2009(平成20)年度FCCフォーラム 特別講演会 『社会的共通資本と土木』 特別講演 前半

「社会的共通資本と土木」
 東京大学名誉教授 宇沢弘文 氏

〜社会的共通資本とは

 社会的共通資本というのは、先ほどご紹介がありましたが、1つの国、あるいは地域、そこに住むすべての人たちの人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、そして市民的権利を最大限に享受することができるような、そういう条件をつくり出す、その一番中心にあります。

 社会的共通資本は、英語で「ソーシャル・コモン・キャピタル」 Social Common Capital です。私がつくった言葉ですが、これまでの経済学にあまり出てこない言葉です。

 具体的には、まず、「自然環境」。大気、山、川、湖、沼、湿地帯、それから海、そういったいわゆる自然環境があります。その中には土地も入っています。それから、森林のすべての生き物、植物、動物、そういったものも含まれている、普通の自然環境です。

 それから2番目が、先ほどからお話に出ている「社会資本」です。ただ、日本で社会資本という言葉、これを英語に直すと「ソーシャル・キャピタル」 Social Capital となります。英語でソーシャル・キャピタルと言うと、インフラとは全く違ったものを意味します。ある一つの社会でのお互いの信頼関係とか、あるいはコミュニケーションの手段、言葉ですね。それから、一人ひとりがもっている信念とか志。そういった形にならないけれど、人間の社会を円滑に、そして一人ひとりが人間らしく生きていくことができるような無形のものを指します。そこで、私は、これを日本語で書くときは「社会的インフラストラクチャー」と書きます。道路、橋、それから公共的な交通機関、あるいは電気、水道、ガス、上下水道といった、いわゆる社会基盤と言われるものです。ソーシャル・インフラストラクチャー、あるいは簡単にインフラという言葉を使わせていただいています。

 それから、社会的共通資本でもう1つ大事なものがあります。それは「制度資本」です。学校、病院、それからさまざまな制度です。銀行もそうです。そして、出版、報道といったようなものも含めて、いわゆる制度資本です。これは非常に大事な役割を果たすものです。ただ、どうやってこれを維持していくかということが非常に大事になります。このことは後で詳しく触れたいと思います。

 大体この3つのカテゴリーになります。オーバーラップしていますし、これだけではありません。つまり、社会にとって非常に大事なもの、あるいは一人ひとりの人間にとって大切なものを、所有関係は問わないで、みんなの共通の財産として大事に守っていこうというのが社会的共通資本の出発点です。ただ、これだけですと非常に漠然として、なかなかつかみどころがない。特に、自然環境は、経済学ではマル経も近経も資本としては扱わないというかなり厳しい伝統があります。そういう意味では、なかなか、特に日本の経済学者の間では余り理解していただけていないのが現状です。

 それから、先ほどの病院、銀行、学校、そういうものは普通、資本の中に入れないのです。公共投資といっても、そういったものは入らない。しかし、それは社会的共通資本としては非常に大事な役割を果たすものであって、社会の中核とも言えるものです。

 この社会的共通資本、ソーシャル・コモン・キャピタルという英語を最近は使っています。最初は、「ソーシャル・オーバーヘッド・キャピタル」。日本語に訳すと「社会的間接資本」と訳されています。この言葉を使っていました。この言葉は、1958年に「低開発国の経済発展」という本のなかで出ました。書いた人はアルバート・ハーシュマンというMITの教授です。その当時、発展途上国という言葉は使っていませんでしたので、低開発国という言葉を使っていますが、彼はその低開発国の経済発展には重要なものがあると言っています。それは、まず教育とか医療、あるいは銀行といった社会的な制度、それに、道路、橋、公共的な交通機関、上下水道、電気その他、いわゆる社会的インフラストラクチャーが含まれます。彼は、病院とか、医療制度とか、教育制度、それから銀行も入れたわけですね。そういう意味では、当時としては非常に画期的な概念で、戦後の後進国の経済発展に対して基本的なストラテジーを与えた書物です。

 ところが、それには自然環境が入っていない。それで数年前、ケンブリッジ・ユニバーシティー・プレス(Cambridge University Press)から本を出したときに、編集担当者から何か別の言葉を使ってほしいと言われました。それで、ソーシャル・コモン・キャピタル。社会的共通資本をそのまま英語に直したところ、非常に落ちつきがよくなりました。今はそのソーシャル・コモン・キャピタルという言葉で、この概念が外国でかなり広く使われています。ソーシャル・オーバーヘッド・キャピタルというと余り魅力がないというのでしょうか。オーバーヘッドというのは、もともと会計学の言葉です。本社経費とか、間接経費とかになるので、それを入れるということで余り評判がよくなかったのです。コモン・キャピタル、社会にとって共通の財産、として扱っていく。それから同時に、大事なものであるということも強調しています。そうすると、なかなか経済学の枠組みには入りにくいという面もあるのですけど、今日は工学、特に土木工学とか水工学の方々がいらっしゃるので、比較的理解していただけるだろうと思っています。

 この土木工学ですが、日本語で土木工学というとちょっと何か狭い感じがします。英語では「シビルエンジニアリング」 Civil Engineering ですね。これを明治の初めに「土木」と訳したわけです。その内容はそれから変わっていますけど、土木という言葉はかなり制約的だと思います。もとのシビルエンジニアリング、そのシビルというのはもともとローマを念頭に置いていたのですね。ローマは古代世界で最大の繁都です。最強の軍隊だけでなくて、行政的なシステムもそうでした。特に、土木事業といいますか、道路とか水路とかをローマ帝国全体につくって、それらをローマの繁栄の一番の基礎にしたという意味です。そういうことで、シビルとは、社会のすべての人たちに、ある意味では共通の大切なものという意味になります。また、市民というような意味もありますし、いろいろな形で使われています。基本的には、社会が1つの社会としてまとまっていくために非常に重要な役割を果たすもの、というような意味がシビルという言葉にはあります。先ほど専門の方々とお話ししていて、皆さんそういう意識を非常に強く持っていらっしゃる。ところが、土木工学と言うと最近、特にいろんな意味で批判がある。ですから、私は、本当は「シビル工学」と言ったほうがわかりやすいんじゃないかと思います。

〜ナイル川。社会的共通資本としての川。

 この中で、やはり一番中心なのは川の問題です。水に関連しているのですが、そのことからお話を始めたいと思っております。

 今から9,000年ぐらい前でしょうか。農業が興って世界中に広がり、いくつかの文明の中心ができました。それはすべて、雨が余り多くない大きな川のほとりにできました。ですから、アマゾンのように森林が繁茂するというのではなくて、エジプトのナイル川の河口とか、それから黄河、インダス川とか、そういう大きな川のほとりです。チグリス・ユーフラテス川が一番の代表です。比較的乾燥していて、そこで大きな規模の灌漑工事をして、そして大きな人口を支える農業が可能になるところで、いわゆる人類の文明がおこるわけです。一番代表的なものが、チグリス・ユーフラテス川、今のバクダッドを中心としたところです。それからエジプトのナイル川とか、黄河もその中に入ります。そういうところで一番重要なのは、やはり土木工事だったわけですね。川は季節的に氾濫します。もともと1日は地球が太陽の周りで自転するのでわかる。けれど、1カ月、あるいは1年という概念、これをどうやって古代の人たちが気づくようになったのか。それは、古代の世界では季節というのは必ず3つあったのです。種まきの季節と、それから収穫の季節、そして休む季節と、それら3つの季節に分かれていた。それを予測するのが非常に難しかった。洪水が来る前に種をまくと大変なことになるというので、洪水を予測する。そして、1年という季節がわかる。そして、そこから月に分かれて、というのが、メソポタミア、今のバグダッドのあたりで始まったのです。

 このように、水というのは人の生活と非常に重要な関わりを持っている。特に川です。古代の農業では、水をどういうふうにしてうまくためて、うまく利用するかというのが非常に大きな問題だったわけです。その一番の代表がナイル川です。やはり1年に一度氾濫する。ナイル川の場合には、氾濫して農地が全部水浸しになる。そこでまた次の年に新しく測量する。そしてまた農民が農耕に携わる、というのが非常に大きな問題だったわけですね。それで土地を測り直します。数学の幾何学は英語ではジオメトリー Geometry といいます。ジオ geo というのは土地、メトリ metry というのは測る。文字どおり言うと測地学というのが幾何の原点でもあるわけですね。

 そのナイル川。5,000年間、エジプトの母と言われて大事に守られてきたのがナイル川です。私は社会的共通資本として川というときに、ナイル川が一番の典型として思い浮かびます。そのナイル川で1960年代に大きな問題が起きました。それはアスワンハイダムです。ナイル川の河口から1,000キロぐらい上ったところにあります。そこは、古代エジプトの歴史によく出てくる寺院のいわば文化の中心でもありました。宗教というのは文化と同一といいますか、文化と宗教というのは切り離せない言葉です。そういうナイル川で1960年代に入って、巨大なダムを建設するという計画がでました。当時、アメリカとソ連が、いわゆる冷戦のまっただ中です。そして、ナセル大統領が自分の政治的威信をかけてアスワンハイダムを建設します。幅が確か4キロぐらいだったでしょうか。当時は110万キロワットぐらいの発電力だったと思います。エジプトとしては国家の命運をかけた大事業だったんですね。

 ところがアメリカが、確か10億ドルだったか借款を申し出て決まったんですけど、ナセル大統領がアメリカのベトナム戦争を厳しく批判した。そこでアメリカが借款を中止したんですね。ダレスが国務長官のときです。それで大変な問題になった。そこにソビエトがかわりに資金を出すという、当時としては非常に緊張した事件がありました。

 そして、アスワンハイダムを建設して、ほぼでき上がったところで大きな問題が起こりました。それは先ほど言いましたように、ナイル川は毎年氾濫して、上流から非常に豊かな、有機物をたくさん含んだ水を運んでくる。そして、その水が人工的な灌漑水路も何もない広大な土地に氾濫するわけですね。そして氾濫が鎮まって、種をまく、収穫する、そして、また氾濫するという規則的な繰り返しをしてきたわけですね。

 ところが、上流にダムをつくったので、そういう有機物を含んだ水が来なくなった。しかも灌漑水路もないわけです。そこでエジプト政府は大変な費用をかけて灌漑水路を人工的につくっていくということを始めたのです。しかし、水の蒸発が計算したよりもずっと多く、最初予定した電力も3分の1ぐらいしかでない。さらに、今までは化学肥料を使わないで毎年耕作できたのですが、化学肥料をつくらなきゃいけない。そのための電力も足りないという状況になった。

 それから毎年乾燥してしまう。そうすると地下水が低下して、地下から塩分が出てきて白くなってしまう。農地としては使えないような状態です。その上、毎年洪水があったときには、あの地域は非常に怖い伝染病、ツツガムシの一種の繁殖地だったのですが、その卵が洪水で流されてしまって余りひどいことにはならなかった。正確には幼虫が食べる虫の卵だそうです。けれど、いずれにせよそういうことで、ナイル川が危険な地域になってしまった。今、スリランカとナイル川地域が世界で一番伝染病が多い地域だと思います。さらに、ナイル川の河口は地中海で一番豊かな漁場、プランクトンがたくさんあって,魚が育つと言われていました。それもだめになってしまったという、悲惨なことになっている。

 ところが、ナセル大統領が政治的威信をかけてやった仕事です。だれも批判しないという状況になった。この話を、私は、社会的共通資本としての川を壊してしまうことの及ぼす被害というのは、いろんな意味で非常に大きいという例としてお話ししています。

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