結願への道 〜歩きお遍路、最終章〜 高松市街→86番・志度寺 後編

極寒の昼食の後、1キロ先に

八栗寺行きのケーブルカー乗り場があり、

私は歩きお遍路さんなんで、

横道から山を登り始めました。

すると、真新しいお接待処「仁庵(じんあん)」があり、

入ってみることにしました。

ここは榊原さんというおばさまが、6年前から初められた場所で、

数年前にNHKも取材に来られたり、

カナダの日本のお遍路を紹介する雑誌の取材も来られたそうです。

そのおばさんは、この場所の運営を「遊び」だと

断言され、満面の笑みで答えられました。

無料で、ケーキやお菓子、お茶、干し柿・・・どんどん出てきます!

ガンガン☆石油ファンヒーターがかかっていて、

極寒の気候から一気に春の陽気状態で、

めっちゃ救われました!!

榊原さんは「遊び」だと言ってはりましたが、

おばさんの遊びは自分だけでなく、お遍路さんやご近所の方

みんなが幸せになる遊びなんですよね。

だからますますステキな物心両面が集まってくる。

私も遊ぶなら、こんな感じで自分以外の方々も

喜んで頂ける遊びに徹したい!そう強く思いました(%笑う女%)(%ハート%)

85番・八栗寺お参りから、6キロ先に

86番・志度寺があります。

旧街道筋沿いに志度湾が見えてきました(%ニコ女%)(%星%)

志度駅近くに「平賀源内 旧邸」と書かれた家があり

入ってみることにしました。

先ほどの「仁庵」とかもそうですが、

時間・計画にゆとりがあるからこそ、遍路沿いで

「寄り道」が可能になります。

お遍路行はあくまでメインですが、

と同時に、四国の素晴らしい風土、歴史、文化、そして人を

マンキツして自身の糧にしたい!という気持ちで

今回はこんな感じで、かなり時間にゆとりを持たせています。

また、「最後の遍路旅」ということなんで、

ゆっくり味わいたいし、『慣れ』もあって、

こんな旅をさせて頂いています(%ニヤ女%)(%晴れ%)

平賀源内の旧邸と、志度寺側にあった

記念館に行ってみましたぁ〜(%ニコ女%)(%星%)

私は、平賀源内(1728〜1780)のことを

恥ずかしながら私は知らなかったんですが、

江戸中期の『天才アイデアマン』で、

文士であり、博物学者であり、エンジニアであり

画家でもあったりして、多彩な方だったそうです!

平賀源内の生涯を知れば知るほど面白い。。。

「これだー!」と思いついたものを

一般民衆から藩主まで巻き込みまくって、

どんどんと発明・創作、そして普及しまくって行かれました。

江戸時代って、私たちが想像する以上に

人の行き来が活発で、平賀源内のような

好奇心旺盛でエネルギッシュな方々が

江戸時代(日本文化)をより進化・深化させて行ったんだと思います。

次、歩きお遍路する時は、絶対に今回のお遍路みたいに

時間に余裕を持って回ることにします。

こんな感じで想定外のステキな場所、人、環境・・・

いろんなものに出会えるからです。

今までのお遍路で「時間がないので、これで失礼します」って

去ってしまったことって、結構あるんですよね。

これって、日常でもそうなんです。

だから、大阪に帰ってももっと時間と心にゆとりを持って、

より私の見聞や人生自体を多方面から進化・深化させたいと思います。

そんな感じで、16時半。

無事86番・志度寺をお参りし、

今、その近くの民宿に泊まっています。

どんどん風が強くなって来て、

建物のあっちこっちが激しい音がなっています。

明日、7キロ離れた87番・長尾寺を打ち、

そして標高450メートルにある、結願寺である

88番・大窪寺に向かいます。

雪降っていて・・・ホワイトクリスマス(イブ)かも知れません(笑)。

泣いても笑っても、第一回目の歩き遍路行は

明日で終わりです。

どんな天気であっても喜んで受け切って参りたいと思いま〜す(%笑う女%)(%王冠%)