関ケ原から大御所へ

日 時 2020年9月24日(木)10時15分〜11時45分
 戦国時代の覇者・徳川家康の後半生の講座がありました。
 1598年に天下人・豊臣秀吉が逝去し、その後秀頼の後見人
前田利家が1599年に死去しますと、家康の一人勝ちとなり、
五大老の前田利長、続いて上杉景勝へ謀略を仕掛けます。
 やがて石田三成が西国大名を中心に挙兵しますと、これとの
合戦に切り替えます。
 家康は関ヶ原の合戦に当たっては、いろいろと手を打ちました。
 (1)北政所の甥・小早川秀秋の寝返り工作
 (2)黒田官兵衛・長政父子ら、秀吉子飼いの武将の取り込み
 (3)京極高次が居城・大津城を死守し、立花宗茂をくぎ付け
 (4)毛利一族は吉川広家との約束で結局動かず ・・・・・・・・・・ 等々
 家康は関ケ原の勝利後は大名の配置換えを行い、大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼしてしまいます。
 家康は征夷大将軍に就任して江戸幕府を開きますと、豊臣家の滅亡を見届けて征夷大将軍の位を秀忠に譲り、大御所として浜松に隠居いたしました。
 大御所とは摂政・関白や征夷大将軍等の実父の尊称で、第一線を退いても影響力を持つ長老の意。
 そして家康は1616年に75才で駿河城において永眠いたしました。 辞世は・・・
 「嬉しやと ふたたびさめて 一眠り うき夜の夢は あかつきの空」
 「先にゆき あとに残るも 同じこと つれて行かぬを 別れとぞいう」