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2018/04/16のBlog
シリーズ“こだわって生きる我孫子の人”⑱
ネパール&ヒマラヤを歩く
白樺同人(薪割り集団)高橋 重氏

講師の高橋氏のお話は、ペルー、ボリビア、パタゴニアに続き4回目。今回のテーマは「ネパール&ヒマラヤを歩く」です。

講師はまず「受講者から『白樺同人(薪割り集団)』のネーミングの由来について質問がありました。『白樺同人』では我孫子の『白樺派』と紛らわしい、山小屋の薪を割る仲間が相応しいと考え、『薪割り集団』としました」と笑いを誘われたうえで、

「今回は、“エベレストは70歳になったから行かなくちゃ”ということでの山行きとなった。この旅も旅行代理店を通さなかった。代理店を通さないと、航空チケット、宿泊、行程の手配など面倒ではあるが、仲間だけで企画した方がオリジナルな計画が立てられ、行動の自由度が高く、旅の印象も深くなり、そして何よりも安くあがる」

と前置きされたのち、ダイナミックなヒマラヤの山々、花々、現地人の生活ぶりなどのスライドを駆使し、概ね以下のような興味深いお話を展開されました。

1.連邦民主共和国ネパールについて
 多民族国家であり、ヒンドゥー教徒が多く、農業・観光業の盛んな国家である。

2.ヒマラヤの8000mクラスの山々について
 ヒマラヤには8000mの山々が14峰あり、ネパールにはその内、8峰がある。

3.エベレスト登山史について
 1907年にイギリス山岳会創立50周年記念行事としてエベレスト遠征隊の派遣が提案され、1921年に第1次遠征隊が派遣され、のち1953年5月29日にエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが初登頂に成功した。

4.日本人とヒマラヤの関わりについて
 ヒマラヤを見た最初の日本人は仏教学者の河口慧海であった。

5.ヒンズーの神々について
 〇世界を創る創造神ブラフマー(梵天)、〇世界を保つ維持神ヴィシュヌ(毘沙門天)、〇世界を壊す破壊神シヴァ(大黒天)などがある。

 講師は、ネパールの旅の終わりに体調を崩され、3日間ほどの入院を余儀なくされたとのことでした。「そこで得たことは、“70歳になったら、気を付けよう”でした」と冗談交じりにお話しを結ばれました。 
(酒井 弘) 
 
受講者からのアンケートを幾つかご紹介しましょう。
*ついこの間実際に登られた方のお話を聞くことが出来感動いたしました、目の前の写真 山々 山肌のしだ 氷河 山の花 高い山にも美しく咲く花のあることも不思議に思えました、なんどもお話をお聞きしたいです。
*エベレスト街道にはいつか行きたいと思っているのでとても参考になりました。
*実体験の話なので魅力充分(計画から始まって、文化、宗教等幅広い知識があふれていた)植物限界高度が4000m 美しい山岳写真は楽しかった。
2018/04/10のBlog
4/9 連続講座 “古典の恋歌“④
『源氏物語』幻巻 -季節の移ろいと共に-

國學院大学講師・文学博士 堤康夫氏による新シリーズ、今回は源氏物語の「幻巻」です。永年連れ添った最愛の妻、亡き紫の上を追慕する光源氏の姿が、以下のように一年の季節の移ろいを背景に描かれます。

春(旧暦1月~3月)
 1月 初春、悲しみの深い光源氏は年賀の客にお会いせずに御簾から出ない。仲のよい弟の兵部卿とはお会いになる。
 2月 如月は衣替えの季節。紫の上が愛した形見の紅梅に鶯が鳴いている。部屋からでてご覧になる。
 3月 春盛りの季節になったが、光源氏には庭を愛でる気持ちがなくなっている。逆に鳥の鳴き声が聞こえる山奥が恋しくなってくる。

夏(旧暦4月~6月)
 4月 夏用の衣に着替えられる。羽衣の薄さに、空蝉のように世の中が空しいという気持ちが強くなってくる。
 5月 五月雨が続くので、光源氏は外にも出ず、ただぼんやりと物思いにふけるばかり。山時鳥の鳴く空を眺めては故人を偲ぶ。
 6月 この頃は暑さもひとしお。庭の池を渡る風にわずかな涼を感じ、多くの蛍が飛び交うさまに故人を偲ぶ。池の蓮を眺めているうちに日も暮れる。

秋(旧暦7月~9月)
 7月 7日も何もしないで一日中物思いにふけっておられる。今は一緒に星合の空を見る人もいないと。
 8月 紫の上が亡くなったのは昨年の8月のこと。命日に一周忌を催される。中将の君の扇に出家を暗示する詩をお書きになる。
 9月 9日は重陽の節句、黄色の菊は不老長寿のシンボル。菊を綿で一晩覆い、濡れた綿で体を拭くという習いがある。光源氏は綿で覆われた菊をご覧になり、菊の朝露が一人袂にふりかかると感慨にふける。

冬(旧暦10月~12月)
 10月 神無月は冬の始まり。紫の上を偲んで大いに泣く、涙を拭く袂が涙で腐ってしまうという昔の詩を口にされる。夫妻で仲良く飛ぶという雁をうらやましく見守られる。
 11月 初めて澱上のお勤めにあがる子供の姿に自らの若き日を思い出される。
 12月 ひっそりと過ぎた一年の最後を迎え、光源氏は出家の決意を固める。お仕えした人へ形見分けをされる。元旦の日のことを「例年より格別に」とお命じになり、引き出物などをまたとなく用意される。紫の上と過ごした過去のシーンが季節の移ろいと共に、次から次へと浮かんでくる。光源氏は出家の時を迎える。

堤先生は今回も当時の食生活や雨の日の暮らしなど時代背景を説明され、物語の理解に大変役立ちました。受講された方の感想をご紹介します。 (佐藤 明)

 ・一年間12か月のそれぞれの季節の変化を言葉、歌で勉強できた。
言葉というものを考え、使える日本人に生まれて素晴らしいと感じる。
 ・いつも楽しく勉強させてもらいました。
2018/04/06のBlog
浅草オペラ初演101年『あゝ浅草オペラ』~この一世を風靡した歌劇を語る~

本日の講師小針侑起氏はまだ30歳を過ぎたばかりの若き研究家ですが、浅草オペラには小学生時代から興味を持ち、以来約20年にわたって調査、研究を重ねてこられました。2016年5月にはその成果をまとめた『あゝ浅草オペラ』を出版、昨年2017年の「浅草オペラ100年記念」行事では大活躍されました。

今回は、この『あゝ浅草オペラ』の主要内容をプロジェクター資料にまとめ、ほかに、いくつかの貴重な音源をCDにまとめて、以下の3章に分けて、お話してくださいました。

〈第1章〉 浅草オペラ前史 何故オペラは浅草で花開いたか?
1911年に帝国劇場が開設され、日本初の創作オペラが上演された。しかし、日本音楽を聴いてきた観客には、清水金太郎の腹式呼吸の歌い方は馴染めず、笑い転げる始末。しかも経費が掛かり過ぎたこともあり、不評の内に終了することになった。

〈第2章〉 浅草にオペラがやって来た!華ひらく浅草オペラ
しかし指導者のローシー氏はあきらめきれず、赤坂のローヤル館でオペラを上演、そこで高木徳子というスターが生まれた。その高木徳子主演の『女軍出征』で浅草オペラが幕を開いた。第1次世界大戦のさなかの上演で、笑いと色気があり、分かりやすく、しかも安価で爆発的な人気となった。

寄席芸人の街であった浅草は、音楽学校の出身者たちが続々出演したことで一変した。大正7~8年は浅草オペラの最盛期で、澤モリノ、清水金太郎、原信子、田谷力三、藤原義江、藤村悟朗、谷崎歳子(江利チエミの実母)などのスターが生まれた。「歌舞」「オペラ」等の情報誌も刊行され、オペラは浅草だけにとどまらず、名古屋等各地へと広がった。

ペラごろ(オペラに通いつめた熱狂的なファン)の言葉も生まれ、川端康成、谷崎潤一郎、宮沢賢治なども熱中した。1日に3回の公演、しかも<観物場>として10日ごとに出し物を入れ替える規則のため、次の稽古もしながらというハードスケジュールを役者たちはこなしていた。

〈第3章〉 浅草オペラの全盛と衰退
 大正9年ころには、オペラ人気に落ち着きが出て来る一方、廃業したり、映画などに転職したりする役者も増えて、心からオペラを愛する客と実力のある演者が残った。そこで、歌劇「『カルメン』や創作オペラ『勧進帳』など内容豊かなものが上演された。‥しかし!大正12年の関東大震災で浅草の街は壊滅的な打撃を受け、浅草オペラは一気に終焉を余儀なくされた。

この浅草オペラが残した功績としてはまず、明治初期から数十年かけて成し得なかった西洋音楽の普及を数年のうちに成し遂げたことがあげられる。また、映画、演劇、音楽、レコード界などに、後に残るスター(二村定一、榎本健一、浦辺粂子など)を多く供給したこともあげられる。

以上の内容を、たくさんの映像資料や、珍しい音源を織り込みながら、とても聞きやすい言葉で語ってくださり、以下のアンケート回答のように、受講者の皆さんに満足していただけた講座でした。小針講師は、帰りに我孫子駅の掲示板に本日の講座のチラシが貼ってあるのをご覧になり、「おお、ツイッターに載せよう!」。古き浅草オペラの研究者ながら、そこは若者そのものでした! (秋田桂子)
<アンケートより>
・知らない事が多く、浅草の地下鉄のエスカレータ脇に貼ってある写真の意味が分
かりました。
・この様な大衆演劇についての講座も開講してほしい。
・具体的で内容盛り沢山あふれる知識を楽しくお話し頂き満足です。本当に楽しかったです。当時の歌 音声が聴けて良かったです。
・私は昭和のひとけた浅草生まれです、懐かしい古い写真を見て思わず涙が出そう になりました。
・浅草オペラが全国に広まってという話は一番知りたい話でした。
・懐かしい俳優や教え子の名前を久しぶりにお聞きしました。とても懐かしい気持ちになりました、有難う御座いました。
2018/03/25のBlog
「君たちはどう生きるか」―父の思い出と今回のブームを語るー
ジャーナリスト 元日経新聞論説委員 吉野源太郎 氏

昭和12年(1937年)に発表された吉野源三郎氏の「君達はどう生きるか」という本が漫画本化を契機にブームを呼んでいます。マガジンハウス社では漫画本ほかで220万部を、岩波文庫も累計130万部を超えたそうです。今回は、ジャーナリストで、原作者のご長男でもある吉野源太郎氏にお父様とこのブームについて語っていただこうという講座でした。

吉野氏は、先般の大雪の際に転倒されて大怪我をされ、4日前に退院されたばかり。リハビリ中のところ遠方よりお越しいただいての講演となり、冒頭、「足腰には自信があったが、不覚にも雪に足をとられ、長い入院生活を余儀なくされた」、「入院して気づいたのは、団塊世代の人々の入院患者の多さと認知症も併発していると思われる人達の多さでした」、「今度の入院生活を通じて、団塊の世代全員が後期高齢者となる2025年以後の医療、介護を想像するとそら恐ろしくなります」などとお話しされました。

そして今回の「君たちはどう生きるか」ブームの理由については「一つは、マガジンハウス社がマンガという切り口で読者に訴えたこと。二つ目には、真正面から世の中に取り組んでいること、つまり時代に本当に求められているもの、王道をいくものだからだと思います」と述べられました。著者吉野源三郎氏については「父をテーマに、この本との関係で、子供である自分が話をするのは下の下と思うので」ということで、今回はこのテーマについてはお話しになりませんでした。

そのほか①福島原発について=かねてフォローしているが、私のできることは、事実を知ってそれを世間に知らせること。他の方法で被災地の人達の力になりたいと思っても、簡単にできることではない②経済成長路線と現代について=私達世代は、経済成長主義を信じてひたすら働き、その果実にもあずかった世代。経済成長は格差を包みこんだが、今は、経済成長至上主義は行きづまり、格差はまた確実に広がっている③東京という町について=東京は生活するための職や権力を求めて人々が集まるところ。結果として、社会階層は重層化し、住む場所も様々となった―などのお話をされました。

以上、話題は様々となりましたが、吉野源三郎氏が、旧制一高のリベラルアーツ教育(哲学、歴史、サイエンス、文学をひたすら学び,かつ、仲間内でデイスカッションする教育)に基づき、事実を追求し、現実と向き合い、自分の頭で考え、社会に提言してきた方であったと同様に、息子の源太郎氏もいろいろな見逃せない現実に向き合っておられることを感じました。 (藤田泰男)

以下、受講者のアンケートの一部をご紹介します。
①息子の中学受験の時の推薦図書でした。題名につられて私も読みました。良い本だと思いました。なつかしさにつられて今日まいりました。しらみの子の話は好きです。
②吉野先生は言葉を実に丁寧に選んで使われていた!さすが新聞記者という職業を感じさせた!考え考えながら話すのが、とても説得力のある話の間合いになっていた!父上の「何事も王道を行くことが大事」ということにも感じいった!福島の災害の話も病院での入院生活の話も、とても大事な気付きをいただけた。有難うございました。
③時代性、社会性の問われる本書に対するジャーナリストとしての評価をお聞かせいただきたかった。
2018/03/17のBlog
今を生きるアイヌ・伝承~その歌と踊りの世界~ 宇佐照代さん 島田あけみさん

本日は、アイヌ文化振興アドバイザーの宇佐照代さんと島田あけみさんをお迎えし、アイヌ民族の歴史や文化をお聞きした後、その歌と踊りを紹介していただいた。

我孫子にもアイヌ民族とのつながりが考えられる地名もあることなどからか、会場の我孫子市民プラザホールは満席となった。冒頭、民族衣装を身に着けた宇佐照代さんと島田あけみさんが登壇し、「イランカラプテ」と宇佐照代さんが挨拶をされ、会場は、一気にアイヌの世界となった。

そのあとのアイヌ民族の歴史・文化生活を紹介するDVD(約15分)で、アイヌの方々には自分たちの生き方を否定され続けた過去があったが、「アイヌモシリ(民族の誇り)」をもち、アイヌに生まれた幸せを感じ、次の世代に文化を伝えていこうと様々な活動を続けているということが紹介された。

次いで宇佐照代さんが「釧路出身で10歳で上京。母や祖母から<民族の誇りをもって生きていって>と言われ、<故郷を思い出しながら歌と踊りの会をしよう>という会を作り、色々な場所で活動をしている。現在は東京の大久保でアイヌ料理店を経営している」と語った。

また、島田あけみさんは「私はアイヌ民族が多い静内出身。アイヌは、いじめにつながり、マイナスになることが多かったので、上京後はアイヌであることを秘していたが、結婚する時に主人にアイヌであることを伝え、両親たちに合わせた。その時祖母は夫にアイヌの格好をさせ、アイヌの火の神に加護を祈ってくれた。いまアイヌ文化復興のため、海外先住民との交流もしているが、それらを通じて先祖がいたから今があるのだから、もっと先祖を語るべきだという思いを強くしている」と語った。
そのあとの<演奏>は、宇佐照代さんのムックリ(口琴)の独奏、続いての<歌と踊り>は、宇佐さんの5歳のお子さんを含めた5人(全員女性)が、次の4曲を続けて踊ってくださった。
〇シチョチョリ‥種を蒔く農耕の喜びの歌と踊り
〇アランベリ‥布を手に入れ、洗って喜んでいる歌と踊り
〇アトイソウ‥海の白波をウサギが跳ねている様に見えるさまを表現した歌と踊り
〇ピリカピリカ‥「ピリカ」は「良い」と言う意味。
「皆さん一緒に歌いましょう」の声掛けに会場の皆さんも楽しげに歌い、全曲終わると5歳の宇佐さんのお子さんに「上手でした!」と褒められ、会場中が笑いに包まれた。<民族の誇り>という普段の生活では、ほとんど使ったことのない言葉を改めて考えさせられた講座だった。 
(秋田桂子)

アンケートより
・率直で実感のある話しぶりに感銘を受けました。民族の誇りというものを身近に感じ、心を打たれました。小さいお嬢ちゃん、すてきでした!!また、我孫子の地名とも考え合わせ、素晴らしい企画に感謝いたします。アイヌの神への信仰も素晴らしい。日本の先住民族に尊敬の想いです。
・アイヌ文化、踊り、ムックリ等アイヌ文化が素晴らしかった。
・新しい知識が増し加わった。先人は苦労したと思うが、これからの活動を若い人たちに期待したい。
・アイヌの人のやさしさの「元」が分かって良かった。
・事前の知識を持たずに、画面を見て驚くばかりでした。壇上で民族衣装を着ての説明はとても感動的でした。本などで目にしたことは何回かありましたが実物を目の前に、あのように何年経っても残されてゆく民族の皆さんに親しみと民族の歴史を感じました。