「四十にして惑わず」

今回の四国旅で感じたことがありました。

私がこの四国遍路にご縁頂いたのが、

29歳の終わりで、29歳の夏頃に、

「30代以降の自分の為に、四国遍路行をする」と

決意いたしました。

自らの決意にて敢えて、『茨の道』を選んだ次第です。

その大きな決断、

そしてこの過去10年間の実践・修行が、

今の私を陰で支え続けてくれています。

私の人生において、

四国遍路等の霊峰・霊場での修行は

【人生の財産】になっています。

最初は茨の道だと思った道が、

実は幸福へのまっすぐの道だったのだと、

今になって分かりました。

ほんと、これら日本古来の修行の道は

【日本人の智慧の結晶】だと思います。

あの決断の日から丸10年が経とうとしています・・・

「10年ひと昔」。

来年の3月に40歳を迎えるにあたり、

「40歳以降の自分の為に」と何かをしたいと

じわー・・・と感じて来ました。

体力は20代に比べれば、

ゆるやかに落ちていることは感じています。

老いというものは人間の力ではどうしようも出来ません。

だけど「氣」は今が一番充実しています。

この「氣」というものは、

私がこの娑婆を去る瞬間が

最も充実していたいと思い、

そのために、各種修行をし続けたいと思っています。

また、「氣」を充実させることによって、

「ぶれない」そして「しなやか」な・・・

風が吹いてもポキッ!と折れず、

風を受けてぶらぶらなびく『竹』のような

人間になって来たように感じています。

決して不信でも過信でもない【自信】と

いうものを爽やかに今、感じています。

・・・10年前の私であれば、

出かけようとして雨が降って来たら、

「ああ、自分は何てツイてないんや」とか

「自分の日々の行いの何が悪いねんや」と

嘆いて悲しんだり、責めたり怒っていましたが、

今は、そこに自らの感情は挟まずに淡々と・・・

「あ。雨が降って来たな。

じゃー、傘を差して出かけよう。」と

家を出るという自分がそこにおります。

これは天の気だけではなく、

他人様とのやり取りでも同じです。

他人様の感情や意志、

また天気のような【天の気・意志】は

自分自身の力では変えることは出来ません。

だけど、自分の感情や意志、そして行動は、

自分の手によって柔軟に変えることが出来ます。

たとえば、相手の人間が、

こちら側は一切非がないにも関わらず、

自分にひどい言葉や行動をして来たとしても、

その罪を償うべきなのは相手であるので、

自分がいつまでも悲しんだり怒る必要はなく、

自分が直接相手に手(制裁)を下さなくても、

時間差はあっても、

相手は必ずその罪を清算しなければならず、

そのことに気づかず罪を作り続けている人間は、

誰かに潰されるか自滅し、

あの世に往ったら、

この娑婆よりもケタ違いの地獄を観るのです。

そんな絶対的法則も観得て参りました。

・・・とにもかくにも私は、自分の感情や意志に、

周りを合わせて貰おうとする「我儘な心」は捨てて、

あるとあらゆる自分自身以外の

他者(大自然)の流れに合わせる・・・

調和させる生き方をこれからもますます体得していくことが、

結局は自らの幸福にまっすぐ繋がるのだということが分かりました。

この私の肉体的年齢で、このことが分かって来たことが、

私の人生において最たる

【ギフト(幸福)】なのではと感じています。

十五にして学に志す

三十にして立つ

四十にして惑わず

五十にして天命を知る

六十にして耳順う

七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず

・・・という孔子の言葉がありますが、

なるほどなぁ・・・って感じています。

これからも、そんな生き方を淡々と

歩んで参りたいと思います(ー人ー)。