両雄並び立たず

日 時 平成30年7月31日(火)13時30分〜15時30分
 明治維新を成し遂げた薩摩の西郷隆盛と大久保利通でしたが、
やがて袂を分かつことになります。
 その辺の状況や背景についてのお話しがありました。
 明治政府は版籍奉還や廃藩置県等、次々と改革を進める一方、
岩倉使節団を欧米に派遣いたします。(大久保利通も同行:写真)
 留守を預かった西郷は、陸軍省・海軍省・鎮台の設置や学制・
国立銀行条例の制定等の改革を次々と行います。
 また明治政府は朝鮮に対し国交樹立を求めますが、鎖国政策をとっていた朝鮮は日本の交渉態度を不満とし、正式な交渉に応じませんでした。
 そこで西郷は自分を全権大使として朝鮮へ交渉に行くことを主張し、留守政府では可決されますが、岩倉使節団が帰国しますと大久保利通が西郷が朝鮮へ行くと殺され開戦になると反対します。
 閣議においては賛否同数となるも、結局 天皇の判断で無期延期となって西郷は辞表を提出します。
 鹿児島に帰った西郷は薩摩系の軍人も続々と帰郷したため、私学校を造ってこれを受入れます。
 やがて私学校生が火薬庫等を襲撃し、武器弾薬を奮取したことをきっかけに西南戦争が始まりますが、田原坂の戦いで薩摩軍は敗北し、鹿児島に戻ります。
 薩摩軍は城山に立て籠りますが、薩摩軍350人に対し包囲する政府軍は6万人で、やがて銃弾を受けた西郷は自決し西南戦争は終結いたします。(明治22年に西郷は名誉回復されました)