思い込んだら命がけ

日 時 平成29年11月21日(火)10時〜11時30分
 荒法師と異名をとる平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した
「文覚」についてご教示賜りました。
 文覚は元々武士だった人で、多田源氏の流れをくむ渡辺党の
侍・遠藤為長の子として1139年に誕生し、遠藤盛遠と名乗って
いました。
 若い頃は乱暴者だが、やさしいいち面もある人だったらしく、
鳥羽天皇の皇女を守る北面の武士として出仕いたします。
 しかし何を思ったのか21歳(又は19歳)で突然出家してしまいます。
 これには諸説ありますが、渡辺渡の妻・袈裟御前に恋をし、夫の渡を殺すつもりが誤って愛する袈裟御前を殺めてしまい、逃亡して出家したという話しが残っております。
 その後は熊野や出羽などで修行を積み、諸国行脚を経て神護寺にたどり着きますと荒れ放題であったため、後白河法皇に神護寺復興の勧進帳をさげて直訴するも捉えられて伊豆に流されます。
 この時に同じ伊豆に流されていた源頼朝と親しくなり、以後鎌倉幕府立ち上げに協力していきます。
 頼朝が権力をにぎると、神護寺のために荘園を寄進してもらい、ついに復興をはたします。
 しかしやがて頼朝が亡くなり、北条執権の力が強くなると佐渡へ流罪となり、一旦召喚されたものの再び対馬に配流となり、鎮西(日向)で亡くなり、波乱万丈の生涯を閉じました。
 この文覚の生涯は後に歌舞伎にも取り上げられ、市川團十郎(九代目)の当り役になりました。