2010/03/08のBlog
[ 12:06 ]
[ 最近読んだ本より ]
自閉症の僕が生きていく風景 第1回 東田直樹より
自分が悪い子だと初めて知った幼稚園
僕がどんなに人と違うのか
ということに気づいたのは幼稚園時代です
幼稚園という場所は姉が通っていたこともあり
僕にとっては時々行く遊園地のようなイメージでした
しかし想像とは違い幼稚園はただ自由に遊べばいい場所ではなかったのです
奇声を上げたり自分勝手に動いたりするたび
先生や友達が僕を怒ります
僕はなぜ自分が怒られるのかまるでわかりません
気がつくと僕はクラスの問題児でみんなを困らせる存在になっていました
僕は悲しくて悲しくて心の中は張り裂けそうな毎日でした
話せなかったので謝りたくても「ごめんなさい」も言えず
ただへらへらしている僕を見てあきれているみんなの顔を見るのが嫌でした
この頃自分が悪い子だということを始めて知ったのです
(どうしたらみんなのようになれるのだろう)
僕はいい子になりたくて仕方ありませんでした
けれどもみんなが当たり前にしていることさえ僕には宙返りをして
と言われるくらい難しいことなのです
たとえば、前を向いてと指示されても前の人が横を向くとどこが前だか混乱します
お遊戯の時間も先生のまねなどとてもできません
自分の手足がどうなっているのかも自分ではわからないからです
僕は孤独でした
人はいつも突然現れて、何かをしろと命令するし僕の気持ちをわかってくれません
友達は毎日がとても楽しそうでテレビの話や戦いごっこをしています
それは僕にとってはつまらない遊びでした
とにかく疲れ果てていました
ひとりでいることだけが自分を守るために小さな僕にできることでした
ひとりでいれさえすれば安心できたのです
そんな僕の心をなぐさめてくれたのが自然です
・・・・・・新連載です・・・・・・・
<ヒヤシンスは春になるとかたいつぼみを開きます>
自分が悪い子だと初めて知った幼稚園
僕がどんなに人と違うのか
ということに気づいたのは幼稚園時代です
幼稚園という場所は姉が通っていたこともあり
僕にとっては時々行く遊園地のようなイメージでした
しかし想像とは違い幼稚園はただ自由に遊べばいい場所ではなかったのです
奇声を上げたり自分勝手に動いたりするたび
先生や友達が僕を怒ります
僕はなぜ自分が怒られるのかまるでわかりません
気がつくと僕はクラスの問題児でみんなを困らせる存在になっていました
僕は悲しくて悲しくて心の中は張り裂けそうな毎日でした
話せなかったので謝りたくても「ごめんなさい」も言えず
ただへらへらしている僕を見てあきれているみんなの顔を見るのが嫌でした
この頃自分が悪い子だということを始めて知ったのです
(どうしたらみんなのようになれるのだろう)
僕はいい子になりたくて仕方ありませんでした
けれどもみんなが当たり前にしていることさえ僕には宙返りをして
と言われるくらい難しいことなのです
たとえば、前を向いてと指示されても前の人が横を向くとどこが前だか混乱します
お遊戯の時間も先生のまねなどとてもできません
自分の手足がどうなっているのかも自分ではわからないからです
僕は孤独でした
人はいつも突然現れて、何かをしろと命令するし僕の気持ちをわかってくれません
友達は毎日がとても楽しそうでテレビの話や戦いごっこをしています
それは僕にとってはつまらない遊びでした
とにかく疲れ果てていました
ひとりでいることだけが自分を守るために小さな僕にできることでした
ひとりでいれさえすれば安心できたのです
そんな僕の心をなぐさめてくれたのが自然です
・・・・・・新連載です・・・・・・・
<ヒヤシンスは春になるとかたいつぼみを開きます>
2010/03/06のBlog
[ 17:30 ]
[ 新聞記事より ]
何かを変えるためではなく夢をかなえるためにNY へ
お陰でずいぶん精神的に強くなりました
当たり前だけど自分の行動や発言にも責任を持つようになった
音楽活動の経験以上に長くNYで暮らしていること自体が意義深い
アメリカでは若い人もミュージシャンもみんな政治に
関心があってよく討論している
そこにいるといやが応でも社会を見つめるし、自分はどうか、
日本はどうかと考えるようになる
だから物事をより深く見つめ、とらえるようになりました
今年1月リリースされたシングル曲「Tomorrow Waltz」は
NHKドラマ『君たちに明日はない』の主題歌として作られた
ドラマ自体がリストラがテーマだったのでこの厳しい世の中を
生きていくためにはどうしたらいいのか、僕なりにいろいろ考えました
自分の人生を振り返ったり社会を見つめなおしてみたりしながら
誰にでも迷った末にたどりついた答えがあって
そこから新たな何かを始めようとする勇気が芽生えたら
それは自分から生まれたものなんだから
まずは自身でその勇気を大事に温めてあげようよ
といったやわらかな人間らしさのある曲にしたいと思ったんです
曲作りのお陰ですごくいいタイミングで社会や人生、自分自身について
考えることができた
『つまるところ、人生は自分の判断と覚悟次第なんだ』と
歌詞を書きながら実感できた
・・・・ ラ ラ ラ ラーラ ラーは歌詞が浮かばなかったから
という話にはびっくり!・・・・・
<そろそろ田んぼのあぜ道ではセリ摘みの季節ですね>
お陰でずいぶん精神的に強くなりました
当たり前だけど自分の行動や発言にも責任を持つようになった
音楽活動の経験以上に長くNYで暮らしていること自体が意義深い
アメリカでは若い人もミュージシャンもみんな政治に
関心があってよく討論している
そこにいるといやが応でも社会を見つめるし、自分はどうか、
日本はどうかと考えるようになる
だから物事をより深く見つめ、とらえるようになりました
今年1月リリースされたシングル曲「Tomorrow Waltz」は
NHKドラマ『君たちに明日はない』の主題歌として作られた
ドラマ自体がリストラがテーマだったのでこの厳しい世の中を
生きていくためにはどうしたらいいのか、僕なりにいろいろ考えました
自分の人生を振り返ったり社会を見つめなおしてみたりしながら
誰にでも迷った末にたどりついた答えがあって
そこから新たな何かを始めようとする勇気が芽生えたら
それは自分から生まれたものなんだから
まずは自身でその勇気を大事に温めてあげようよ
といったやわらかな人間らしさのある曲にしたいと思ったんです
曲作りのお陰ですごくいいタイミングで社会や人生、自分自身について
考えることができた
『つまるところ、人生は自分の判断と覚悟次第なんだ』と
歌詞を書きながら実感できた
・・・・ ラ ラ ラ ラーラ ラーは歌詞が浮かばなかったから
という話にはびっくり!・・・・・
<そろそろ田んぼのあぜ道ではセリ摘みの季節ですね>
2010/03/04のBlog
[ 10:24 ]
[ 新聞記事より ]
鷲谷いずみ より
里山の定義は人によって異なる
私は『農地や集落とともにあって生産や生活に
必要なものをとってくる場所』と考えている
資源採集の場だ
里山と農地がきちんと管理されパッチワーク状に
配置されたところを里山ランドスケープと呼んでいる
里山は大きく二つの点で意義がある
一つは文化的なもの、もう一つは土地利用における意義だ
自然と人間のかかわりの最古のものは『採集』という行為だろう
果実を取るとか菜っ葉を食べる、貝を拾う、死んだ動物の肉を食べる
採集は『農業』というシステムができた今日でも続いている
里山には地球上の生き物が数十億年かけて蓄積してきた
生きるための戦略や人類の知恵が残っている
精神的な効果も得られる
文化的に意義のあるすばらしいシステムだ
また農地と水資源の配置のように里山からは今日の世界が抱えている
地球環境の危機を乗り越えるための様々な示唆が得られる
古い時代から続く農地は自然の地形や植生に
強く規定された配置になっているはずだ
江戸時代に開発された新田なら落ち葉や薪を拾う場所や農地などが
そこにデザインされている
一方で近代の農地はモノカルチャーが広がっている
そういうところは生き物も少ないし農産物以外の自然の恵みは失われてしまう
里山のようにモノカルチャーでなく異質性を持つ土地利用に注目することが
危機を乗り越えるのに重要だ
私たちは今何ができるだろう
まだ自然が残っているところは保全しながら持続可能な形で利用していくとよい
すでに里山が失われたところは残念ながら生物相まで取り戻すのは難しい
そういう場合でも生き物を調べて見るとか、昔から残っているものを探すとか
できることはいろいろある
都市の中にも注意深く目を向ければ生き物はそれなりにいる
生き物の観察をぜひ楽しんで頂きたい
生物多様性への関心にもつながる
そしてぜひ里山に足を運んで欲しい
科学的な証拠はないが自然と触れあうことは心の発達にきっと必要だ
・・・・・・今はさびしい冬景色ですがもうすぐ春ですね
この里山が緑に包まれる頃が楽しみです・・・・・・
里山の定義は人によって異なる
私は『農地や集落とともにあって生産や生活に
必要なものをとってくる場所』と考えている
資源採集の場だ
里山と農地がきちんと管理されパッチワーク状に
配置されたところを里山ランドスケープと呼んでいる
里山は大きく二つの点で意義がある
一つは文化的なもの、もう一つは土地利用における意義だ
自然と人間のかかわりの最古のものは『採集』という行為だろう
果実を取るとか菜っ葉を食べる、貝を拾う、死んだ動物の肉を食べる
採集は『農業』というシステムができた今日でも続いている
里山には地球上の生き物が数十億年かけて蓄積してきた
生きるための戦略や人類の知恵が残っている
精神的な効果も得られる
文化的に意義のあるすばらしいシステムだ
また農地と水資源の配置のように里山からは今日の世界が抱えている
地球環境の危機を乗り越えるための様々な示唆が得られる
古い時代から続く農地は自然の地形や植生に
強く規定された配置になっているはずだ
江戸時代に開発された新田なら落ち葉や薪を拾う場所や農地などが
そこにデザインされている
一方で近代の農地はモノカルチャーが広がっている
そういうところは生き物も少ないし農産物以外の自然の恵みは失われてしまう
里山のようにモノカルチャーでなく異質性を持つ土地利用に注目することが
危機を乗り越えるのに重要だ
私たちは今何ができるだろう
まだ自然が残っているところは保全しながら持続可能な形で利用していくとよい
すでに里山が失われたところは残念ながら生物相まで取り戻すのは難しい
そういう場合でも生き物を調べて見るとか、昔から残っているものを探すとか
できることはいろいろある
都市の中にも注意深く目を向ければ生き物はそれなりにいる
生き物の観察をぜひ楽しんで頂きたい
生物多様性への関心にもつながる
そしてぜひ里山に足を運んで欲しい
科学的な証拠はないが自然と触れあうことは心の発達にきっと必要だ
・・・・・・今はさびしい冬景色ですがもうすぐ春ですね
この里山が緑に包まれる頃が楽しみです・・・・・・
2010/03/03のBlog
[ 14:08 ]
[ 最近読んだ本より ]
距離をとる権利
自由な社会では互いに相容れない
多様な生のスタイルを生きるたち人が
平和に共存しなければならない
他人への迫害は厳しく禁止される
だから街や職場や学校で肯定的に受け止めることができない
別のタイプの生を生きる人たちが存在しているのを
いつも目にして生きることになる
自由な社会ではこのことだけは我慢しなければならない
それに対して特定の生のスタイルが共通善として強いられる透明な社会では
それ以外の多様な生のスタイルが絶滅されがちだ
そして個々人には次のような極めて耐え難い事態が降りかかってくる
①自分の好みの生のスタイルを共通善の玉座にすえるための陰惨な殲滅戦
②主流派になれなかった場合には自分の目からは醜悪としか思えない
共通善への屈従(へつらいの人生)を生きなければならない苦しみ
③われわれの特定の善なる共同世界(コスモス)を「共に生きる」ために
自分を嫌いになってまで、その共通善に『自発』的に服従しているかのように
人格を加工しなければならない
(いわば魂の深いところからの精神的な売春を強いられる)屈辱と絶望
こういった一つの透明な社会(コスモス)が強制される苦しみと比較して
自由な社会で強制されるのはなじめない者の存在を許す我慢(寛容)だけだ
『存在を許す』というのは攻撃しないという意味であって『仲良く』するのとは違う
むしろ『仲良く』しない権利が保障されるからこそ『存在を許す』ことが可能になる
自由な社会では攻撃することは許されないが
嫌悪を感じる者との間に距離をとる権利
(あるいは生々しいつきあいを拒絶する権利)が保障される
自分にとって醜悪な者が大手を振って生きているのを見ることに
絶えなければならないだけで、自分がそのスタイルに巻き込まれる心配はない
この安全保障が人間社会に絶えず自然発生し続ける憎悪と迫害の力を弱め
ひとりひとりが自分なりの仕方で美しく生きる試みを可能にする
自由は人が誇りを持ってそれぞれの生を美しく生きるために
なくてはならないものであると同時に
多種多様な相容れない生のスタイルを生きる人々が
『仲良く』しなくても共存できるようにする社会の秩序原理でもある
『存在を許す』自由の秩序は『仲良く』しなくても安心して暮らせるしくみなのだ
・・・・・・友達100人できなくてもいいんだよね?皆と合わせなくてもいいんだよね?
だって本当の友達は一人か二人いればいい。私は私なんだから・・・・・・・
<マリーゴールドは周りの花を虫から守る働きがあります>
自由な社会では互いに相容れない
多様な生のスタイルを生きるたち人が
平和に共存しなければならない
他人への迫害は厳しく禁止される
だから街や職場や学校で肯定的に受け止めることができない
別のタイプの生を生きる人たちが存在しているのを
いつも目にして生きることになる
自由な社会ではこのことだけは我慢しなければならない
それに対して特定の生のスタイルが共通善として強いられる透明な社会では
それ以外の多様な生のスタイルが絶滅されがちだ
そして個々人には次のような極めて耐え難い事態が降りかかってくる
①自分の好みの生のスタイルを共通善の玉座にすえるための陰惨な殲滅戦
②主流派になれなかった場合には自分の目からは醜悪としか思えない
共通善への屈従(へつらいの人生)を生きなければならない苦しみ
③われわれの特定の善なる共同世界(コスモス)を「共に生きる」ために
自分を嫌いになってまで、その共通善に『自発』的に服従しているかのように
人格を加工しなければならない
(いわば魂の深いところからの精神的な売春を強いられる)屈辱と絶望
こういった一つの透明な社会(コスモス)が強制される苦しみと比較して
自由な社会で強制されるのはなじめない者の存在を許す我慢(寛容)だけだ
『存在を許す』というのは攻撃しないという意味であって『仲良く』するのとは違う
むしろ『仲良く』しない権利が保障されるからこそ『存在を許す』ことが可能になる
自由な社会では攻撃することは許されないが
嫌悪を感じる者との間に距離をとる権利
(あるいは生々しいつきあいを拒絶する権利)が保障される
自分にとって醜悪な者が大手を振って生きているのを見ることに
絶えなければならないだけで、自分がそのスタイルに巻き込まれる心配はない
この安全保障が人間社会に絶えず自然発生し続ける憎悪と迫害の力を弱め
ひとりひとりが自分なりの仕方で美しく生きる試みを可能にする
自由は人が誇りを持ってそれぞれの生を美しく生きるために
なくてはならないものであると同時に
多種多様な相容れない生のスタイルを生きる人々が
『仲良く』しなくても共存できるようにする社会の秩序原理でもある
『存在を許す』自由の秩序は『仲良く』しなくても安心して暮らせるしくみなのだ
・・・・・・友達100人できなくてもいいんだよね?皆と合わせなくてもいいんだよね?
だって本当の友達は一人か二人いればいい。私は私なんだから・・・・・・・
<マリーゴールドは周りの花を虫から守る働きがあります>
2010/02/25のBlog
[ 18:36 ]
[ CEPサポートセンター ]
思春期を乗り切る親向けセミナー第6回講演会
「思春期の子育ては親育ち-
いま、求められている新たな視点からの家庭教育」
講師 岩佐壽夫氏(家族ケースワーク研究所長、臨床心理士)
2月20日(土) 参加者 15名
<講演の内容>
社会の変化と子どもたちの生活
昭和30年代、農村文化から工業化社会に入り、
かつて日本の原風景だった棚田や里山、鎮守の森が消えた。
人間関係が薄くなり、人と人が心の中で分かり合えなくなった。
家族のあり方もステップファミリーの増加に見られるように
それぞれが全く違ったものになり、一元論では語れなくなっている。
こうした中、子どもたちが児童期から思春期に入る際に、
第四、第五の空間と呼ばれるものが強い影響力を持つようになった。
インターネットに代表される情報空間(第四の空間)は、
家庭を介すことなく子どもたちにストレートに入ってくるため、
親や大人の英知は届かない。
また、本来は家庭の機能だったいやしの空間が、
カラオケ、コンビニ、マンガ喫茶などの第五の空間に取って代わった。
思春期の子どもにとって、親の過干渉、過保護、過期待はうるさく感じるため、
干渉されたくないという思いがある。
かつてはそのストレスを吸収してくれる人(おばさんなど)が家にいたが、
今では孤独感を味わうためにこうした空間へ足を運ぶようになっている。
思春期の子どもへの接し方
・「過」抜きの保護、干渉、期待を
→自分と子どもの関係を時々チェックすることが必要
・我が子に感謝を求めない
→よその子どもを預かっていると思って接すると余裕が出来る
・我が子の欠点を指摘して責めない
→親が注意して変わった子は一人もいない
・親の年齢は子の年齢
→大人の年齢で接しない。未熟なんだという構えが子どもに安心感を与える
・親離れをしていく時代の子育てから、「子離れ」の時代の子育てへ
→答えを出さないで我慢する
・子をしつける時期は終わり。子どもと「どう付き合うか」の意識を。
・子どもが反抗するのは自己主張ができるようになったということ。
謙虚さはこの時期の子どもにあってはならないもの。
そして、子どもは信頼できる相手にしか自己主張しない。
・「あなたのためを思えば・・・」は、思春期の子どもには言ってはいけない言葉。
ボキャブラリーの工夫が必要。
子どもへの助言の例
―即効性はないが、カウンターパンチとなって後で効いてくる言葉
励ますとき
「やらないで後悔するよりやって後悔する方がずっとプラスになる」
「困難なことは乗り越えられる人にだけに与えられる課題」g
「できないこともあるが、できることもたくさんある。できることから考えよう」
問題解決
「相手のことをわからないというよりも、わかりたいということで悩もうよ」
「自分自身を好きでないと人を好きになれないから、自分を好きになろう」
「できるできないじゃなくて、自分は何をしたいと考えているのかな」
「迷っていることこそやりたい証拠」
「もう遅いと言うことはない。始めるときがスタート」
落ち込んでいるとき
「若いときに格好悪い経験をした人ほど、格好いい大人になれる」
「失敗をおそれて挑戦しないことこそ失敗」
「どんなに苦しくても今を懐かしく思える時がくる」
<参加者の感想>
子どもの生活の中で色々と揺れ続けて、
まさに先生のおっしゃったように情報にふりまわされている毎日です。
親も子もいい時もあり、悪い時もあり・・・
時々このようないいお話を聞かせていただくことで、
気持ちや考えを整理することができるような気がします。
参加してまた新しい情報が得られることができてよかったです。
「不登校のお子さんもいずれ将来必ず社会参加する時が来ます!」という言葉に
とても励まされました。
毎回ながら、親を励ましてくださるよいお話がきけました。
今までの講演のメモを見直しながら、自分の考え方・感じ方に迷いを感じたときに、
あせらずに見守っていこうと思い返しています。
また一つ思春期の特性が理解できました。
我が子は正常な思春期を迎えているんだとホッとしました。
自分への道しるべが確かめられた素敵な講演会でした。
公立小学校、中学校の授業が成り立たない、騒いでいるという状態を聞いて、
一人の親としてどうしてそうなってしまうんだろうと考えることがよくあります。
自分のできることは何なのか、親として考えさせられることはたくさんあって、
何を選ぶべきなのかということが少し整理できたような気がします。
新たな勉強になりました。
こうしてお話を聞くと、改めて自分自身のあり方をふりかえることができるので
有り難かった。
「思春期の子育ては親育ち-
いま、求められている新たな視点からの家庭教育」
講師 岩佐壽夫氏(家族ケースワーク研究所長、臨床心理士)
2月20日(土) 参加者 15名
<講演の内容>
社会の変化と子どもたちの生活
昭和30年代、農村文化から工業化社会に入り、
かつて日本の原風景だった棚田や里山、鎮守の森が消えた。
人間関係が薄くなり、人と人が心の中で分かり合えなくなった。
家族のあり方もステップファミリーの増加に見られるように
それぞれが全く違ったものになり、一元論では語れなくなっている。
こうした中、子どもたちが児童期から思春期に入る際に、
第四、第五の空間と呼ばれるものが強い影響力を持つようになった。
インターネットに代表される情報空間(第四の空間)は、
家庭を介すことなく子どもたちにストレートに入ってくるため、
親や大人の英知は届かない。
また、本来は家庭の機能だったいやしの空間が、
カラオケ、コンビニ、マンガ喫茶などの第五の空間に取って代わった。
思春期の子どもにとって、親の過干渉、過保護、過期待はうるさく感じるため、
干渉されたくないという思いがある。
かつてはそのストレスを吸収してくれる人(おばさんなど)が家にいたが、
今では孤独感を味わうためにこうした空間へ足を運ぶようになっている。
思春期の子どもへの接し方
・「過」抜きの保護、干渉、期待を
→自分と子どもの関係を時々チェックすることが必要
・我が子に感謝を求めない
→よその子どもを預かっていると思って接すると余裕が出来る
・我が子の欠点を指摘して責めない
→親が注意して変わった子は一人もいない
・親の年齢は子の年齢
→大人の年齢で接しない。未熟なんだという構えが子どもに安心感を与える
・親離れをしていく時代の子育てから、「子離れ」の時代の子育てへ
→答えを出さないで我慢する
・子をしつける時期は終わり。子どもと「どう付き合うか」の意識を。
・子どもが反抗するのは自己主張ができるようになったということ。
謙虚さはこの時期の子どもにあってはならないもの。
そして、子どもは信頼できる相手にしか自己主張しない。
・「あなたのためを思えば・・・」は、思春期の子どもには言ってはいけない言葉。
ボキャブラリーの工夫が必要。
子どもへの助言の例
―即効性はないが、カウンターパンチとなって後で効いてくる言葉
励ますとき
「やらないで後悔するよりやって後悔する方がずっとプラスになる」
「困難なことは乗り越えられる人にだけに与えられる課題」g
「できないこともあるが、できることもたくさんある。できることから考えよう」
問題解決
「相手のことをわからないというよりも、わかりたいということで悩もうよ」
「自分自身を好きでないと人を好きになれないから、自分を好きになろう」
「できるできないじゃなくて、自分は何をしたいと考えているのかな」
「迷っていることこそやりたい証拠」
「もう遅いと言うことはない。始めるときがスタート」
落ち込んでいるとき
「若いときに格好悪い経験をした人ほど、格好いい大人になれる」
「失敗をおそれて挑戦しないことこそ失敗」
「どんなに苦しくても今を懐かしく思える時がくる」
<参加者の感想>
子どもの生活の中で色々と揺れ続けて、
まさに先生のおっしゃったように情報にふりまわされている毎日です。
親も子もいい時もあり、悪い時もあり・・・
時々このようないいお話を聞かせていただくことで、
気持ちや考えを整理することができるような気がします。
参加してまた新しい情報が得られることができてよかったです。
「不登校のお子さんもいずれ将来必ず社会参加する時が来ます!」という言葉に
とても励まされました。
毎回ながら、親を励ましてくださるよいお話がきけました。
今までの講演のメモを見直しながら、自分の考え方・感じ方に迷いを感じたときに、
あせらずに見守っていこうと思い返しています。
また一つ思春期の特性が理解できました。
我が子は正常な思春期を迎えているんだとホッとしました。
自分への道しるべが確かめられた素敵な講演会でした。
公立小学校、中学校の授業が成り立たない、騒いでいるという状態を聞いて、
一人の親としてどうしてそうなってしまうんだろうと考えることがよくあります。
自分のできることは何なのか、親として考えさせられることはたくさんあって、
何を選ぶべきなのかということが少し整理できたような気がします。
新たな勉強になりました。
こうしてお話を聞くと、改めて自分自身のあり方をふりかえることができるので
有り難かった。