「徳(白)と罪(黒)」

今日も奈良県桜井市・大和国一之宮「大神神社」に

朔日参りに行って参りました。

今日もおかげさまで冴えております。

昨晩寝る前に、以下の文章がすらすらと

脳みそから出て来ましたので、そのまんま記載いたしました。

正に『よしこちゃんのぼやき』・・・

つまり主観的徒然日記であります。

従いまして正しいのか正しくないのか?分かりません(笑)ので、

一切のご意見・クレームは受け付けまセ〜ン(^^ニヤリ)♪

ご参考までにどうぞ〜

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・・・この世には魂に付随しているのが

【徳】だけの人間もいないし、【罪】だけの人間もいない。

魂(ある一定のレベル以上の

“念”を持つエネルギー体)がある程度の

【徳】を持っていないと、

この世に人間として生まれ出て来る事は出来ない。

その一方で、ある一定の【罪】も持っていないと

また人間として生まれ出て来れない感じもします。

何故なら人間はオギャーとこの世に生まれた瞬間から、

あれしたい・これ出来ない云々と

不足不満な念(感情)に囚われ続いていくからです。

幸福はまるで雲のように、掴めるようでなかなか掴めない。

掴めたとしてもすぐにどこかに

行ってしまうと感じてしまいがちだからです。

個人差(質・量の違い)はかなりありますが、

人間は自らの【罪〜日頃の行い〜】に引き寄せられて、

各種試練・苦難がやって来て、

それを手掛かりに自分の罪を自覚し、

反省懺悔し、自らの心を変えることにより、

日頃の行い(言動)がよくなりと同時に魂に付随する【罪】が

【徳】に一つずつ・ちょっとずつ

変わってゆくのではないでしょうか?

それから逃げたり、他者に責任転換したり、

間違った認識や判断、行動をしたりすると、

いよいよ罪が深くなり、その分試練苦難も大きくなります。

罪を徳に転換するその過程・有様を例えるならば、

オセロが黒から白に変わってゆくもののように感じています。

こんな感じで徳と罪は表裏一体の

対をなすものだと思っています。

我々人間が、おのおのの心の中にある「オセロ板」の上で、

【今の罪深き自分】が黒のオセロを持ち、

そして【未来にあるべき・なりたい徳高き自分】が

白のオセロを持ち、生まれてから死ぬまでずっと、

その二人の自分がオセロで戦い、

白黒をひっくり返し続けている事が人生そのものであり、

人生の苦行・修業の本質なのではないでしょうか。

ライバル会社や人間、

また自分をいじめたり陥れようとする他者は

実は自分自身の罪(業)が引き寄せたものであり、

他人の顔をした【もう一人の罪深き自分】なんだと感じます。

全ては【因果応報】であります。

自分もしくは自分が属する組織

(家系・家族、会社など各種団体)の因果応報です。

私が観察いたしますに、

徳高き=罪浅き人は、誰かに大きく騙されたり、

めちゃくちゃ不条理ないじめにあったりしないように感じます。

我々人間はこの世に生まれ堕ちて来たからには、

心のオセロ板に一つでも多くの白(徳)を置き終えて、

あの世に還って逝きたいものですよね。

ナンボカネを稼いでも、どんだけ所有物を増やせても、

死んであの世に持ってゆけるものは

【徳】と【罪】だけなんですからね(^^)♪

この世・娑婆に存在する人間という存在は、

無知で愚かで目に見えることや感情に囚われておりますので、

比較的カンタンに騙せますので、見栄を張ったり、

無いものを有ると言ってみたり、

各種肩書きや役職という鎧をかぶったり、

権力者のコバンザメに成り下がり権力者ぶってみたり・・・と、

いろんな騙し方が古今東西花盛りです。

しかしながら、死んで魂だけになりあの世に還りますと、

あの世の存在たち(所謂神仏という存在) は騙せません。

あの世は至ってシンプルで罪深き魂は地獄、

徳高き魂は天国(極楽浄土)に行くようです。

それをただの迷信だと吐き捨てるのも、

先人たちが継承し続けて来たこの事を素直に信じて

自ら並びに子々孫々の為に徳積みするかもまた、

徳の高い低いによって決まるようで、

カネや権力を持つ量とは関係ないようです。

以上のようなことを日々考えまた感じておりますので

私はカネや権力、また感情や煩悩という

娑婆に蔓延る雲や霧のような、実態があるようで無い、

また、人間の魂の本質を覆い隠すアイテムはあまり見ないし

関心もなるべく持たないようにし、そしてその

影響を受けないように常に努めております。

逆に私が日々観察し、観通そうとしているのが、

おのおのの人間の徳と罪であり、

それに付随している【念(想い・ココロ)】のみであります。

物事であっても人間であっても

的確に把握すべきは【本質】であり、

真理真実であります。

物事の枝葉や表面化している人間の見栄や感情に囚われますと、

本質が見えません。

本質・根本を見誤るとその後の全ての判断行動が間違い、

次の認識も狂い、

ボタンのかけ違いが永遠と続き、

ドツボまっしぐらの人間はたまた家系は多いです。

いろんな人を観察しておりまして、

常に・ずっと成功している・幸せな人というものは、

【本質】というものを常に把握し、

その本質に基づいた・合わせた言動を行い続けている人である

ということに気づきましたので、

私はこれからもこの【本質】というものに中心に

物事を捉え、残りの枝葉はTPOに応じて見たり

切り捨てて行きたいと思います。

・・・従いまして私は、今後も更に精進をし、

出来る限り身辺はシンプルにしながら、

(=余計なもの【物質・情報・権力・感情など】を持たない)

少しでも多くの徳を高め、

やがて来るあの世への旅立ちに備えるべく、

そして今、生かされている喜びを幸福に変換しながら、

楽しく生きて参りたいと考えております(ー人ー)☆