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ふれあい塾あびこレポ-ト
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2019/01/18のBlog
ふれあい塾あびこ新春寄席 今年も談吉さんで初笑いを!
立川談吉 独演会

きょうは7代目立川談志の最後のお弟子立川流二ツ目立川談吉さんをお迎えしての恒例の「ふれあい塾あびこ新春寄席」を開催しました。

立川談吉さんは北海道帯広市のご出身で、2008年03月に立川談志に入門。落語のみならず音楽ライブの司会進行や、作詞、朗読などの活動も続けておられます。
「ふれあい塾あびこ新春寄席」では2016年に『鼠穴』、2017年には『垂乳根』、2018年には『富久』などを演じて下さいました。

4年目2019年のきょう1月17日寄席は、太田みつるさんの出囃子演奏で高座に上がられ、枕で大晦日から新年をどう過ごしたか、ご自身や一門の動きを振った後、以下のお噺をして下さいました。

*お馴染みの与太郎さんが登場する江戸小噺から、「親子三人馬鹿」。
<一年は正月があるから十三か月だろ? いやお盆が抜けてるな、十四か月だ>

*次いで、おじさんが家を新築したので、一つ覚えの口上でお祝いに出向く「牛ほめ」。
与太郎さんの口上は<家は総檜づくり、畳は備後の五分べりで、左右の壁は砂摺り>なのですが…。

*博打場の流れを盛り上げようと、今は引退している隠居に壺振りを頼む「看板のピン」。ひとつのサイコロで出た目を当てる、イチの目=ピンに纏わるお噺です。

*さて本目は、横綱稀勢の里が引退したタイミングでの「阿武松」。
相撲取りを目指して能登から出てきた若者が、大飯喰らいゆえに苦労を重ね、人の情けに助けられながら遂には日の下開山。横綱『阿武松』を張るという、出世物語の一席でした。

大陸からの寒気の張り出しが厳しい日でしたが100名のお客様に来席頂き、立川談吉さんの演目を楽しんで、以下のような感想をお寄せ頂きました。

*初めて寄席を聴き、演者の熱演がじかに伝わって面白かった。
*高座から遠ざかっていましたが、久しぶりに生きのいい、テンポの速い面白いお話を伺いました。ありがとうございました。
*ものすごくうまい落語家です、将来にわたって大出世する予感がします。
*若さ、ハリ、エネルギ-、さすがです。若い人の講座があると刺激になり、良いです。

2019/01/14のBlog
「いだてん 東京オリムピック噺(ばなし)」始まる
金栗四三と嘉納治五郎―その結びつき・その果たした役割 
川村学園女子大学教授 藤原 昌樹氏

穏やかに明けた新年最初の講座でした。藤原先生による本日の講座は、大宣伝のもとに標題のNHKの今年の大河ドラマがスタートした直後とあって、多くの受講者の方が参加され、熱心に聴いてくださいました。
藤原先生はたくさんの資料・画像を映写しながら以下のようなお話をしてくださいました。

・二人の主役について
 一人は金栗四三(1891-1983)。8人兄弟の7番目として熊本県玉名郡で誕生。小学校へは村から片道6㎞を走って登下校した。1910年東京高等師範学校地理歴史科に入学。
 もう一人は柔道の父 教育の父 日本体育の父と言われる嘉納治五郎(1860-1938)。嘉納は3度目の東京高等師範学校長(1901-1920)に就任、1909年日本人初のIOC委員となり、翌年大日本体育協会を設立し会長となった(この頃我孫子に土地を購入)。

・古代オリンピック終焉から近代オリンピック誕生
 古代ギリシャ時代、神々の祭典として開催されていた古代オリンピックは1169年間も続いたが、ギリシャがローマ帝国に支配されて終焉した。1894年、クーベルタン男爵が「オリンピズム(オリンピックの精神)の目標はスポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある」と提唱し、第1回大会がアテネで開催されることがパリで決議された。第1回から第3回までは個人またはチームでの参加であったため、国や地域代表との意識が薄かった。また第2回から第4回までは万国博覧会の一環として開催され数ヶ月にも及んだ。

・二人の出会い
 東京高等師範学校に入学した金栗四三は、学校長の嘉納治五郎と出会う。嘉納は「体育」による人間教育などを理念に掲げ、スポーツを推奨して学校でも年に2回、マラソン大会を開催していた。金栗は春の大会では25位だったが、秋の大会では3位でゴールし、嘉納校長から「抜群の健闘」と激賞され、進級とともに徒歩部(陸上部)に入部する。

・第5回ストックホルム大会への道のり
 クーベルタンの求めに応じIOC委員に就任した嘉納は、羽田運動場でオリンピック予選会を開催し、足袋でマラソンに出場した金栗と三島弥彦(東京帝国大学、短距離)の二人を選出、1912年第5回ストックホルム大会に自ら団長としてアジア勢として初めて参加。金栗は「NIPPON」と書かれたプラカードを持って入場行進した。マラソンに出場した金栗は、長旅で、現地でもろくな練習もできなかった当日が猛暑であったこともあって途中棄権した。三島は100・200m予選敗退、400m棄権。

・ストックホルム大会後の金栗四三
 ストックホルム大会はわが国のスポーツを志す人々のムードを盛り上げた。金栗は1917年富士登山駅伝、1920年東京箱根往復駅伝などマラソン、駅伝の普及と後進の育成に努め、女子スポーツの進行にも尽力し、多くの大会を企画した。
また、1920年アントワープ大会(29歳)、1924年パリ大会(33歳)のマラソンに出場した。1967年、スウェーデンのオリンピック委員会からストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待される。金栗は競技場を走って用意されたゴールテープを切った。「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム54年8ヶ月6日5時間32分20秒、これを持って大会の全日程を終了します」とアナウンスされた。金栗はゴール後「長い道のりでした。この間5人の孫が出来ました」とコメントした。

以上のようなご説明の後、先生は「92歳で逝去した金栗は『体力・気力・努力』の言葉を残しました。彼が生涯に走った距離は約25万㎞、地球6周と4分の1と言われています」とお話しされて講座を終えられました。

ちょうど当日付の毎日新聞に「手賀沼を安美湖と呼称」する内容の嘉納の未公開自筆の書簡が見つかった、との記事が掲載されました。嘉納が文部省に提出した「日本体育協会の創立とストックホルム大会予選会開催に関する趣意書」は1911年10月付で、我孫子に別荘を購入したころと重なっています。ことによると趣意書は、我孫子で書かれたのかも知れない、と思いました。

たくさんの資料による明確で、わかりやすいご説明は、受講された皆様に、よくお分かりいただけたたようで、以下のようなアンケート回答が並びました。 (高橋 重)

*金栗・三島の大会前の悪条件を乗り越えて参加した彼らの奮闘と尽力、彼らを励まし続けオリンピックの夢を実現するために生涯をかけた嘉納治五郎のなにくそ魂に感服しました。
*例示の事例が身近で分かりやすく、興味をもって聴講できた。豊富な資料に裏打ちされた解りやすい講義内容で、有意義な講座だった。
*大変有意義で面白いお話でした、資料もよくまとまっておりわかりやすかったです。「大河いだてん」への興味が倍増致しました、ありがとうございました。

2018/12/19のBlog
「志賀直哉」と「能」
~志賀日記からその関わりを追う~
手賀宝生会会員・元白樺文学館学芸員 竹下賢治氏

今年最後の講座は、我孫子と極めて関係が深く、我孫子在住時代に『和解』、『暗夜行路』等の名作を発表した白樺派の文人志賀直哉についてのお話です。とは言っても文学作品の解説ではなく、「能」との関わりについてのお話です。講師は自らも謡曲を親しみ且白樺派文学の研究をされておられる竹下賢治先生です。

「講師の興味は、志賀直哉の研究が先なのか、能が先なのか、楽しみです」との司会者の紹介に対し、「アラカンこと嵐寛十郎の鞍馬天狗が悪人を倒し、謡曲を口ずさみながら去っていく姿に憧れていたことから、まず『能』が先です」と会場の笑いを誘い、自己紹介をされて話を始められました。

まず、「能」とは何か、について以下のお話をされました。
・能とは平安時代の民間芸能であった「猿楽」「田楽」などを統合したものであり、室町時代初期に観阿弥・世阿弥父子によって完成された舞台芸術のことである。
・「能」は動きが極めて簡素化されているため、わずかな動きがかえって効果的なものとなる。
 
次いで、志賀は18歳頃から歌舞伎に熱中、定評のあるその簡潔な文体は能に通ずるものがある、と以下お話になりました。
・明治37年3月13日、21歳の志賀は有馬壬生馬の招待で初めて「能」を見た。この日の日記には「(中略)初めての目には、ほとんど能の定義より聞かざれば優劣知れず。兎に角優しく美しきはとり所なるべし」と記されている
・その後も「能」との関りが深まり、能の無駄の無い極端に簡素化された動きが志賀の文体と重なり、特徴を成して行き、文壇に大きな影響を与えた。たとえば、横光利一の「火」「御身」は、志賀の「好人物の夫婦」「和解」の簡潔な言い回しとそっくりで、横光利一自身「俺はあまりに志賀氏にかぶれすぎていた」と嘆いている。

このほか、仕舞をたしなんだ康子夫人の松戸時代のことなども解説されて、この日の講座を終えられました。独自の切り口での志賀直哉論は、受講者の皆さんに楽しんでいただけたようで、以下のようなアンケート回答がありました。 (酒井 弘)

(受講者からのアンケート抜粋)
*スライドも興味深い内容で分かりやすく、面白かった。能についての博学と、志賀文学を結び付けたすばらしい講座でした。堅い木の椅子でしたが、座布団を用意していただいて助かりました・
*資料が豊富で楽しめた、講師は志賀直哉が好きなんだなあと感じました。
*能のテーマがよく理解できました。志賀と能の関係、我孫子と志賀の関係に興味が湧いてきました。楽しく聞かせて頂き、ありがとうございました。

この1年多くの講座にご参加頂いた皆様、またブログをご覧頂いた多くの皆様、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。今年も残すところ僅かとなりました。どうぞご自愛され良い年を迎えられますよう心よりお祈り申し上げます。
「ふれあい塾あびこ」運営メンバー一同
2018/12/18のBlog
きょうは我孫子市ご在住で国立科学博物館名誉研究員 八田洋章氏にお願いをして、“植物談義”「花から果実へ:私たちは花のどの部分を食べているのだろうか?」をテーマに取り上げていただきました。

講座は「果実は子房が成長したもので、食用とする部分は果物の種類によって異なります。子房や果実のお話しをする前に“花のつくり”などの基礎から始めましょう」という前置きからスタート、以下のような話をしてくださいました。

*植物にとって花弁やガクは引き立て役で、最も大切なものの一つが雌しべです。雌しべの子房の中で次代を担うタネが作られます。大切なタネは3層の子房壁によって守られ、子房は生長して果実となります。3層の子房壁も外果皮、中果皮、内果皮と変わり、タネを保護します。私たちは、この肥厚した果皮の部分を果物として食べています。

*子房は1枚~多数の心皮が合着したもので、心皮は葉が形を変えたものです。ミカンは12枚前後、リンゴは5枚の心皮が合着しています。モモ、アンズ、ウメの果実に見られる1本の溝は縫合線と呼ばれ、1枚の心皮からなることの証しです。リンゴ・ナシ・ビワは本来の果実部分は捨ててしまい子房を覆う花床筒を食べます。

 *子房、ガク、花弁、雄しべの位置により子房上位(ミカン・カキ)~子房周囲(ウメ・モモ)~子房中位~子房下位(リンゴ・ビワ)などに分けられますが、大事なタネを保護するという意味では子房下位の方が進化の傾向がうかがえるでしょう。
 
*渋ガキから育種された甘ガキ、突然変異で出来たものを栄養生殖したバナナ、1960年代にジベレリン処理されて作られた種なしブドウのデラウェア、ミカンは「砂じょう=心皮の内側の毛」・クリ・クルミ・アーモンドは「タネ(子葉)」を食べる、「四季なり」の遺伝子を持つキンカンは南方では年に数回開花する、カラタチの棘は葉の変化したもの、ブシュカン(仏手柑)は果皮が厚い、イチジクは花が裸出することがなく花床が肥大したものです。

*食べる花の部位・器官は(1)子房壁(果皮)①中果皮+内果皮:カキ、ブドウ、キウイフルーツ②内果皮の表面の毛(砂じょう):ミカン類③中果皮(+外果皮):ウメ、モモ、アンズ、オウトウ、(2)花床筒:リンゴ、ナシ、ビワ、(3)花床(+痩果群):イチジク、イチゴ、(4)種子①子葉:クリ、クルミ、アーモンド、②外種皮:ザクロ、③仮種皮:アケビ、などです。

以上のようなお話の後、「こんなの何が面白い?-----知らなくても済んでいきますし、知ったからと云ってどうってことありません。これからは、カキやリンゴをかぶりつく前にちらりと思い出していただければ幸いです。」と話されて、講座を終えられました。 (高橋 重)

受講されたみなさんからのご感想の一部です。
*果物の知りえないところが分かって、とても良かったです。これからは、よくよく見てから食べることにします。思いがけない講座があって楽しみです。
*これから果物を食べるとき、果皮を食べるのか、花床筒を食べるのか、ちょっと意識して食べることになると思います。何十年ぶりに学術的なお話が聞けて、学生時代に戻ったような新鮮な時間でした。
*いままで何の疑問も持たずにリンゴやミカンを食べていましたが、いろいろ成り立ちがあって新しい発見でした。
2018/12/11のBlog
[ 05:08 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
『論語』‐いま読むことの意義
東京大学大学院人文社会系研究科教授 小島 毅氏

『論語』 は2000年前の中国において孔子の言行録と称して成立し、以来、世界の諸国が共有する古典として尊重されてきました。特に日本では論語に書かれた心と体のありようが、しつけやまなびとして受け継がれてきました。きょうはこの論語研究の権威である小島講師から、論語をいま読むことの意義について解説して頂きました。

講師は「一般社団法人 論語教育普及機構」を立ち上げられて、論語教育普及のための『論語指導士』の養成にもあたられています。この日は以下のように「論語を読むことが、社会や日々の生活にどうつながるのか。論語を通じて何が、どう身につくのか」などを、わかりやすい言葉で解説して下さいました。

*四字熟語の「切磋琢磨」や「怪力乱神」のように、日本語の中には、論語の言葉が脈々と受け継がれている。

*論語は、理想的な政治を取り戻すことを果たせず、弟子たちに将来を託した孔子の言行録。孔子自ら書いたのではなく、弟子たちが書いたもので、孟子、荀子などによる深化、理論化が進み、以後の国を治める際の教義となっていった。

*論語はいわゆるスト-リ-が無い20の編から成り立っている。その20の編は、500の章から構成されている。約1000人近い学者が注解書を作っており、それぞれの立場から解釈が違っている。代表的なのは、何晏の「論語集解」(「古注」)と朱熹の「論語集注」(「新注」である。

*為政編で孔子は、理想とする政治は「徳」で導き、「礼」で治安に当たることだとしている。

*顔淵編で「仁」について、「己に克ち、礼(世の中の規範)を大切にすること」と説いている。

*為政編で、「知る」ということは、知っていることを知っていると言い、知らないことは知らないと言うこと。このことを自分自身が分かっていることだ、としている。

*「礼」については八佾編で、「仁のないものは礼など語れない」、「礼は一人一人が後天的に社会のル-ルの中で、成長と共に備わってくるものである」などと語っている。

*人生論では、子罕編の川のほとりでの「逝く者はかくのごときか」が有名だが、これを「既往のことは取り返せない」(「古注」)と読むか、「人はみな向上しつづけることが出来る」(新注)と解釈するか、諦観か楽観かに分かれる。

*若い世代への期待については、子罕編の「後世畏るべし」があるが、その後段には「四十五十で有名でない者は畏れるに足らず」という言葉があり、大器晩成はあり得ない、とも読める。

小島講師は「論語は人の上に立つ指導層に向けて書かれたものですが、時間をかけて市井の人々にまで受け継がれていきました。そして論語の現在の位置づけは、国の求心力のためのツ-ルのひとつかも知れません」と話されて、解説を終えられました。

受講されたみなさんからのご感想の一部です。
*難しいと思っていましたが先生の話がとても良くわかり、理解できました。本も読んでみたくなりました、楽しい講座をありがとうございました。
*論語という言葉は知っているが、内容を読んだことはない。家で入門書でも買ってきて、一般教養として読んでみたくなった。小学校の道徳の時間に取り入れて欲しい、と思った。
*いま家庭で「知ったかぶりをする夫」ともめます。なぜ知らないということが出来ないのか不思議でしたが、男のプライド?なるものがわかったような気がします。
*高校の教科書以来勉強したことはありませんでした、しかしあらゆるところで語られる日本人の生活の一部になっている儒教の教えを、現代に即して学ぶことは大切だと思います。
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