「うったづぞ! 〜陸前高田未来商店街【鶴亀鮨】大将との出会い〜」

遅くなりました。

2月2日(金)レンタカーを借りて

仙台から岩手県陸前高田市に行って来たことを

ご報告させて頂きます。

あの東日本大震災からもうすぐ7年です。

震災直後は日本全体が【国難】という名の下に、

ぎゅ!と一つにまとまり、

復興へと歩を進めておりました。

が、被災地から1000キロ程離れている大阪におりますと、

被災地は今どうなっているのか?

情報があまり入らなくなっています。

震災ボランティアとして2回、

東北に入ってから5年後の今、

この目で被災地をまた観てみたいと思いました。

それが日本人としてのあり方を見出す上で、

非常に重要だと感じたからです。

事前に地元図書館で借りた何年か前の『るるぶ』に

陸前高田の仮設商店街「未来商店街」が特集されており、

そこで昼食を取るべく、

仙台から東北自動車道(内陸側)経由で

陸前高田に入りました。

実際そこに行ってみると、

すでに半数程の店舗は何らかの理由で空になっていました。

その中で何だかパワーある営業をされていた、

「鶴亀鮨」に入ってみることにしました。

始めは、普通のお寿司屋さんかと思っていましたが、

箸入れや店内が何だか、

【陸前高田愛】がものすごい。。。

帰り際「どこからお越しになられましたか?」と聞かれ、

「大阪です」と答えてから一気に流れが急展開し、

「おねーちゃん、コーヒー飲んでいって〜(^0^)!」

「写真撮りましょう〜!郵送します〜(^0^)!」などなど、

結局2時間おりました(笑)。

写真なんか凄いんですョ〜!

【愛のナイアガラ】という名の、

紙テープをピラピラ〜させ、

そしてまた地道に巻き直して再利用されるんです(笑)♪

鶴亀鮨の大将(店長)は、

大阪の黒門市場で20年間修業されておられたそうで、

「大阪弁がなつかしい、なつかしい!」と

おっしゃっていました。

そんな明るい、明る過ぎる&キャラクターの濃い大将・・・

陸前高田の震災の語り部として、

お店に来た人から出張に行ってまで

あっちこっちでご自身の被災体験を

お話しされているそうです

(帰り際、大将・作の小冊子やテレビ岩手の映像なども

頂戴いたしました)。

そんな大将ですが、全てを津波で流され、

12メートルのかさ上げ工事で全く新しい街が

出来つつある陸前高田で商いを続ける・

生きていくことの不安を抱き、

未だに夜眠れないことも多いんだそうです。

ほんと、今のかさ上げ工事真っ最中の

陸前高田の状態を観ますと、あの震災はまだ終わってないし、

まだ真の再建・復興も始まっていない気がしてなりません。。。

行政の施策は海沿いに堤防を作ったり、

土地をかさ上げをし、新しい街をゼロから作り、

そこに住民を呼び戻すというハード重視なのですが、

実際この津波にやられた地域のおよそ

10分の1は亡くなられており、

またおよそ10分の1は既に他の街に引っ越しされ・・・

残りの人たちも実際このかさ上げ地に

戻って来るかが不透明であります。

およそ半分のかさ上げ地の使用用途が未だ決まっていない・・・

このまま行けば、不毛の大地となってしまう訳です。

一度無くなった街を短期間で元に戻すということの無謀さ、

難しさをひしひしを感じつつ、

住民の方々一人ひとりの心(ハート)に寄り添った、

行政施策(サポート)が行き届いていないと感じました。

個人レベル(自己努力だけ)では到底

解決出来ないことが未だこの被災地で

起こり続けているということです。

そんな大自然の猛威に対するある種の

恐怖や絶望感を感じつつも、

陸前高田の復興を応援する方々に元気を頂き、

感謝されながら「うったづぞ(=方言で『立ち上がるぞ』」と、

お店の再建、陸前高田の復興にご尽力されておられます。

私に出来ることは、こうやって、

自分が体験したこと・感じたことをみなさんに

お伝えさせて頂くこと、

一日も早い被災地復興&被災された方々の

ご多幸をお祈りさせて頂くこと、

そして、被災地の方々の応援の意味同時に

自分自身のために、

今後も被災地にお伺いさせて頂くことかなと感じました。。。

目の前のこと、自分の生活環境のことだけではなく、

普段は観得ない方々・万象を観、

未来全体を少しでもよりよくして

参りたいと感じました。

善き出会い・気づきをありがとうございました。