本能寺の変の真相

日 時 2019年12月13日(金)13時30分〜15時30分
 来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀が
主君・織田信長を本能寺で討ち、短い期間でしたが天下を
掌握した頃を中心としたセミナーがありました。
 光秀は1580年には丹波制圧を成し遂げ、丹波経営・坂本
城改修等を行い、加えて丹後や大和国支配の補助も任されて
大きく飛躍しました。
 光秀はこの時期、織田家中随一の実力者になりました。
 その後も光秀は多忙で、1582年には武田勝頼攻めに出陣したり、安土に逗留する徳川家康の馳走を命じられたりしています。
 そして信長は、武将達を最前線に立たせる一方、整備の済んだ領地は一族に与える等しており、このような状況が光秀ら武将に不満を抱かせる要因になったかもしれません。
 1582年5月に信長から西国出陣を命じられた光秀は、坂本から亀山に移動し、愛宕山で連歌を催しており、この時の発句が謀反の決意表明と言われています。
 すなわち、「とき(土岐)」「あめが下(天下)」「下しる(下知する)」と解釈されていますが、謀反の理由は怨念説・野望説・黒幕説・四国政策転換説等々諸説あり、いまだわかっておりません。
 光秀は束の間天下人になりますが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、落武者狩りで殺害されました。
 本能寺の真相は本人が殺され、親族等も自害しており、資料も残されていないため不明とのことでした。