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ひょうたんからKO-MA
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2007/07/01のBlog
アサヒ・アート・フェスティバル2007の参加団体同志の交流企画のひとつとして、我らが近江八幡に東京の作曲家で宮城・東鳴子の「GOTEN GOTENアート湯治祭」に関わっておられる大場陽子氏をお招きし、アートを活用したまちづくりの事例を見ながら地域のまつりのこれからについて考える「車座座談会」を7/1に開催しました。

まず、昼から夕方まで、大場さん、近江八幡で活躍中の映像作家・長岡野亜さん、私たちひょうKOMAスタッフを代表して根木山と藤田、そしてお隣京都から駆けつけてくださった「大枝03」プロジェクトの中島さんの5人で、私たちのフィールドである島地区の自然・文化・歴史をめぐる視察(ミニエコツアー)を実施。

雑然とした駅周辺、近江商人の屋敷や八幡堀があって落ち着いた町並みの旧市街、そしてヨシと田んぼと湖に囲まれた水郷地帯と、それぞれ時間の流れる速さがまるで違う空間を体感。大場さん曰く「おなじ田舎でも、"水"の見える空間が生活の身近なところにあることで随分印象が違う」とのこと。なるほど。

最後に、島町の御神体にして一帯を一望できる霊峰「権現山(ごんげんさん)」(別名:元富士)登山を敢行。蒸し暑い日に水筒も着替えも持たず、かなり無計画な登山でしたが、山頂付近に祀られている池鯉鮒権現さんの祠に一礼し、大岩から見下ろす景色に疲れも吹き飛びました(かな?)。

無事登山も終え、向かったのは旧市街にある老舗の酒蔵を改装してつくられた趣のあるギャラリー「酒游舘」。

ここに、ひょうたんからKO-MAの主要メンバーのほか、主に島地区エリアと旧市街エリアのまつりやまちづくりに関わるキーパーソン達が集結。合計21名で、いよいよ「車座座談会」が開幕しました。

私(藤田)のつたない進行のもと、まず大場さんから「GOTEN GOTENアート湯治祭」の事例報告、続けて島地区で昨年実施された「権座水郷コンサート」と、現在進行中の「島町ほんがら松明復活映像化プロジェクト」の事例報告が行われました。

東鳴子の事例では、1年目の反省材料を活かして2年目・3年目と継続的な取り組みにつなげているところなど、私たちの参考になる話をたくさん聞く事ができました。
 
 
おなかもすいたところで、食事が運び込まれ、晩餐会?のスタートです。
飲み物はもちろん、アサヒスーパードライ!!

近江八幡の特産品である湖魚の佃煮や赤こんにゃくなどの郷土料理や、酒游舘特製の創作料理に舌鼓を打ちながら、徐々に打ち解ける参加者たち。

 
宴もたけなわとなったところで、第二部スタート。真打・Oさんの登場です!!
「権座水郷コンサート」の地元キーパーソンとして島地区になくてはならない存在であるOさんの軽やかな進行で、「島地区のこれから」をみんなで考えました。

アートの立場から伝統的な祭のあり方を改めて問い直す意見、祭の担い手である地元住民の立場から自分たちの信念・真意を主張する意見、まちづくりの立場から地元やアーティストに要望する意見など、それぞれの立場からのホンネが垣間見える意見やアイディアが出されました。

この第二部は、本当は「地元住民が主体になって自らアイディアを出し、主体的に地域の将来を考える」場にしたかったのですがしかし、今回は想定していたより「地元住民」の立場での参加者数が少なかったため、むしろヨソモノが地元住民にアイディアや要望を突きつける形となってしまいました。このままこれ以上議論を白熱させても、肝心の地元の方々はしらけるばかり、と思い、第二部はやや消化不良のままお開きとさせていただきました。

ただ、ひとつの結論として、青年団がなくなって以来、地域の若い世代のヨコのつながりや、上の世代から必要なことを引き継ぐタテのつながりが希薄化していることは皆の共通認識としてあり、したがって、今後もまた、もっと小規模でいいから、地元の者だけでもいいから、継続的にこういった話し合いの場を設けていこう、その中からまた新しいエネルギーを生み出して行こう、ということだけは合意できたと思っています。
 
さて、最後の第三部は、地元の人たちや用事のある方々が抜け、いわゆるまちづくり系・アート系のコアメンバーだけが残留して、さっきの消化不良のうっぷん晴らし(?)も含め、白熱したホンネフリートークが炸裂。

でも、おかげで随分親交も深まり、近江八幡や島地区の「これから」に役立ちそうな面白いアイディアやヒントもいくつか出てきました。

 

...AAFでの大場さんたちとの出逢いと、AAFの「企画間交流プログラム」という支援のしくみによって実現した今回の座談会。満点の出来とはいえませんが、確実に次へのステップになったと思います。

参加してくださった皆様、AAF事務局の皆様、本当にありがとうございました!!

2007/06/30のBlog
[ 21:43 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
6/30、マルチメディアセンターにて第4回目となるワークショップが開催されました。

今回は、前回2つにまで絞り込んだ原案「夏休み」「宝探し」のどちらを採用するかをみんなで話し合いました。

2つの原案考案者がそれぞれ前回監督に指摘されたポイントを修正して再提案。他のメンバーもそれぞれ自分が良いと思った方の原案に肉付けするアイディアを持ち寄りました。

すったもんだの大激論(?)を経て、結局原案は「宝探し」に決定!!
仲良し4人組の中学生が裏山に埋めたタイムカプセルをめぐって展開される冒険スペクタクル!!

...そしていよいよ、苦戦した「原案づくり」から、具体的な映画のシナリオに仕上げていく「脚本づくり」に段階が進みます。

原案を1つ1つの「シーン」に分解し、シーンごとに「シーンNo、場所、時間帯」「状況説明文」「セリフ群」のパターンを組み立てていきます。

シーンやセリフを考え、1シーンを1枚の紙に大きく書いて順番に並べて貼っていきます。

同時に、各シーンに必要な大道具・小道具をリストアップし、それらのスケッチを描いていきます。

これらの作業を、みんなで分担して手際よく進めて...いけるといいのですが、共同作業というのは、やってみるとなかなか難しいもので。とはいえ、みんな頑張ってシナリオづくりはちょっとずつ進んでいきました。
 
2007/06/23のBlog
[ 14:54 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
6/23(土)、第3回目のワークショップがマルチメディアセンターで開催されました。

本日の参加者は7人。中3にしてアマチュアカメラマン(?)の頼もしそうな男の子も新規参戦してくれました!!

さて、前半は、前回からさらに内容を練り直した「原案・ストーリー」を、再度一人ずつ発表していきます。

前回提示されたポイントは、“物語の「起・承・転・結」を考えること”!!

ひと通りみんなの作品を聞いてみたあと、原監督からそれぞれの作品についてコメントがありました。
 

■「僕らの音色」
 …小説的で個々のセリフは魅力的。まだ未完であり、じっくり時間をかけて映画としてのストーリーを整理すれば、よい作品になるかも。

■「寺化山事件」
 …ネーミングやアクションシーンは面白いが、映画としてはストーリーの展開が弱い。
 アクションとセリフの応酬だけでは映画にはならない。
 映画の原案として仕上げるには、まだまだ時間がかかりそう。

■「夏休み」
 …今回提出された作品の中では、一番「起承転結」がしっかりしている。
 前回の時点は「ワラ人形」が登場した理由が不明瞭だったが、今回はそこも描けている。
 ただ、映画として盛り上がる場面(転)と、そこから全てが解決する場面(結)が弱い。ナゾを残したまま何となく終わってしまっている。

■「宝探し」
 …これも、「起承転結」は一応できている。「宝探し」という冒険ものの着想も子ども映画らしいし、冒頭の演出や最後のオチがうまいだけに、本編が戦争モノになってしまったのが残念。お金をかけずに戦車や銃火器を表現するのは現実的に難しいし、やはり、できれば大人の戦争映画ではなく、「子ども達が主役」の映画であって欲しい。

■「あくまの森」
 …今回初登場のストーリーで、まだ物語としての練り上げが不十分。
 映画の原案として仕上げるには、まだまだ時間がかかりそう。

■「血の森」
 …今回初登場のストーリーで、まだ物語としての練り上げが不十分。
 映画の原案として仕上げるには、まだまだ時間がかかりそう。
 
 
さて、後半は、「起承転結」ができていて、スケジュール的にも次回までに原案としての完成形まで持っていけそうな「夏休み」と「宝探し」の2作品に絞り、2つのグループに別れて、それぞれで各々の作品をどうすればもっとよくなるかを検討しました。

右の写真は「夏休み」グループ。

意見は活発に出るものの、最後の展開をどうするかで悩んでいる様子...。
 
 
一方、「宝探し」グループはちょっと重苦しい感じ。

まず、「宝」を何にするかで、ちょっと手詰まりの様子でした。
 
 
最後に、原監督から「映画の物語」をつくる上での考え方のヒントが示されました。

●登場人物のキャラクター設定を明確に!
たとえば、Aはいじめっ子、Bはいじめられっ子とすれば、AがBをいじめ、BがAに仕返しをし、何かが起きて、最後にはいじめがなくなってみんな仲良くなる、といった、誰が見ても単純明快なストーリーが映画になりやすい。

●「不自然さ」をカンジさせない展開を!
例えば、「タイムカプセル」を宝物とするならば、タイムカプセルを開けるのは埋めた翌年ではなく10年後の方が「自然」。観る人にインパクトを与える「意外性」はあってもよいが、「不自然さ」はない方がいい。
 
 
...これらを踏まえて、各自、次回までに「夏休み」か「宝探し」のどちらかに絞って自分なりの「原案」を考えて書いてくるように!という宿題が出て、今回のワークショップはお開きに。

次回には、原案が1つに決まり、シナリオ作成に入って行く予定!!
はてさて、子ども達がつくる作品は、「怪奇ホラー」になるか、「冒険スペクタクル」になるか、乞うご期待!!


学校のテストなどもあって大変だと思うけど、みんながんばれ!!

そして、今からでも参加したいと思ったキミ!!今すぐ連絡ください↓
TEL 0748-31-0800(マルチメディアセンター)
 
2007/06/20のBlog
[ 16:04 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
引き続き、新聞に取り上げてもらっております。

滋賀報知新聞 6/19

・朝日あいあいAI滋賀(人物) 6/20
 

2007/06/16のBlog
6/16(土)、第2回目となるワークショップが開催されました。
今日、参加してくれた子ども達は7人。

今日も元気いっぱいの原一男監督の指導でワークショップは進行します。

まずは、みんながそれぞれ考えてきた映画の原案・ストーリーをコピーしてみんなに配り、一人ずつ朗読します。

そして、それぞれのストーリーに対し、一人ひとり感じたことをコメント。

それぞれの作品?のタイトルだけ、ご紹介しておきます。
~「宝探し」 冒険もの
~「登山」 ホラー
~「僕らの音色」 青春もの
~「寺化山事件」 アクション
~「黒い森」 ホラー
 
 

それぞれが考えたストーリーに、原監督も「ここに気をつけるともっとよくなる」ポイントを伝授。子ども達は真剣に聞き入ります。

 
そして、今日は天気がよかったので、午後から撮影の練習もしました。

「シーン」「カット」「テイク」の違いや、カチンコ・マイク・カメラの使い方を学んだあと、役割を決め、マルチメディアセンターの表に出て早速撮影。

今回は、カメラ・マイク・カチンコ(助監督)と4人の俳優を子ども達が行い、原監督自らが監督役を務めます。

シーンは、センター前で待ち合わせる約束をしていた4人。

(センター前で待つ2人)
「あいつら遅えなぁ」「なにやってんだよ...」

「あ、おーい!」

(あとの2人が走ってくる)
「...ごめんごめん!」
「今まで何やってたんだよ!」
「ごめん」
「で、話って何?」
「実は、オレ、見たんだ...」
 
 
このシーンを、計3種類のアングルから撮影。
NGも含め、俳優たちは何度も同じカットを演じ続けます。
 

たった1~2分のシーンを撮るのに、1時間もかかってしまいました。
撮影が終わったら、部屋に戻って今撮った映像をみんなで確認します。
NGの場面はみんな大笑い。

で、3種類のアングルから撮ったOK映像を編集でつなぎ合せます。
 
ビデオカメラなので、編集はノートパソコンで楽々。
子ども達は、編集のやり方も教わりました。

そして、うまく繋ぎ合わせられたら、もう一度スクリーンに試写して結果を確認。
1つのシーンを4カットで構成したのですが、ここで原監督から注文が。

より場面の状況や臨場感を見る人に解りやすく伝えるため、その場で2カット追加。
それを改めて試写すると、たしかに随分わかりやすくなりました!


...さて、次回は6/23(土)10時~。
まだまだ、追加の参加者を募集しています。

中学生~小学6年生のみんな、原一男監督と一緒に映画を作ろう!!
 
2007/06/09のBlog
[ 23:56 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
いよいよ始まりました!!

これまでのところ、ワークショップへの応募者7人。うち2人欠席で、5人でのスタートとなりました。


まず、福島市で今年の春休みに実施された『こむこむ映画倶楽部』(今回同様、中学生を主体とした映画づくりワークショップ)で、福島の中学生がつくった作品『空にうかぶ月』とそのメイキングを収録したDVDをみんなで鑑賞。

メイキングでは、その製作工程が詳細に解説されていて、とても参考になりました。
 
 
 
続いて、原監督によるレクチャー。

「中学生だからといって、手抜きはしません。分かりやすくは話しますが、大学生相手と同じように教えます。」

という原監督は、まず、映画の作り方のキホンを分かりやすく解説。

そして、カメラワークの専門用語もひとつずつ実演しながら覚えていきます。
 
昼食をはさんで、最後はスタッフが喫茶店での1シーンを演技し、それを原監督自らが撮影。パソコンを使ってその場でカットをつなぐ編集を行い、プロジェクタで確認。

子ども達は最初から最後までとても熱心に話を聞いていて、受け答えもしっかりしていました。
 
 
 
 
さて、今回の宿題は「シナリオを考えてくる」。
一人ひとり、自分で考えたオリジナルのシナリオを考えてきてもらい、来週発表してもらいます。
「面白い映画が出来るかどうかは、シナリオにかかっている。」
みんなガンバレ!!!

 
 
(おまけ)
休憩時間になるとなぜか逆立ちを始めたHくん。
なかなかおもろいキャラが集まってきました。

....が、まだまだメンバーが不足しています!!
今からでも全然遅くない!!
興味を持った人は今すぐ連絡を!!



(連絡先)
マルチメディアセンター
TEL 0748-31-0800
FAX 0748-31-0801
Email mmc@multimediacenter.jp
2007/06/07のBlog
[ 12:41 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
5/26のプレ体験ワークショップなどに関する新聞記事が、各紙ローカル面などに掲載されています!!

・朝日新聞滋賀版 5/24

・中日新聞滋賀版 5/27

・京都新聞滋賀版 5/29

・毎日新聞滋賀版 6/2

・朝日あいあいAI滋賀 6/6

記事を見て市外から応募してくれた中学生も出てきました!!
先日も、大津の中学生から申込の電話をいただいてビックリ。

こうして遠くからでも参加したいと思ってくれる子ども達がいるなら、もっと市外にも情報発信して、この貴重な機会に、一人でも多くの子どもに参加してもらいたいです。

記者の皆様、ありがとうございます。そして、今後ともごひいきに!!
 
2007/06/02のBlog
[ 19:55 ] [ ほんがら ]
「祭」の本番は終わりましたが、「撮影」はまだまだ続きます。

★4~6月の季節の風景や農作業(特に田植えなど)
 →島町で自給的に稲作を続けている兼業農家の多くは、苗も自前で育てておられる

★祭を終えたあとでのインタビュー
 →老人たちに「ほんがら松明」の出来や、見ていてよみがえってきた記憶、未来へのメッセージなどを語ってもらう
 →「ほんがら松明」を初めて経験した若者たちに、そのときの感想、これからへの思いなどを語ってもらう

★その他、映画に必要なシーン・カットの補撮
 →空中から見渡したシーンなど

西の湖の美しい水郷、島町の田園と集落、その背後を取り囲む姨綺耶山系の山並み、そしてその向こうに広がる琵琶湖。
この位置関係を映像で見せるには、空を飛ぶしかありません。

...というわけで、今日はすぐお隣の安土町に離発着場があるMKクラフトさんにお願いして、モーターパラグライダーで空から島町を撮ることに。

写真の筐体は2人乗りのモーターパラグライダーで、背後のプロペラを動力にして空中を自在に飛び回ることができます。

操縦桿を握る後部座席にはプロのインストラクターに乗ってもらい、作家・長岡自ら前部座席に乗って撮影を敢行!!

はたして、使える映像が撮れたかどうか?!乞うご期待。
 
2007/05/26のBlog
[ 18:23 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
「子ども映画づくりワークショップ2007 in 近江八幡」の開催に先立ち、説明会を兼ねたプレ体験ワークショップを5/26(土)に開催しました。

参加者が少なくて残念でした(涙)が、それでも原監督はとても熱心に映画づくりのことを一人ひとりに分かりやすく伝えてくださいました。

ひと通り説明を聞いたあとは、実際に短いシーンを即興で作って、俳優役・監督役を体験。

子ども達に加えて、子ども達のお母さんも学校の先生役で急きょ出演してくださり、みんなすばらしく熱演してました。
 

「子ども映画づくりワークショップ 2007 in 近江八幡」の参加者をまだまだ募集中です。

対象は中学生~小学校高学年。
映画づくりに関心のある人、将来俳優になりたい人、何か新しいことにチャレンジしてみたい人、友達づくりをしたい人、原一男ファンの人....今スグあつまれ!!
 
2007/05/21のBlog
[ 11:56 ] [ 子ども映画づくりワークショップ ]
報道関係者各位
プレスリリース 2007年5月21日


この夏、地元中学生たちが近江八幡で映画制作に挑戦!! 【6/9スタート、8月完成予定】
映画監督・原一男氏が直接指導する 『子ども映画づくりワークショップ2007 in 近江八幡』 いよいよ開幕



【概 要】
近江八幡を舞台に、地元4中学校に通う中学生有志が、足かけ3ヶ月をかけて本格的な映画づくりにチャレンジするワークショップを開催します。原一男氏(映画監督・大阪芸大教授)による直接指導のもとで、子ども達自身がシナリオ・脚本づくりから演技・撮影・編集までを行い、15分程度の短編映画を完成させ、完成披露上映会も実施します。

◆プレワークショップ(自由参加) = 5/26(土)10時~12時
◆第1回ワークショップ = 6/ 9(土)10時~16時


【データ】
対 象: 原則中学生、定員(20人程度)に至るまで参加者随時募集中!!
主会場: マルチメディアセンター(近江八幡市出町645-4)
期 間: 6~7月の土日および夏休み前半(全15回程度)、各回午前10時~午後4時頃
受講料: 無料
主 催: 地域プロデューサーズ ひょうたんからKO-MA
共 催: マルチメディアセンター 指定管理者 CM2グループ
後 援: 近江八幡市教育委員会
協 力: 八幡中学校、八幡西中学校、八幡東中学校、近江兄弟社中学校
助 成: アサヒビール芸術文化財団
特別協賛: アサヒビール株式会社


【目的・背景】
(1) 地域の次世代を担う子ども達に、近江八幡の文化を感じる豊かな感性、鋭い観察力、思いを伝える表現力などを養ってもらい、地元の魅力をもっと知ってもらいたい、という地域の思い
(2) 学校・学年の違う子ども達が、プロの指導者のもと、協力しながらひとつの作品を作り上げる体験を通じ、協調性・社会性を高め、人間として成長してほしいという教育現場の思い
(3) 映像という手法で表現することの楽しさや喜びを若いうちから体験させることで、映像を通じて地域社会や映像業界に貢献できるような人材を育成したい、という原一男監督の思い
(4) 市の公共施設であるマルチメディアセンターをもっと幅広く市民に活用してもらい、地域文化や映像に関する情報・人材の集積拠点にしていきたい、という指定管理者CM2グループの思い
(5) 全国の先進的なコミュニティ・アートへの取り組みをネットワークし、さざなみをうねりにしていきたい、というアサヒ・アート・フェスティバル実行委員の思い
…これらがひとつになり、今回の『子ども映画づくりワークショップ2007』が実現する運びとなりました。3ヶ月間で、子ども達が、地域が、教育現場がどう変わるのか、楽しみです。

【子ども映画づくりワークショップに関すること】
中学生を対象とした映画制作ワークショップは、川崎市の「しんゆり映画祭」において日本映画学校の講師陣により2000年に初めて開催されて以来、徐々に各地に広まりつつあるようですが、それでも全国で年に数件程度で、滋賀県ではおそらく初の試みと思われます。
今回は、本企画が「アサヒ・アート・フェスティバル2007」参加プログラムに選ばれたことを活かし(http://www.asahi-artfes.net/2007youkou/result.html)、札幌や沖縄など全国で同時期に開催される子ども対象の映画づくり体験企画の参加者とビデオレターなどを通じて交流したり、お互いが作った作品を交換上映することも計画中です。


【プロフィール】
◆原一男 (はら かずお)
1945年山口県生まれ、東京都在住。大阪芸術大学教授。主な監督作品に『極私的エロス・恋歌1974』(74年)、『ゆきゆきて、神軍』(87年)(日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞)、『全身小説家』(94年)ほか多数。
大阪で「CINEMA塾」や朝日カルチャー講座「ドキュメンタリーする快楽」などを主宰し、映像技術をもっと社会に活かせる人材発掘・次世代育成にも力を注いでいる。

◆地域プロデューサーズ ひょうたんからKO-MA (こま)
地域プロデューサーを養成する「おうみ未来塾」(淡海ネットワークセンター主催)の塾生が平成18年4月に設立した市民団体。滋賀県近江八幡市島地区を主フィールドに、地域の人と文化を活かした独創的かつ持続可能な農村地域コミュニティの再生に挑む。島地区住民有志ととも実行委員会を組織して昨年11月3日に主催した「座と市づくりプロジェクト2006 権座水郷コンサート」では、地域のお宝「権座」を再発掘し、創り上げた夢の舞台に観客約800人を集めた(http://gonza.xii.jp/)。また、現在、同市島町を舞台とし、伝統的な祭事の復活をきっかけとした地域再生を試みるドキュメンタリー映画制作が進行中(http://voluntary.jp/hyotan/)。

◆マルチメディアセンター
マルチメディアセンターは、市民一人ひとりが安心して快適に暮らすことができる地域社会づくりに不可欠な『地域情報化』の拠点施設として、平成12年度に近江八幡市が設置した公の施設。市のイントラネット基盤整備の拠点であるとともに、全ての市民がITをより身近に活用できるよう、市民向け事業にも幅広く取り組んでいる(http://multimediacenter.jp/)。
今回の子ども映画づくりワークショップ開催をきっかけに、原一男監督の協力を得て、今年10月からは地域の財産を映像を使って自らの手で記録・発信できる人材を養成する大人(学生~シニア)向けの「映像塾」を開講予定。

◆CM2グループ (マルチメディアセンター指定管理者)
「CM2グループ」とは、これからの時代のニーズに応える公共施設の"創造的管理"(Creative Management & Maintenance)をミッションに掲げ、キタイ設計株式会社と関西明装株式会社の2社によって結成された共同事業体。平成18年4月から、マルチメディアセンターの指定管理者として施設や事業の運営・管理全般に携わっている。
指定管理者名: CM2グループ
代表者名: キタイ設計株式会社 代表取締役 北居仙之助
所在地: 滋賀県蒲生郡安土町上豊浦1030 (キタイ設計(株)内)
構成団体: キタイ設計株式会社、関西明装株式会社


【本件に関するお問合せ先】
マルチメディアセンター 藤田 まで
Email: mmc@multimediacenter.jp
Tel: (0748) 31 - 0800 Fax: (0748) 31 - 0801


【添付資料】
◆参加者募集チラシ

2007/04/23のBlog
一夜明けて、4月22日(日)。祭の第2日目。

この日は、お隣の北津田町と合同で、神輿行列が系列のお宮さんを練り歩く。

その前に...。

午前5時。
昨夜も遅くまで起きていたはずの氏子総代さんたちが大嶋神社に集まり、「卯の刻参り」をする。


午前9時。
町民みんなに集まってもらって、町のランドマーク・権現山をバックに記念撮影。
事前に、自治会長と老人会長の承諾を得て、島町内の各戸にチラシを配っておいた。
集合場所にワラワラと町民が集まってくる様子を複数のビデオカメラに収める。
ハッピやかすりの着物を着て来てくださった方々も。
子どもも来てくれた。みんなでなかよくポーズ!!


 
午前10時半。

大嶋神社に近隣の宮司や氏子総代が集結し、祭礼の儀式が行われる。島町・北津田町の中学生女子4名が、ショウやシチリキの音にあわせて、巫女として本殿で踊りを舞った。

おごそかな雰囲気。見物人もほとんどいない。


 
 
午後2時。

例の祭礼実行委員会が寄せ集めた、神輿かつぎの若衆が勢ぞろい。「ハクチョウ」と呼ばれる白装束に身を包み、神輿の前で記念撮影。

老人に見せてもらった、50~60年前に撮られた記念写真とイメージが重なる。白装束は、時間・時代を超越する普遍性のシンボルといえよう。

 
若衆たちが神輿を担ぐ。

神社の前で、見物人の前で、『踊り』(ハイラコー!と叫びながらみんなで繰り返しジャンプする)を披露する若衆たち。

昨夜の余韻か、妙にテンションが高い。一体感もある。
祭を楽しもうとする空気が伝わってきた。

去年は、自治会長が土下座をして無理やり集め、どうにか存続できた神輿の担ぎ手。
その負の面影は、今年の彼らには、もう見られない。
さて、来年はどうなるか...?
 
宮司さんは馬に乗り、お稚児さんは肩車に乗り、神輿は台車に乗って、行列は2時間ほどかけて地域のお宮さんを巡る。

午後4時。

行列が帰ってくると、大嶋神社の馬場を2頭の馬が駆ける。
このあたりは大昔「蒲生野」と呼ばれ、皇族や平安貴族が狩り遊びをしに来ていた地域。荘園があり、たくさんの馬が飼われていた。
「やぶさめ」の発祥地もあるし、どこの神社でもたいてい馬駆けの儀式がある。

そして午後7時。

榊(さかき)に宿った若宮神社の神様を、大嶋神社から元の若宮神社にお返しして、長かった祭はフィナーレ。
 

...ふぅ。
言い知れぬ充足感。
そして、明日は月曜日。休む間もなく、またシゴトが始まる........。
 
午後8時半ごろ。

2本目の松明に点火された若宮神社に太鼓が到着。
神社を取り巻く見物人もぐんと増える。

ひと昔前は、祭の日には親類縁者が家元に集結して、見物人ももっともっと多かったという。やはり、祭はギャラリーが多いほうが盛り上がるし、楽しいものだろう。

 
到着した太鼓は、本殿の前まで行くと、掛け声とともに頭上高くに3回持ち上げられる。これは「シュウシ」といって、八幡祭でも恒例の印象深いシーン。
 
そして、3本目の松明に点火...その時!!
 
恐れていたことがおきてしまった。
なんと、「ほんがら松明」の胴体に飛び火が引火してしまったのだ!!

ドンガラ松明はもともと外側から火をつけるものなので、飛び火しても大きな問題ではないが、「ほんがら松明」は違う。

煙突状の「真」の底から火を入れ、松明の内側を通っててっぺんに火がつくのが「ほんがら」の見せ所。それを再現したいがために、村の長老たちが一年がかりでつくりあげたのに、飛び火で外から燃えてしまったのではすべてが水の泡。
神社全体に戦慄が走る。すると!!

自警団の若者のひとりが、ほんがら松明に飛びつき、飛び火した場所までよじ登って、素手で火の粉をはたいて火を消した。
それでもまだくすぶっていたので、ペットボトルのお茶をかけて見事に鎮火。

すげえ!
惜しみない拍手。 
この瞬間から、言い知れない一体感が全体を包み込んだ。
 
 
そして4本目。

いよいよほんがら松明に点火。
期待と不安を胸に、見守る老人たち。

自警団に太鼓を担いできた者たちも加勢して、ほんがら松明を取り囲む。
老人達が口々に燃やし方を伝える。みんなが大将。若者は誰の言葉を聞いていいか迷う場面も...。

 
まず、縄(燃えにくいよう、水に浸けてあった藤づるが使われている)と「アホ」(竹竿)で支えながら、慎重に松明を20度ほど傾ける。

底の穴に、火をつけた菜種殻を突っ込み、一気に垂直に戻す。
すると、松明のてっぺんから、モウモウと白い煙が出てきた!!
白龍の如く、漆黒の天上へ向かってくねりながら勢いよく立ち上る煙。
煙だけでも、圧倒的な迫力がある。すごくカッコイイ。
こんな光景は、八幡祭でも、ほかのどの町でも見られない。島町民すら、大多数は初めてみるはず。

そして、10数人の若者が、松明の底に結び付けられた地突き縄をもって「せーの!」で松明を持ち上げ、ズドンと落とす。この時、松明の中に空気がフゥッと入り込み、火が吹き上げられて上まで届く、という算段だが...。

なんせ、やるほうも生まれて初めてなら、教えるほうも50数年ぶりとあって、呼吸が合わず、松明が持ち上がらない。煙は出ても、火は上がらない。

ゲキを飛ばす老人。怒鳴り返す若者。皆が必死ゆえに、高まる緊張感。

煙の勢いが衰えてくる。再び火入れからやり直し。
やはり、地突きがなかなかうまくいかない。

いつもなら、とっくに太鼓が帰り、全ての松明に火をつけ終えているはずの時間。
あせり、苛立ちが募る。

「ようやった、もうええやろ」と言って、外側に火をつけようとする人。
飛び交う怒号。戦々恐々。

「もう一回やろーや!」
「みんな本気で力出せよ!」
「タイミング合わしていくで!」
「せーの!」

『ズーーン!!』

若者たちが意地を見せた。会心の地突き。
立ち上る煙が再び勢いを増す。
一気に息あがる若者たち。
 
もう一度火を入れ、ようやくコツをつかんだ地突きをニ連発。
松明の中からパチパチという音がこだまし、おびただしい煙とともに、真っ赤な火の粉が松明のてっぺんから飛び出してきた!!

湧き上がる歓声と拍手。
肩を抱き合い、万歳三唱する若者たち。
ほほを緩ませ、じっと炎を見つめる老人たち。

 

...正直、うまく火がつかないかもしれない、と思っていた。

60年前、青年団が毎年4本も5本もほんがら松明を作っていた時でさえ、うまく上からポッと火が出るのは1本あればいいほうだった、と老人たちから聞いていた。

しかし、こうしてほんがら松明復活の現場に居合わせた者として確信する。


この松明は、文句なしに「おもしろい」。見るのも、作るのも、火をつけるのも。
先日の八幡祭の船木町も面白いと思ったが、その比ではない。

難しいがゆえに、工夫のしがいがある。
かつて、青年団の若者たちが「ほんがら松明をいかに上手く燃やすか」にしのぎを削っていたことが心底納得できる。


事実、その場に居合わせた若者たちも「しんどかった」と後ろ向きな意見はほとんどなく、「おもろかった!」「来年もやりたい!」と口々に語っていた。
 
 
その場を経験したものだけが共有できた思い。
「(古くても、新しくても、) まつりって楽しい!!!」
これが、次への原動力になれば。
 
4月21日(土)。

このところ肌寒い日が多かったが、この日は蒸し暑いぐらいだった。
やや厚い雲が立ち込めているものの、雨の心配はなさそうだ。感謝!!

午後1時。
総勢15名のドキュメンタリー撮影スタッフが、松明が並ぶ若宮神社に集合。
現場をつぶさに歩いて、照明の位置やカメラアングルなどを入念にチェック。

 
午後6時。

ハッピ姿に身を包んだ太鼓の担ぎ手やカシラ、ちょうちんを持つ役員などが自治会館に集まって、にぎやかに宴が始まった。

宴の影で、カシラや自治会長の奥さんたちが、せっせと給仕をする。宴の席にも松明づくりにも参加できない女性たちの目に、「祭」はどう映っているのだろうか。
 

自治会館の玄関先には、飾り付けの済んだ太鼓が堂々と鎮座している。
 

 
午後8時。

酒が入って赤ら顔の男衆が威勢良く太鼓を担いで、若宮神社までの道のりを歩きだした。

力強い太鼓の音が集落に響き渡る。田んぼで合唱していたカエルたちも、しばし声を潜めて、太鼓の音に震える空気に耳を傾けているようだ。

一方、若宮神社には、各家から「子ども松明」を持ち寄る家族連れが集まっていた。

子ども松明とは、男の子がいる家で作られる小さめの松明。最近は、子ども松明を買って来る家も多いが、今年はカメラを意識してか、おじいちゃん達が孫のためにかなり大きな子ども松明を作ってくれた。


午後7時。

若宮神社の境内で、お稚児さんが、お稚児松明(お稚児さんの子ども松明)に点火する。この火が、次々に点火される松明の元火となる。文字通り、聖火リレーである。
 
 
午後8時すぎ。

太鼓の渡りが中間地点を過ぎた頃、お稚児松明・子ども松明を燃やした火が、1本目の大松明(ドンガラ)に点火される。

火を扱うのは、地元の消防団・自警団の若者たち。

今年は例年より松明が一本多いので、境内がずいぶん狭く感じる。
「ほかの松明はええけど、ほんがら松明だけには絶対飛び火させんなよ!『おまえが飛び火させたから...』て一生言われ続けるぞ!!」が、今年の自警団の合言葉になっていた。

50数年ぶりに復活した「ほんがら松明」の存在感が若者にまで伝播し、同時に村の長老たちへの畏敬の念も助長される。いい意味でも悪い意味でもなく、ここにはまだ「共同体」が息づいていることが感じられた。

 
(つづく)
 
2007/04/20のBlog
[ 23:38 ] [ ほんがら ]
明日の「宵宮祭」では、いよいよ「ほんがら松明」に点火されます。

私たちは、太鼓の渡り、燃える松明、老人や若者の表情などをしっかり映像に収めるため、全部で8人のカメラクルーを動員することになりました。

これまではずっとカメラ1人で撮ってきたので、これは全く初めての経験。

しかも、撮影は夜。
地元の造園屋さんに投光器と脚立を借り、手弁当で照明をセット。
一昨日、実際に同時刻に照明をセットしてロケハンしてきましたが、なかなかいろいろ難しい。

撮る対象も、練り歩く太鼓に燃える松明と、やり直しが利かない、一発勝負、一瞬勝負の相手。説明は何度も聞いたし、八幡祭でイメトレもしたけど、いかんせん、島町の祭を生で見るのは今回が初めて。

おまけに、天気予報を見ると天気が崩れる可能性も...。

果たしてどうなることやら...。
若宮神社の神様、権現山の神様、私たちをどうか温かく見守っていてくださいね!!
 
2007/04/15のBlog
[ 23:28 ] [ ほんがら ]
中央が空洞になっている「ほんがら」に対して、中央に空洞がなく、どん詰まりになっているものを「どんがら」と言うそうです。

今年老人クラブが50数年ぶりに復活させた1本の「ほんがら松明」以外の松明は、例年通り、自治会の「組」ごとに1本ずつ、単に竹を数本束ねて芯にした「どんがら松明」が、この日に全部で5本作られました。

「どんがら」であれば、輪・真を作る手間を省ける分、作業が簡便化でき、1日で一から完成してしまいます。


この日のうちに5本のどんがらが作られ、神社の境内に、ほんがらとともに仲良く並べられました。

写真の右から3番目、一番背が高くて太いのが老人クラブの「ほんがら」です。


どうやら、各組とも「今年は老人を敬って、老人クラブが作った松明より背を低くするように!」という暗黙の了解があったようです。

なんだかんだ言いながら、やっぱり立てるところではきちんと老人を立てる、年長者を敬うという価値観がまだしっかり残っているんだなあ、と思わず関心しました。


 
...さあ、いよいよ祭り本番まであと一週間。
撮影チームも正念場を迎えます。
 
2007/04/14のBlog
さあて、これが「八幡祭」のなかでも一番背が高い多賀町の松明。

写真に写ってるのは、松明の上半分ぐらいかな。
島町の今年のほんがら松明の3倍ぐらいありそう。
さすがに迫力あります。

ちなみに、島町でも、かつては今の倍ぐらいの背のほんがら松明を作っていたそうです。
 
夜。

1本、また1本と奉火される松明。
松明の胴体部分を覆っている「菜種殻」は、猛烈によく燃えます。
燃えカスもほとんど残りません。
しかも、燃やす前は白くてフワフワしていて、遠めに見ると美しい。

先人の智慧、ですねぇ。
写真は撮り損ねましたが、今年は、八幡祭もクライマックスに近い頃に奉火された「船木町」の松明がスゴかった!!

奉火する前から、若衆たちが妙に盛り上がってるなぁと思っていたら、なんと松明にしかけ花火が仕込まれていて、松明は点火と同時に華やかな色の炎に包まれ、なんとも幻想的な演出でした。でも、あれは相当金かかってるよなぁ、絶対。

...船木町の若者の間でいったい何が起こっていたのか?!
要、取材です。
 
 
4月14日は、近江八幡の三大火祭のひとつ、『八幡祭』の宵宮祭があった。

この『八幡祭』と、島町の松明・太鼓祭は、起源も内容もほぼ一緒。
実は、近江八幡周辺では、そこらじゅう、ほとんど全ての集落の神社という神社で、この時期(3月下旬~5月上旬)に、巨大松明を燃やして大太鼓が渡る祭が行われている。

たまたま近江八幡で一番大きな『日牟禮八幡宮』に奉納される祭が『八幡祭』と称され、氏子が多い分、一番規模が大きくて華やかなことから、観光客がたくさん押し寄せる有名な祭になったが、八幡祭だけが松明・太鼓祭ではないことは、地元でも都市部や旧市街に住む人たちは意外に知らないことも。


で、今日はその『八幡祭』で、島町での松明&太鼓のイメージトレーニングをすべく、カメラを持って宵宮に行ってきた。

 
八幡祭に限らず、この時期、この地域では「子ども松明」というミニチュア版の松明が市販されている。

祭が本格的に始まるまでの間に、この「子ども松明」が家族の手で次々燃やされるのだ。

男の子のいる家では、昔は父親か祖父が男の子の人数分、子ども松明を手づくりしていたが、今はたいてい購入しているようだ。
また、写真にあるように、男の子だけでなく、女の子用に松明を奉納する人もいるみたい。昔は「女が松明を触るとけがれる」と言って、女性は常に松明から遠ざけられていたそうで、老人世代の女性は今でも松明には近寄ろうとしない。
こうやって時代に応じてルールを変容させていくことは、いいことだと思う。
 

 
同じ八幡祭の氏子でも、集落によって奉納する松明にはそれぞれ個性がある。

北ノ庄町の「ひきずり松明」もそのひとつ。
その名の通り、火のついた松明を若衆が引きずって走るのだ。
その際、男どもが甲高い裏声で「パイ!パイ!」と叫びながら走る。どういう意味があるのかは分からない。

で、「子ども松明」を燃やしている神社の境内で、面白い場面に出くわした。

その北ノ庄から来た4~5歳くらいの男の子が、北ノ庄男児らしく、市販のミニチュア松明ではなく、北ノ庄オリジナルの「子ども引きずり松明」を持ってきて火をつけ、ハッピを着て、「パイ!パイ!」とかわいい声で叫びながらそこらじゅうを駆け回っていた。
もちろん、周りには家族や北ノ庄の隣人たちがいて、彼をはやし立てている。

いやはや、このぐらい小さなときから毎年こんな体験をしていたら、青年になっても絶対祭り好きになるやろなぁ。すたれることもないやろなぁ。
 
 
ちなみに、コレ→がホンモノの「引きずり松明」。
丸太の心棒が入っていて、なかなか重たそう。
火がついたまま、大人4人ぐらいで引っ張って走り、日牟禮八幡宮の楼門をくぐって奉火する。
 
引きずり松明が通り過ぎたあとの火の粉の道が、またアーティスティックで印象的。
 
 
松明と切っても切れないのが、大太鼓。
写真のように男衆がかつぎ、練りながら太鼓を叩き続ける。

それにしても、和太鼓の音はどうしてこうも魂をゆさぶるのだろう。

天高く燃ゆる松明の光と熱、低く深く響く太鼓の音、そして神聖なる神社のスピリチュアルな空間。

この祭がどうして千数百年もの長きに渡って続いているのか、何となく、分かる気がする。
 
2007/04/09のBlog
ごらんください!!

これが、50数年ぶりに近江八幡市島町に復活した、幻の「ほんがら松明」!!

今日、最後の仕上げの作業を行った村の古老たちの、汗と涙の結晶(?)です。


胴体部分には、先日作られた「竹」で編んだ「真」の周りに「ワラ束」を巻き、さらにその上を「菜種がら」で「化粧」されています。

上の傘の部分は、水郷の名産品・「ヨシ」

松明が倒れないよう張ってある縄は、松明に近い部分は山で取ってきた「藤蔓(フジヅル)」が使われています。ワラ縄だとすぐに燃えてしまって引き綱としての役割を果たせないので。

地場で採れる自然素材を巧みに利用して作られる巨大松明。

さあ、あとは、4/21の祭本番を待つばかり。
 
 
 
 
 
 

「真」にワラ束を巻きつける。
ワラは、丈が長く、細くしなやかで加工しやすい「もち米」のワラが良い。

 

松明を一旦立てて、ワラの上に菜種殻を覆っていく。
美しく段々ができるよう、形を整える。
ちなみに、この段の数は奇数でなければならないそうだ。
 
 

てっぺんの「傘」の部分は、地場産のヨシでつくる。
これは、日輪のシンボルだとか、ろうそくの炎を模したものだとか、諸説あるが、いずれも真偽の程は定かでない。
 
なんにしても、これはもう究極のアートでしょう。美しい。


写真右下に、「ほんがら」の穴が見えますね。
うまくいけば、ここから煙と炎が噴出すわけです。
 
 


完成したほんがら松明の重量は、2~3tにも達するらしい(地元老人談)。
これを、なんとなんと、70~80代のおじいちゃんたちだけで立ててしまった。
さすがに往年のようにはいかず、腰が痛そうではありましたが、オドロキ、感動の場面。

ちなみに、松明を立てるときに使う竹の竿のことを「アホ」と呼ぶそうです(笑)。

 
 
2007/02/28のBlog
この日、もうひとつの嬉しいハプニング。

今日の輪づくり作業の話を聞きつけた地元幼稚園の先生方が、園児を引き連れて見学に来てくださった。

この時の園児たちの反応が、老人たちから前もって取材で伝え聞いていた60~70年前の子ども達と全く同じだったことが、とにかく微笑ましかった。

誰に言われるでもなく、子ども達は列をなし、一人ずつほんがらの輪の中へ!
しかし、輪は先へ行くほど細くなり、もうそれ以上先に進めなくなって、後ずさり。

戦前の子ども達も、こうやって遊んでいたらしい。
子どもがほんがらをくぐって遊ぶこの風景もまた、50数年ぶりの復活を果たした。
 
これ(右の写真)でほぼ完成。

「ほんがら」の「真(シン)」を底から見たところ。
輪の内側に3本、外側に6本の芯竹が結われていることがよく分かる。

祭の本番では、このトンネルの中を、炎が駆け上がっていく。ハズ。(祈!)
 
 
できあがった「真」は、軽トラに乗せられ、神社の境内に運ばれた。

祭の1~2週間前には、この「真」に「化粧」が施され、この神社の境内に立つことになる。
 
2月28日。
時折小雨の振る肌寒い朝。

今日はいよいよ『輪づくり』の日。
50数年ぶりに「ほんがら松明」が復活するその姿を目の当たりにできる日。

15人ぐらいの島町の老人達が、今日の作業場であるMさん宅の倉庫に集まってきた。
皆、半世紀前の自分に戻ったかのごとく、少年のように目を輝かせている。

そして、誰が合図するでもなく、作業は始まった。

50数年まえの青年たちが、当時の記憶を手繰りながら、竹を割り、思い思いに『輪』を編んでゆく。

人くくりに「老人」といっても、年齢は60代後半から80代前半と、ひと周り以上違う。
当然、青少年時代の記憶も少しずつ異なり、所々でちいさな言い争いも起きる。

でも、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、作業は淡々と進み、次々と竹の輪が出来てきた。

みんなで作った50個ほどの「輪」を、一番大きいものから一番小さいものへと順番に並べ、竹に通していく。


 
さて、ここからが昭和一ケタ生まれの腕の見せ所。
老人達がズラリと並び、ワラ縄を使って次々と手早く芯竹に輪をくくりつけていく。

この時に使われるのが、「男結び」という結び方。
「男結び」は、しっかり結べてほどけにくく、しかも結び目が美しい、と言われている。

「松明を結うのは男結び」、というのは彼らにはもう身に染み付いた習慣だが、生活の中でワラ縄を使う機会がなくなってしまった世代には、男結びができない男衆も多い。

事実、稲作中心の農村集落であるこの島町ですら、ワラ縄はホームセンターに(恐らくは中国産のものを)買いに行かないとない時代なのである。
 
「ほんがら松明」は、とにかく結び目が多い。

輪の内側に3本、輪の外側に6本、芯竹を通すので、輪の数が50とすると、単純計算で(3+6)×50=450箇所も結び目があることになる。

その全てを「男結び」で着々と仕上げていく老人たちの手早さは、とても50年ぶりとは思えない熟練の技を思わせる。「朝飯前」という言葉がピッタリくる仕事ぶり。
 
...実は、この日に先立って、私たちはあるシカケをしていた。
そう、2/24の若衆の集まりで、このプロジェクトのことを紹介させてもらった時に、この日に「輪づくり」の作業があることを伝えておいたのだ。
 
すると、どうだ。

平日だというのに、1、2、3、...4人の若者たちが、この輪づくりに参加しにきてくれた。
爺さんたちの寄り合いに、働き盛りの若衆が仕事を休んでまで顔を出す。
こんな光景、今まではありえなかったんじゃないか?

若者たちも、見よう見まねで輪を編み、男結びに挑戦。
この日ばかりは、ウルサい爺さん達の言うことを素直に聞いている...。


4人のうちの1人、Sさんは、3年前に家族で外から島町に引っ越してきた。
田舎暮らしがしたくてあちこち探し回り、この島町に一目惚れして、家を建てたそうだ。

「田舎はつきあいが大変だぞ!」と周囲からさんざん諭されたそうだが、Sさんは言う。

「つきあいがあるからこそ楽しいし、安心して暮らせる。“つきあいが大変だ”という意識を持ってしまう今の社会の方が問題だ。」

「祭があったり、いろんな寄り合いがあるおかげで、地元の人たちと顔なじみになれた。」

「この土地に祭があって良かった。」
 
この日、老人に教わりながら、初めて「男結び」をマスターしたSさん。素直に喜ぶ満面の笑みに、幸せな感情が周囲にも伝播する。
 
左義長にも松明にも共通する、地域コミュニティにおける「祭」の存在意義。
そして、ほんがら松明づくりが生み出した、世代から世代への伝承。

私たちがなぜこのプロジェクトを始めたのか、答えのひとつが垣間見えた瞬間。