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2019/03/26のBlog
連続講座“古典の恋歌”⑬
失われた物語の復元 二 -散逸(散佚)物語「嵯峨野」の場合―
國學院大學講師・文学博士 堤 康夫氏

堤講師は「かつて存在していたが、今は消えてしまった物語を散逸(散佚)物語と言います。
例えば源氏物語は54帖以外に「正三位」という巻があったとされています。継母・継子の物語とされていますが、今は残っておらず、残っている題名や和歌から、いわばレトロスペクティブに復元するしか方法はありません。散逸物語は、いろいろな研究者が、いろいろな題材をもとに推測していくので結論も個々に違ってくるのも仕方ありません。数ある散逸物語の一つとして、鎌倉時代初めに編纂された『風葉和歌集』のうちの「嵯峨野」を取り上げてみましょう」と話されて、以下のように解説して下さいました。

*『風葉和歌集』は藤原為家が後嵯峨天皇の中宮の命を受けて編集した勅撰和歌集である。当時知られていた物語、和歌から、物語200編、和歌1418首が選ばれており、この時代の研究に欠かせない資料である。

*この『風葉和歌集』の巻第七に、言い寄った中務卿の娘が仏事を行ったときに、”嵯峨野の二のみこ“が『極楽は広い大きな蓮の葉のようだと聞いているが、私の涙や朝露・夜露は仏様にすくってもらえる(掬う・救う)』という和歌を贈り、これに中務卿の娘が『極楽の地の蓮の花なので、この世で流す涙は掬ってくれない』と返した、というくだりがある。中務は天皇の詔勅を管理する役所で、天皇の子息などが務めた。”嵯峨野の二のみこ“はこの中務卿の娘と和歌を詠みあう程の身分の男性だということが推測できる。

*さらに巻第九では中務卿が亡くなった後、嵯峨野の頭中将が中務卿の娘にラブレターまがいの歌を送り付けている。頭中将は天皇の身近にいる天皇のいわば親衛隊であり、家柄も良く天皇に近い職位の若手エリートで、不祝儀のさなかでもラブレターを送る性格の男性であった。

*また、巻第十一では、中務卿の娘侍従が、「関東の佐野にある船の橋(舟橋)ではないが、最初からこの橋を渡らなければよかったのに」と二人に言い寄られた中務卿の娘の心を詠っている。

*この「嵯峨野」のくだりは、源氏物語46帖「椎本巻」(「宇治十帖」第2帖)で、薫が宇治の大君に思いを寄せるくだりを連想させる。この「宇治十帖」の宇治八宮と中務卿には、お互いが学者であるという共通点が存在している。そして舞台も共に京の都から離れた宇治と嵯峨野である。

*そう考えてくると、誠実な薫と浮ついた匂宮の性格をそっくり入れ替えて、舞台も宇治から嵯峨野に変えて作ったのが風流和歌集の「嵯峨野」ではないか、との推測が成り立つ。

以上のようご説明の後、堤講師は「この『嵯峨野』の場合は、人気の高い源氏物語の写しと見なされたために凋落し、散逸してしまったのではないかと推測します」と話されて、解説を終えられました。
2019/03/19のBlog
この国のかたちのアイデアはどこから? 儒教の日本での受容 小島毅氏

本日の講師は東京大学大学院人文社会系研究科教授 小島毅氏です。昨年12月の「論語―いま読むことの意義」に引き続き2回目のご登壇です。

講師は冒頭、「最近、中国と韓国が駄目なのは儒教のせいだという本が売れているようですが、日本では儒教が誤解されています。そこで本日は前半と後半に分けて、前半では儒教について、後半では日本の国づくりと儒教とのかかり合いについてお話をします」と、以下のようなお話をされました。
1、儒教とはなにか

1)日本では「論語」のみで儒教を理解しようとしていますが、儒教には「論語」以外に、後世の思想家の論語解釈が織り込まれています。つまり儒教は「論語」の教えだけではありません。
2)儒教のキーワードは礼です。
礼は国家制度から生活習慣までを含み、宗教的儀礼から科学的思考までを含んでいます。例えば冠婚葬祭という言葉は儒教のものです。
3)儒教は次のような天、地、人の神を崇拝します。
天神(皇天上帝、日、月・・)、地祗(社稷、泰山、黄河・・)人鬼(孔子、関羽・・)
4)儒教の世界観は科学的です。
天地創造の如き荒唐無稽な開闢神話はなく、最初から天地ありきなのです。伏犠は自然現象を分類し、天、地、火・・の易の八卦を定めました。天文学や数学が高度に発展しました。
5)儒教は男尊女卑です。
天=陽=男、地=陰=女 なので、自然界の理法ですから従わざるを得ません。
中国には女帝はいませんし、日本にもそれを見習った7~8世紀以降は女性天皇はいません。
6)儒教では夫婦別姓です。
女性は結婚後も実家の姓を名乗り、娘は父の姓を名乗ります。今でも漢民族や韓国人は伝統の名残りで夫婦別姓です。日本でも明治以前は夫婦別姓でした。

2、日本は儒教をどのように国づくりにとり入れたか

1)日本古代の国づくりは律令制の整備
律=刑法、令=行政法 は礼社会の実現のための道具です。日本は律令編纂を急ぎ、形は作りましたが、社会に広く礼が浸透することはありませんでした。
2)明治維新
明治維新は西洋近代国家への転換、旧い東アジア伝統国家からの脱却とみなされますが、その実、明治維新の思想的背景には儒教(朱子学)がありました。江戸時代後期に社会に浸透した朱子学は当時の体制宗教だった仏教の批判・改革の担い手でした。朱子学は、西洋の学術・思想も理解し、頑迷固陋ではなかったのです。儒教に基づき、天皇を中心に、国を守る尊王攘夷という考えもペリー来航以前からありました。明治の近代国家を作り上げたのは倒幕の志士でなく、朱子学を学び、普遍的な西洋の事情を紹介した知識人たちです。
3)江戸時代の教育
江戸時代の初期は学問は軟弱、という武断主義の時代でしたが、17世紀後半からは好学大名が登場してきました。特に松平定信の「寛政の改革」による学問奨励以降、藩校が急増し、寺子屋が普及して庶民も読み書きできるようになり、その教育水準は同時代の西ヨーロッパに匹敵していました。明治時代の近代化の成功はこの教育水準が支えたもので、殖産興業政策によるわけではないのです。

講師は以上のようなお話の後「儒教は確かに旧弊な思想ですが、儒教のなかで将来に向けて活かすべき教義・慣習はなにかを追及していくことが大切と思っています」と締めくくられました。

大変わかりやすい名講義でした。知っているようで知らない儒教と日本という国づくりに果たした儒教の教え、大変勉強になりました。 (佐藤明)
本日の受講者の感想です。
*儒教に対する見方が理解できた、明治維新と儒教精神や、朱子学、陽明学などを聞きたい。
*大変おもしろいお話で、ありがとうございました。
*日本での儒教の受容が明確・体系的に語られ、わかりやすく中身の濃いご講義でした。物事の正しい理解の大切さを再認識しました。
*日本の国造りには儒教が大きな位置を占めていることが理解できた。

2019/03/15のBlog
[ 17:57 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
「地名から知る自然災害への警鐘!」
日本地名研究所理事・地名研究家 太宰幸子氏

講師は冒頭で「年々数が増し、規模がどんどん大きくなっている自然災害を防ぐ対策の一つとして、私たちの先人が付けてきた“小さな地名”が持つ意味をお話します。これを知ることで、少しでも災害被害を軽くできるようにしましょう。我孫子市の『布佐エリアなどの液状化被害』は皆さん、ご存知ですね。また、我孫子市が発表しているハザードマップにはあちこちに『急傾斜地の崩壊』などの記載があります。自然災害は止められません。これらの情報をよく頭に入れたうえで、いざというときには自助・共助をすることが大事です」と参加者に前置きされたうえで、以下のようなお話をされました。

1.地名には小さな地名と大きな地名がある。
大切なのは過去に「字(あざ)」と付けられていた「小さな地名」。これはピンポイントでの土地情報を含んでいることが多い。「大きな地名」は比較的広い範囲をまとめて付けられ、「字」が伝えてきた個々の土地の特徴が消えてしまうことがある。

2.地名に多く使用されているのは和語(日本語)。大切なのは「音」であり、文字(漢字)は後世になって次のようにいろいろと付けられた。
・栗(崩れ)を「久里」の二字へ変更、崖を表す岳・嶽・滝・倉・欠を「竹」と表記、川の氾濫で土砂が堆積したところ意味する埋めを「梅」(梅木・梅の木・梅田・梅津など)、崩れたとの意味があるアズを「小豆」(小豆島・小豆坂)、地滑りで表土が剥がれたところを「萩」、同じく地滑りですぐれない状態を「杉」とするなど旧地名が「植物・美しい・めでたい」地名に一変している場合がある。

・猿、鹿、熊、蛇などの動物地名も要注意。
ザレ=凝灰岩など崩れやすい地質を「猿」(猿ケ久保・猿田・猿尾・猿跳・笊川など)、川が曲がっているとか川べりを「熊」、がけ崩れが多いところ「鹿」(大鹿、鹿込、鹿落坂など)、「鶴」の付く地名(鶴田・鶴見・都留・水流など)、地滑り・鉄砲水・洪水が起きたところは蛇崩れ・蛇抜けなどから蛇田・蛇喰・銭神などに変化、川などが溢れたことを意味する猪狩・イカリ(碇ヶ関、五十嵐、五十里など)、まっさらになるとの意味の漢字「白」(白幡・白石・白沢・白木など)、地滑りなどを表すアラ(荒砥沢=戸沢、各地にある「荒川」はそのほとんどが暴れ川として知られる)などは、自然災害や地形・地質などに由来したものが多く、危険を避けるための地名として重要である。

講師は以上のような数多くの地名と自然災害をご紹介くださったあと、まとめとして、「災害を伝える地名はわたしたちのすぐ傍ら、身近なところにあります。よく確認して、その意味を知り、善後策を考え、防災に役立てましょう。後世に伝えたいと思って付けられた地名は、後に名称が変化し、本来の地名とは別物の地名伝説が生まれます。地名は単なる記号ではありません。先祖が伝える大きな歴史の足跡であり、自然災害などへの警鐘です。古い、小さな地名は、大いに大切な財産です。」と結ばれました。 (高橋 重)

受講されたみなさんからのご感想の一部です。
*古い地名、昔の人は地名に子孫への思いを込めていたのかも知れません。興味深かったです。
*災害マップを入れて、また、我孫子の事も含め話を聞き、大変分かり易かった。日本列島の歴史と災害のつながりを感じられた。
*私達の住む我孫子は「字(あざ)」表示がほとんど消えていますが、それでも地図を見ると、昔を象徴する地名もまだ残っています(都内はもうズタズタです)。「東京近郊で昔が残る我孫子」を再認識し、嬉しく思います。
2019/03/12のBlog
村上 巖ピアノリサイタル ―ピアニズムの極致―

村上巖さんは千葉県のご出身で、東京藝術大学付属高校から東京藝術大学ピアノ科をご卒業。仏政府給費生として渡仏され、パリ国立高等音楽院にてプルミエ・プリ(1等賞)を得て首席でご卒業。
また、文化庁給費生としてベルリン芸術大学大学院にて研修。長島寛行、高良芳江、安川加壽子、植田克己、パスカル・ドゥヴァイョン、イザベル・ドュビュイの諸氏に師事、また、室内楽をクリスチャン・イヴァルディ、マリー=フランソワーズ・ビュケの諸氏に師事。1991年にPTNAピアノコンペティション特級において金賞(第1位)、日本テレビ賞、文部大臣賞、ミキモト賞、モーツァルト賞。つづいて1992年に第61回日本音楽コンクールにて第2位、井口賞、河合賞を、マリア・カナルス国際音楽コンクールにて奨励賞、第46回ブゾーニ国際音楽コンクールにて第2位、聴衆賞、パロマ・オシェア・サンタンデール国際ピアノコンクールにて奨励賞を、1995年に安宅賞を受賞。2005年に東京藝術大学非常勤講師に就任。日本各地でリサイタル、オーケストラとの共演、室内楽、歌曲伴奏などに出演されておられます。

村上氏は冒頭、「きょうはドイツ、フランス、ロシアの三か国にわたる名作を、みなさんとご一緒に巡ってみたいと思います」と話されてまずフランツ・シューベルトの即興曲Op.90第4番をご披露下さいました。

次いで、「ドビュッシーの前奏曲集のすばらしさは一言ではとても言えません。本日演奏する第1巻12曲では、10曲目の『沈める寺』で並列音を採用しています。これはフランス印象派が史上初めて行った画期的な出来事です」と解説されて、以下の12曲を演奏してくださいました。

第1曲「デルフィの舞姫たち」
ギリシャの古い都であるデルフィにあるアポロン神殿遺跡で神に捧げる踊りを描いている。
第2曲「ヴェール(帆)」
ヴェールは、普通、帆と訳されるが、衣装のヴェールの意味もある。
第3曲「野を渡る風」
吹き抜ける風を表した曲。標題はヴェルレーヌの詩から付けられている。
第4曲「夕べの大気にただよう音と香り」
微妙な表現の変化が夕暮れのイメージを映し出す。標題はボードレールの詩から採られた。
第5曲「アナカプリの丘」
アナカプリはイタリア・カプリ島の地名。地中海の煌めくような明るさを描いている。
第6曲「雪の上の足跡」
持続的な引きずるようなリズムが凍りついた寂寥たる風景と孤独感を表現する。
第7曲「西風の見たもの」
荒々しい力感に満ちた曲。「西風」はフランスでは荒々しい不気味な風を象徴している。
第8曲「亜麻色の髪の乙女」
他の曲と趣が異なり、優しい旋律による叙情美溢れる曲。単独で演奏されることも多い。
第9曲「とだえたセレナード」
ギターに乗って歌われるセレナードの情景。スペイン風の性格を持つ曲。
第10曲「沈める寺」
海に沈んだ大聖堂が海上に浮かび上がるというブルターニュ地方の伝説による曲。
第11曲「パックの踊り」
シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』に登場する妖精パックが動き回る様が描かれる。
第12曲「ミンストレル」 
白人が黒人に扮して歌い踊る陽気でユーモアに満ちた「ミンストレル音楽ショー」の情景。
ここで15分の休憩に入り、休憩後は「ムソルグスキーの『展覧会の絵』のすごい所は、いろんな絵が出てくるのですが中心は一貫したアイデンティティと、最後の『こんなこともあったよね』という調和が好きです」と話されて組曲「展覧会の絵」の以下の10曲を力演下さいました。

(なお、「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが夭折した友人のヴィクトル・ガルトマンの遺作展で見た10枚の絵の印象を音楽に仕立てた組曲で、これら10枚の絵が無秩序に並ぶのではなく、「プロムナード」と言う短い前奏曲あるいは間奏曲が繰り返して挿入されるのが特徴です。この「プロムナード」は展覧会を巡回する人、すなわちムソルグスキー自身の歩く姿を表現していると言われており、後世にラヴェルをはじめとした管弦楽への編曲版によっても知られています。)

第1曲 「グノームス(こびと)」
原語の「グノームス」とは、地中の財宝を守るこびとの姿をした「土の精」である。
第2曲 「古城」
イタリアの古城を描いたスケッチから曲想を得たといわれる。
第3曲 「テュイルリー、遊びのあとの子どものけんか」
ガルトマンの絵では、おおぜいの子供達と女性家庭教師たちのいるパリのテュイルリー公園の並木道が描かれていたという。
第4曲 「ビドロ(牛車)」
ポーランド語で牛または牛が牽く荷車のこと。巨大で重々しい牛車をひく「苦役」を示唆。
第5曲 「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」
卵の殻を身に纏ったひよこたちが踊るバレエのデザイン画に霊感を得た曲と考えられる。
第6曲 「ザムエル・ゴルデンベルグとシュムイレ」
当時のロシアでは前者は裕福なユダヤ人の典型的な名前であり、後者は貧しいユダヤ人の典型的な名前であったとされ、二人の会話の様子を表している。
第7曲 「リモージュの市場」
フランス南西部の町リモージュの市場で女性達が激しく言い争う様子を描いている。
第8曲 「カタコンブ」
カタコンブとは地下に掘られた共同墓地のこと。パリの地下墓地でランタンの光をあててじっと見つめるガルトマン自身が描かれた絵から霊感を得た曲と考えられている。
第9曲 「バーバ・ヤーガ」
「バーバ・ヤーガ」とは、ロシアの民話に出てくる森の中に凄み、にわとりの足の上に建てられた小屋に住む痩せた妖婆で、人間を捕えてその肉を食べるという。
第10曲 「キエフの大きな門」
ガルトマンの下絵ではスラヴ風の丸屋根をした石造り様式の首都キエフ市の門が描かれている。組曲中最も規模が大きく、壮大な響きをもって組曲全体を締めくくる。

この後、盛大なアンコールの拍手にこたえて『リスト編曲によるシューベルト:アヴェ・マリア』、『バラキレフ:イスメライ』の2曲を演奏して、この日のコンサートを締めくくられました。

以下は、ご参加いただいた方々の、ご感想の一部です。

*ものすごくぜいたくな時間を過ごせて最高でした、ありがとうございました。「展覧会の絵」が素晴らしかった!!毎年村上さんをお呼び下さい。
*「展覧会の絵」は以前に希望していた曲なので、事前に聞きこんでから参加しました。
ムソルグスキーの万感がキエフの大門で放たれていくところは、感動致しました。ロシアの大地を彷彿させる内容でした。印象に残ったのはやはり「展覧会の絵」と「アヴェ・マリア」です。今までで最高レベルのリサイタルでした、プログラムの組み立てが成功でしたね。
*村上さんを我孫子にお呼び頂き嬉しく、楽しみにしておりました。遠方で開催のコンサートには行けないので、こんなにすばらしい演奏を聞くことが出来て、この感動はしばらく続くことでしょう。「沈める寺」「展覧会の絵」、一緒にまわっているような気持になりました。どのような思いでピアノを弾いておられるのかが、よくわかりました。もう終わりかと最後の曲では涙が出ました、村上さんを応援致します。

2019/03/08のBlog
シリーズ こだわって生きる我孫子の人⑳
ネパール&ヒマラヤを歩く(2)
白樺同人(薪割り集団) 高橋 重氏

高橋重氏は高校時代から山・岩・沢・雪・スキーに傾注すると同時に、植物観察をも楽しむ自然志向の講師です。ふれあい塾あびこでは2018年4月に、ネパール連邦民主共和国探訪をお話頂きました。高橋氏は「70歳になったから行かなくちゃ、という思いでエベレスト見物の定番である、ゴーキョピーク(5357m)、カラパタ―ル(5550m)などに登って、エベレスト(8848m)、ローツェ(8516m)、マカルー(8463m)などの8000m峰を見てきた話を昨年4月にしました。時間配分が悪くて、予定していたアンナプルナ(8091m)、マナスル(8163m)はお話できませんでしたので少しお話します。また、昨年7月に行ったモンスーン季のランタン谷の植物やネパール地震の爪痕などもお話します。古希も過ぎたので、登山が目的ではなく、2-3週間ほどの山旅を楽しんでいます。」と話されて次のように解説下さいました。

*アンナプルナに行ったのは6年も前の3月ですが、山好きにはどうしても見ておきたい山です。それは人類が初めて登った8000mの山、壮絶な登山でしたが、これを契機に各国が威信をかけて8000m峰初登頂目指しての登山ラッシュに火を付けた山だからです。
ツツジ科のシャクナゲ、日本と異なり20m以上にもなる種があり、ネパールの国花となっています。標高2000mを越えるトレッキング街道沿いには、サクラソウの仲間、トキソウやランの仲間、ユキノシタ科の花が咲いていました。道中のテントを張った石切り場では長いバールで石を切り出していて、住民の生活道でもあるトレッキング道は、その石を敷き詰めて歩きやすく、石は住居の屋根や壁などにも使われています。トレッカーが泊るのはロッジで、ロッジでは小学生が働いていました。ロッジで働いてロッジに下宿し、授業料や文房具代などに充当しているとのことでした。屋外では青空学級が行われ、川は洗濯で賑わっていました。人々の表情は明るく、生活を楽しんでいるように見えました。

*マナスルは日本人今西壽雄が1956年に初登頂した8000m峰、どうしても見たかった山です。これもアンナプルナに行った年の秋なので、2013年10月の話です。
カトマンズが1400mほど、スタートのアルガットバザールは500mそこそこ、亜熱帯です。ラルキャ峠5160mを通って、2週間でマナスル周辺をサーキットしてきました。
プリ・ガンダキのV字谷の急斜面に付けられた一本道ではトイレも出来ず、吊橋は馬やロバ、ヤクなどの動物が優先通行です。ちょうど10日間行われるネパール最大のお祭り「ダサイン」に遭遇し、帰宅先の実家から3日間かけてサマの学校の寄宿舎へ戻る途中の8人の子供たちに会いました。日本の革のランドセルを背負っている子や、年少の子の荷物を担いでいる子どももいました。親と離れるのに、とても楽しそうな雰囲気でした。
私たちがキャラバン中に摂ったネパール料理の代表はダル・バートと言われるネパール全土共通のもので、ダル(豆のスープ)とバート(ごはん)を基本におかずやお肉と一緒に食べるまさに日本でいう定食で、お店によって味もかなり違います。チベタンブレッド=揚げパン(ランタン地区は焼いただけ)はネパールの食文化に欠かせないもので、トゥクパ(日本のうどん)、チョウメン(焼きそば)やモモ(饅頭)はその代表です。

*ランタン谷は首都カトマンズの北に位置し、国立公園に指定されています。春はシャクナゲ、夏は高山植物を鑑賞するトレッカーで大変賑わう地域で、7000mを超えるランタン・リルン峰の眺めの良い場所です。2018年7月降り立ったカトマンズは、いつも通りの雑踏の町でした。カトマンズからチベット手前のシャブルベシまでは車で8時間、途中の田んぼでは女性が田植えをしていました。林道には紫色のオニルリソウに似た花が多く、集落をたどる小さな道にはオリヅルラン、ミズトンボの仲間、トウダイグサなどが見られました。岩場にはセントポーリアを思わせるイワタバコ科の花がビッシリと張りつき、リリウム・ネパレンセは独特の色と形をしています。際立って、大きくて美しい花ですが写真を撮ろうと手に取って近づけると、何と葉っぱに潜んでいたヤマビルがピョコピョコと吸血にやって来ました。ヒルは、ストックの下からも上がって来ます。吸血の間は痛くも痒くもありませんが、帰国後は3週間ほど痒みが残りました。ランタン谷の下の村には新しい建物が数軒建ち、その上のかつての村の中心だったあたりにはランタン・リルン側から押し出したおびただしい土砂が広がっていました。上流には青屋根が点在するランタン上の村が見え、大規模な土石流は表面が厚さ数m以上の土砂と岩の層、その下は落下した氷河が厚く再堆積して融けずに残り、スノーブリッジもできていました。氷河上にも水が流れ、ルートは荒れていました。すべては2015年5月に起きた、ネパール地震の爪痕でした。

高橋氏は「大雨や洪水、地震や土砂崩れなど自然災害は、日本といわずネパールといわず、地球上のどこにでも起こり得る現象です。自然を敬い、自然を大切にし、自然から身を守る術を身につけながら、自然を楽しんでいきます。」と話されて解説を終えられました。

以下は参加頂いた方々からのご感想です。
*三の谷を紹介頂き、変化に富んでいて面白かった。登山をしない一般の方にも、わかりやすい内容であったかと思います。アンナプルナ、マナスルの登山史での苦労話も、シニアの方にも新たに知ることが多かったのではないかと思う。
*写真を使っての分かりやすい説明でした、「処女峰アンナプルナ」は若いころに読んで感動した本で懐かしかった。
*スライドがとても見やすく写真も綺麗で、感動しました。高橋先生のお話は知識も豊かで、為になりました。4月から10日くらいエベレスト街道にトレッキングに行く予定ですのでとても参考になりました。準備も大変だと思います、ありがとうございました。