冬の造形クラス

《低学年クラス》
 低学年では、秋から冬にかけて『聖フランシス』のお話を4回シリ−ズで行ってきました。それは、旅に出た青年期から、自分の使命を見出し、病人や貧しい人々のために働いた中年期、そして肉体が衰えてこの世を去っていく老年期という流れに沿ったものでした。12月の造形クラスは、その最後のシ−ンをお話しましたが、そこには、老いというものに肉体的には敗北していきながらも、精神的に満たされた、美しい老人の姿が描かれています。視力が衰え、耳が聞こえなくなり、体も自由が利かない彼は、森の中にたたずむ小屋の前に座り込んだまま、じっと周りに意識を向けています。彼は両手を広げ、空高くに輝く太陽、頬をなでるそよ風、花の香り、涼しい影を運ぶ雲、木々や小川、生き物たちのささやきを、まるで自分の兄弟姉妹のようにひたすら感じ取っている、そんな姿です。それは、老いを背負い、視力を失い、暗闇の中に立たされているという不安を克服した、真実を見据える人間の姿、世界と一つになろうとしている、開かれた姿を感じさせます。と、こんなことを子供たちに理解させるのはまだ無理な話ですが、体が衰えて大変なのに、あらゆるものとお友達になって、幸せな笑顔を放っているおじいさんの姿はとても力強く、印象的なものだと思います。水彩では、画用紙の周りにフランシスのいろんなお友達、兄弟姉妹を置いていきました。「青はどんなお友達?」「青い空!」「海!」「黄色は?」「お日様!」「お花畑!」・・・。色同士が混ざり、新たな色が現われると、その色からまた新たなお友達を想像していきます。色からいろんなお友達が現われてきます。そんな世界のお友達に囲まれて、年老いたフランシスは杖を持って真ん中で立っています。

《高学年クラス》
 11月に行った『ナイル川と古代エジプト』のお話は、1月、2月と更に深まっていきました。古代エジプトと言えば、やはりピラミッドやファラオが思い浮かびます。これらはテレビなどでよく扱われているテ−マですが、このクラスでは取り上げませんでした。私が思うに、ピラミッドやファラオというテ−マには「巨大さ」「権力」というものがあると思います。もちろん、当時、それだけの文明が築かれたことは驚きですが、子供たちにはそれよりもっと大切なものに目を向けてもらいたいのです。当時の人々にとってファラオとピラミッドが全てであったわけではありません。もっと大切なものがあったはずです。それは、当時たくさん建てられていたであろう「神々のための神殿」に表れています。
ナイル川流域に住む人々は、毎年決まって起こる洪水、つまり自然のリズムに従いながら、壮大な大地の恵みを得てきました。彼らにとって自然の力、その自然の中でたくましく生きる野生動物の持つ力は、そのまま神々の力を表していました。ですから地域ごとに様々な神々を大切にしていたわけですが、そんな神殿の暗い奥の部屋には、様々な動物の頭を持った神々の像が大切に祭られていました。
授業では、子供たちに神殿の100分の1の模型(といっても結構大きいです)を見せて、その壮大さを感じ取ってもらいました。神殿はピラミッドほどではないにせよ、かなり巨大です。そしてその中に入り、神の像に近づくことが出来たのは、特別な神官かファラオだけであったと言われます。ファラオは神々と人々をつなぐ仲介者だったのです。「巨大」「ファラオの権力」。これらは精神的世界とのつながりの上で初めて意味をなすものだったのでしょう。
子供たちが制作した「雌ライオンの神様」は、荒ぶる自然の破壊の力を象徴し、伝染病などを引き起こしたと言われています。人々はその力をなだめようとしていたのでしょうか。もうひとつ、子供が制作したのが「雄羊の神様」。粘土をこねて万物を創造した、生命創造の神であり、この神様は、ある時期から女性のおなかにろくろを仕込んで人間の創造に任せたと言います。

細井信宏