追憶の満州旅行 〜6日目〜

今日は曇り空。
湿地帯にかこまれた川のほとりだからか、牡丹江よりも湿気が高くてじとっとした感じの朝。
ホテルの皆さんが用意してくださった朝食は、中国東北地方の家庭料理。

朝食後、まずは、Tさんが満州へ来て最初に過ごしていた「完達駅」近くの官舎跡へ。
虎林から虎頭へと続く、コンクリート舗装の広くまっすぐな一本道は、かつて日本人が建設した鉄道線路の上に作られているとのことで、完達駅の形跡は全く残っておらず、道路の周囲は植林された針葉樹の林になっていました。
この林の中に、関東軍の官舎があったことが、地元の人の話+持参していた関東軍の古地図で判明。そこに当時の面影はありませんでしたが、ここで、Tさんに官舎での暮らしの様子を語っていただきました。
また、かつてTさんが見たお花畑のような草原は見当たりませんでしたが、この林の中にも、ナデシコ、ノコギリソウ、カシワなど、Tさんの思い出話にも登場する花や植物がチラホラ。それらもカメラに収めました。

続いて、ロシアとの国境になっているウスリ川の河畔へ。
ここは、中国国内では有名な観光地らしく、日曜日ということもあって多くの観光客でにぎわっていました。Tさんは、官舎の2階から、川の向こう岸にある敵国ソ連の領土を、恐怖と緊張の面持ちで、双眼鏡で毎日眺めていたといいます。

そのウスリ川国境地帯も、今はとても平和で、完成したばかりの巨大な展望台から対岸を一望したり、遊覧船に乗って川くだりをすることが自由にできました。
それもこれも平和のおかげ、と感激するTさん。

ウスリ川を離れ、虎頭山のふもとにあり、かつて難攻不落と呼ばれた関東軍の伝説の虎頭要塞跡に建設されていた虎頭要塞博物館をみんなで訪れました。満州国建設に至る過程と、日本軍が敗戦に追い込まれるまでの経緯が、写真や遺品とともに、中国からの視点で克明に展示されていました。そして、博物館の奥の階段をくだると、虎頭要塞の巨大な地下壕へ。

地下壕の中の空気はひんやりと冷たく、ここにいた人々の生活の面影や、無数の銃弾の弾痕があり、ソ連参戦後この要塞に立てこもり、日本の敗戦を信じず、終戦後も戦い続け、玉砕・全滅したという関東軍とその家族の壮絶な断末魔の記憶が頭をよぎりました。
Tさんの知り合いのご家族も、ここで亡くなったそうです。

虎頭要塞博物館を出た後、地元の人々に聞き込みをしてもらい、御年80歳の白系露人の方と出会うことができました。Tさんとの対談に応じてくださり、63年前にソ連が参戦してから、虎頭住民はどうなったか、虎頭要塞に逃げ込んだ軍人家族はどうなったかなど、具体的な日本人の名前まで出して、詳しく教えてくださいました。

ホテルに帰って夕食を終え、虎頭での充実した一日は終わりました。
明日は、いよいよ日本へ「引き揚げ」です。長いようであっという間の一週間でした。