思い出のつまった実家を次代へ〜“見守るネット”で歴史ある民家の継承

2018年12月に南丹市八木町の実家を黒竹信之介・芽以さんご夫婦に譲渡しました。ここまで、会の見守るネットにお世話になり、特にマネージャーの熊田さん、徳光さん、専門家として西川さん、またこのご縁をいただいた原田さんにもお世話になりました。また、権利関係を整理頂いた友人の弘中家屋調査士にも感謝です。

当家は過去帳を見ると江戸時代初期から続いていますが、江戸末期、大半の財を無くし、曾祖父とその母が倹約に務め、小規模ながら地主として財をなし、祖父は役場に務め、その後、富本村長を務めました。屋敷は地域の中心に位置し、1000坪の屋敷に長屋門、主屋、隠居、小屋、米倉、備品蔵がある典型的な地主屋敷です。譲渡に至る経緯は別項に譲りますが(4ページ参照)、母が15年前に京都市内に移ってからは時々帰省をし、草刈り等、維持作業を行ってきましたが、主人の無い住居は痛みが徐々に進んでいました。そのような中、2年前に古材文化の会にお世話になり、黒竹夫妻に屋敷及び田んぼを借りて頂きました。入居後はご夫妻の持ち前の気遣いや探究心などで、地元の方から野菜の栽培指導やビニールハウスの無償提供を受けられるようになりました。屋敷のあり方が変わっていくのは少し寂しい気もしましたが、数十年ぶりに家が生き返ったようで、帰省の度に驚かされました。2018年の豪雨、台風では黒竹さんは京都市内の勤め先から戻り、日置消防団員として徹夜で土砂危険地域のパトロールなどに従事されたそうです。

当家は文化財でもありませんが、明治、大正、昭和、平成と時代を経てきました。曾祖父の日記には大正6年、巷では米騒動ですが、浅田家ではお正月のお祝い、お年玉の事、近所の人の還暦の祝膳のメニューまでこと細く記載されています。また母は祖父が役目で出征兵士をこの家から送ったとも話していました。古民家を残す事は日本の伝統的な文化を守ることでもありますが、私は歴史を残す、二度と過ちを繰り返さないよう、次代の人に語継ぐだけでなく、「形」でも引き継ぐことだと思っています。一方、唐臼を使って家族で餅つきをし、納豆餅を食べたこと、躾と言って母に蔵に閉じ込められた事など、思い出が走馬灯のように浮かんできます。
 2年の賃借期間も終わり、契約締結に際してはすこし思いもあり、躊躇しましたが熊田さん等の親身なアドバイスで契約に至りました。

黒竹夫妻は農家民宿に改装し、教育民泊で中学生を受け入れたい、海外からの観光客を誘致したいと様々な計画をお持ちです。継承だけではなく、その時代に合った活用で実家も喜んでくれると思います。昨年9月9日〜11日には隠居の改装ワークショップもされ、10名程度の若者が応援に駆けつけています。黒竹夫人を含む若い女性たちが、これからの日本の農家、新しい南丹市を盛り上げてくれると信じています。私も負けずに浅田家の由緒などの調査をして書き残したいと思っています。この秋に黒竹家+浅田家合同イベントを予定しています。是非、訪れて下さい。幼友達も多い地元には不義理で後ろめたい思いもありますが、これからも故郷の絆は繋いでいきたいと思います。

古材文化の会会員 浅田 徹雄(あさだ・てつお)

※「古材文化」144号(2019年3月1日発行)より転載