2008/07/12のBlog
[ 22:33 ]
[ 地図・絵図 ]


今日は午前中からもう夏本番を思わせる暑さで、Y氏に電話を入れると、「戦争遺跡を巡る」の予備調査ために、午後から21日講演予定のきむらけんさんと池尻を歩くと言います。急遽、打ち合わせの事もあり、少しだけ一緒に歩きました。
写真は、軒先に出ておられた年配の方に声を掛けられて、聞き取りをされている時の様子です。お二人のコンビネーションも良く、巧い取材を見させて頂きました。
この後、入道雲は雷雲に変わり、家路を急いだ筆者はびしょ濡れ、雨宿りのお二人は30分後には「雨上がる」、調査の足を進められたようです。

右の写真は、7月7日(七夕、川の日)に戻ります。
池尻・三宿周辺は、大山道(R246)の古郷せたがやへの玄関口であることは、何度か書いてきましたが、言い方を代えれば、写真の目黒区大橋を超えれば渋谷でもあり、青山の城下に繋がります。この目黒川を跨ぐ大橋は、大坂上や道玄坂上へと続く大山道帰路の最大で最後の難所であったとも言います。
数年前の「渋谷」で、渋谷は渋谷川と大山道の交点を中心に発展・密集していったことを見てきたことが、映像保存再生への道のプロローグとしましたが、古郷せたがやヴィジョン研究会の誕生(2006.6)も池尻・三宿周辺地域の地理・歴史的背景が此処の地塊・地霊から感じたからだったかも知れません。
(20080717 チラシPDF追加)
2008/07/07のBlog
[ 23:59 ]
[ 地図・絵図 ]


今日は七夕で、洞爺湖サミットでも、各国首脳が短冊に願い事を記したようです。
「平和」、「子ども」、「未来」などと言った直接的な表現が多かったようですが、議長国首相は「温故創新」、孔子の温故知新とは違って「未来を拓く」の意味らしい。
古郷せたがやヴィジョン研究会では、昭和・大正(・明治)の頃を古地図・映像などから知ることを楽しみとしていますが、知ることによって子どもたちの郷土、将来を考えた活動に繋げたい方も少なくありません。子どもたちの風景資産探訪やマップ作りを支援する活動は、この実践であるのかも知れません。写真は日本地図センターの玄関・入口で、渋谷から世田谷・三軒茶屋の大山道(R246)と東名高速に繋がる首都高が地下工事中の山手通りの交点「大橋」にあります。空からの画像では以前にココで取り上げましたが、このジャンクションの直ぐ北に日本地図センターがあり、「マップ・リーダー研修会」が今日行われました。

さて、マップ・リーダー研修会の話しに戻ります。30名ほどの研修者が今回集まり、ガイダンス、「地図学概論」から「地図と測量」、国土地理院特別講義までの一日研修となっています。地図倉庫の見学もあり、「タモリ倶楽部」でも取り上げられ取材されていたシーンを思い出しました。

地図センターの会場ならではの写真が紹介されていました。昭和20年3月10日東京大空襲米軍撮影空中写真です。この日、燃え盛る墨田、江東など東京下町の斜め空中写真には、西方の青山、渋谷、三軒茶屋から環七辺りまでが幽かに写されていました。この2ヶ月余り後の5月24日、25日には、山の手世田谷周辺の空襲でも多くの犠牲者・被害が出るのですが、空襲前の画面中央渋谷周辺や明治神宮・代々木公園、駒沢練兵場(現在の三宿交差点周辺、池尻、世田谷公園、自衛隊病院、昭和女子大ほか)など空襲前の最後の様子を伝えるものかもしれません。
2008/06/28のBlog
[ 23:59 ]
[ 映像保存 ]

東京・下北沢で「せたがや自治政策研究所主催シンポジウム」が本日午後に行われ、先日の「古郷せたがやと地球温暖化」セミナーや7/21(月、海の日)の「地域風景資産探訪とマップ作り」オリエンテーション・説明会のこともあり、参加して来ました。
基調講演は、「温暖化防止に向けた国際的潮流と我が国が歩むべき道程」と題して、政府政策提言もされている末吉竹次郎氏。氏は、学生時代に世田谷に住み、又銀行マン時代には区内で支店長をしておられていたこともあるとの由。地球温暖化問題で、欧米ではビジネス社会の意識変化が起きており、低炭素社会に向けてCO2を出すことは悪で、CO2削減することは良いことであると言うCO2基準が登場しているようです。企業・ビジネスだけでなく、行政・市民の3者協働体制が必要で、アメリカ先住民の言葉「最後の木が枯れ、最後の川が毒され、最後の魚を獲った時、人はお金は食べられないことに気づく」で講演を閉められました。銀行マン出身らしいお考えをお聞きしたように思えました。



本日のシンポジウムでは、世田谷・経堂の環境共生型コーポラティブ住宅の事例で、250年樹齢のケヤキの木の移植の話しがありました。土地所有者・大家の想いと数家族が、共同でみどりを守り増やすコーポラティブハウスを建てられたようで、涼しい快適な住環境は地域にも貢献しているようです。喜多見にお住まいの梅干野先生は、住宅を持たれる時の決め手は隣りのケヤキの大木でしたが、10年前に一日で切り倒されてしまったことを非常に残念に思ったそうですが、このような例は区内でもたくさんあったものと思われます。当時の経済(金)優先の社会が古いせたがやの良さをかなり犠牲にして地域発展(?)してきたのかも知れません。
古郷せたがやの良さは、地域風景資産として選ばれた場所と密接に関係しているものがあります。地形や歴史的背景と共に、次世代にも引き継いで行くべきものなのでしょう。
2008/06/21のBlog
[ 23:59 ]
[ 地図・絵図 ]

夕方から雨が降り出している。午後、北沢川文化遺産保存の会による街歩きに参加する。
集合の京王線「代田橋」駅を小田急線の「世田谷代田」駅と勘違いし、集合時間にやっとのことで間に合った。世田谷には、代田と名のつく駅は、もう一つ京王井の頭線「新代田」駅があり、注意が必要である。10名余りとなった一行は、この「都市物語を歩く会」を主宰されているきむらけんさんの案内で、柳田国男も探索した巨人伝説ダイタラボッチ痕跡を探訪した。
右の写真はこの地域の街区案内板。甲州街道(R20)は、新宿からの京王線と共に、隣りの杉並区との凡その境界となっている。また、この地域の豊かな風景の中心をなす和田掘給水所は、神田川や玉川上水、淀橋浄水場などともに水道歴史に重要な施設と位置付けられているようだ。
ダイタラボッチの痕跡は、今はない「代田橋」、「代田半島?」を思わせる地形にあると言うことらしい。街区案内板だけでは、その立体的イメージを思い描くのは難しい。
ダイタラボッチの痕跡は、今はない「代田橋」、「代田半島?」を思わせる地形にあると言うことらしい。街区案内板だけでは、その立体的イメージを思い描くのは難しい。
そこで役立つのが、古地図。今の地図にはない地形的な情報は、大正や昭和の初期の地形図に表れているからである。
この日も、近くにお住まいの方に取材、お聞きする際に古地図が使われた。
(古郷せたがやヴィジョン研究会でも、古地図をベースに「探訪」を行っていますが、新たな発見ができるものなのです。)
この日も、近くにお住まいの方に取材、お聞きする際に古地図が使われた。
(古郷せたがやヴィジョン研究会でも、古地図をベースに「探訪」を行っていますが、新たな発見ができるものなのです。)
2008/06/17のBlog
[ 12:37 ]
[ 映像保存 ]

先日(6/15)の古郷せたがやヴィジョン研究会の「古郷せたがやと地球温暖化」セミナーは、その前日から良く晴れわたりました。
セミナーは、主催者の狙いのように、中高生の子供がお父さんを連れて多数の参加者を集めるまでには至りませんでしたが、「脱ヒートアイランドを目指して」のゼミ形式のような梅干野(ホヤノ)先生の講演では、一般ではなかなか知ることのできない画像、映像を紹介して戴き、参加者も興味津々のようでした。

災害ボランティアコーディネーターの会では映像担当でもあることから、この状況では「地球温暖化」よりも「災害報道」に注意することなりました。右NHK映像は、緊急地震速報が初めて効力を発揮した場面です。報道番組の中であったこともあり、訓練のニュースかと思ってましたが、「これは訓練ではありません」と言っています。隣りの部屋からテレビの音に気付いて、この画像を収録して十数秒後だったでしょうか、東京三軒茶屋でも震度3で揺れ始めました。「ウォ~、・・・」

暑いくらいの日差しになっている。三軒茶屋キャロットタワー前の広報掲示板に貼ってある明日のポスター前では、若者が何かのチラシを街ゆく人に配っているが、古郷ヴィジョン研究会のポスターに気づく人は少ない。ポスターは最大10日間しか市民団体には許されていないが、小さなポスターに足を止めて見てくれた人がどれ位いたのか?…。