人事ではない〜“読まれない辞書”を活かす時期が来た〜

皆様もご承知のように熊本を中心とした

大地震が起こりました。

私にも熊本界隈の知人友人がおり、

皆様の心の安寧と、

亡くなられた方のご冥福をお祈りしています。

私は自らの師匠に会いに行く為に、

年1〜2回阿蘇地方に行かせて頂くのですが、

熊本空港から阿蘇地方を繋ぐ国道57号線と、

阿蘇山の南側を走り宮崎や大分の主要な街を繋ぐ

国道325号線が交わる【阿蘇大橋】が

大規模な土砂崩れの為にその国道や

国道と平行して走るJR豊肥本線と共に

崩れ落ちてしまいました↓

http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160416000615.html

阿蘇に行く度に必ずお世話になる

【交通の要所】である国道57号線、

JR豊肥本線&阿蘇大橋の崩落に、

私は今回の地震の事の大きさを痛感し、

多大なるショックを受けています。

【交通の要所】が山の中腹がら

ごっそり崩れ落ちた土砂で埋まり、

比較的大きな橋を大量の土砂と一緒に川につき落とし・・・

一体、完全復旧するまでに何年かかるのでしょうか?

地図を見ますと迂回路はあるようでが、

細い山道で、時間やエネルギーがかなりかかるようです。

この山道も崩壊すれば更に迂回しなければならないようです。

阿蘇地方では、ここ数年毎年梅雨の季節に豪雨災害があり、

山や川が水の力により、えぐり取られ崩れており、

それを人力で復旧し続けている訳ですが、追い付いていません。

そんな中での大地震です。

余震が続く間は復旧工事が出来ず、

となると、何も出来ないまま梅雨に入ることになり、

また豪雨となれば、更に被害が拡大します。

となると、復旧工事のために莫大な公的資金

(私たちの税金)が注ぎ込まれます。

東北震災の復旧工事もまだまだ続くので、

マイナスからゼロに戻す復旧工事に

莫大な税金が使われ続くことになり、

ゼロからプラスに転化させる為の政治的施策に

税金が使われる割合は減少しますし、

国債の発行(未来に使うお金を先取りして今使うという意味!)も

増えるでしょう。

国家予算は莫大過ぎて、私たち国民にはピンと来ませんが、

国家が与える福祉にぶら下がらざるを得ない国民が増え、

国家(財政)を支える国民が減るということです。

震災の被害者の方々に私は「頑張れ」とは言いません。

言うべきではありません。

頑張らないといけないのは

私たち被災者でない人間です。

私たちは被害者の方々の分も合わせて、

自利ではなく他利の為に頑張らなければならないのです。

国家は家族であり、【一つのチーム】であります。

チームの仲間が頑張れない状態になれば、

頑張れる仲間がその人の分、頑張ればいいのです。

「仲間がどうであれ、自分の利益かき集めの為に頑張る」とは、

罪な人間であり、神は制裁(罰)を与えます。

現在の日本のレベルは「正直者がバカを見る」という

罪人の方が善人より幸せに暮らせるということは無くなりました。

人間は騙せても神は騙せないのです。

ただ、【他利】に生きるためには、

ある程度の【自利】を確保しておく必要があります。

例えば目の前にお金に困った人がいます。

お金さえあればその人は助かります。

だけど自分が持ってなければ、その人を助けられないし、

自分もいくらか持っていなければ、

自分の命も生活もヤバクなり、

【助けられる方】に回ってしまいます。

で私は考えました。

たまたま昨日一日時間が空きましたので、

自らの仕事部屋と寝室、

そしてマイカーを置いている屋内ガレージを、

地震が来ても被害の出にくい空間に変えていました。

例えばテレビは倒れないように壁と紐で繋ぎ、

ホラ貝のような壊れやすいものを紐で固定しました。

私は仕事部屋&寝室に関しては

日頃より徹底的に物を溜め込まない実践をしていますので

すぐ終わったのですが、

問題は両親などの物がたくさんあるガレージでした。

真剣にずっと休みなくやっても8時間かかり今、筋肉痛です(笑)。

マイカーの真上には

バーベキューグッズや大工道具などなどたくさん置いてあり、

大地震が起これば、

それがマイカーに落ちて来て

マイカーが使えなくなってしまう可能性がありました。

それをマイカーから離れた棚に移動させるか、

天井の梁と紐で繋いで、

棚から落ちても車まで落ちないようにしました。

震災時においても、

マイカーは使える状態にあった方がいいに決まっています。

ラジオがあるし、

座席を倒せば簡易の居住スペースにもなるし。

それに私のマイカーはコンセントもあり、

携帯やパソコンの充電も出来るので

発電機としての役割もあります。不

要に感情的・悲観的にならない為に必要なのが

【正しい情報を知る】ということです。

だからラジオや携帯、パソコンを

使える状態にしておくことは必要不可欠です。

また私は日頃「洞川温泉」のごろごろ水を愛飲しており、

飲料水用の20リットルボトルを7つ持っています。

それを非常用の飲料水としても使えるように、

強靭な机の下に置きました。

更に、空の20リットルのボトルを4つ見つけましたので、

それを一箇所に集め、何かを洗ったり下水用の水として

非常時に活かすことにしました。

食べるものは何日か我慢出来ますが、

水分は我慢は出来ません。

【命】の次に確保しておかなければならないのは

【水】だと思います。

以上のように私が【自利】の為に、

自分を災害被害から守ることをしておきますと、

すぐさま人を助けに行くことが出来、

【他利】に生きることが出来ます。

・・・長々と書きましたが最後に、

昨年9月に広島・呉にある

海上自衛隊呉基地に見学に行った際、

ある自衛官の方がおっしゃっていたお言葉を

ご紹介させて頂きます。

以下のようなことをおっしゃってはりました。

「我々(自衛隊)は、誰からも“読まれない辞書”を

日々作っているものです。

我が国が平和な(平時の)時は、

我々は国民の皆様目に触れることはなありません。

国民の見えないところで【もしもの時・緊急事態】の為に

日々訓練し続けているのみです。

だから我々のことを「税金泥棒」と言う人もおります。

だけど本当は我々が、

国民がいる場所にはいない方がいいんです。

それは平和である証拠だから。

我々の日々の訓練が国民の皆様にお役に立てたら嬉しいし、

そう思いながら訓練していますが、

訓練が役に立つということは、

つまりこの国が平和でないことを意味するので、

少し悩ましい感じも致しますが、や

はりこの国が平和であることが嬉しいです。」

・・・自衛隊の方々は、我々国民の生命と財産を守る為に、

我々に見えない場所で日々訓練に励んで下さっています。

八尾にも空港があり陸上自衛隊が駐屯しており、

また呉基地に行った時にも感じましたが、

自衛官の方々は粛々と訓練に励んでおられます。

国民の生命と財産を守るという実践部隊なんで、

永田町の連中(政治家)とは違い、肝の座り方が違います。

命がけでされておられ、私は自衛官の方々を尊敬しており、

だから私は松下幸之助氏が設立した

「大阪防衛協会」にも入会させて頂きました。

私たち関西の人間は

21年前の阪神淡路大震災から始まっていますが、

今回の熊本界隈の大地震は【人事ではありません】。

関西、そして我が国の心臓部分である、

首都圏に大地震が来たり・・・

今回の地震でかき消されている、

北朝鮮の長距離弾道ミサイルが飛んで来る可能性もあります。

また、今の日本のゴタゴタに付け込んで、

家事場泥棒・中国が尖閣諸島を奪いに来る可能性もあります。

自衛官の方が言う【誰も見ない辞書】を、

残念ながら使う・活かす時期がとうとう来てしまいました。

残念ながら、これは人間の力ではどうしょうもありません。

我々日本人はその事実を粛々と受け容れて、

心を【有事モード】に入れ替え、自らを反省懺悔し、

心身を正して生きていかなければなりません。

私たちの先祖が辿った、様々な国難の時代に飲み込まれ、

翻弄された心情、またそれに果敢に立ち向かったり

受け容れて来た高くて深い、

我々大和民族の【器】の素晴らしさを私は全身全霊で感じ、

何故か目頭が熱くなっています。

個人の苦難を遥かに越えた国難

はたまた地球全体の苦難という、

時代が大きく変わる時期に今ここに生かされいる意味、

そしてあるべき姿を少し考えるだけでも、魂が奮えます。

一日一生。死ぬまで生きる。

ただそれだけであり、

そんな時期だからこそ私は一切の感情やこだわりを捨てて、

【空の境地】に生き、衆生の救済に燃えて参る所存です。

「日々大峰や四国で磨き鍛え上げて来た魂が

こんな時に大いに活かせるのか!!!」と

私は今更ながら、一人、感動しています。。。

・・・そういえば、私が最も鍛え上げられた

【歩き遍路】をすることを決意したのも「東日本大震災」でした。

あの時私は2周目のマイカー遍路中で、高知市内におり、

揺れはなかったので、大震災が起こったことは後で知りました。

身内の電話で震災を知り遍路が終わって

ホテル側の観光案内所のテレビで、

大津波で仙台空港が飲み込まれている映像を見ました。

そのちょうど2週間前に、

商工会議所青年部の全国大会に行く為に

仙台空港上空から私が見た景色が一変しており、

私は「この震災が2週間早かったら私は死んでいた」と

そのテレビの前で足の力が抜け、恐ろしくなりました。

その夜、眠れずにずっとNHKを見ていました。

そこで私は

「この震災でいよいよ【何か】が始まってしまった」と感じました。

だから私は【歩き遍路】という、

最も過酷な行に飛び込むことで、自らの心身を鍛え上げ、

魂のレベルを上げておかなければならないと感じ、

35〜6歳の時に歩き遍路をさせて頂きました。

・・・何だか最近、感性がめちゃくちゃ冴えており、

こんな感じでいろんな言葉(念)が、

泉のように湧き出て来ますが、

今日はこのあたりで終わります(笑)。