ニックネーム:  パスワード:
| MyBlogトップ | Blogポータル | ブログガイド | よくある質問 | サポート |
まなびの会
記事一覧イベント一覧
[ 総Blog数:1469件 ] [ このMyBlogをブックマークする ] [ RSS0.91  RSS1.0  RSS2.0 ][ ATOM ]
2019/07/17のBlog
[ 14:00 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年7月17日(水)11時~12時30分
 NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公・金栗四三のお話しが
ありました。
 彼は1891年(明治24年)に熊本県に生まれました。
 兄弟は男4人・女4人で彼は7番目でした。
 小学校(片道6㎞)へは素足で走って通学し、呼吸法を自分で
発見(?)しました。
 その後、海軍兵学校を志望するも、身体測定で不合格となり、
東京師範学校(東京教育大学→筑波大学:校長・嘉納治五郎)に進みました。
 当時 嘉納治五郎校長は全生徒に運動部への入部を求め、彼は「徒歩部(陸上部」)に入部いたします。
 マラソンは、明治42年に毎日新聞主催の「神戸湊川→大坂西成」の競争が最初であると言われており、彼はオリンピックの予選会(羽田競技場で開催)に出場して世界記録(非公認)をたたき出しました。
 第5回ストックホルム大会は、彼がマラソン(熱中症で行方不明となり、ゴールせず)と三島弥彦(100m・200m予選落ち、800m準決勝棄権)が出場いたしました。
 彼は東京高等師範学校を卒業後、教諭のかたわらマラソンも指導しました。
 オリンピックでは、第6回ベルリン大会は戦争で中止となり、第7回アントワープ大会では16位、第8回パリ大会では途中棄権の成績で、引退後はマラソンや駅伝の普及活動に尽力いたしました。
 結局オリンピックではこれと言った成績は残せませんでしたが、歴史には大きな足跡を残しました。
2019/07/16のBlog
[ 17:07 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年7月13日(火)13時30分~15時
 中国の正史とも言われる司馬遷が記した「史記」は、古代の
王や貴族から思想家や庶民に至るまでの人間模様が描かれて
います。
 それの中から比較的著名な人をご紹介いただきました。
 まず司馬遷自身ですが、前漢時代の歴史家で、父(歴史記録
等を職掌する史官)の遺命を受けて「史記」を完成させた人物
です。(写真/ネット)
 また「史記」の構成ですが、全130篇から成り、黄帝(伝説上の皇帝)から司馬遷自身が生きた武帝期までを記録した通史(一時代・一地域ではなく、全時代・全地域にわたる歴史記述)です。
 歴代帝王の記録「本紀」、年表「表」、諸制度を記録した「書・志」、諸侯の記録「世家」、個人の記録「列伝」、司馬遷の主張「論賛」から出来ている由です。
 そのような中から、今回紹介された人物(自分の生涯を重ねた人?)は・・・
●伍子胥:春秋時代の人、父も兄も楚の平王に殺されたので呉に亡命した後、呉を助けて楚を討った。
●荊 軻:戦国時代の刺客、燕の太子丹の命により始皇帝暗殺を謀る、彼は燕の地図等を手土産に秦の
 都に赴き、始皇帝に謁見を許されるも、暗殺に失敗し殺された。
●屈 原:戦国時代の楚の詩人、楚の王族で王にも信任されていたが、斉と協力して秦に対抗することを
 主張して追放され、川に入水自殺した。 
2019/07/14のBlog
[ 03:43 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年7月13日(土)13時30分~15時
 考古学からみた古代の大坂、特に難波宮・京を中心としたお話
しがありました。
 まず、古代とは7世紀から11世紀を言います。
 大坂のことを作家・司馬遼太郎氏は「政権を滅ぼす都」と表現さ
れたのだとか。
 さて難波宮ですが、前期と後期に分かれる由にて・・・
・前期:大化改新後、孝徳天皇が大和から遷都(7世紀)
・後期:聖武天皇のもと再建(前期の焼失による、8世紀)
 そして難波京としましては3つの段階があるとのことで、それは調査の成果として・・・
・初期難波京:前期難波宮の建設に伴い整備された孝徳朝のもの。
・前期難波京:天武朝の複都制の詔(683年)により建設(686年焼亡)
・後期難波京:聖武朝に再建に着手(726年)、しかし長岡遷都により廃絶(784年)
 ・・・と説明出来るとのことでした。
 次に大化改新についてですが、近年「大化改新否定論」もあるとのことですが、少なくても木管などの研究により、官僚制と公地公民制の創出は可能性が高い由です。
 そして中央集権的な政治システムの導入に伴い、一定の広さをもった区画で国土を覆うという壮大な青写真が描かれ、そのための場所が選ばれたことと難波宮がリンクしているのではと思われました。
2019/07/11のBlog
[ 18:24 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年7月11日(木)14時~15時30分
 5千円札に描かれている女流作家・樋口一葉の代表作「たけく
らべ」についてお話しを拝聴してきました。
 彼女は1872年(明治5年)生まれで、和歌を中島歌子に、小説
を半井桃水に師事して文壇デビューをしましたが、当時の不治の
病・肺結核に冒されて、わずか24才6カ月という短い人生を終え
た作家です。
 彼女が作家になった動機は生活苦からの脱出でしたが、わずか
1年半で「たけくらべ」の他、「にごりえ」や「十三夜」等々の小説を次々と発表し、一般の読者の他、文壇からも高い評価を得ました。
 今回解説いただいた「たけくらべ」は、「伊勢物語」第二十三段「筒井筒」をベースに、お祭りを舞台にした住職の息子・信如と遊郭吉原の遊女を姉にもつ少女・美登利の淡い恋を中心に、思春期の子供たちの心の葛藤を描いた作品です。
 この作品は森鷗外や幸田露伴など、文壇の人々からも絶賛され、前途有望でしたが24才という若さでこの世を去り、没後発表された「一葉日記」も高く評価されたこともあって、その後たとえば泉鏡花が「一葉の墓」を執筆するなどいたしました。
 この「たけくらべ」は宝塚でもミュージカル化されましたが、演出としまして「にごりえ」のお力を美登利の姉とするなど、独特の工夫ををして汀夏子や麻美れい等の出演で上演された由でした。
2019/07/08のBlog
[ 17:10 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 2019年7月8日(月)13時30分~15時
 オーストリアのウィーンミュージアムの改修工事に伴い、
ウィーン世紀末の巨匠の傑作が日本(新国立美術館)に
集結しましたので、その一部を解説賜りました。
 また今年は日本とオーストリアの外交樹立150周年の
年にあたります。
 まず最初のご紹介は、オーストリア・ハンガリー帝国
ハプスブルグ家のマリア・テレジアとその長男のヨーゼフ
2世の肖像画でした。(写真)
 この親子の肖像画の共通点は何と言っても「ゴージャス」という点でしょうか、さすが帝国のトップというところでした。
 同じ帝国からは、フランツ・ヨーゼフ1世とその皇后のエリザベートの肖像画も解説くださいました。
 次に天才モーツアルトの幼少の頃の肖像画で、ナポレオンのポーズとよく似た構図でしたが、モーツアルトはマリア・テレジアの末娘マリーアントワネットと一度会ったとする歴史からの紹介でした。
 その他音楽家では、シューベルト、ヨハン・シュトラウス、マーラそしてシェーンベルクの肖像画も紹介していただきました。
 そして最後は今回の目玉でもあるクリムトの絵(ブルグ劇場の観客)のお話しで、オペラハウスの観客を個別に識別できるように描いたものでした。(クリムトは他に数点の展示あり)
2019/07/06のBlog
[ 18:38 ] [ 環境・健康 ]
日 時 2019年7月6日(土)14時~16時
 口の機能としてのかみ合わせの大切さ等について、お話しを
伺ってきました。
 矯正治療を行う意義ですが・・・
(1)かみ合わせを改善すること、すなわちより噛みやすい上下
 歯列にすること。
(2)あご関節の機能に配慮する治療をすること。
(3)虫歯や歯周病を防ぐこと。
(4)横顔などのコンプレックスを除くこと。
・・・等々がある由です。
 なお海外の研究(8才から65才の患者グループの57年間)によれば・・・
(1)8才の時に歯並びがよかった人は、歯の喪失が少ない。
(2)口の中の衛生状態を常によくしている人は、歯が永く保存されている。
・・・等の結果が出ているとのことでした。
 「明眸皓歯」という四文字熟語がありますが、これは目元と口元がよい美しい顔を表す言葉で、悲しい死をとげた楊貴妃をしのんで中国の詩人・杜甫が詩で語ったものだそうです。
 いづれにしろ、歯を残すようにケアすることは重要で、年をとっても豊かな生活が送れるように、よく噛むことが大切ですと締めくくられました。
2019/06/13のBlog
[ 19:59 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年6月13日(木)14時~15時30分
 関西文化に育まれた文学から、今回は坪内逍遥の「桐一葉」が
取り上げられました。
 彼は幕末の1859年生まれで、主に明治時代に活躍した人です。
 小説家、評論家、翻訳家、劇作家等の顔を持ち、代表作に「小説
神髄」「当世書生気質」や「シェイクスピア全集の翻訳」等があります
 さて、今回ご紹介いただいた「桐一葉」ですが、これは豊臣秀吉の
没後、関ケ原の戦を経て、混乱する豊臣家を描いたもので、続編の
「沓手鳥孤城落日」は、さらに大坂夏の陣により豊臣家が滅亡する迄を、淀君と片桐且元を軸にした悲劇です。
 この作品は、元々歌舞伎のために書かれたもののようですが、後に音楽劇(レビュー)として宝塚歌劇でも上演されました。
 この時の脚色・演出はパリ留学を経験した白井鐵造で、基本的な考えは演出と音楽は西洋から(革新)、物語と精神性は日本から(伝統)とし、古典の近代化を目指したものです。
 具体的には、題名を「淀君」として原作の短縮とモダン化を計り、音楽は洋楽で、セリフは現代語で、テンポは速くと考えられました。
 また原作は淀君と片桐且元のダブル主演ですが、ここでは宝塚らしく淀君をメインとし、配役も南悠子(淀君)、淀かほる(秀頼)等、当時の看板娘(?)が配されました。
2019/06/09のBlog
[ 07:43 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 2019年6月8日(土)13時30分~15時
 古代日本の歴史において国際交流の視点は欠かせません。
 特に阪神地域には重要な港湾施設が点在しており、東アジア
地域を往来するうえで果たした役割は大きく、また渡来人の
活動も見逃せません。
 このような視点から国際交流の中で阪神地域が担った役割に
ついてご教示賜りました。
 阪神地域はその昔「摂津国」と呼ばれ、摂津職(国司は置か
れず特別行政区の役所)が管轄していたそうです。
 主な港湾施設としましては、(1)難波津(堀江の開削により発展、6世紀前半)、(2)住吉(墨江)津(日本書紀によれば、中国から機織りの技術者を招聘し上陸したと出ている等)、(3)務古(武庫)水門(神功皇后が新羅征伐後に難波津へ帰る時の中継地等)、(4)敏売(敏馬)浦(=美奴売は摂津国風土記によれば神の名である由、機内の入口)、(5)大輪田泊(行基年譜によれば行基が改修したとされている、8~9世紀)・・・がありました。
 また国際交流の例としましては「延喜式」に、外国からの使者が来朝した時の規定が書かれていたり、「日本書紀」では難波館(宿泊施設)に案内して神酒を与えた等が書かれている由(外国使節団の慰労等)
 なお朝鮮半島から来日して住みついて活動したいわゆる渡来人については、新羅から(日本書紀)なのか、百済から(新撰姓氏録)なのかはっきりしない人達もいたようだとのことでした。
2019/06/08のBlog
[ 18:25 ] [ 生活・社会 ]
日 時 2019年6月8日(土)10時~12時
 私達の身の回りは科学技術(テクノロジー)であふれ、
そして発達し続けています。
 このテクノロジーはどこに行き着くのでしょうか。
 いろんなケースを例に解説をお伺いしてきました。
 まずあえて科学技術を導入しなかった例としまして「新幹線
の自動運転」をあげられました。
 これは、人間が機械の動作を監視しているだけの単純作業
を日常行っていると、機械システムがダウンした場合、手に負えないほどの複雑で膨大な業務を突然処理しなければならなくなり、そのような時にミスが起こることが考えられるからではとのことでした。
 実験室ではうまくいくことが、社会へ広がったとき、開発者の意図とは異なる影響をおよぼすことが多々あります。
 また何かが普及しますと、必ずメリットとデメリットが存在いたします。
 自動車が発明され、普及してきますと、たいへん便利になりましたが、事故も多発してきました。
 便利だけれども厄介でもあるのが、科学技術です。
 たとえば「原子力」に対する期待は大きく、いろいろなことが出来るわけですが、予測がつかない事(例:福島第一原発事故)が伴い、それをどう処理してよいか「わからない」状況になります。
 しかし生じた問題から目をそらさず、きちんと向き合うことが重要な課題であるとのことでした。
2019/06/07のBlog
[ 16:00 ] [ 文学・宗教 ]
日 時 2019年6月7日(金)13時~14時30分
 文学を映画化したために、これが良くなった場合と、そうで
ない場合があり、そのひとつの例として川端康成の「伊豆の
踊子」をあげて解説をしていただきました。
 この小説の書き出しは、「道がつづら折りになって、いよいよ
天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら
すさまじい早さで麓から私を追って来た。」ですが、この文書の
主語は「私」ではなく「雨脚」です。
 川端の文書はこのようにあいまいながらも、読んでいくうちに解ればよいというスタイルである由。
 解説はまず小説のストーリから始まりました。
 一高生という社会のピラミッドの頂点にいる男と、最下層の旅芸人の娘の話しで、ある文学解説者の言によれば「物語の始めでは雨によって追われ、それから水によって清められ、最後には主人公が澄んだ水そのものに変化している。孤児根性が踊子や水によって清められたのである。したがってこれは恋愛小説というよりも、少女や自然によって性格のよごれを洗い落してもらった人間の物語である。」・・・とのこと。
 次にこの小説が映画化された映像を見せていただきました。
 講師は「映画を平気な顔で楽しく見ていられるのは、映画が原作を非常に離れているからである。」由。
 映画を見てから小説を読む人は、原作のあっけなさにあきれるかもしれない・・・とのこと。
 すなわち小説の映画化は、原作に対する批評のひとつの形でもあるとのことでした。