紅葉も真っ盛りですが、私が思うとこに、
鳴子と切り離せないスキー。
知っていただきたいと思いますので書きます。

1994年に旧鳴子町観光協会で発行した、
「みやぎ鳴子ものがたり、スキーにかけた人々がいた」
という小冊子があります。これから抜粋してスキーの歴史を。
鳴子にスキーを初めてスキーを持ってきたのが、鳴子保養院の
院長の、友人の医師の息子、松永千島さん、大正6年のことでした。
院長が鳴子にご招待したのがきっかけのようです。
この数年後には、病院、警察署などで仕事の現場で
使われたそうです。
このスキーに旅館主などが着目し、大正12年に
上野々スキー場が開設されました。
昭和12年に鳴子町主催で「スキーカーニバル」が開かれ、
これが初めての大きなイベントだったようです。
花渕山スキー場は、昭和20年代、大きな大会を誘致するため、
滑降コースを作ったのが始まりだそうです。三角山ジャンプ台も
この頃のようです。
その後、国体、インカレなど昭和20〜40年代は多くの大会が
行われました。昭和50年代以降は、各地に大きなスキー場が
出来たせいでしょうか、鳴子での大会は少なくなりました。

私もスキーをします。たぶん、やめられないでしょう。
スキーは年をとっても出来ますから。
現在は、スノーボードの人口がかなり増えてると思います。
若い人達は、ほとんどボードなんでしょうね。
私はボードはしません。なぜなら、両足が固定されるのが、
我慢できません。年でしょうか・・

写真は上野々スキー場です。

(K.T.)