結願への道 〜歩きお遍路、最終章〜 丸亀市→高松市街②

21日夜は、国分寺駅近くの民宿に泊まりました。

お遍路さんは今、閑散期なんで

私しか泊まっていませんでした。

夕食は18時からで、そこのおじさんと

何と☆20時半までおしゃべりしていました(笑)。

お遍路中や、大阪で見聞きした情報を

おじさんに伝えまくっていました。

おじさんは定年退職した後、この民宿で働いているようで、

それからはあまり外に出ないそうなんで、

私の話をとても楽しく聴いてくださりました。

その旅館は、駅から少し離れていますので、

少しお客さんが少ないようです。

駅前の旅館は、お客さんが比較的多いので、

年末年始とかちょくちょく休むらしくって、

お遍路さんが国分寺駅界隈で泊まる時に、

全部の旅館が休業していたら、かわいそう!と

この旅館(せと旅館さん)は、年中無休なんだそうです(驚)☆

確かに、サラリーマンの方とかは、

年末年始の休みを使ってお遍路さんするので、

このような旅館は、めっちゃ有難い存在だと思います。

ほんと、このような方々支えあっての、お遍路さんです。。。

ほんと、感謝で感涙ものです。。。

そのおじさんとは、メインの会話として、

「地域ごとの人間の個性の違い」についてでした。

四国四県だけでも、かなり地域性が違うということが、

このお遍路を通して明確化しました。

(あるHPから、下記のような特性が書かれていました。

私が四国で見聞きした話しとかなり近いです)

四国では次のような小咄(こばなし)が伝わっています。

『もし、大金が入ったら、愛媛の人は老後に備えて物を買い、

香川の人は貯金し、徳島の人はそれを元手に商売を始め、

そして高知の人は飲んでしまう。』んだそうです(笑)。

この小咄では香川と徳島が入れ替わることもあるそうで、

決してステレオタイプ化すべきではないでしょうが、

言い得て妙の部分もありそうです。

【愛媛県人】
温暖で災害が少ない恵まれた気候なので変化を嫌い、
現状を良しとする保守王国。上昇志向は乏しくて、
そこそこ成功することを是とします。ゆとりある生活ができているため、
仕事よりも趣味に生きる傾向。のんきでも、
人の話をそこそこ聞いて突っ走るので、途中、分からなくなって立ち往生。
根が楽天的なので「まあ、いいかー」と突き進む。
これが「伊予の駆け出し」と言われています。

【高知県人】
四国山脈と太平洋で断絶された陸の孤島の地形なので、
独自の文化を育んだ独立王国的な風土。豪放磊落、天真爛漫、
反権力でリベラルな気風が強く、乱世に生きる風雲児的な部分がある。
平和な世の中では偏屈とか頑固と言われる部分も。
圧倒的に酒豪が多い。

【香川県人】
四国の政治、文化、産業の中心地的な存在で四国の玄関とも言われます。
交易地のため、人なつっこく社交的で協調性が高い
。器用で要領が良く、貯金好き。その一方で競争心や
しぶとさに欠けるため「讃岐の大将なし」といわれます。

【徳島県人】
古来、近畿地方との交易が盛んなので関西地方に
親近感を覚える関西大好きの県。長い商業の歴史からか、
抜け目がなく、堅実、勤勉。香川に負けず劣らず貯金好き。
阿波踊りを中心にして一年が回っている風土。
陽気で明るいイメージの一方、意外と地味で内向的。
しかも、とことん、マイペース。自分の意見はしっかり持ち
時々、協調性に欠ける。空気は読めながらもあえて読まない。

最後の方でおじさんがこう言いました。

「こうやって、いろんな県民性・地域性を知る・分析することによって、

だんだんと人を見る目が養われて来るよね。

その人がどうしてそんな性格になったのか?

それは、その人自身の個性だけでなく、

どんな環境で生まれ、育ったのか?その環境の風土歴史文化も

大いに関係してくるんだね〜!」

そうか。。。

この遍路行では、日常生活では絶対に出会えない人、

環境・風土・歴史・文化に出会います。

つまり『見聞』が広がっているんです。

だから、人や物事を判断する基準がどんどん多くなり、

結果、物事を多方面から分析・判断することが出来、

物事を正確に判断する“精度”が上がってくる・・・そんな理屈のようです。

第一感を練磨するという、超右脳的な能力だけでなく、

上記のような左脳的要素も活性化するのがお遍路行のようです。

やっぱり、お遍路はすごい。。。

翌朝・22日(土)、一気に山登りっ☆

81番・白峰寺と82番・根香寺を目指しました。

雨が小ぶりになるのを待っていたのと、

ブログ更新で遅くなって、8時に民宿を出ました。

遍路中は、いろんなことが

次から次へと閃き、

閃いたことを全部、携帯メールにて文書化しています。

あまりにも夢中で文書化しているうちに、

右折せなアカン箇所をまっすぐ行ってしまい、

ちょっと大回りになってしまいましたが(涙)、

そのおかげで右写真のお食事処に貼られていた

「ホットみかんジュース(200円)」と出会い、

飲んでみましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)

お味は、、、

こりゃー、やみつきになる勢いで

美味しい〜〜〜〜〜っ(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)

早速、持ち前の「なれなれしさ」で(笑)、

お店のおばちゃんに作り方を教えて頂きました!

①地元でとれた、美味しいミカンをミキサーにかける
②それを鍋で沸騰させる

以上っ!

めっちゃそのまんま・・・100%のオレンジジュースです。

元々のみかんが美味しいのか、それとも

一回沸騰させることによって、甘みと酸味が両方強調&濃縮され、

ビタミンCが究極に身体に入っていく喜びと、

熱いので、身体がすぐにあったかくなるという喜び2つを

同時に味わうことが可能なんです。

てっきり、香川ではそんな飲み方をするんかな?

と思いましたが、そのお店が去年から始め、

めっちゃ好評だったので、今年もこの時期だけ販売し、

そして町中に今、広がっているんやそうです。

そんなことなんで、みなさんがこの

「ホットみかんジュース」を知られたら、

この『白峰パークセンター』が発祥地だと認識しておきてくださいね(笑)。

81番・白峰寺→82番・根香寺までは

山の上の尾根づたいの道です。

ここには、お地蔵さんがいっぱいあります。

お地蔵さんにかけてある、赤いエプロンを見る度に

私は父方の祖母を思い、涙腺がゆるみます。。。

「お地蔵さんのエプロン」

父方の祖母が生前、村の仲間とバスお遍路さんしていた時…

多分2周目のバス遍路だと推測しますが、

遍路道にあるお地蔵さんの赤エプロンを何枚か、

洋裁が得意な私の母に作ってもらい、

持っていってエプロンがなかったり傷んでる

エプロンをつけたお地蔵さんに、付けてはったそうです…

そう私の母が言ってました。

おばあちゃんが2周目の遍路に行ったのは、

瀬戸大橋が開通した年。

正に四国お遍路さんと観光客が最も多かった時代です。

先日話を聞いた日本銀行高松支店の関根支店長から頂いた、

香川県の紙幣流通量の資料も、

その年が頂点で最も多く、後は減少の一途です。

私の手元には、かつておばあちゃんが大事に持っていた、

瀬戸大橋が開通した時の何かの記念の紙があります。

(叔父がまだ生きてた時、おばあちゃんが持っていた

掛け軸等のお遍路グッズを貰う約束をし、

亡くなってから私のもとにやって来ました)

おばあちゃんは私の父いわく

『村一番のええ人やったと村中で言われてた』と

未だに言ってはります(笑)。

バスでも車でも徒歩でも、お遍路さんの殆どは、

何かを『得る』為に行かれてます。

救済だったり健康だったりお金だったり…。

だけどおばあちゃんは、それもあったと思いますが、

何かを『与える(捨てる)』為にも行ってたんやと思います。

遍路道のお地蔵さんの何個かに新しいエプロンつけるなんて、

誰も見てないことでするし、

誰からも評価されないこと…些細過ぎることなんですが、

そんなことを喜んでしていたおばあちゃん。

だからこそ日頃から自然に、

身の回りの人や環境の為にあれこれ尽くしてはり結果、

村一番のいい人だったんかなーって推測しています。

普段八尾の老原村から出ることは、

八百屋の商いする時だけ(先祖代々農家だった大橋家の祖父が、

現金収入を得る為に開業した八百屋をやってました…

天神橋筋商店街でやってたそうです。祖母が亡くなり閉店)だったようです。

老原村の人たちや、八百屋さんに来るお客さんに、

いろいろなものを与えていたこと(=徳)が今になっても、

子供や孫の私たちに、いろんな‘得’を

与え続けてくれてるんなやーって今更ながら感じます。

例えば、今私が暮らす自宅の土地も、

祖母の判断で三男でる父に継承した土地。

長男次男三男と土地や資産を分けたのも、

祖父が亡くなった後の祖母です。

もしも祖父母が事業に失敗したり騙されたりして

一門無しになっていたら、今の私の自宅は無かったかも知れません。

こう思いますますと、祖父母以上のご先祖さまや

母方のご先祖さまの『功徳』を、今を生きる私たちは、

何とたくさん頂いて‘生かされて’いるんやろうか〜!って気付く訳です。

そりゃー、徳だけでなく‘罪’も同時に頂いている訳ですが、

それは自分自身の‘行’を通して消罪をしていけばいい話しです。

罪や煩悩があるからこそ、それを消罪する過程

(怒涛の‘本気’の実践の中)に

『人間として生きる醍醐味』があるんやと思います(%ニコ女%)(%星%)