古郷せたがやの隣りでのマップ・リーダー研修

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今日は七夕で、洞爺湖サミットでも、各国首脳が短冊に願い事を記したようです。
「平和」、「子ども」、「未来」などと言った直接的な表現が多かったようですが、議長国首相は「温故創新」、孔子の温故知新とは違って「未来を拓く」の意味らしい。
 古郷せたがやヴィジョン研究会では、昭和・大正(・明治)の頃を古地図・映像などから知ることを楽しみとしていますが、知ることによって子どもたちの郷土、将来を考えた活動に繋げたい方も少なくありません。子どもたちの風景資産探訪やマップ作りを支援する活動は、この実践であるのかも知れません。写真は日本地図センターの玄関・入口で、渋谷から世田谷・三軒茶屋の大山道(R246)と東名高速に繋がる首都高が地下工事中の山手通りの交点「大橋」にあります。空からの画像では以前にココで取り上げましたが、このジャンクションの直ぐ北に日本地図センターがあり、「マップ・リーダー研修会」が今日行われました。

(%ノート%) と、上に書いてからサーバーの状態が良くなく、状況を見守っていましたが、随分と時間がたってしまいました。運用管理者事務局ブログ(7/10)では、「原因は、データセンターの共有部分であったことが判明し、先ほど交換修理が終了いたしました」とお詫びにあります。
 さて、マップ・リーダー研修会の話しに戻ります。30名ほどの研修者が今回集まり、ガイダンス、「地図学概論」から「地図と測量」、国土地理院特別講義までの一日研修となっています。地図倉庫の見学もあり、「タモリ倶楽部」でも取り上げられ取材されていたシーンを思い出しました。

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地図センターの会場ならではの写真が紹介されていました。昭和20年3月10日東京大空襲米軍撮影空中写真です。この日、燃え盛る墨田、江東など東京下町の斜め空中写真には、西方の青山、渋谷、三軒茶屋から環七辺りまでが幽かに写されていました。この2ヶ月余り後の5月24日、25日には、山の手世田谷周辺の空襲でも多くの犠牲者・被害が出るのですが、空襲前の画面中央渋谷周辺や明治神宮・代々木公園、駒沢練兵場(現在の三宿交差点周辺、池尻、世田谷公園、自衛隊病院、昭和女子大ほか)など空襲前の最後の様子を伝えるものかもしれません。

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駒沢練兵場周辺には、近衛砲兵営や重砲兵営、目黒川の北側には駒場練兵場、騎兵山と呼ばれた騎兵営の宿舎などが立ち並んでいたことが分ります。

そこにはどんなドラマが展開していたのでしょうか。戦地に出向いて亡くなった方、抑留された人、片足亡くした傷痍軍人、未復員兵など病院に運ばれた人など、此処を訪ねることもあるのでしょうか。