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ひょうたんからKO-MA
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2009/11/08のBlog
[ 18:55 ] [ 権座・水郷 ]
今年で3度目、地元主催になって2年目、徐々に定着した感のある権座での感謝祭が、今年も開催されました。

今年は好天にも恵まれ、多くの方で賑わいました。
コンサートはモンゴル民謡とフルートデュオ。
権座にはモンゴル遊牧民の家・ゲルが建ち、羊(のように見えるモニュメント)が点在し、民族衣装をまとったモンゴル民謡歌手と馬頭琴奏者がいて、湖の中にいるはずが、まるでモンゴルの大草原に来たかのような風景が現実のものに。

詳しくは、権座の会スタッフブログで。
http://gonzasuigo.shiga-saku.net/
2009/11/06のBlog
[ 18:35 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
AAF参加企画の検証をするため、東京から事務局のEさんがはるばる近江八幡に来てくださいました。

長岡監督と、市民スタッフのKさん、そして事務局の藤田が対応。

まずは、駅前のショッピングセンター内にあるこだわりの地産地消カレー屋さんでランチを食べながら、今年の遺言プロジェクトについてやりとりしました。

なかでもKさんは、遺言PJで生きる活力をもらっていること、ここに参加したことで多くのお年寄りと家族同然の付き合いができ、お互いに元気を与え合っていること、彼らの人生を深く見つめることによって、地域や現代社会のさまざまな課題が具体的に浮き彫りになり、貴重な知識や知恵をたくさん学べたこと、それらの知識や知恵を地域社会に還元する機会も増えたこと、将来は自ら自分の地域で撮りたいテーマがたくさんあること、などを熱く語ってくださいました。

続いて、この夏いっしょに満州旅行をした90歳のTおばあちゃんの自宅を訪問。
中国から帰ってますます健康になり、かくしゃくとしたTおばあちゃんと、2時間近くにわたって直接対談をしてもらいました。

そのあと、マルチメディアセンターに立ち寄り、たまたま市民スタッフのYさんが編集作業をしている様子を見てもらいました。テープの本数と作業の様子を見て、映像作りがいかに根気の要るたいへんな作業かを実感してもらえたと思います。

最後に、近江八幡の旧市街や水郷周辺の地域資源をいろいろ見ていただいて、近江八幡駅までお送りしました。本当は八幡酒蔵工房に一泊していただけたら、近江八幡の市民パワーのスゴさをもっと体験していただけたのですが、その日のうちに舞鶴まで行かないといけないということで…。


今日は、私たちにとっても、改めて自分たちのプロジェクトを外からの目で客観的に検証するとても良い機会となりました。Eさん、ありがとうございました!
2009/10/29のBlog
[ 18:33 ] [ 遺言 ]
マルチメディアセンターの会議室を会場に、毎月開催されている俳画教室。

Oおばあちゃんを追いかけて、その様子を撮影させていただきました。

真剣に絵筆を走らせる受講者さんたち。
みなさん、なかなかハイレベルです。
2009/10/27のBlog
今日も午後からのミーティング。

今日は都合で原監督は欠席。
先日種植えの様子を撮影した長光寺のそら豆の畑で芽が出てきたということで、畑のそら豆の苗の撮影と、秋の風景ということで、野田町の一面のコスモス畑などを交代で撮影しました。

ひとつひとつ丁寧に、狙いを定めて季節のベストカットが撮れるよう、各々、自分なりに工夫されていました。

その後、センターに帰って、映像のチェックや編集作業の手順確認などもしました。
2009/10/03のBlog
今日の定例会は午後からスタート。

粗編集ができあがった映像のチェック、編集作業の段取り確認、今後のスケジュール確認などをしました。

気がついたら、あしかけ2年で撮りためた映像は60分のDVテープで100本以上…。
キャプチャ、編集はたいへん時間がかかる、そして根気のいる作業です。

スタッフの皆さんは、これから空いた時間をみつけてマルチメディアセンターに足を運んでは、キャプチャや粗編集作業をしてくださる、はず。

ちなみに、編集にはAdobe Premiere Pro CS4を使っています。
マルチメディアセンターに備え付けの映像編集用ハイスペックPCに、eSATA接続の2TB外付けHDDを取り付けての作業です。

欲を言えば、キャプチャ用のHDV対応DVプレーヤーが欲しい!!
1台しかないHDVカメラの使用中はキャプチャが行えないのはちょっとツライです。
だれか譲って!!
2009/09/24のBlog
国内最大級のドキュメンタリー映画祭、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で、『ほんがら』の上映が決まりました!!

2009/09/19のBlog
[ 22:56 ] [ アサヒアートフェスティバル ]
近江八幡では、10月3日から1ヶ月間、市民主催による「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡」を開催します。

http://vories.jp/

ヴォーリズ氏が近江八幡に遺してくれた様々な地域資源に、市民自らが一丸となって今一度光を当てることで、市民の誇りと結束を高め、近江八幡を含む湖東地域全体をもっともっともりあげていこう!という壮大な目標を掲げて、美術館や学芸員に頼らず、市民有志による手づくりの、しかし本格的な展覧会の実現に向け、準備作業が急ピッチで進められています。


そのヴォーリズ展の一翼を、「学生実行委員会」が担ってくださっています。

彼らが主催する「サテライト企画」のひとつに、「キッズ学芸員になろう!」があります。AAFではいわずと知れた、長野県のNプロジェクトからヒントや情報を得て企画されたものです。

子どもたちが、ヴォーリズについて学びながら、自ら企画を練り、作品を作り、展示をして、来客に解説をする。子どもたちなりに理解した「ヴォーリズ」が、多くの人たちの心に伝わるといいなぁ。

今宵は、ヴォーリズ展に先立って開催された「八幡堀まつり」。
ライトアップされた子どもたちの「ヴォーリズ建築」は、なかなか美しいものでした(写真)。


詳しくは、「ヴォーリズ展学生実行委員会ブログ」をご覧ください。

今日は、産卵のために川に上ってくる琵琶湖の鮎を撮影しに、スタッフ全員で犬上川へ向かいました。

とりあえず、先日O老人と来た河口付近に到着。
すると、おびただしい数の白サギが、各々下流のほうをじっと見据えて、微動だにせず、川の中にじっと立っています。よ~く見ると、時折、くちばしをすばやく水面につきたてています。鮎の遡上ポイントを知っていて、待ち伏せしているのです。

春先に湖北で鮎の稚魚を撮影したときにもお世話になった「NPO法人旅するおさかなサポーター」の前川氏からアドバイスをいただいて、鮎がたくさんいそうなポイントを探していると…。

いました、いました!

橋の上からみると、無数の鮎が、大名行列のごとく、黒い帯となって河口から川上へと遡っている様子をはっきりと確認できました。

橋の下に降りて、例の「水槽」を使って、水中を舞う鮎の群れの撮影に成功!!

比良の山に沈み行く夕日に照らされながら、1匹1匹が、産卵のため、必死に生きる鮎の群れ。その中に交じっての撮影は、なかなかに感動的でした。

この映像を見れば、きっとO老人も感激してくれることでしょう。
2009/09/05のBlog
今日は、新聞を見て公募してくださったOおばあちゃんの撮影です。

Oおばあちゃんはとにかく多趣味。
介護などで自分の時間がなく、つらく長かった生活を乗り切り、喜寿になってようや解放された人生を謳歌するOおばあちゃん。

今日は、そのなかの一つ、「社交ダンス」のレッスン現場にお邪魔しました。

社交ダンスといえば、男女ペアでステップを踏みながらフロアを縦横無尽にクルクルまわるもの。

そこで、車輪つきの台車に背の低いミニ三脚を乗せ、カメラマンは、ダンスするOさんの正面に常に入るよう動き回りながら、ローアングルで撮影することに。

カメラ、マイク、マイクケーブル持ちの3人体制で、ハードなダンスレッスンをこなすOさんの回りを動きながら撮影。それ以外のスタッフも、うっかりカメラに写ってしまわないよう逃げ回りながら撮影の様子を見つめます。

カメラマンは、ずっと中腰なので、とにかくコシが痛い…と。


2009/08/30のBlog
AAFつながりで実現した、四国初の「ほんがら」上映、本日です!!

リージョナルアンドコミュニティ映画祭
http://art-platform-ehime.com/?p=391

長岡・杉田の若手女性映画監督同士による対談もあります!!



2009/08/17のBlog
久々に登場のOおじいちゃん。

今日は水郷や川の現場ではなく、ご自宅の居間で、自身の「思い」「願い」を語っていただく「遺言」インタビューです。

カメラ&マイクのセッティング、ライティングなど、スタッフもだいぶ手馴れてきました。

庭に真夏の日差しが照りつける中、採光とノイズ削減のため、縁側の戸を全開にしてエアコンはつけない状態での撮影です。


耳が遠くてなかなか会話にならない状況を打破するため、スタッフのKさんが、撮影用
ワイヤレスマイクのイヤホンを使って、カメラマンの声をOさんの耳元に届けるアイディアを考案。

最初はやや緊張気味のOさんでしたが、カメラの前で、何度も休憩を挟みながら、長時間にわたってアツく語ってくださいました。

2009/07/28のBlog
中国旅行をはさんで、ひさしぶりの定例会。

帰国報告、現地で撮影した映像鑑賞のほか、いよいよ本格的に始まる「編集作業」のレクチャーと段取り確認、老人サロンの遺言再撮影の段取り確認などをしました。

ハイビジョン映像の編集には、かなりハイスペックなPCが必要となります。

マルチメディアセンターで、パソコンと大型のワイドディスプレイ、2TBのeSATA対応外付けHDD、そして編集ソフト(Adobe Premiere CS4)の環境を整えました。

まずは、編集操作に慣れるため、みんなで少しずつ、映像の「キャプチャ」と、NGを抜いてシーン番号を整理する「粗編集」までを手分けしてやってみることになりました。

2009/07/24のBlog
[ 22:25 ] [ 遺言 ]
まだ中国旅行の余韻が残るなか、長光寺のご住職が亡くなったというニュースが突然舞い込んできました。

長光寺住職は、昨年にこの遺言プロジェクトが始まって、一番最初に取材・撮影させていただいた方です。

急きょ、これまで撮り溜めていた映像を長岡さんに編集していただき、ご遺族へのメッセージを添えたショートビデオを携えて、盛大に行われたお通夜に参列。

お通夜の法要が一段落してから、親族のみなさんが集まっておられるところにお邪魔し、プロジェクタをセットして、元気だった頃のご住職がカメラに向かって語りかけるメッセージを観ていただくことができました。

仏様のようにおだやかな表情で、食い入るように画面を見つめる奥様。
住職の「遺言」メッセージに、うなずきながら真剣に聞き入る親族の方々。

映像を撮っていて本当によかった、と感じた瞬間でした。


思い返せば、このご住職とのご縁がきっかけで、Tおばあちゃんと知り合い、中国行きが実現したわけです。
そのご住職が、帰国してすぐの訃報。
そして、お通夜の晩に上映したご住職のメッセージもまた、Tおばあちゃんと同じ「二度と戦争のない社会を」というものでした。

運命的なものを感じずにいられません。


盛大なお通夜の様子、ご住職の映像を上映させていただいたときの様子もまた、映像に納めさせていただきました。

文字通り「遺言」となったご住職の願いを叶えるためにも、よい作品に仕上げないといけません。

心から、ご冥福をお祈りします。合掌。
2009/07/21のBlog
全員、無事、元気で、日本に帰ってきました!!

お世話になった皆さま、本当にありがとうございました!!


大きなトラブルもなく、みな健康で、野外撮影時に雨に見舞われることも一度もなく、行きたいと思ったところには確実にたどり着け、撮影もほぼ予定通り順調にこなすことができ、本当に恵まれた旅になりました。

中国旅行はこれで終わりましたが、「遺言」づくりはまだまだ続きます。
疲れが出ないよう、今夜はゆっくり休みたい、ところですが…(汗)
 
2009/07/20のBlog
今日は、明日の朝に日本へ帰るため、約10時間かけて虎頭からハルビンまで黒龍江省を車で横断します。

いつもより早めに朝食をとり、朝8時前に虎頭ホテルを出発!


途中、虎林に立ち寄り、Tさんが虎頭の官舎にいたころ、一度だけ人生初のパーマをあてに訪れたという虎林駅前で当時のことについてインタビュー。

そして、今回訪れた黒龍江省の地図帳を購入して、一路、ハルビンへ。


道中の七台河で食べた昼食は、今までで一番おいしくリーズナブルでした。


途中、時折石炭を積み上げた巨大なピラミッド上の山があったり、風力発電施設があったりするほかは、果てしなく広がる平原のなかを車でひた走ります。
いつまでも続く単調な景色に、一行は思わずウトウト。
がんばれマツケンさん!


そして、午後8時ごろ、帰宅ラッシュの車でごった返すハルビン駅前のホテルに到着。

1週間をともに過ごした権さん・辛さんとは、ここでお別れです。

到着時間が遅かったので、ホテル内のレストランには入れず、近くで焼きそばの簡単な夕食を済ませ、ホテルの部屋に戻って、この旅行で最後の撮影に臨みます。Tさん、娘さん、お孫さんの3人に、1週間の旅を終えた今の気持ちをカメラの前で語っていただきました。

明日は、朝5時に起きて、いよいよ日本に帰還します。


私(藤田)は、当初はこの中国旅行に同行する予定ではありませんでした。

マルチメディアセンター長に就任して以来、お盆と正月以外、1週間も職場を離れたことは一度もなく、自分が中国へ行くことなど考えもしていませんでした。

しかし、マネージャー的な役回りの男性スタッフがどうしてももう一人必要ということになり、スケジュール帳を確認すると、その週だけは、たまたま、何とか代役をほかの人にお願いできそうな予定しか入っておらず、「ひょっとしたら行けるかも」と思った瞬間から、運命の歯車が回り始めたのです。

この旧満州国に降り立ち、その壮絶な歴史の記憶を辿りながら、行く先々でTおばあちゃんの語りに耳を傾け、今、こうして果てしなく広がる大陸の真ん中を車で走り抜けていると、つい先日亡くなったマイケルジャクソンの「Heal the world」や「We are the world」、それにジョンレノンの「Imagine」が、頭の中に繰り返し流れてきます。


「A子(Tおばあちゃんの長女)は、戦争の犠牲になり、生後11ヶ月にして、栄養失調で亡くなった。A子だけではない。難民収容所にいた他の子供達も、みんな死んでいった。」

「人間同士が傷つけあい、罪のない尊い命を奪ってしまう戦争が憎い」

「世界中で、二度と戦争の起きない平和な社会をつくりたい。そのために、自分にできることをやり続けていきたい」

これが、Tおばあちゃんの「遺言」です。

この「遺言」を聞いた瞬間、私は、自分の体と心が震えるのを感じました。
そして、確信したのです。
今回、私がこの旅に同行することになったのは、偶然ではなく、必然であった、と。

私には、私達は、この地で11ヶ月の若さで亡くなったA子さんの魂に呼ばれてここまで来たのではないか、と思えてならないのです。

Tおばあちゃんは、A子さんが栄養失調で亡くなったのは、十分な食事を与えてやれなかった自分の責任だ、自分が殺したようなものだ、とおっしゃいます。
もし戦争がなければ、A子さんはきっと今頃元気で大きくなって、子供や孫に囲まれて幸せに暮らしていただろうに、と。

でも、私は、そうではない!と信じたい。
A子さんは、しゃべることも笑うこともできず、やせ衰えて11ヶ月で亡くなるという、一見悲しい悲しい人生を、自ら選択してこの世に生を受けた、とても高貴な魂の持ち主だったのではないか、と思うのです。生きている間に自分自身の手では何もできなかったかもしれませんが、死後60年以上たった今もなお、Tおばあちゃんや、娘さんや、お孫さんや、私達スタッフをも動かして、「戦争のない平和な社会づくり」のための礎を築こうとしておられるのですから。

そんなA子さんの魂の導きに、私達は応えなければなりません。

ジョンレノンやマイケルジャクソンでさえ成し得なかった、「本当の世界平和の実現」のために、私達のような凡人に何ができるか分かりませんが、それでも、90歳にして「できることをやり続けたい」と言わしめるその精神を、私達は見習い、次世代に語り継いでいかなければなりません。

一人でも多くの人間に、本当の世界平和を願う気持ちを共有してもらうために、今回の遺言プロジェクトが、小さな一歩になれば、と、今、心を新たにしています。


Imagine all the people living life in peace...

You may say I'm a dreamer.

But I'm not the only one.

I hope someday you'll join us.

And the world will be as one.

(from "Imagine" by John Lennon)

2009/07/19のBlog
今日は曇り空。
湿地帯にかこまれた川のほとりだからか、牡丹江よりも湿気が高くてじとっとした感じの朝。
ホテルの皆さんが用意してくださった朝食は、中国東北地方の家庭料理。


朝食後、まずは、Tさんが満州へ来て最初に過ごしていた「完達駅」近くの官舎跡へ。
虎林から虎頭へと続く、コンクリート舗装の広くまっすぐな一本道は、かつて日本人が建設した鉄道線路の上に作られているとのことで、完達駅の形跡は全く残っておらず、道路の周囲は植林された針葉樹の林になっていました。
この林の中に、関東軍の官舎があったことが、地元の人の話+持参していた関東軍の古地図で判明。そこに当時の面影はありませんでしたが、ここで、Tさんに官舎での暮らしの様子を語っていただきました。
また、かつてTさんが見たお花畑のような草原は見当たりませんでしたが、この林の中にも、ナデシコ、ノコギリソウ、カシワなど、Tさんの思い出話にも登場する花や植物がチラホラ。それらもカメラに収めました。


続いて、ロシアとの国境になっているウスリ川の河畔へ。
ここは、中国国内では有名な観光地らしく、日曜日ということもあって多くの観光客でにぎわっていました。Tさんは、官舎の2階から、川の向こう岸にある敵国ソ連の領土を、恐怖と緊張の面持ちで、双眼鏡で毎日眺めていたといいます。


そのウスリ川国境地帯も、今はとても平和で、完成したばかりの巨大な展望台から対岸を一望したり、遊覧船に乗って川くだりをすることが自由にできました。
それもこれも平和のおかげ、と感激するTさん。


ウスリ川を離れ、虎頭山のふもとにあり、かつて難攻不落と呼ばれた関東軍の伝説の虎頭要塞跡に建設されていた虎頭要塞博物館をみんなで訪れました。満州国建設に至る過程と、日本軍が敗戦に追い込まれるまでの経緯が、写真や遺品とともに、中国からの視点で克明に展示されていました。そして、博物館の奥の階段をくだると、虎頭要塞の巨大な地下壕へ。

地下壕の中の空気はひんやりと冷たく、ここにいた人々の生活の面影や、無数の銃弾の弾痕があり、ソ連参戦後この要塞に立てこもり、日本の敗戦を信じず、終戦後も戦い続け、玉砕・全滅したという関東軍とその家族の壮絶な断末魔の記憶が頭をよぎりました。
Tさんの知り合いのご家族も、ここで亡くなったそうです。


虎頭要塞博物館を出た後、地元の人々に聞き込みをしてもらい、御年80歳の白系露人の方と出会うことができました。Tさんとの対談に応じてくださり、63年前にソ連が参戦してから、虎頭住民はどうなったか、虎頭要塞に逃げ込んだ軍人家族はどうなったかなど、具体的な日本人の名前まで出して、詳しく教えてくださいました。


ホテルに帰って夕食を終え、虎頭での充実した一日は終わりました。
明日は、いよいよ日本へ「引き揚げ」です。長いようであっという間の一週間でした。
2009/07/18のBlog
今日も快晴です!
90歳なのに一番元気はつらつなTおばあちゃんに、その元気の秘訣を聞いてみたところ、毎朝自分で体操をしているそうです。
その様子を撮らせていただきました。


そのあと、牡丹江第一人民病院に行きました。ここは、かつての聖林小学校跡地で、Tさん達日本人は、満州から日本に引き揚げる際、この小学校の体育館に終結したそうです。新しいきれいな病院の建物に建て変わっていて、当時の面影を残す建物はありませんでした。ここで、引き揚げの時の様子をインタビューしました。


続いて、牡丹江の駅前通りを歩くTさん達を撮ったり、道行くロバを撮ったりして、市内で早めの昼食を済ませた後、いよいよ最後の訪問地・虎頭へ向かって出発!


休憩しながらとはいえ、およそ7時間の長旅。
虎頭より1時間ほど手前にある虎林で、地元のガイドさんが1人合流し、総勢9人で虎頭賓館に到着したのは夜の8時ごろでした。牡丹江での一流ホテルと打って変わって、くたびれた簡易宿所のような田舎のホテルに到着。この辺の食堂は早く閉まるからということで、あたふたと夕食へ。ウスリ川のほとりの食堂で、Tさんが昔虎頭で食べたという、目の前の川で捕れた新鮮&巨大なコイの丸揚げなどをいただきました。…ここは観光地だからということで、かなりぼったくられてしまいましたが(汗)、でもまあ、おばあちゃんのなつかしの一品をこの虎頭で食べられたという経験はお金には替えられませんので、素直に感謝。


この店の一角には、「完達山」という地元の地酒などが陳列された棚があり、その中央に、なぜか「アサヒスーパードライ」の特大瓶が!すかさず、マツケンさんと記念撮影。

夕食後、寒いぐらい冷え込むなか、ホテルのご主人がボイラーをたいてくださり、温かいけど少々鉄さびくさいシャワーを浴び、堅めのベッドの重たいかけ布団にもぐって、夢の世界へ。

…虎頭より数段大きなまちになっていた虎林市内のホテルに泊まって、そこから車で虎頭へ通えばよかった、と後悔するも、あとのまつり。まあ、Tさんが63年前に味わった生活と比べればここでも天国同然。これもまた貴重な経験、ということで…。
2009/07/17のBlog
今回、私達の旅に通訳兼撮影補助として同行していただいた、中国湖南省出身で現在は滋賀県大津市在住のKさん、現地で落ち合ってほぼすべての行程に同行いただいた中国国際旅行社の権香玉さん、専用車のドライバーであるマツケンこと辛云海さん。
この3人のホスピタリティには本当に恐れ入りました。

細かいことに気がつき、先手先手で私達を的確にリードしてくださったKさん。

60年以上昔の建造物を探してもらったり、こちらの撮影の都合でいきなり無理な注文をしても、いやな顔もせずできる限りの手を尽くしてくださった権さん。

いつも愛嬌のある笑顔で出迎えてくださり、疲れたころにアイスなどを差し入れてくださった辛さん。

この方達のご努力と人柄のおかげで、今回の旅をスムーズにすすめることができました。

また、地元の方々もたいへん協力的で、家の中を見せてくださったり、いろいろ貴重な情報を教えてくださったり、インタビューに応じてくださったり…。

63年前、Tさんも、地元の中国人の方々にとても親切にされたことを常に感謝しておられましたが、今回の旅でも、たくさんの方々の親切に触れ、本当にお世話になりました。この場をお借りして、改めて深く深く御礼申し上げます。


今日もいい天気です!

今日は、まず再び東京城へ。
権さんによる地元の方への聞き込みで、昨日行った飛行場跡に隣接していた関東軍の官舎のひとつが今も残っていることがわかり、みんなでそこへ行きました。

Tさんがかつて過ごした難民収容所は、この官舎ではなく、その隣にあった木造で窓もないふきっさらしの独身兵舎跡だったそうですが、当時の建物がそのまま残っているのを目の前にして、感動にふけるTさんの姿がありました。

この建物の前で、難民収容所での悲惨な生活や、長女を亡くした時のことなどを語っていただきました。


官舎跡から東京城のメインストリートへ戻り、かつてTさんが落ちているきゅうりやにんにくを拾って飢えをしのいでいたという市場を見学しました。


東京城にはむかし渤海王国という王国があり、城を取り囲む城壁があったといいます。Tさんは、収容所での生活を終えた後、その城壁の門をくぐって東京城の「城内」から「城外」へ出て、「パイミョウズ」という村へ歩いて行きました。

そのとき通った道、くぐった門の跡地を訪ね、パイミョウズでの暮らしや気持ちを振り返って語っていただきました。

おそめの昼食をとったあと、午後からは満州8大名所と言われた「鏡泊湖」へ行く予定でしたが、Tさんの話を聞いて、予定を変更し、敗戦後、引き揚げまでのTさんの一番辛い経験の出発点となった「ランコウ」へ行くことにしました。


地元の方々に場所を聞きながら、ランコウの飛行場跡にたどりつきました。
ここも、延々と広がるジャガイモ畑になっていて、その一角には、当時の姿ほぼそのままの官舎の建物がいくつか残っていました。

その建物の前で、関東軍の陣地からソ連兵に追われて軍隊と一緒にここに来るまでの様子や、ここで武装解除され、夫はシベリアに抑留、家族は日本に返すと偽られて山中の自警村で馬小屋生活を余儀なくされた経緯などをつぶさに語っていただきました。


帰りの道中、大平原の地平線に沈む「満州の夕日」を撮影しました。