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まなびの会
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2019/10/05のBlog
[ 15:26 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年10月5日(土)10時~12時
 アメリカのキリスト教内における福音派に焦点をあてたお話
しでした。
 西ヨーロッパでは宗教改革後、キリスト教は様々な教派に
分かれました。
●フランス・スペイン・アイルランド等 → カトリック
●ドイツ・北欧等 → ルター派(プロテスタント)
●スイス・オランダ・スコットランド等 → 長老派・改革派
●イギリス → イギリス国教会 等々
 米国には上記の人々が移住してきており、教派を超えて福音派(活動的な雰囲気)が構成されています。
 この福音派の道徳・価値観は、聖書に忠実というよりは伝統的な信仰やライフスタイルを変えたくないとするもので、もともと穏健な政治的立場を取っていた由です。
 白人福音派は2016年の大統領選挙で実に81%の人がトランプに投票したそうです。
 それは2015年の連邦最高裁が同性婚の権利を認め、中絶を制限する州法を違憲としたことで、これを当時のオバマ大統領が歓迎し、そしてこの方針をヒラリー・クリントンが継承することがほぼ明らかだったことによるものだとか。
 さて、それでは来年の大統領選挙は白人福音派が再びトランプに投票するのでしょうか。
 今のところ福音派がトランプを支持しない理由が見当たらないとのことですが・・・・・
2019/10/04のBlog
[ 15:39 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年10月4日(金)10時~11時30分
 かつて阪神淡路大震災や東北大震災を経験し、30年以内
には南海トラフ地震が発生すると言われている昨今、これら
の災害をいかに乗り越えるかの講座がありました。
 まず防災の基本は災害を知り、己を知ることが、(1)災害を
知る<どのような状況下でどのように発生するか>、(2)己を
知る<自分や家族の状態や災害リスクを知る>、(3)対策を
立てる<予防対策>等々だそうです。
 そして防災の原点ですが、①自分がケガをしないこと、②自分から行動を起こすことだとか。
 また地域の防災力を上げるためには、防災教育が必須である由です。
 そのためには各々が使命感を持つことで、実際に公助には時間的・人数的に限界があるからです。
 さて地域防災力の担い手ですが、行政の他に「小・中・高校」「消防団・公民館」「社協・医療・福祉団体」「民生委員・ボランティア・地元企業」等が考えられ、これらと連携を取る中で自ら行動し、助け合うことが重要で、いわゆる自助・共助・の取組みが望まれる由です。
 なお日本は現在高齢化社会で、今大きな災害が起きると多くの高齢者が犠牲になることが考えられるわけで、それは「身体能力の低下」「判断能力の低下」「コミュニティ力の低下」等により、自力で避難行動をとることが困難だからです。
 要は危機意識を持って災害トレーニングを行い、自分に何が出来るかを考えましょうとのことでした。
2019/09/29のBlog
[ 14:10 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年9月28日(土)14時~15時30分
 「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの世界遺産に登録されたこと
により、この古墳群の被葬者等について講演がありました。
 古墳時代は倭国が形成された時代で、前方後円墳をはじめと
する古墳により身分秩序が表示されていました。
 「百舌鳥・古市古墳群」は4世紀末に成立した河内政権の古墳で
講演内容は5世紀を中心とした倭国王他のお話しです。
 ひと口に河内政権と言ってもどのような政権だったのでしょうか。
 たとえば、倭国の大和王権が奈良から河内に進出してきたもの、いやそうではなくて王族か他の勢力によるクーデタで王権が交替したもの・・・・・等々考えられます。
 記紀(古事記・日本書紀)が言う、仲哀天皇と神功皇后の子・後の応神天皇と、仲哀天皇と大仲姫の子・香坂王、忍熊王との皇位継承争いをどのように見るかも興味深いところです。
 さて河内政権の王統譜ですが、応神→仁徳→履中→反正→允恭→安康→雄略・・・と続きます。
 この古墳群の一番大きな古墳は大仙古墳で、宮内庁によれば仁徳天皇陵とされています。
 一方 大仙古墳から造出された須恵器等から推測して、この古墳は5世紀中葉のものと思われ、その頃に没した天皇は允恭(453年または454年没)であるので、大仙古墳は允恭墓とも言えるとか。
 そのように考えていくと応神墓は津堂城山古墳、仁徳墓は仲津山古墳・・・ということになる由です。
 古代は記紀によって記述が異なる部分もあり、外野席としましては興味津々と言ったところです。

2019/09/28のBlog
[ 01:09 ] [ 政治・経済 ]
日 時 2019年9月27日(金)10時~11時30分
 令和の時代を迎え、これからの日本の政治経済についての
講座がありました。
 令和時代の問題点と言えば何と言っても少子高齢化と人口の
減少でしょう。
 すなわち令和4年頃から団塊の世代が75才以上の後期高齢
者になりはじめ、その3年後くらいにはピークに達します。
 前期高齢者に比べ、後期高齢者は医療費にしろ介護費にしろ
5倍はかかると言われており、これに対する財政問題をどうするかがあります。
 一方 令和35年前後には日本の人口は1億人を割ると予想されており、そうなれば造りて(供給)も買い手(需要)も減ってきますので、経済に大きな影響が起こり得ます。
 この人口減に対し、外国人(労働者)の移住(移民)増が起こりますが、現在の位置付けは働き手不足に対応するもののようです。
 表面化はまだしていませんが、なにしろ外国人移民は、アメリカ、ドイツについで日本は世界第3位になってきてるそうです。
 また世界の金融は、アメリカは利下げ・減税を、欧州でも利下げ観測です。
 すなわち、世界の景気にかげりが見えてきていると言えそうです。
 平成の時代に少子高齢化に対し、有効な手を打てていなかったのは、痛手になるのではとのことでした。
2019/09/26のBlog
[ 18:36 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2019年9月26日(木)13時30分~16時
 ルネサンスの巨匠・レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に「岩窟の聖母」
がありますが、これが何と2枚あり、しかも構図もほとんど同じで
ある由です。
 そこでレオナルドの没後500年となる今年、その謎解きを楽し
もうとする講座がありました。
 1枚はパリのルーブル美術館に、あと1枚はロンドンのナショナル・
ギャラリーにあるとか。(写真左はパリ版、右がロンドン版)
 どちらの絵にも聖母マリアとキリスト、洗礼者ヨハネと天使が岩窟を背景に描かれています。
 若干の違いは、天使の右手や視線(表情)で、その他色調や植物等も挙げられます。
 絵の元々の注文主はイタリア・ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の司祭長だそうです。
 注文主の制作希望は、下記だったようです。
 ●中央パネル:聖母とイエス、天使と予言者を描くこと。
 ●左右パネル:唱歌・奏楽天使(左右2人ずつ)を描くこと。
 なお、天使を描いた左右パネル2枚は、ナショナル・ギャラリーにのみ所蔵されているそうです。
 レオナルドが注文を受けて描き、グランデ聖堂に設置されたのは、研究者によれば現ロンドン版であり、レオナルドが最初に描き始めたのはパリ版だそうで、何らかの事情(信徒側はパリ版に不満で、後にロンドン版を描いた?料金係争?等々)で、最終的に納品したのがロンドン版であろうとのこと・・・・・
2019/09/22のBlog
[ 07:54 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年9月21日(土)10時~12時
 アメリカのノーベル賞作家・ヘミングウエイのパリ時代の話し
が中心の講座がありました。
 彼は1899年にアメリカで生まれ、第一次世界大戦の北イタ
リア戦線で重症を負い、戦後はフリー記者をつとめました。
 そして特派員としてパリ(1921~28)に渡った頃から、本格的
に小説を書き始めたそうです。
 その後の主な経過は、1929年「武器よさらば」、1940年
「誰がために鐘は鳴る」、1952年「老人と海」等を次々と執筆し、1954年「ノーベル賞受賞(受賞式は体調不良で欠席)」、1961年「猟銃自死」・・・・・です。
 パリではいろんな人の知遇を得ますが、中でも小説修行時代の師がユダヤ系アメリカ人のガートルード・スタインと言われています。
 この頃のパリは芸術家のメッカで、世界中から芸術家(例:ピカソ、シャガール、藤田等々)が集まり、芸術実験が行われていました。
 師のスタインは、パリ・モダニズム芸術運動の推進者でしたので、そのサロンにはマチスやコクトー等も集まり、ヘミングウエイも参加していましたから、そこでいろいろと影響を受けたようです。
 スタインは「言葉で絵を描く」「楽譜で物語を書く」等、ジャンル越境を行っており、ヘミングウエイもパリで出会ったセザンヌの絵(人間の知覚に忠実)のように小説に着手していったとのことでした。
2019/09/20のBlog
[ 19:07 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2019年9月20日(金)13時30分~15時
 地域で活動されている2人組(ヴォーカル・ギター)のラテン
ミュージシャンによるなつかしのラテン音楽を聴いてきました。
 ラテン音楽は中南米発祥の音楽ですが、結構多種多様で
たとえばカリブ系(キューバ他)はルンバやマンボ、ブラジル系
はサンバやボサノヴァ、そしてアルゼンチン系はタンゴ等と
なっています。
 今回はまず「美しい空」を意味する「シェーリト・リンド」から
スタートでした。
 そして「キエレメ・ムーチョ(もっと愛して)」の後は、「たぶん・たぶん・たぶん」を意味する「キサス・キサス・キサス」で、その内容は恋人にいろんな事について問いかけるが、相手はいつも「たぶん」としか答えてくれないというものです。
 続いて「キエンセラ(だれかしら)」「ベサメ・ムーチョ(わかれの歌)」の後に、妻を亡くした悲しみを歌ったおなじみの「ある恋の物語」の演奏がありました。
 また往年のアントニオ古賀のオハコであった「その名も富士山」、サイモン&ガーファンクルによって大ヒットした「コンドルは飛んでいく」も披露されました。
 最後はギターの伴奏で、「青い山脈(若く明るい歌声で・・・)」と「川の流れのように(知らず知らず歩いて来た・・・)」を観客全員で歌いお開きとなりました。
2019/09/19のBlog
[ 09:57 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年9月18日(水)11時~12時30分
 日本人最初のオリンピック選手として、金栗四三とともに
ストックホルム大会に出場した三島弥彦(写真)の三島家に
まつわるお話しを聞いてきました。
 彼の父・三島通庸は元薩摩藩士で、西郷隆盛や大久保利通と
同じ精忠組の出身であったため、明治維新後は要職を歴任します。
 すなわち、山形・福島・栃木の県令(知事)を経て、警視総監に
登りつめ、子爵の称号まで得ます。
 その父が警視総監の時に「警視庁武術大会」が開催され、柔術では講道館柔道が勝利したため、以降は警視庁の武術掛を講道館が務めることになり、嘉納治五郎とも親しくなっていきました。
 これが縁の始まりとなって、やがて三島弥彦は嘉納治五郎とストックホルムへ行くことになります。
 また兄の三島彌太郎は、マサチューセッツ大学・コーネル大学に留学し、帰国後は貴族院議員(桂太郎派閥)になり、それと並行して金融・不動産にも辣腕を振るいました。(那須地方開墾の開発会社を担う)
 その後彌太郎は、横浜正金銀行頭取を経て、第8代日本銀行総裁にまで出世いたします。
 このように薩摩の下級武士であった三島家は成長を続けましたが、ここに三島家と同じように大きくなったのが西郷隆盛の従弟筋であった大山家でした。
 その大山家の娘・信子を彌太郎は妻としますが、ほどなく信子は病気となって離縁され、これをベースに小説化されたのが徳富蘆花の「不如帰」だと言われています。
2019/09/14のBlog
[ 19:26 ] [ 政治・経済 ]
日 時 2019年9月14日(土)10時~11時30分
 戦後の日本経済はめざましい成長をとげましたが、その後
大不況となり、現在は安定成長(低成長)に至っているわけ
ですが、その戦後を振り返る講座がありました。
 まず主な内閣の変遷を見てみますと・・・・・
 ●池田内閣(高度経済成長政策の推進)⇒●佐藤内閣
(大阪万博・沖縄返還)⇒●田中内閣(列島改造)⇒・・・の時に
オイルショックが起こり、高度経済成長は終焉へと向かいます。
 一方米国では、●ニクソン(金・ドル交換停止・インフレ進行)⇒●レーガン(財政・貿易の双子の赤字解消せず)・・・という状況で、プラザ合意(為替相場をドル安に誘導する国際合意)も。
 その結果日本では円高により経済が停滞し、金融政策(公定歩合の引き下げ)や財政政策(6兆円の経済対策)で対応いたしました。 そして日本の内閣は・・・
 ・・・⇒●三木内閣(政争に敗れ総辞職)⇒●福田内閣(日中平和友好条約調印)⇒●大平内閣(内閣不信任案可決)⇒●鈴木内閣(増税なき財政再建)⇒●中曽根内閣(民間活力の導入)⇒●竹下内閣(消費税導入)⇒●海部内閣(バブル経済・湾岸戦争)⇒●宮澤内閣(バブル崩壊)⇒・・・と続き・・・
 ・・・現在は安倍内閣がアベノミクスの三本の矢(金融緩和・財政出動・成長戦略)で、バブル崩壊の不況に対応しているところです。
 今後の日本社会は、「競争と自助努力→自然淘汰(自由主義)」へか・・・・・。
2019/09/12のBlog
[ 18:51 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年9月12日(木)14時~15時30分
 関西文化に育まれた文学としまして、巨匠・谷崎潤一郎の
「春琴抄」が紹介されました。
 この小説は大坂を舞台としており、そのあらすじは・・・
 薬種商の次女・春琴(お琴)は9才の頃に眼病で失明し、その
身の回りの世話を丁稚の佐助が担います。
 わがままに育った春琴ですがやがて妊娠し、佐助にそつくり
な男の子を出産しますが、両人とも関係を否定し、結局その
子は里子に出されてしまいます。
 やがて春琴は20才になり、習っていた琴・三味線の師匠の死を期に独立し、佐助もまた弟子兼世話役となって春琴の衣食住の世話を続けます。
 春琴の腕前は広く知られるようになり、また美貌であったため弟子も増えていき、その中に利太郎という名家の息子がいて、春琴を口説きますが、袖にされておまけに額にケガまでしてしまいます。
 その1カ月半後に何者かが春琴の顔に熱湯を浴びせ、火傷を負わせます。
 ただれた顔を見せたくない春琴は佐助さえも近づけようとしないので、佐助は両眼を針でつき、失明した上でその後も春琴に仕え、春琴が脚気で亡くなるまで世話を続けました。
 この小説は「中央公論(1933年)」に発表されるや話題となり、映画化(田中絹代~京マチ子~山本富士子~山口百恵~・・・)され、宝塚でも何度も上演(大地真央~・・・)された「愛」がテーマの物語です。