深江歴史文化まつり スペシャルブログ ”タイムスクープ”

10月29日(火)(%くもり%)

深江歴史文化まつりにちなみまして歴史の話題です。

平城京を経て奈良に向かう近鉄奈良線と大和を経て伊勢に向かう近鉄大阪線が分岐する交通の要衝、私たちがよく利用する最寄駅の一つ、近鉄「布施」駅。これがかつて「深江」駅であったことをご存知でしょうか?

それを確かめるべく先日、近畿日本鉄道 本社におじゃましてきました。

時は大正3(1914)年、近鉄の前身である大阪電気軌道によって奈良線(上本町〜奈良間)が開業されました。その開業当初、布施は「深江」駅でした。以降大正11(1922)年に「足代」に改称して大正14(1925)年に現在の「布施」に変更されました。

開業時の沿線案内図を見せていただきました。
じゃばら折になったポケットサイズのもので、乗客に配布したものです。

確かに深江の駅名が記載されています。
今より200mほど上本町寄りにあったとのことなので、現在の布施ラインシネマ(映画館)の前あたりでしょう。
なるほど、ここから真北に上がる路地を一直線に行けば暗越奈良街道に面する法明寺の地蔵堂のところに出ます。
その昔、法明寺の敷地が地蔵堂までありここに山門があったと云いますから、深江駅は法明寺の参道があった真正面になりますね。
今でも深江稲荷神社のお祭りで地車が終盤に布施駅近くまで巡行するのもこうした名残でしょう。
大正13(1924)年に奈良線と大阪線の分岐設備設置のため現在の位置に移設されました。

沿線案内の裏面には乗車運賃表と沿線の名所案内が書かれています。通学定期券の値段表もあるのには驚きました。
広告の大正浪漫、サクラビールって飲んでみたいですね。

「大軌電車沿線名所案内」という冊子を見せていただきました。深江について記載されているページがあり、法明寺の写真が掲載されています。当時の本堂の屋根が二層構造になっていたのがわかります。昭和になって火災に遭った後、現在の一層にして修復されたとのことです。

なんとも8年間だけの「深江」駅ですが、鉄道の歴史にその名は刻まれています。
深江2000年の歴史のうちの8年間はほんの一瞬かもしれません。しかし、その一瞬一時の積み重ねが現在に繋がっています。
深江の名もなき先人たちの2000年分の日常の努力が、安全で住みやすいまち「深江」を形成してきたのも事実です。これに感謝しつつ、こんな埋もれてしまいそうな歴史も語り継いでいきながら、もっと素晴らしい深江のまちを後世に引き継いでいきたいですね。
まずは「深江歴史文化まつり」に、この時代の深江に住んでいるみんなで参加して大いに楽しみましょう。

※全掲載資料:近畿日本鉄道 提供

取材・撮影協力:近畿日本鉄道株式会社

(%エンピツ%)ゆば