美しき、散りぎは。

日 時 平成30年2月15日(木)14時〜15時30分
 今から約400年前に世を去った、ガラシャ夫人(細川忠興の
正室)のお話しがありました。
 明智光秀の三女として生まれた玉子は、16才の時に細川
藤孝の長男・忠興と結婚し、順調に人生を歩んでおりましたが
父親が逆臣となったため、味土野の屋敷に幽閉されます。
 この孤独な生活の2年間に玉子は多くの歌を詠んでいます。
 たとえば、夫がいつ迎えにきてくれるかと「忘れんと 想い捨て
ても まどろめば 強い見えぬる 夢の面影」と詠んでいます。

やがて秀吉が天下人になると許され、大阪屋敷に移ります。
 そして夫から高山右近の話しを聞きその信仰に興味を持ちます。
 夫・忠興が九州討伐で留守の間に洗礼を受けてキリシタンと
なり、「ガラシャ」の洗礼名を授かります。
 しかし秀吉が亡くなると天下分け目の関ケ原の戦が起こり、細川
邸は石田三成の軍勢に包囲され、ついに殉教いたします。
 辞世は、「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花は花なれ
人は人なれ」と詠みました。