未来図と現状認識の歪み

毎月定例のコラムです。
今回はMt.Gox社の倒産などを受けて、Bitcoin、ひいては暗号通貨、さらには社会制度的な事について私見を述べてみたいと、出番を回してもらった者なのですが、それ以上に強烈な事件があったので急遽内容を変更いたします。
ちょっと重たい内容になります。

その事件とは、袴田さんの死刑冤罪です。
私はこれを単独の問題とは捉えず、警察・検察、あるいは日本人の気質的なものとして受け止めました。
11年前の面会記録を見ても、如何に非人道的な事件であったかは伺い知れる事だと思います。
面会記録
少し強烈な内容なので、注意してください。テレビなどでは放映が難しい内容です。

去年5月、国連拷問禁止委員会において「日本には中世の名残がある」という批判を受けて、日本の代表が感情的になった事は記憶に新しいですが、この事件はそれを裏付けるものとなってしまっています。
警察に何らかの”意図”がありそうな話もいくつもあり、本当に闇が深く痛ましい冤罪事件です。

その中でも検察・警官に特有の、「必ず犯人を逮捕する」という、一見正しく見える力学から、少し話を展開したいと思います。
袴田事件に関しては必ずしもこの力学だけでは説明はつかないものの、日本の警察機構を覆っているこの気風はたびたび問題になっています。
たとえ犯人でなさそうであっても、犯人であると断定して逮捕する。
男性の私としては、痴漢冤罪の捜査の甘さなどがぱっと浮かびますね。
世論上でも時折、机上に上がります。

しかし、こういった力学優先の論理は警察特有のものではなく、誰にでもあるものです。
そして日本人は特に強いものだと思っています。
“思い込みの強さ”とも表現できるそれは、時に熱意として強みにもなりますが、向かう先を間違えると大きな過ちの原因となります。

私がその短所の一つとして大きく挙げたいのは
「未来図に合わせて現状を認識する」
という事です。
分かりにくいと思いますが、つまり
「日本企業は海外に打って出なければならない→日本は海外で評価されている」
「原発は事故を起こしてはならない→原発は事故を起こさない」
「有利な条件で講和を結ばねばならない→有利な条件にできる」
と、実現可能性を横に置いて、自分に有利な未来図に合わせて現状の認識を変えていく事です。
しかし、認識を変えても、現実が変わるわけではありません。
そこで歪みが生じます。

繰り返すようですが、こういった一種の”熱意”は強みにもなるので、一概に否定するものではありませんが、欠点もまた大きなものです。
私も少なからず、こういう部分は持っており、後悔している事も多くあります。
所謂「意識高い系」と呼ばれる方にも言えますが、こういう諸刃の剣は暴走しないように手綱を緩めずに持っておきたいものです。

幸いにも、これらの事例はどれも、現状が全く認識できていなかった訳ではありません。
ただ単に、そこから目を逸らしていただけという事ばかりです。
未来を見据えるのも大事ですが、現状の足元についてもきちんと意識を配分する事の大事さを教えてくれているのではないかと思います。