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ひょうたんからKO-MA
記事一覧イベント一覧
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2010/09/15のBlog
おもいがけず、遺言プロジェクトの初期から関わってくださっていた、水郷めぐりのOおじいちゃんの訃報が届きました。

にわかには信じがたいと感じつつ、遺言撮影スタッフに連絡をまわし、Oおじいちゃんの担当だったKさんと2人で、久々の雨が降りしきる中、タウンホールでのお通夜に行ってきました。

祭壇では、若々しいOおじいちゃんの遺影が、大きな淡水真珠を積み、西の湖の波間に浮かぶ田舟をあしらった花飾りの上に置かれていました。

「権座」や「ほんがら」でもお世話になった島学区の面々が参列されていました。

印象的だったのは、最後の喪主挨拶で、Oおじいちゃんの長男が、「父は、淡水真珠、観光和船などいくつもの大きな事業を成し遂げてきたが、もうひとつ、やりのこしていることがあったらしい。でも、それが何か、ついに聞くことができなかった」とおっしゃっていたことです。

私たちがこれまでに撮影した故人のメッセージの中に、はたしてその「やりのこしたこと」が含まれているか分かりませんが、ご遺族には、ぜひ完成した映画を観ていただきたいと思います。

それに、これ以上、この映画の出演者が完成の日を見ることなく逝ってしまって欲しくない。

いずれにしても、とにかく早く映画を仕上げて上映しなければ!!と、思いを新たにさせられた夜でした。
2010/09/07のBlog
2010/09/06のBlog
今朝も、Sおじいちゃんの八幡掘ゴミ拾いを撮影しました。

今朝は、なんと朝4時すぎに集合して、原監督直々の指導のもと、Sさんが起きてきて、電気をつけ、上着をはおり、靴を履き、帽子をかぶり、手袋をはめ、鎌を持ち、ビニール袋を持ち、網を持って、家を出る、という一連の身支度の動作を、劇映画のワンシーンのようにカットを割ってカッコよく演出する撮り方を実践しました。

編集して仕上がりがどうなるか、今から楽しみです!!

夜明けの八幡掘は、いつの間にか、セミの声がコオロギの声に変わり、朝焼け雲も入道雲から筋雲に変わっていました。昼間は残暑が続きますが、季節は確実に夏から秋へ変わりつつあるようです。

撮影終了後は、八幡酒蔵工房で朝食タイム♪
2010/09/03のBlog
何人来てくださるか心配していましたが、長光寺町公民館は、なんと満員御礼の50人超。クーラーが追いつかなくて、熱中症患者が出ないかと心配になるぐらいの熱気の中、Tおばあちゃんの戦争体験談がはじまりました。

満州に行ってきた1年前とちっとも変わらず元気いっぱいに語るおばあちゃん。
そのエネルギーに圧倒されながらも、じっと聞き入る参加者のみなさん。
きっと、一人ひとりの心の奥底に、Tおばあちゃんの「思い」が焼き付いたことでしょう。

一年ぶりにTおばあちゃんの語りに耳を傾けていると、やっぱり、Tおばあちゃんは、凄惨な戦争の記憶を次世代に語り継ぐという使命を全うするために、67年前に満州で亡くなった長女の貴子さんによって生かされているのだ、という気がしてなりませんでした。
2010/08/31のBlog
満州引揚者のおばあちゃん。

その満州で愛娘を栄養失調で死なせてしまったことを悔やみきれず、昨年、90歳にして中国へ「遺言」撮影旅行に行ってきた後、日本でこれまでにも増して精力的に戦争の真実を語り始めました。

この度、地元の民生委員さんの主催で、おばあちゃんが戦争体験談を語る座談会が企画されました。もちろん、「遺言プロジェクト」撮影スタッフは、その様子を撮影します。

基本的には地元住民を対象とした座談会ですが、外部の方も参加可能です。参加したい方は、遺言プロジェクト事務局yuigon@gonza.xii.jpまでご連絡ください。


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『 戦争体験談 ・ 冨田政尾が語る体験 』

忘れることのない体験を今語る、67年前の記憶
今尚、在ってはならない戦争を、再び伝えておきたい
若い方達のご参加もお願いします

日時 平成22年9月3日(金)午後1時~

場所 長光寺町公民館

内容 冨田政尾さんの語りと座談会
 後、歌の演奏とお茶
 (※当日、撮影が入ります)

主催 長光寺町民生児童委員
後援 長光寺町自治会
 ひょうたんからKO-MA
 近江八幡市立マルチメディアセンター

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2010/08/10のBlog
[ 23:58 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
AAF Café vol.7は、すみだ川アートプロジェクト<SUPER JULY★地域密着型映画祭>との協働開催。地域にこだわり、地域に根付いて、地域の人たちと深く関わりながら製作された映画、『船、山にのぼる』、『島の時間』、『ほんがら』を連続上映、上映後、こうした映画作品はどのように企画製作され、何をもたらしたのか、企画から現在までの上映活動を通して見えてきたものを語っていただこうという企画です。
(AAF2010サイトより引用)

で、8月9日の夜、ゲストスピーカーとして、映画「ほんがら」が制作過程や上映後に地域に与えたものを語らせていただきました。

詳しくはAAFサイトの下記レポートをご覧ください。
http://www.asahi-artfes.net/news/2010/08/aaf-cafe-vol7.html


中学生映画監督・仲村さんとの出会いはとても印象的で、2007年にやった「子ども映画づくりワークショップ2007in近江八幡」のいろんなことを思い出しました。
2010/08/02のBlog
毎朝八幡堀のゴミ拾いを欠かさないSおじいちゃん。

真夏の早朝、ゴミ拾いの様子を、今回はお堀に舟を浮かべ、その上に2カメを搭載して撮影しました。

舟に動力はなく、幅の狭い部分はロープで両岸から引っ張り、幅の広い部分は舟こぎはシロウトのスタッフがサオで操縦しながらの撮影。

用意していた舟底に雨水が溜まって水浸しだったり、最初はなかなか思うように舟をコントロールできずに苦労しましたが、どうにかこうにか撮影は無事終了。

さてさて、どんな映像になったことやら…?!

2010/07/25のBlog
[ 19:09 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
7/22~24の2泊3日で、「外浜まつり」との地域間交流として、隠岐へ行ってきました。

島根が実家の私にとって、隠岐は近くて遠い存在。
特に島前の西ノ島ともなると、たぶん、行くのも初めて。

外浜まつりの岡田さんや田島さんが、アーティストの立場からどのように地域に関わり、どんな課題を抱え、どう乗り越えようとしているか、腹を割った話をじっくり聞くことができ、とても勉強になりました。

何より、隠岐の自然はやっぱりスゴイ。
焼火神社などの文化もスゴイ。

詳細レポートはまた後日…
2010/07/19のBlog
[ 19:04 ] [ ひょうたんからKO-MA ]
青森県教育委員会が主催する「パワフルAOMORI!創造セミナー」に、縁あって講師として招待され、行ってきました。

青森で地域づくりに取り組んでおられるパワフルな方々を前に、2時間かけて、映像メディアなどを活用した地域づくりの経験をお話させていただきました。

トンボ帰りで、地元の方々とゆっくり交流できなかったのが残念でしたが、早春の東北旅行に続き、さらに北へと進出することができ、とっても素敵な思い出になりました。
2010/06/29のBlog
今回は、原監督による直接指導のもと、料理の様子はもちろん、参加者一人ひとりにカメラに向かって一言メッセージをしゃべってもらう演出を試みました。

調理開始前には、ドリーを使ってカメラをスライドさせながら、ひとりずつ頭にバンダナを巻いてヒトコト。

料理を作って食べた後、今度は、ひとりずつカメラの前の「花道」に立ってヒトコト。

はてさて、どんなメッセージが撮れたでしょうか…?!
2010/05/23のBlog
Oおばあちゃんが参加している「近江八幡混声合唱団」の定期演奏会。

今年はなんと、本格的なパイプオルガンを擁する「文芸セミナリヨ」を1日貸しきっての大公演ということで、幾度も練習を重ね、その様子も何度か撮影させてもらっていました。

そして、いよいよ本番!!
チケットは売り切れ、客席はほぼ満席。

カメラ3台で、リハーサルから本番の一部始終を撮影しました。
1台は舞台下からOおばあちゃん1人の寄りを徹底して撮る。
1台は客席の右隅から合唱団の皆さんの熱唱ぶりを撮る。
1台は最後部の記者席から固定カメラでステージ全体の引きを撮る。

…撮影後、合唱団には、映画とは別バージョンの、オーソドックスな演奏会記録映像DVDを特別に編集して、お礼に差し上げました。
2010/04/23のBlog
定年退職シニアの社交場として、近江八幡ではすっかり定着した感のある「おやじの料理道場」。

その料理の腕前を撮影させていただきました。

スタッフのM曰く、「以前はもっと下手くそだった」らしいのですが、さすがに皆さん経験を積んで、なかなか手馴れたご様子でした。
2010/04/02のBlog
◆映画「ほんがら」上映会 & 書籍「ほんがら松明復活」お披露目会 ご案内◆

~ 映画「ほんがら」長岡野亜 監督、「ほんがら松明復活」著者 水野馨生里のトー
クセッションも同時開催!! ~

【4/29(木・祝)13時より】
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舞台は、滋賀県近江八幡市島町。
軒数60戸の小さな農村集落。
そこで、千数百年前から続く祭りに
氏神様に奉納する「ほんがら松明」が復活した。

老人クラブのメンバーがまだ青年の頃
途絶えてしまったほんがら松明を、半世紀ぶりにつくった。

その過程を記録するとともに、
老人クラブの人々の松明にたくした想いを捉えた
映画「ほんがら」(監督:長岡野亜)が
2008年に発表された。

その映画に感銘を受けた水野馨生里が、
地域に通い2010年に完成したのが
「ほんがら松明復活」だ。
本書は、映画撮影後に、この村ではじまった未来へ続く地域づくりの動きも描いてい
る。

今回、映画「ほんがら」の上映に加え、
同映画の監督である長岡野亜と、「ほんがら松明復活」著者である
水野馨生里のトークセッションを開催。

島町での取り組みについては、もちろんのこと、
これをきっかけに、ぜひあなたの住んでいるところ、
生まれ故郷にも目を向けてほしい。

そんな願いをこめて、この会を開きます。

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*...
●日にち:4月29日(木・祝)

●時間:13:00開始(12:45受付開始)

●会場:Cinema Amigo
住所 神奈川県逗子市新宿1-5-14
TEL 046-873-5643
地図 http://cinema-amigo.com/
(JR逗子駅から徒歩13分・京急新逗子駅から徒歩10分)

●プログラム
13:00~14:20 映画上映
14:30~15:30 トークセッション
15:30~16:30 交流会

●料金:
前売り 2,000円+1ドリンク(500円~)
当日 2,500円+1ドリンク(500円~)
*交流会に参加される方は、別途1,000円の会費がかかります。(軽食付)
*前売り予約数によっては当日券の受付を行わない場合があります。ご了承くださ
い。

●お申込み
下記の申込フォーム(PC or 携帯)かファックスに

①お名前
②ご連絡先(携帯電話番号、メールアドレス)
③交流会( 参加 / 不参加 )
④監督や著者に聞きたい質問 (もしあれば)

をご記入の上、ファックスの場合は4月26日までに、
申込フォームの場合は4月28日正午までにご連絡ください。
定員になり次第、締め切らせていただきます。

申込フォーム(PC&携帯):http://tinyurl.com/yjqcas7
ファックス:058-295-1221

●お問い合わせ
メール:hongara.zushi@gmail.com
平野(前日まで):090-2939-7189
佐伯(当日):090-3438-7460

当日の会場に関するお問い合わせ先:Cinema Amigo(046-873-5643)

●当日の販売

当日は会場にて書籍「ほんがら松明復活」、ドキュメンタリー映画作品「ほんがら」、
「水うちわをめぐる旅」(著者:水野馨生里)などを販売する予定です。
あわせてご利用ください。

●参考
映画「ほんがら」http://gonza.xii.jp/mura/
書籍「ほんがら松明復活」
http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=978-4-7948-0829-5
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4月17日(土)の夜、「ほんがら」のふるさと・近江八幡市島町で、映画で観た臨場感そのままに、ホンモノの「ほんがら松明」に、今年もまた奉火されます!!

50年間途絶え、あと一歩で地域から消え去ろうとしていた「ほんがら」の伝統が、地域の「誇り」として見事によみがえり、地域コミュニティ活性化の着火剤として文字通りめらめらと炎上する様を、現場で、ライブで、体感しませんか?

映画を観た人も観てない人も、書籍を読んだ人も読んでない人も、農村の地域資源と生活文化と何百年もの伝統によって生み出された「ほんがら松明」の“造形美”の極致を、そして年に一度、地域に根ざす魂が世代を超えてひとつに融合する“まつり”の醍醐味を、味わいに来てください!!

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【日 時】
 4月17日(土)大嶋奥津嶋神社 春の例大祭(宵宮祭)

 19:00頃~ 子ども松明点火
 20:00頃~ 太鼓の渡御
 20:30頃 太鼓が神社に到着
 21:00頃 ほんがら松明点火!!(※時間は祭の進行によって前後します)
 22:00頃 太鼓が帰途に着き、宵宮祭終了

【場 所】
 若宮神社境内(滋賀県近江八幡市島町)

 ●JR近江八幡駅北口より近江鉄道バス「長命寺行き」で「渡合」停留所下車、
 徒歩15分(※近江八幡駅20:38発が最終、帰りの路線バスはありません)
 ※バス時刻表:http://khobho.jp/mite/ohmi_bus/tim_Rosen.asp?kaiKbn=NOW&rosenCd=52115084

 ●湖周道路「渡合橋北詰」交差点を北へ
 ※地図:http://www.chizumaru.com/maplink.asp?SER=all&D=all&X=489906.931&Y=126616.952&SCL=848
 ※大嶋奥津嶋神社および島町自治会館から若宮神社までの区間は、当日、車
 で通ることも駐車することもできません。地元の方に確認したうえで、島
 小学校前の駐車場などに停め、そこから歩いてください。くれぐれも、祭
 の進行の妨げにならないようご注意ください。

【その他】
 ・遠方から来てくださる方は、「休暇村近江八幡」に泊まることをお勧めします。
 宿泊客は、当日、マイクロバスで休暇村から若宮神社まで往復送迎してもらえ
 ます(人数に限りがあるので事前にお確かめください)。
 http://www.qkamura.or.jp/ohmi/

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2010/03/20のBlog
社交ダンス教室に通うOおばあちゃんが、初めて公の「ダンスパーティー」に参加する様子を、許可を得て2カメで撮影させていただきました。

若い学生の青年にリードされて、はにかみながら踊るおばあちゃん。
青春です。

ドリーを駆使して、流れるようなダンスをより可憐に魅せるカメラワーク。
踊りながら発せられるひとりごとやつぶやきも、ワイヤレスマイクでばっちり拾います。
スタッフサイドも、ダンス教室での撮影の経験が活かされます。

2010/03/14のBlog
コンサート後、大場さんやサックス奏者の鈴木広志さんたちと少しばかり立ち話をさせてもらってから、再びバスに乗って仙台に戻ってきた。

齋藤さんに手配してもらった安宿にチェックインし、齋藤さんおすすめのお寿司屋さんへ向かう道中、地下鉄の構内などで、ベガルタ仙台・東北楽天ゴールデンイーグルス・仙台89ersの御三家そろい踏みのカンバンが目についた。

そういえば、滋賀県ってスポーツの印象が薄いなぁ。

高校野球では、近畿で唯一優勝経験なし。もちろんプロ野球チームもなし(おそらく、滋賀県民の多くは阪神ファン。新聞は中日が強いけど)。

数年前にサッカーで野洲高校が全国制覇したり、プロバスケチームのレイクスターズができたりしてるけど、やっぱり、滋賀はスポーツの印象が薄い気がする。スポーツでの盛り上がりに欠ける気がする。

個人的には、近い将来、BJリーグのファイナルで仙台89ersと滋賀レイクスターズの対戦を見てみたい。

(ちなみに、母が住んでいるサンフランシスコのアメフトチーム「49ers」と名前が似ているというだけの理由で、仙台89ersにはなんとなく親近感を感じている藤田です)
 
 
…などと考えながら齋藤さんに連れられて歩いているうち、目当てのお寿司屋さんに着いた。

どこから見ても、どこにでもありそうな普通のお寿司屋さん。でも、それでいい。いや、それだからいい。観光客には絶対たどり着けない、地域のコアな空間。

のれんをくぐると、齋藤さんの眼がカウンターに座っているカップルに釘付けになった。

どうやら、さっき看板を見ながら思いを巡らせていた仙台のプロスポーツチーム御三家の一角、ベガルタ仙台の現役選手らしい。

こうやって、地元のプロスポーツ選手と、同じ寿司屋の空間を共有し、客という同じ立場で、肩を並べて同じ釜の飯を食える。これも、地元にプロ球団があるということの魅力のひとつだろう。

滋賀県内で阪神タイガースの選手と出遭う機会など、期待できるはずもないのだから。
 
 
朝食と朝風呂を満喫した後、名残を惜しみつつ東鳴子をあとにし、齋藤さんの車で仙台へ。

仙台に着き、S氏とはここでお別れとなった。
楽しい旅をありがとうございました。

車は仙台に乗り捨て、齋藤さんと2人で高速バスに乗り、一路、おとなり山形県の米沢市へ向かう。今日は、映画「ほんがら」の挿入曲を作曲してくださった大場陽子さんが関わっておられるコンサートを鑑賞に行くのだ。
 
 
米沢といえば、上杉謙信。

今日のコンサート会場である「置賜文化ホール」は、「上杉博物館」と併設されている。その上杉博物館に常設されている、国宝「洛中洛外図屏風」。この屏風、織田信長が上杉謙信に贈り、以来上杉家の家宝となったものというから、信長が安土城を建てたわが近江八幡ともまんざら無関係ではない。

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「上杉本洛中洛外図屏風」は、天正2年(1574年)に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられ、以後米沢藩上杉家に伝来したという由来を持ちます。平成7年に国宝に指定されました。 筆者は桃山時代を代表する画家・狩野永徳(かのうえいとく)です。京の都を一望し、洛中(市中)と洛外(郊外)の四季と、そこに暮らす人々の生活風俗を描き込んだものです。上杉本と呼ばれるこの上杉家伝来の屏風は、数ある洛中洛外図の中でも初期に属するもので、豪華に、そして細やかに描かれています。およそ2500人もの人物が、老若男女、身分、職業を問わず描かれており、さらに動物、植物、名所、祭など多くの要素を合せ持っています。保存状態も良好で、日本美術を代表する作品とされています。
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(米沢市上杉博物館ホームページより引用)
http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/


その「屏風絵」に描かれたディテールの情景や人物を、5人のアーティストがそれぞれ音楽で表現する、というのが、今日のコンサートの主旨だ。いわば、音楽による「絵解き」の試みである。

さて、会場付近のバス停で下車すると、またしてもどっかで見たようなゆるキャラが目に飛び込んできた。

かねたん。

彦根のひこにゃんにあやかるのはいいけれど、それでいいのか、直江兼続!(笑)

ホールに入ると、立派な能舞台がまず目に飛び込んでくる。

これ、ホバークラフトの原理で浮上&移動可能な最新鋭の舞台らしい。

ここでは、ちょうど子どもたちが子ども狂言の練習をしていた。
有名な長浜の「曳山祭」を彩る「子供歌舞伎」を思い出す。


…そして、いよいよコンサート開演。

サックス、ピアノ、コントラバス、パーカッションの4種類の楽器が、屏風に描かれた京の都の宮廷内やそれを取り囲む民衆の暮らしを、多彩な音色で奏でていく。
特に、大場さんが作曲したパートは、独特の個性的なメロディーと奏法で、屏風の隅々に閉じ込められてたたくさんの小さな物語をひとつひとつ開放していく、とても印象的な演奏だった。

映画「ほんがら」でも、観てくださった方の半分ぐらいから、「音楽がとても良かった!」という感想を聞く。改めて、あのときAAFに初参加して大場さんにめぐりあえたことに感謝した。
[ 10:46 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
大沼さんから伺った数々のお話やエピソードの中で、特に印象に残ったこと。

鳴子温泉郷には、日本国内にある11種類の泉質のうち、9種類までが揃っているという。ここにいれば、何も加えず何も引かない源泉かけ流しの湯を、毎日贅沢に存分に味わえる。

昔は、毎年農閑期になると、農林漁業で疲れた体をリフレッシュするために、方々から人々がこの地に集っていた。そこでは、お互いに情報交換をしたり、物々交換をしたりと、今風に言えばコミュニティカフェ的な役割を担っていたに違いない。

映画「ほんがら」でも、50年前の記憶を頼りにおじいちゃん達が集ってほんがら松明をこしらえたように、この湯治場でも、かつてここに通っていた時代を記憶する人たちをもう一度ここに呼び集めて、当時の記憶を現在に呼び覚ましてみたい。今年のフェスティバルでは、ぜひそれを実現したい、と。

…滋賀県では、知事さんを筆頭に、「地元学」といって、地域に根ざしたミクロな記憶を集積することで地元を捉え直す動きが盛んだが、そこでは、「昭和30年代」がひとつの共通するキーワードになっている。すなわち、高度成長以前の暮らしの記憶こそ、地域の本質であり、持続可能な循環型社会のモデルであり、それを実際に体験してきたお年寄りの記憶こそ、かけがえのない地域資源である、と。

「農閑期に湯治場に通う」という習慣も、「昭和30年代」ごろまでは、この地域に住まう人々にとっては必然な行為であったのだろう。地球と合体して、地球によるヒーリングで肉体を再生し、また、陸上での営みや施しに精を出す。それは、体内の血管をめぐる赤血球たちが、肺胞で満杯に酸素を取り込み、それを体内の細胞たちに施してまた肺に戻ってくるのと、よく似た感覚かもしれない。
 
 
もうひとつ。

疲弊した地域へ行くと、どこでも二言目には「温泉でも出たらいいのに…」とつぶやく人がいるぐらい、そこらじゅうから良質の温泉が湧き出るこの地はヨソから見ると「うらやましい」場所なのだが、温泉地には温泉地の苦労があることを知った。

寒冷な山間地で、ただでさえ米づくりが難しいうえに、そこらじゅうから温泉が湧き出しているがゆえ、山水・川水にも硫黄分などの泉質が含まれていて、鳴子の米は質が良くない、と、風評被害も含めて長年そういうレッテルを貼られてきたそうだ。

これに対し、2006年から、地元有志が結集し、鳴子温泉地域の地域づくりを以前から指導していた民俗研究家の結城登美雄氏を総合プロデューサーに迎えて、「鳴子の米プロジェクト」がスタート。

かつて農業試験場で開発されていたものの、コメ余りによる減反政策の陰で長い間埋れていた、寒冷地に強く食味も良い「東北181号」という山間地向けの品種を鳴子で栽培し、「ゆきむすび」というブランド名で売り出し、この米を地域で買い支えることで販売価格を固定して、非効率な山間地でも持続可能な農業のしくみを地域全体で育てる。
まさしく地産地消。
まさしくコミュニティビジネス。
心から拍手を贈りたい。パチパチパチ!!

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今、米の売り渡し価格は1万3千円、1年間の労苦の賃金やいろいろな経費を取ったら、とても食べていける収入ではないの。今に農業やる人いなくなるね。農村もなくなるね。米づくりは地域づくりの基本、暮らしの基本だったんだ。米がなかったら鳴子の湯治だってなかったよ。米って農家だけで作るんじゃないんだ。食べる人が作る人と一緒になって応援していかないとね。農政で救うことはできないんだよ。

鳴子には年間83万人もの宿泊客があるんだ。旅館を出たら「ハイさようなら」ってなんだか冷たいね。例えば、帰りにおむすび二つ経木に包んで渡したら、鳴子の米の輪が広がる。鳴子の魅力も大きくなる。140ヘクタールで作ったら83万人分だね。

地域に鳴子の米を食べる食卓をいつでも、どこにでも作って、鳴子の米を食べる場をいっぱいにしよう。
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(「鳴子の米プロジェクト」ホームページより抜粋)
http://www.city.osaki.miyagi.jp/annai/kome_project/
 
 
そして、何より驚かされたのは、大沼さんの結婚披露宴のエピソード。
なんと、黄金色に輝く稲刈り前の田んぼの畦を使った屋外披露宴!!
これはぜひとも生で見てみたかった。
 
 
大沼さんから夢のある話をたくさん聞き、おなかも心もいっぱいになったところで、大沼さんは、なんと「湯たんぽ」を取り出し、そこに源泉のお湯をそのまま入れて手渡してくださった。

これはまた、いい夢が見れそうだ♪
 
 
 
――翌朝。

朝食前に気持よく目覚めた。
残雪と分厚い霜に覆われたまちを冷たい朝日がまぶしく照らす中を、ちょっとだけ散歩してみた。

外の空気は凛として、ことさら澄んでいるように思えた。すべりやすい足元の路面に注意しつつ、人気のない早朝の表通りをブラブラと歩く。

まっすぐな商店街の正面に、きれいな三角形の山がそびえている。近江八幡の旧市街(新町通)から見る八幡山とシンクロしたせいか、とても心が落ち着く風景だ。

湯治場文化の衰退とともに、このメインストリートも、哀愁に満ちたものに変わりつつあることが伺えた。しかし、それは必ずしも憂うべきことではないのかもしれない。なんといっても、ここの「お湯」と「湯治文化」は、嘘偽りなきホンモノであり、それは未来永劫変わらない。そして、大沼さんのようなプロデュース力のある「地の人」もいる。そう考えたら、この一見さびれた商店街のまちなみも、朝日に照らされてキラキラ輝く宝の山に見えてきた。
 
 
(追記)
この旅行からの帰宅後、ひとつだけ困ったことが。

鳴子での「地球との合体」体験以来、無機質な水道水をガスで沸かした自宅のお風呂や、塩素消毒している一般の循環式の温泉では、どうにも物足りなくて仕方がない体になってしまったのだ…。
 
2010/03/13のBlog
3人で齋藤さんの車に乗り込み、まず最初に向かったのは、「ビッグスター鳴子味庵 (なごみあん)」。

見た目はどう見てもカラオケボックスで、実際中身も一部は現役のカラオケボックスなのだが、一部が座敷に改装されてランチスペースになっている。

で、このシチュエーションとは裏腹に、出てくるランチは、野菜ソムリエによるこだわりの地産地消ランチ。とっても美味しくてヘルシーで、おまけに地域にも貢献している。カラオケボックスと野菜ソムリエという組み合わせは一見ミスマッチだが、カラオケボックスの常連客がこの店をきっかけに食や農への関心をもつようになっっていったとしたら、実にすばらしい組み合わせと言えるかもしれない。

ちなみに、「なごみ」という名は私の娘の名でもある。こんなところで「鳴子」とうちの家族に接点があったとは…(余談)
 
腹ごしらえをしたあと、コンビニで卵を1パック買ってから向かったのは、「鬼首・吹上 地獄谷」と呼ばれる場所。

地獄谷の駐車場に向かう上り坂の入口に着くと、なんと、その先の道は一面雪に覆われていた。今まで車で通ってきた道は、除雪されていたから積雪がなかったのね。さすがは東北。もう3月なかばだというのに、まだまだ雪深い。

下手をすればひざまでハマる雪道を歩くことになろうとは想像だにせずみんなをここに連れてきてしまった齋藤氏はオロオロしていたが、もとよりボーイスカウトの隊長もやってる野生児の私は、「ここまで来たんやから行こう!」と構わずみんなを先導して突進。

これまた雪に埋もれた木道の階段を下りると、いよいよ「地獄谷」に到着!!

「地獄谷」とは、峡谷のあちこちからもうもうと湯気があがり、岩の隙間からボコボコと熱湯が吹き出す間欠泉。

間欠泉の動画1
間欠泉の動画2

地球の底から湧き上がってきたエネルギーが、この場所から地上に吹き出している。

まさしく、パワースポット。

地球、生きてる。すごいなぁ。地球の生命力。

その、地球のエネルギーをちょっとだけお借りして、さっきコンビニで買った卵をゆでさせてもらった。正真正銘の温泉卵。ゆであがった卵は、塩なんてつけなくても、ちょうどよい味加減。めっちゃうまい!!
 

地獄谷をあとにして、鳴子温泉の「早稲田桟敷湯」でひと風呂あびる。

地球の底から湧き出したエネルギーに全身を浸ける快楽。大げさに聞こえるかもしれないが、温泉に入るということは、地球という生命体との肉体的な結合・合体行為なのかもしれないと、感じた。

日も暮れた午後6時ごろ、ようやく本日の終着点「旅館大沼」に到着。
早速、作務衣を着こなした湯守の大沼さんが出迎えてくださった。

湯治場では、旅館の主人を「湯守(ゆもり)」と呼ぶそうだ。単なる観光宿ではなく、客人の心身を癒す湯治の湯を、妥協なく、いつまでも提供し続けるという責任を肩に背負った、すばらしい呼び名だと思う。

部屋に荷物を置き、旅館の送迎用ワゴンに乗り込んで、早速、山道を少し登った山荘風の離れにある、旅館大沼ご自慢の露天風呂をいただいた。

満天の星空のもと、里山に抱かれた露天風呂で、裸になって大地と融合する。
至福のひと時。

露天風呂を出て、ふたたびワゴンで宿に戻ると、細やかな心遣いと工夫が感じられる夕食が用意されていた。大場陽子さんが作曲した音楽を聞かせて醸されたといううわさの地酒「天音」も、特別にいただくことができた。(大場さんについては明日の記事で詳説します)
 
ところで。
なんとなんと、偶然にもこの日、この旅館大沼に、あの田中邦衛さんが宿泊されていたんです!! わずかな時間差で同じ風呂に浸かり、同じ建物に泊まっておられると思っただけで、なんだかワクワク。大沼さんも、VIPの来館とあって少しお忙しそう。

実は、今日の昼間、仙台で『田中邦衛氏と語る午後の茶話会』という講演会があり、そのあとこちらへ来られたらしい。

ちなみに、その講演会の内容はというと…
「地方でさかんに映画が撮影される昨今ですが、映画は地域で生きる私たちに、どんな宝物をもたらすのでしょうか?
日本の映画界を代表する俳優田中邦衛氏に映画をめぐる楽しいお話をうかがいます。
お相手は地域で映画作りに造詣の深い荒井幸博さん。
名優のトークで心豊かな午後のひとときを。」
イベント案内ホームページより引用

~映画は地域で生きる私たちに、どんな宝物をもたらすのでしょうか?~

私も、齋藤さんも、AAFでまさにそのテーマに取り組んでいるわけで。
偶然というには、できすぎたシチュエーション。
これはもう、ご本人と一晩語り明かすしかない!…と思ったのですが、マネージャーさんのガードが固く、さすがにそれは実現叶わず。

それでも、大の邦衛ファンというS氏は果敢に握手を挑んでました♪

…さてさて。
邦衛さんが部屋に入られてようやく一段落した湯守・大沼さんに呼ばれて、大沼さんを含む4人で応接室へ。そこで大沼さんがすかさず出してきたのは、地酒「雪渡り」。

 「鳴子の米と水と人の手で、本当の地酒をつくりたい」という地元の方の念願が実現してできた曰くつきの一品らしい。
その人の思いは、どこか「權座」と重なる。

酒も入ってますます口のすべりもよくなり、ここから、怒涛の大沼ワールドに突入!?

(次の記事へ続く)
[ 21:09 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
一夜明けた、いわき市内のホテル。

今日は、AAFでは「GOTEN GOTEN アート湯治祭」でおなじみの東鳴子で、これまたAAF地域間交流で昨年近江八幡に来てくれた齋藤さんとお昼に待ち合わせをしている。「湯治」というのは私にとっても未体験の文化。前々から行きたかったのが、ついに実現した。
いわき市のある福島県と東鳴子のある宮城県とは隣同士なので楽観していたが、調べてみると、いわき駅を7時半に出る特急に乗らないと、お昼には間に合わないことがわかった。

早めの朝食をとり、身支度を整える。
なんだかんだしているうちに、時計を見ると、もう7時をかなり回っている。

急いでホテルをチェックアウト。駅までは徒歩10分ぐらい。スーツケースをコロコロ引きながら早足でいわき駅に到着。ここで素直にメイン階段を上っていればよかったのだが、荷物があるからエレベーターで改札へ向かおうと思ったのが失敗。駅の1階はどこもかしこも工事中で、探し回ったが結局エレベーターは見つからず、引き返して階段を上って改札へ。切符売り場に着いたときには、タッチの差で目当ての「スーパーひたち」はホームを出て行ってしまった。

仕方がないので、齋藤さんに携帯で1時間遅れることを伝え、原ノ町経由で仙台まで在来線に乗った。
原ノ町駅のホームでは、約25分の待ち合わせ。
天気はいいが、強風が吹きつける。ほどなく、急に鼻と目がムズムズ。花粉のせいか、昨日の三凾座のホコリのせいか、くしゃみ・鼻水・涙が止まらない!

そのままではちょっと温泉を楽しむ気分になれそうにないので、仙台駅で途中下車して、鼻炎薬と目薬を買うことにした。

仙台駅を降り立つと、巨大な空中回廊(歩道橋)と、立ち並ぶビル群が目に入った。正面にあるロフトのビルには、CMの映像が流れる巨大モニタがある(右の写真)。

初めて訪れた仙台駅前の様子は、まるでリトルトーキョーだな、と思った。

ほどなく、ビルの合間にマツモトキヨシの看板を発見。無事にクスリを買い、早速服用して駅に戻り、今度は古川駅まで新幹線に飛び乗った。東北新幹線に乗るのも、たぶんこれが初めてだ。

新幹線は雪の残る野山を駆け抜けて、すぐに古川駅に到着。
そこで、面白いものを見つけた(右の写真)。

う~ん、滋賀県随一のゆるキャラ「ひこにゃん」と、どことなく雰囲気が…。

古川駅からは、陸羽東線というローカル線に乗り換える。通称「奥の細道湯けむりライン」とも呼ばれる、いかにもローカル線らしいかわいい電車。

子どもの遠足気分で、スナック菓子を買い、ワクワクして窓際の席を陣取った。
とんでもない峡谷の絶景を勝手に想像していたが、窓から見えるのは、のどかな田園風景ばかり。いよいよ、湯治の郷・東鳴子が近づいてくる。
 
鳴子御殿湯駅。

住民とJRとでデザインを何度も話し合って改築されたというだけあって、ここの駅舎はなんともすばらしい。

古すぎず、モダンすぎず、とにかく小気味よい。
待合室には畳まである。

「コミュニティカフェ」と言って、世代を超えていろんな人が溜まってコミュニケーションできる「居場所」「井戸端」をつくることがまちづくりの手法として流行っているが、ここでは、この駅がその役目を果たしているのではないか。

ここでコンサートをしたくなる気持ちがわかる気がする。


…さて、この駅舎で、予定通り、齋藤氏と、彼に同行してきたS氏に合流できた。ここからは、齋藤氏の車とナビゲートで、旅は進む。

(次の記事へ続く)