て直し、

一足先に殖産興業(現代でも使われている

「備中鍬」も方谷先生発明&備中高梁のオリジナル商品です)

&富国強兵(「刀による戦い」に固執する

武士に代わって農兵制を導入し、

長州藩で有名な奇兵隊よりも6年早く、

農民&最新の鉄砲による兵隊組織づくり)を行います。



が、幕末の動乱期、「徳川幕府はもうアカン」と

知り抜いていた方谷先生は、

新政府軍の命令で攻めにやって来た岡山藩とうまく折衝し、

無血開城し、徳川慶喜の老中をしていた藩主・板倉勝静を、

あの手この手を使って戊辰戦争の最後の激戦地であった

函館から救い出し、

明治時代よりまた新たな人づくりを行います。



その手腕が評価され、明治政府より、

出仕して欲しいと何度も依頼が来たそうですが、

頑なに断り続け、自身は母親の実家である場所

(高梁・長瀬)で長瀬塾を開き、

後進の育成に専念される教育者の道を歩まれ、

静かに生涯を終えられます。



政権や社会的システムは時代と共に変わるけれど、

人間の本質的なことは変わることがなく・・・

真の豊かな国、真に豊かで幸せな人生とは?と考えた時に、

それは良き教育から全てが始まってゆく。。。

ということなんでしょう。

その長瀬塾の塾生は増えに増え、6棟まで増えたそうです。



方谷先生の無血開城と比べ、弟子である河井継之助は、

新政府軍に対して徹底抗戦し、北越戦争に突入、

長岡の町は火の海となり、それが引き金となって

継之助も死んでしまいます。

地元長岡の人たちの河井継之助への評価は

極めて良くなかったうですが、

司馬先生の『峠』が発表されてから再評価され、

記念館も出来たと聞いております。



その師匠と弟子の手腕の違いも改めて、

長岡を訪問した時に、じっくりと

またあれこれと検証してみたいなと思います。



【歴史】とは即ち、「過去この国・この地球で

生きていた全ての人の人生そのもの」だと私は認識しています。

ほんと、膨大な天文学的な知識・経験の量ですよね!



私は山田方谷先生や河井継之助が

生きていた時代には生きていませんので、

お二人に実際お会いすることが出来ません。

しかしながら今、【歴史】というものを通して、

お二人の様々なことを断片的且つ推測的部分も

多々ありますが、知ることが出来、

それを今を生きる私たちが活かすことが出来ます。



ですので、私は【歴史】というものを

自分なりにもっと掘り起こして、感謝感動し、

自分のこれからに生かして生きたいと考えております。



書籍やテレビを見るだけでも十分勉強になりますが、

やっぱり実際、その場所に生き、

歴史的偉人の【残り香】に

ちょっとでも触れてみたいです。



この「英雄たちの選択」・・・次週は、

怨念の天皇と呼ばれている「崇徳天皇」なんだそうで。。。

これまた楽しみです(>0<)☆


2018/03/14のBlog
[ 20:24 ] [ よしこちゃんの日常風景 ]
3月14日(水)。

最近めっちゃドタバタでこのフェイスブック&

ブログの更新が全く出来ておりませんが(涙)、

おかげさまで41歳の・・・いや。

気分は【永遠の28歳】(!?)の

誕生日がやって参りました。



みなさまお祝いのメッセージ・御品などなど、

本当にありがとうございます。

益々精進して参りますので、

今後ともご指導の程、

どうぞよろしくお願いいたします(ー人ー)☆



我が家には今、お客様がお見えになっております。

貿易商を営む父の会社のパートナーの方

(と言っても私よりも年下のおにいさんで韓国の人。

奥様?パートナー?と来られています)です。



最初父より「15日から来る」と聞いていたのですが、

昨日になって「あ。14日からやった」と言われ、

家族全員大慌てで準備&おもてなしの最中です(^^;)。



そのドタバタの中で、

私の誕生日が家族全員から忘れ去られて

しまっていたのですが(嘆)、

私が英語でそのお二人に

「今日は私の誕生日です」と言いますと、

「実は私たち、(韓国で有名な)

ホットケーキの粉を持って来ているので、

今から台所をお借りして、

よしこさんのためにケーキを作らせていただきます!」と言われ、

せっせとホットケーキを焼いて下さいました。



韓国でハンバーガーと並ぶ人気の

カジュアルフードだけあって、

日本人であってもとっても美味しく、

お二人の食べ方のオススメである、

果物やアイスクリーム(たまたま我が家にありました)を

上に乗せてみんなで一緒に食べました。

ついでに(?)

ハッピーバースデーの歌も歌ってくれました。



その韓国のおねえさん、

韓国でロック・バンドのボーカリストなんだそうで、

旦那さんからテレビに出た時の動画を

見せてくださいました。

サインもらっとこーかなぁ~(笑)♪



過去の冬ソナブームの影響で私は昔、

韓国語を学んでおり、

ハングルは読める&カタコトは話せるので、

それを披露するというパフォーマンスで

喜んでいただきながら、

日韓の民間交流をステキに

エンジョイさせていただきました。



我が家では、こんな感じで昔から父の関係で、

外国の方々が頻繁に家にやって来て、

一緒に夕食を食べたり、泊まって頂いたりして、

異文化コミュニケーションを

学ばせて頂いております。



お隣の国・韓国とは国同士では

いろいろドンパチやっておりますが、

これからも民間交流・・・

ステキにやっていきたいなと思います。



そんなかんだで思わぬ形で、

隣国の方々に誕生日のお祝いをして頂き、

感謝感激の時間となりました。

ありがとうございました(ー人ー)☆


2018/03/05のBlog
[ 19:49 ] [ 商工会議所青年部(YEG) ]
3月4日(日)

ホテルニューオータニにて開催された、

日本商工会議所青年部(YEG)・政策提言委員会主催

「故郷の新しい風会議 in 東京」に参加して来ました。



この「風会議」とは、

全国の商工会議所青年部に所属する有志と、

若くて情熱のある国家(時に地方)

公務員の方々とが積極的に

ディスカッションする場(機会)となっています。



同じ日本国民でありながら、

官と民という視点や立場の違いを超え、

この国をよりよくするために、

お互いに理解・交流しあえる場となっています。



普段は地元八尾の商工会議所青年部の

活動のみに参加している私ですが、

時々こうして、心を【無】にし、

一人でまったく知らない人や場所に飛び込んで行き、

いろんなことが見聞き出来る場に参加することに、

一種の必要性、そして感動を感じています。



この「風会議」は全国の青年部メンバーだけでなく、

参加する国家公務員の方々も自発的に

参加費を払って来られています。

みなさんの意識並びに次元の高さはハンパないので、

いい意味でとても刺激的で清々しいです。



このような人たちがこの国にもっと増えれば、

日本・地域創生も一気に、

そして真っ直ぐに進んでいくのではないでしょうか。



私が座った丸テーブルには、

同世代の国土交通省の方を始め、

岡山・千葉・茨城・愛知の青年部の方がおられ、

途中飲食も交えながら数時間あれこれと

自分が知らない情報たっぷりの

ディスカッション・情報交換をさせて頂きました。



私の持論・・・と言いますか、

自分なりにいろんな活動をして来た中で、

ある種の確信を得ていることは、

同じような(同質の)価値観や立場、

世代や性別などの人たちが集い、

いくらディスカッションをし活動を展開しても、

本当に根幹的部分からの世の中を創生

(創造と再生)することは出来づらいということです。



この「風会議」のような、立場や役割、

活動地域が異なる異色の方々と

出会い・交わることによって、

今までに知ることもなかったことを知ることが出来、

そして喧々諤々しながらも、交わり共有し、

共に活動を展開していくと、

いづれ化学反応が起こり、

【真の創生】が達成出来るのではないか?と観ています。



幕末の明治維新にしても、

そんな異質な者たちが、時代の流れ(時勢)や

正に命をかけた人間の決死の衝突や努力により

成されたものでしょう。

表面上は薩長がしれかした維新であっても、

実際は薩長も含め、

その時代の皆が化学反応を起こしまくって、

興した革命でありました。



意外とこんな形式の会合(コミュニティ)って、

身の回りにはとても少ないので、

この風会議のあり方ややり方を学びたいと思い、

今回この会に参加することにいたしました。



時空間、そしてお金の制約があり、

何でもかんでもしたり行ったりは出来ませんが、

自分の既存の人間付き合いや行動範囲、

そして価値観に囚われ続けることなく、

自分の感性や想い(=人生のあるべき姿、方向性)

を大切にしながら、今後もいろんな場所に出向き、

いろんな人と出会い、

いろんな価値観に触れていきたいなと思います。



日本YEG政策提言委員会のみなさま、

ありがとうございました(ー人ー)☆



[ 19:41 ] [ ぶらり旅日記 ]
3月4日(日)、

東京のホテルニューオータニでの

会合に参加することになり、

司馬遼太郎先生の『街道をゆく』片手に

東京・赤坂に行きました。



その会合は4日(日)だったのですが、

前日午後から夕方まで散策し、

更にホテル前の清水谷公園

(大久保利通が暗殺された場所)へは、

4日お昼前に行って来ました。



大都会東京であっても、

【江戸】の雰囲気を残す雰囲気が

未だ残っていることに、

いち日本人として密かな喜びとなっています。



今を生きる私たちが実際この目で

【江戸】を観ることは不可能ですが、

江戸時代の雰囲気が残る場所を

この司馬先生の本片手に辿ることが出来、

また今までとは違った

東京のかたちを知ることが出来ました。



いろいろ印象深かったのですが、

やはり、「高橋是清」という人物

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85

が一番印象に残っています。

高橋是清が暗殺された場所

(自宅。今は記念公園となっています)に

行って来ました。




他にも・・・

日枝神社:http://www.hiejinja.net/

豊川稲荷(東京別院):http://www.toyokawainari-tokyo.jp/

氷川神社:https://www.akasakahikawa.or.jp/

乃木希典自宅(夫人と自害した場所)&

乃木神社:http://www.nogijinja.or.jp/

勝海舟自宅跡(坂本龍馬との像があります):

https://mainichi.jp/articles/20160910/k00/00e/040/237000c

などに行って来ました。



ほんと、今を生きる私たちが知らない歴史

(過去の人の営み)という土台の上に立っている、

今の私たちの人生。

改めて深い感動と感謝をかみしめて参りました(ー人ー)☆



次々週は同じくこの本を片手に、

福島・会津若松・・・

それ以外に司馬先生の小説『峠』の舞台になった

新潟・長岡、宮城・仙台の『街道をゆく』を

旅しに行く予定です(^^)♪


2018/03/01のBlog
[ 15:33 ] [ よしこちゃんの日常風景 ]
大神神社(三輪大社 http://oomiwa.or.jp/)の

崇敬会に入っておりまして。。。

「誕生祭」(ご祈祷)をして頂ける

とのことですので行って参りました。



で、頂いたものが写真のものです。

御札以外にも、おまめさんが入っていました。



忠実(まめ)な人:まごころのあるまじめな人

忠実(まめ)につとめる:努力を惜しまないで働く

達者(まめ)にくらす:健康ですごす



なるほど。。。☆

今年一年・・・これからも益々“まめ”に

くらして参りたいと思います。

ありがとうございます(ー人ー)☆


[ 14:50 ] [ 奉仕/ボランティア活動 ]
私・大橋良子が入っております、

(一社)政経倶楽部連合会 大阪支部 

https://www.seikei-club.jp/

3月例会のご案内のご案内をさせていただきます。



興味ご関心おありの方、是非ともご参加くださいマセ♪

なお、詳細・チラシデータ(PDFファイル)を下記に添付しています↓
2018/02/24のBlog
[ 18:27 ] [ ぶらり旅日記 ]
2月24日・25日と、

八尾中央産業クラブの親睦研修会にて

三重・賢島に来ています。



近鉄の超人気☆観光特急「しまかぜ」↓

http://www.kintetsu.co.jp/senden/shimakaze/



にようやく乗車することが

出来ましたぁ~(^0^)♪



ほんま。。。えぇトシこいて、

鉄子・よしこちゃん、萌えってます(笑)♪

帰りの電車もしまかぜなんで、

更に萌えりたいと思います(笑)♪



他にいろいろ観光とかしましたが、

しまかぜネタのみ掲載です(笑)♪



2018/02/23のBlog
[ 11:04 ] [ よしこちゃんのつぶやき ]
ご近所にある踏切側にある梅の木。

今年も満開になり、

私たち通行人を楽しませてくれています。



桜も好きですが、

この冬の間であっても

春の予感を感じさせてくれる

梅の存在ってとっても貴重で好きです。




まだ寒い時期は続きますが、

梅の香りを愛でながら

春の予感【希望】を抱きつつ、

日々精進して参りたいなと思います




2018/02/22のBlog
[ 16:34 ] [ ぶらり旅日記 ]
先日降りた徳島の無人の駅。

こんな碑(詩)が記載されていました。



下記のブログ情報によると↓

https://blogs.yahoo.co.jp/momozono51/65334563.html?__ysp=54Sh5Lq66aeFIOWuruWGhemzqeW9pg%3D%3D



詩人の宮内鳩彦氏のもののようです。

晩年この地に住んでおられたとのことです。



見知らぬ町でかつて暮らしていた人の想いを

今こうして時間を超えてこの駅で体験出来るのんって

本当にステキで有難いことだと感じました。



私もこの詩の中にいる旅人の一人なんですよね~

まさに、人生の旅人。。。☆


[ 16:25 ] [ 人生、修行です。 ]
先日日帰り(お仕事)で徳島に行きました。

徳島駅まで高速バス、

そこからJR在来線で目的地に向かいました。



何気なく車窓を眺めてますと、

何とも懐かしい気分がして、

ハタ☆と思い出しました。



今からちょうど11年前、始めての四国遍路で、

折りたたみ自転車を片手に

この駅から電車(汽車)に乗ったのです。



最近は公認先達(お世話役)として、

人様との四国遍路が多いですので、

過去自分が一人で何度もくるくる

回っている時のことを思い出すことは皆無ですが、

こうして一人で四国にいる時は、

勝手に脳裏に浮かんで来るから不思議です。



始めて四国遍路に出た20代最後は、

内部&外部環境共に暗中模索の時代でしたが、

この四国での経験を機に【何か】を捨てて終わらせ、

そして【何か】を得て新たに始まって行った

という絶対的確信があり、

それが30歳からの私の人生の中心軸になっていて、

その軸の回りに今もいろんななものを

付けたり削ったりして今日に至っております。



その【何か】とは目に見えないものであり、

正確に言語化するのは不可能でありますが、

私の人生は40代に入ったことですし、

そのよき【何か】が私の顔面から

また全身から人様に感じられるように、

これからも精進して参りたいなと、

改めて感じた時間となりました。



嗚呼。。。

また一人でゆっくりお遍路しに行きたい。

絶対的真理を会得するための

命をかけた雄々しき荒行は単独修行に限る。

“お大師さん”とシッカリ対話しながら、

生きることの厳しさ悲しさ虚しさをかみしめながら、

美しい四国の空、海、雄々しき山々(大自然)と

自分が一つになるという感覚、、、

まさに宇宙そのものへの一体化という

絶対的幸福感を更に高め深めて行きたい。



2018/02/16のBlog
[ 15:00 ] [ よしこちゃんの日常風景 ]
かなり久しぶりにマイ畑に行って来ましたぁ~(^^)♪

今回は同じく畑好きの母親(愛称:オカン)も一緒に。。。

草ボーボーのイチゴちゃんブースの草抜きを行いました。



夢中になって抜いたモンですから私は全身筋肉痛、

オカンは腰痛になりましたが(凹)、

いい運動が出来ました。



イチゴちゃんは来る春に備えまだ少し冬眠中・・・

タマネギちゃんは寒さに葉っぱがちょっとやられつつも、

着々と成長中~!



そして今収穫期を迎えている大根ちゃん。。。

いつの間にか大きい大根の合間に

ちっちゃな大根がいっぱい出来ていて・・・

今回はそれを間引きさせていただきました。



赤大根や、夫婦岩や杉ならぬ、

【夫婦大根】も出来ていて(笑)、

改めて自然界の多様性を体験しました。



ちなみにこれらの大根の種は、どこから飛んで来たのか?

いつの間にか勝手に私の畑に生えて

大根が成って花を咲かせたものの種で、

それで市販されている大根とは違う、

不揃い・・・と言いますか、

これが本来の自然的な大根!って感じのものが出来ました。



大根一本からでも【大自然の神秘】を

感じます。。。(^人^)☆


2018/02/15のBlog
2月10日(土)~12日(月・祝)。

四国八十八ヶ所霊場会・公認先達として

お世話役をさせて頂いております、

お四国参りの講「大阪楽心会」主催で

四国遍路に行って参りました。



今回のお遍路は大阪から現地までの

行き帰りのみ自動車、

遍路道ではほぼ全て【歩き遍路】

というスタイルでした。



前回の終了寺院である、67番大興寺の駐車場から

77番道隆寺までのおよそ50キロを

3日に分けて歩きました。



なお参加者は初参加4名含めまして12名。

当会【歩き遍路】では最高人数となりました(ー人ー)☆



なお私は、今回も全体スケジュールの作成&遂行管理、

ほとんど伴走車

(もしもの時に敏速に対応するために必要)を

運転する担当で時々、

遍路道がややこしい時などは

参加される方々と一緒に歩かせて頂き、

ちょっと別種類の苦行を“お大師さん”より与えられ、

よき修行の機会となりました。



初日は冷たい雨、2日目は強い風、

そして最終日は雪がちらちら舞う中、

歩き遍路(しかも極寒!)ならではの苦難を感じつつも、

歩き遍路ならではの地元の方々のあたたかい

【お接待】や美味しい料理にも

たくさん出会うことが出来ました。



そして今回は特別に

79番天皇寺さんの絶対秘仏であります、

阿弥陀如来様の御開帳にもお伺いさせて頂き、

ご住職の沼野圭翠師

(写真2枚目下段・右から3番目の女性の方)に

みっちりと阿弥陀如来様についてレクチャーいただき、

最後一人ひとりじっくりと

阿弥陀如来様をお参りさせていただきました(ー人ー)☆



みなさんから「また参加したい」

「また歩きたい!」とおっしゃって頂き、

とても嬉しかったです。

最後道隆寺での集合写真、みなさんいいお顔ですね♪



次回この続きは今年8月か9月に開催予定です。

次回、次々回(来年2月頃開催)で、

この歩く遍路も88番大窪寺へ【結願】できそうです。



これからも、

ご縁続く限り“お大師さん”と共に、、、

ありがとうございました。

南無大師遍照金剛(ー人ー)☆


2018/02/10のBlog
遅くなりました。

2月2日(金)レンタカーを借りて

仙台から岩手県陸前高田市に行って来たことを

ご報告させて頂きます。



あの東日本大震災からもうすぐ7年です。

震災直後は日本全体が【国難】という名の下に、

ぎゅ!と一つにまとまり、

復興へと歩を進めておりました。



が、被災地から1000キロ程離れている大阪におりますと、

被災地は今どうなっているのか?

情報があまり入らなくなっています。



震災ボランティアとして2回、

東北に入ってから5年後の今、

この目で被災地をまた観てみたいと思いました。

それが日本人としてのあり方を見出す上で、

非常に重要だと感じたからです。



事前に地元図書館で借りた何年か前の『るるぶ』に

陸前高田の仮設商店街「未来商店街」が特集されており、

そこで昼食を取るべく、

仙台から東北自動車道(内陸側)経由で

陸前高田に入りました。



実際そこに行ってみると、

すでに半数程の店舗は何らかの理由で空になっていました。

その中で何だかパワーある営業をされていた、

「鶴亀鮨」に入ってみることにしました。



始めは、普通のお寿司屋さんかと思っていましたが、

箸入れや店内が何だか、

【陸前高田愛】がものすごい。。。



帰り際「どこからお越しになられましたか?」と聞かれ、

「大阪です」と答えてから一気に流れが急展開し、

「おねーちゃん、コーヒー飲んでいって~(^0^)!」

「写真撮りましょう~!郵送します~(^0^)!」などなど、

結局2時間おりました(笑)。



写真なんか凄いんですョ~!

【愛のナイアガラ】という名の、

紙テープをピラピラ~させ、

そしてまた地道に巻き直して再利用されるんです(笑)♪



鶴亀鮨の大将(店長)は、

大阪の黒門市場で20年間修業されておられたそうで、

「大阪弁がなつかしい、なつかしい!」と

おっしゃっていました。



そんな明るい、明る過ぎる&キャラクターの濃い大将・・・

陸前高田の震災の語り部として、

お店に来た人から出張に行ってまで

あっちこっちでご自身の被災体験を

お話しされているそうです

(帰り際、大将・作の小冊子やテレビ岩手の映像なども

頂戴いたしました)。



そんな大将ですが、全てを津波で流され、

12メートルのかさ上げ工事で全く新しい街が

出来つつある陸前高田で商いを続ける・

生きていくことの不安を抱き、

未だに夜眠れないことも多いんだそうです。




ほんと、今のかさ上げ工事真っ最中の

陸前高田の状態を観ますと、あの震災はまだ終わってないし、

まだ真の再建・復興も始まっていない気がしてなりません。。。



行政の施策は海沿いに堤防を作ったり、

土地をかさ上げをし、新しい街をゼロから作り、

そこに住民を呼び戻すというハード重視なのですが、

実際この津波にやられた地域のおよそ

10分の1は亡くなられており、

またおよそ10分の1は既に他の街に引っ越しされ・・・

残りの人たちも実際このかさ上げ地に

戻って来るかが不透明であります。



およそ半分のかさ上げ地の使用用途が未だ決まっていない・・・

このまま行けば、不毛の大地となってしまう訳です。

一度無くなった街を短期間で元に戻すということの無謀さ、

難しさをひしひしを感じつつ、

住民の方々一人ひとりの心(ハート)に寄り添った、

行政施策(サポート)が行き届いていないと感じました。

個人レベル(自己努力だけ)では到底

解決出来ないことが未だこの被災地で

起こり続けているということです。



そんな大自然の猛威に対するある種の

恐怖や絶望感を感じつつも、

陸前高田の復興を応援する方々に元気を頂き、

感謝されながら「うったづぞ(=方言で『立ち上がるぞ』」と、

お店の再建、陸前高田の復興にご尽力されておられます。



私に出来ることは、こうやって、

自分が体験したこと・感じたことをみなさんに

お伝えさせて頂くこと、

一日も早い被災地復興&被災された方々の

ご多幸をお祈りさせて頂くこと、

そして、被災地の方々の応援の意味同時に

自分自身のために、

今後も被災地にお伺いさせて頂くことかなと感じました。。。



目の前のこと、自分の生活環境のことだけではなく、

普段は観得ない方々・万象を観、

未来全体を少しでもよりよくして

参りたいと感じました。

善き出会い・気づきをありがとうございました。


2018/02/08のBlog
[ 21:48 ] [ ぶらり旅日記 ]
2月3日・4日、

山形県米沢市に行って来ました。

そのご報告をさせて頂きます。

ずっと行きたいと思っていて、

やっと行くことが出来ました!



米沢=上杉家と言えば、上杉謙信、

上杉景勝(かげかつ)&直江兼続(なおえかねつぐ)、

そして上杉鷹山(ようざん)が有名な歴史上の人物です。



事前に旧米沢藩について、

司馬遼太郎先生の本などで予習をし、

現地では米沢市上杉博物館

http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/top.htm)や

観光歴史ボランティアの方からいろいろ教えて頂き、

上記歴史的偉人から現在にも通じる

様々なことを学ぶことが出来ました。



まず上杉謙信は、元々越後(新潟)の戦国武将で、

次男坊なので父親の家督を継ぐ予定ではなく、

幼少の頃より仏門に入れられていました。

が、軍才もあり軍法も自発的に学んでいたそうです。



本来兄が継ぐはずだった上杉家を、

兄が病弱でまた武将としての器がない

ということで謙信が呼び戻され、

家督を継ぐことになったとのことです。



謙信は仏(とりわけ真言密教)の教えを頑なに守り、

妻を娶り女を囲うこともなく(=養子を迎えた)、

また戦場でも武将の格好ではなく、僧の格好をし、

武神【毘沙門天】を畏敬崇拝し、

国土を拡大するのではなく、越後の民のために、

領地の防衛に専念し尽くした人生だったそうです。



敵将・武田信玄に塩を送った話が有名ですよね。

戦国時代でありながら、真の仏法に生き、

実践を貫いた物凄い偉人であったんやと、

私は深く感動し、

毘沙門天と一体化した謙信に畏敬の念を

抱くようになりました(ま、高値で塩を売りつけて、

ガッポリ儲けようという商才アリの

謙信という見方もありますが・笑)。



49歳の時、突如脳出血で死んでしまった

謙信の後を継ぐことになった息子(養子)・景勝は、

謙信の右腕であった超有能な家臣・

直江兼続(景勝と同世代)と共に、

越後の国づくりを続けて行きます。

この直江兼続が主人公のNHK大河ドラマ

【天地人】(2009)が有名ですよね。



直江兼続と同じ歳で、豊臣秀吉の右腕だった石田三成とは、

【利】ばかりを追求する武将・武士が多い戦国時代にあって、

【義】を重んじる聡明なナンバー2同士、

意気投合します。



石田三成は豊臣秀吉に、

上杉家を会津若松に転封(てんぽう)し、

増封させるよう奨め、実際そのようになります。



石田三成は豊臣秀吉の後、

政権を取ろうと目論む徳川家康を憎み、

「会津若松と大坂とで挟み打ちして家康をやっつけよう!」

と固く契りを交わしますが、

1600年、関ヶ原の合戦であっけなく

石田三成が負け、処刑されてしまいます。



「このままでは、上杉家は取り潰しになってしまう!」

直江兼続は、家康の右腕だった本多正信に近づき、

正信の次男を自らの跡取りとする等、様々な策略をし、

上杉家取り潰しを逃れます。



また、家康自身も棚ぼた的に政権を握り、

上杉家以外にも敵(外様大名)が多かったので、

上杉家の処分を減封(げんぽう)のみに留め、

会津若松から米沢へと縮小(減封)させるに留めました。



本来であれば、

家臣である兼続に全責任を押し付けて首を刎ね、

家康に許しを乞えば、減封も免れたかも知れませんが、

景勝は兼続に全面的な信頼を置いていたので、

処罰するどころか、減封された中でも

多くの石(こく。領地)を与えたとのこと。



一方で兼続は自らの子供全員が早死したこともあり、

あえて養子を取らず、【絶家】することを決め、

自らの死後、その石を上杉家に返上しました。

それで少しでも上杉家の財政が楽になればいいと思う・・・

上杉家に対する忠義の覚悟です。



直江家が絶家した後は、直江家の家臣「与板衆」

(直江家は越後の国・与板より転封して来た)が、

今でも直江家の供養を続けておられます。

何とも言えない武将と家臣との強い絆・愛を感じます。

感動です。。。



・・・上杉謙信以来、越後から会津若松経由で

米沢にやって来た家臣・武士の数は膨大で、

それが米沢藩の財政を圧迫していきました。



時は江戸中期、米沢藩9代目藩主・上杉鷹山が登場し、

膨大な借金を抱え、破産&取り潰し寸前だった

米沢藩の立て直しにかかります。



米沢市民の方々が最も尊敬し感謝しているのが、

この上杉鷹山です。

「鷹山が改革をしなければ、今の米沢はない」からです。



いつの時代も質素倹約をしながら改革を断行するのは、

猛烈な抵抗勢力が存在し、

また自然の猛威(冷害や凶作)も襲いなかなか進みません。

が、鷹山がこの世を去る時には

藩の借金はほほゼロになっていたとのことです。



時が流れ、アメリカのケネディ大統領が就任した際、

日本の記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」と尋ねた時、

「上杉鷹山です」と答え、

鷹山が一躍有名になりました

http://bizgate.nikkei.co.jp/article/106783814.html)。



私は1998年NHKでやっていたドラマ(筒井道隆主演)

『上杉鷹山(ようざん)二百年前の行政改革』で

鷹山のことを知りました。



こんな感じで、学校の歴史の時間では決して教えてくれない、

感動的な人間愛、組織運営・・・歴史を貫徹する、

人間としてのあるべき姿や、ゆくべき道が、

全てこの【歴史】というものの中にあるということです。



「賢者は歴史(古今東西・他者の経験)から学び、

愚者は(自分だけの)経験から学ぶ」



ということで来月は、

“訳あって最後まで徳川家に味方していた藩の

歴史探訪シリーズ第二弾”として、

新潟・長岡藩、福島・会津若松藩、宮城・仙台藩に参ります。



今年は明治維新から150年という節目の年であり、

薩摩長州が作った(=薩長の都合の良いことしか知らされていない・

時に虚実も紛れ込んだ歴史)明治という時代を【敗者側】から観、

“この国のかたち【真実】”を知り、

それを我々の未来に活かして参りたいと思っています。



『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 

成らぬは人の為さぬなりけり』

「やればできる。やらなければできない。

何事もできないのは、人がやらないからだ」 (上杉鷹山)



義(人生において【天の理】を貫く、具現化する、その有様)と

愛(人間愛、万物を愛し慈しむ)で以って、

徳ある人生を着実に歩みたいと感じた、

米沢歴史探訪でした。

ありがとうございました(ー人ー)☆




【写真】

上杉謙信・上杉鷹山公 銅像

上杉神社(入口には毘沙門天【毘】と不動明王の【龍】)