真の悟りや幸福を求めるべく・・・

真の悟りや幸福を求めるべく、

先人たちの智恵と自らの直感を信じ、

全てを捨てて霊峰に分け入った多くの行者たちの

静かでそして鮮烈な息遣いを時空を超え、

私は感じることが出来る。

「全てを捨てなければ、全てを得ることは出来ない。

また、そうしなければ全ては解らないし、

全てを変えることは出来ないということに

気づいたからに違いない」

↑この上記4行の意味が直観的に分かる・分からないによって、

人間の魂のレベルが二分化される。

富や権力を手に入れても、

結局それを守るべく強烈な不足不満に囚われながら、

守りの砦を高くしまた他者を攻撃し、罪を増やし続け、

幸福感とは掛け離れた不安の日々を過ごす。

(そしてあちら側の世界に行けば、見事☆地獄堕ち!

地獄の番人達は、こちら側の世界にいる人間という存在と違って

装ったり、騙したり、言動不一致は一切通用しない!)

富や権力を持つ人間が真に世の中をよくして行けないのは、

持てば持つ程に、手にすればする程に、

煩悩という人を惑わし狂わせる【もう一人の自分・悪&罪の自分】が暗躍し、

もっと欲しい、もっともっとと

底無しの煩悩の蟻地獄に陥る傾向にあるからである。

真に世の中(娑婆)をよりよく変えることの出来る人間は、

富や権力があるなしにかかわらず、

全てに執着も未練もなく、あっさりと朗らかに全てを捨て、

他者に施し切れる人であり、

自分にとって最も大事なものである【命】ですら、

“祈りの風”と共に、何処かへ運ばれても何も惜しくない…というような、

全ての執着【囚われ】のない人であり、

いにしえの行者たち…

我々日本人の先祖たちは悠久の歴史の中で、

体験的に知っていて、それを体系的且つ見える化したのが、

1200〜1300年前に登場した、

役行者や弘法大師空海(人間の心・信仰の復興)並びに

聖徳太子(人間の生活・政治の復興)なのではないでしょうか。