茶の湯と戦国武将

日 時 2019年2月13日(水)10時〜11時30分
 茶道が戦国武将におよぼした影響などについて、お話しを
伺ってきました。
 茶が我が国にもたらされたのは奈良時代で、聖武天皇の
「公事根源」によれば、729年に僧百人に労をたたえて茶を
与えたとあります。
 その後749年にも大仏建立が行われた際に僧侶に茶を
賜ったとのことです。
 また805年には遣唐使・最澄が茶の種を持ち帰っており、815年にも嵯峨天皇が近江に行幸した時に、崇福寺の僧が献茶しています。
 茶の湯は、村田珠光という僧が京都で一休宗純に帰依し、「茶禅一味」を得て「わび・さび」の境地を開き、武野紹鷗→千利休と継承されました。
 千利休は58才の時に信長に迎えられ、その後秀吉に三千石で召し抱えられています。
 このような時代を背景に信長〜秀吉のもと、茶道による外交文化が取り入られ、政治・軍略のツールとして利用され、服従・恭順・友好・同盟等の手立てとされました。
 因みに「利休十哲」には、蒲生氏郷・細川忠興・古田織部・芝山監物・瀬田忠正・高山右近・牧村利貞・織田有楽斎・荒木村重・千道安(利休の実子)と武将が何人も名をつらねています。
 ただ利休は大徳寺山門に木像を安置したため、秀吉によって1591年に切腹を命じられました。