寄席の変遷と五代目・古今亭志ん生

日 時 2019年10月16日(水)11時〜12時30分
 NHKの大河ドラマ「いだてん」の進行役的な存在の落語家
古今亭志ん生と寄席の変遷についてお話しを伺ってきました。
 まず”ヨセ”ですが、「寄せ場」→「寄せ席」となり、演芸を常時
見せる常設の小屋のことで、落語が主でした。
 落語以外は「色物」と呼び、看板も朱で書いていたそうです。
 歴史を見てみますと、元禄13年(1700)に江戸浅草で名和
清左衛門が「太平記講釈場」を造ったとされ、それまでは寺社
境内が主流だった由。
 その後、文化・文政年間には小屋が増え、天保の改革ではかなり減ってしまったとのこと。
 明治に入って政府は内容に制限を加えたり、課税したり、鑑札を発行したりしたそうです。
 次に古今亭志ん生のことですが・・・・・
 初代⇒幕末に活躍、二代目⇒幕末・明治前期に活躍、三代目⇒明治後期・大正初期に活躍、四代目⇒明治後期・大正期に活躍・・・・・です。
 そして五代目ですが、本名を美濃部孝蔵といい、旗本の家柄の人でした。
 15才でこの道に入り・20才で前座・27才で二つ目・31歳で真打となり、49歳で志ん生を継ぎました。
 志ん生は、昭和20年に満州へ慰問に行き、昭和22年に帰国し、昭和32年に落語協会会長となり、昭和48年に83才で亡くなられたとのことでした。