2008/03/26のBlog
[ 18:32 ]
[ 「障害児」改名キャンペーン ]
ご無沙汰しています。ライターの弾丸ひろこです。
だいぶブランクができてしまいました~。(^^;
そのエクスキューズではありませんが、私は実は、東京都内の某特別支援学校のPTAのリーダーをしています。この1月から3月、つまり3学期は、いわゆる「地域交流」「理解促進」の催しが目白押しでした。
PTAレベルだけでなく、地域のNPOレベルの活動も合わせると、ほぼ毎週のように、主催したり、参加したりしていました。
このペースは、かなりハードで、夫から「いつも駆けずり回って落ち着かないなぁ」と散々小言を言われましたが、それでもやはり、充実した日々でした。
おおげさに言うと、私はいつもこうした活動に「使命」、自分の命を使うに値する確かなものを感じます。
じゃ、「地域交流」「理解促進」の活動って何か‥。
PTAレベルでの例を挙げると、特別支援学校には「交流授業」といって、地域の小学校の生徒さんたちが特別支援学校にやってきて、一緒に授業をする機会があります。
交流授業をする地域の学校は決まっていて、「交流校」と呼びます。
その交流校の生徒さんたちと一緒に、そのお母さん方も特別支援学校にいらしていただき、交流授業を見学していただきます。
その後、私たち特別支援学校のお母さんと交流校のお母さんたちが、交流授業の感想を語り合う時間を設けています。
つまり、子供だけでなく、お母さん同士の交流も同時に行うようにしているのです。
あるいは、区の小学校のPTA連合会に協力をお願いし、交流校だけでなく、区内全域の小学校のPTAに特別支援学校への見学と理解促進のレクチャーへの参加を呼びかけたこともあります。交通アクセスの悪い辺鄙な場所にある学校にどれだけ参加してくれるか心配でしたが、参加定員をはるかに上回り、思いもかけず大規模な催しになったということもありました。
この地域の子供同士、お母さん同士の交流の日々の中での発見、感動を、その都度このブログに書く余裕がなかったのが本当に悔やまれてなりません。(このブログも3月で終了ですものね)。
今回、ひとつだけ、ある場面を紹介します。
「交流授業」を見学した後、交流校のお母さんたちと特別支援学校のお母さんたち合わせて20人弱ですが、保護者控え室で交流授業見学の感想を一人ずつ順番に語っている時のこと。
「最初は緊張しながらも、授業の最後の方はどの子がどの学校の子かわからないくらい打ち溶け合っている子供たちの姿に感動した」、
そんな感想が異口同音に語られる中、ふと気がつくと、交流校のお母さんたちも特別支援学校のお母さんたちも皆、涙を流している。
子どもたちの柔軟な心のあり方を目の当たりにし、
その姿に突き動かされ、
膝をつき合わせながら感想を互いに語り合う中で、
母親たちもまた、自分の子供にハンディがあるなしを超え、
子育てをしている同じ母親として人間として、
深い感動や気づきを共有できた、
そんな密度の濃い時間でした。
私は以前、活動の中で一番力を入れているのは、子供向けのユニバーサルなイベント作りであり、その理由のひとつに大人はもう手遅れだからと書きました。
でも、大人も決して手遅れじゃない。
きちんと、ハンディのある大人や子どもを理解する場を設ければ、
子供よりちょっと時間がかかるかもしれないけれど、
心のバリアは必ず溶けていく。
今までそういう機会がなかっただけなのだ、
そう実感した日々でした。
総務省のある調査によると、この国で「障害者」を手助けしたことがない理由として、
“「障害者」を見たこともなければ触れたこともないから”と答えた人が8割
だというデータがあります。
つまり「差別以前」なのです。見たことも触れたこともないのですから。
だから、まずは見る、出会う、そしてきちんと理解してもらう場を、あらゆるレベルで設けること。これは、まず当事者から働きかけるより他ないのです。
奇しくも、東京都では、特別支援学校に通う子どもが居住地校に副次的に籍を置く副籍制度がスタート。
今学期うちの子も、ハンディがなかったら通っていたであろう、自宅から徒歩5分の小学校で副籍デビューを果たしました。
詳しくはまたいつか機会があったら書きたいですが、ここでも子供たちの心の柔軟さを実感、副籍先のクラスの子供たちのキラキラした目が忘れられません。
素晴らしい制度だと思うのですが、特別支援学校でこの副籍制度に参加することを望む親は決して多くないと以前も書きました。
「障害児」の世界を見にきてもらうことも、その世界からよっこらしょと、子供を外に出すことも、親にとっては並大抵のエネルギーではないのです。
お子さんのハンディによっては、それが不可能な場合もあります。
だから、なんとかそれができる私たち親子(幸いにも、うちの子は、私に似て交流するのも大勢の注目を浴びるのも、どこか新しい場に行くのも大好き!)は、それができない方たちの分も頑張って、地道にやっていきたいと思っています。
そして、そして、「障害児」改名に関するアクションもあきらめません!!
こうした地域での理解促進の活動の方にエネルギーを使い果たし、改名キャンペーンに時間を割けなかったのが本当に残念ですが、
まさにその活動の日々の中で、理屈抜きで、素朴に、どのような子供であれ、人であれ、人間に対して「障害」という言葉をつけるべきではないということを改めて確信しています。
「障害」という言葉は人につけてはいけない言葉なのです。
それに何の疑問も持たない社会や人の心にむしろ「障害」があるというべきです。
改名キャンペーンをして本当に良かったことは、当事者以外の人も熱く賛同してくださる方がたくさんいたこと。
呼ばれる方も嫌なら呼ぶ方も嫌なのだとわかり、随分と励まされました。ありがとう、本当にありがとうございます。
どのような分野であれ、いわゆる日本における「当事者の運動」って、当事者以外の人はかかわりにくいようですね。
下手にかかわると、ヒステリックな当事者に「あなたに何がわかるの」とばかりにピシャリとやられる。やがて、その運動の理念も活動も、使われているボキャブラリーさえ、当事者という「狭い囲い」だけにしか通用しないものとなる・・・。
しかし、東京大学大学院教授の上野千鶴子さんも「当事者主権」という本で書いていますが、今のこの「超高齢化社会」の日本で、福祉をめぐる問題に関して、純粋に当事者でない人なんて果たしているのでしょうか?
私はこの問題を、当事者か否かにかかわらず、関心を持った全ての方、その人自身の問題として、よりオープンに提起していきたいと思います。
いずれにせよ、「障害児」改名キャンペーンは、もう一度戦略を練り直し、何らかの形で継続していきますので、少しでもご関心のある方は、どうぞこれからも伴走してください!
宜しくお願いします。
ご精読ありがとうございました!

だいぶブランクができてしまいました~。(^^;
そのエクスキューズではありませんが、私は実は、東京都内の某特別支援学校のPTAのリーダーをしています。この1月から3月、つまり3学期は、いわゆる「地域交流」「理解促進」の催しが目白押しでした。
PTAレベルだけでなく、地域のNPOレベルの活動も合わせると、ほぼ毎週のように、主催したり、参加したりしていました。
このペースは、かなりハードで、夫から「いつも駆けずり回って落ち着かないなぁ」と散々小言を言われましたが、それでもやはり、充実した日々でした。
おおげさに言うと、私はいつもこうした活動に「使命」、自分の命を使うに値する確かなものを感じます。
じゃ、「地域交流」「理解促進」の活動って何か‥。
PTAレベルでの例を挙げると、特別支援学校には「交流授業」といって、地域の小学校の生徒さんたちが特別支援学校にやってきて、一緒に授業をする機会があります。
交流授業をする地域の学校は決まっていて、「交流校」と呼びます。
その交流校の生徒さんたちと一緒に、そのお母さん方も特別支援学校にいらしていただき、交流授業を見学していただきます。
その後、私たち特別支援学校のお母さんと交流校のお母さんたちが、交流授業の感想を語り合う時間を設けています。
つまり、子供だけでなく、お母さん同士の交流も同時に行うようにしているのです。
あるいは、区の小学校のPTA連合会に協力をお願いし、交流校だけでなく、区内全域の小学校のPTAに特別支援学校への見学と理解促進のレクチャーへの参加を呼びかけたこともあります。交通アクセスの悪い辺鄙な場所にある学校にどれだけ参加してくれるか心配でしたが、参加定員をはるかに上回り、思いもかけず大規模な催しになったということもありました。
この地域の子供同士、お母さん同士の交流の日々の中での発見、感動を、その都度このブログに書く余裕がなかったのが本当に悔やまれてなりません。(このブログも3月で終了ですものね)。

今回、ひとつだけ、ある場面を紹介します。
「交流授業」を見学した後、交流校のお母さんたちと特別支援学校のお母さんたち合わせて20人弱ですが、保護者控え室で交流授業見学の感想を一人ずつ順番に語っている時のこと。
「最初は緊張しながらも、授業の最後の方はどの子がどの学校の子かわからないくらい打ち溶け合っている子供たちの姿に感動した」、
そんな感想が異口同音に語られる中、ふと気がつくと、交流校のお母さんたちも特別支援学校のお母さんたちも皆、涙を流している。
子どもたちの柔軟な心のあり方を目の当たりにし、
その姿に突き動かされ、
膝をつき合わせながら感想を互いに語り合う中で、
母親たちもまた、自分の子供にハンディがあるなしを超え、
子育てをしている同じ母親として人間として、
深い感動や気づきを共有できた、
そんな密度の濃い時間でした。
私は以前、活動の中で一番力を入れているのは、子供向けのユニバーサルなイベント作りであり、その理由のひとつに大人はもう手遅れだからと書きました。
でも、大人も決して手遅れじゃない。
きちんと、ハンディのある大人や子どもを理解する場を設ければ、
子供よりちょっと時間がかかるかもしれないけれど、
心のバリアは必ず溶けていく。
今までそういう機会がなかっただけなのだ、
そう実感した日々でした。
総務省のある調査によると、この国で「障害者」を手助けしたことがない理由として、
“「障害者」を見たこともなければ触れたこともないから”と答えた人が8割
だというデータがあります。
つまり「差別以前」なのです。見たことも触れたこともないのですから。
だから、まずは見る、出会う、そしてきちんと理解してもらう場を、あらゆるレベルで設けること。これは、まず当事者から働きかけるより他ないのです。
奇しくも、東京都では、特別支援学校に通う子どもが居住地校に副次的に籍を置く副籍制度がスタート。
今学期うちの子も、ハンディがなかったら通っていたであろう、自宅から徒歩5分の小学校で副籍デビューを果たしました。
詳しくはまたいつか機会があったら書きたいですが、ここでも子供たちの心の柔軟さを実感、副籍先のクラスの子供たちのキラキラした目が忘れられません。
素晴らしい制度だと思うのですが、特別支援学校でこの副籍制度に参加することを望む親は決して多くないと以前も書きました。
「障害児」の世界を見にきてもらうことも、その世界からよっこらしょと、子供を外に出すことも、親にとっては並大抵のエネルギーではないのです。
お子さんのハンディによっては、それが不可能な場合もあります。
だから、なんとかそれができる私たち親子(幸いにも、うちの子は、私に似て交流するのも大勢の注目を浴びるのも、どこか新しい場に行くのも大好き!)は、それができない方たちの分も頑張って、地道にやっていきたいと思っています。
そして、そして、「障害児」改名に関するアクションもあきらめません!!
こうした地域での理解促進の活動の方にエネルギーを使い果たし、改名キャンペーンに時間を割けなかったのが本当に残念ですが、
まさにその活動の日々の中で、理屈抜きで、素朴に、どのような子供であれ、人であれ、人間に対して「障害」という言葉をつけるべきではないということを改めて確信しています。
「障害」という言葉は人につけてはいけない言葉なのです。
それに何の疑問も持たない社会や人の心にむしろ「障害」があるというべきです。
改名キャンペーンをして本当に良かったことは、当事者以外の人も熱く賛同してくださる方がたくさんいたこと。

呼ばれる方も嫌なら呼ぶ方も嫌なのだとわかり、随分と励まされました。ありがとう、本当にありがとうございます。
どのような分野であれ、いわゆる日本における「当事者の運動」って、当事者以外の人はかかわりにくいようですね。
下手にかかわると、ヒステリックな当事者に「あなたに何がわかるの」とばかりにピシャリとやられる。やがて、その運動の理念も活動も、使われているボキャブラリーさえ、当事者という「狭い囲い」だけにしか通用しないものとなる・・・。
しかし、東京大学大学院教授の上野千鶴子さんも「当事者主権」という本で書いていますが、今のこの「超高齢化社会」の日本で、福祉をめぐる問題に関して、純粋に当事者でない人なんて果たしているのでしょうか?
私はこの問題を、当事者か否かにかかわらず、関心を持った全ての方、その人自身の問題として、よりオープンに提起していきたいと思います。
いずれにせよ、「障害児」改名キャンペーンは、もう一度戦略を練り直し、何らかの形で継続していきますので、少しでもご関心のある方は、どうぞこれからも伴走してください!
宜しくお願いします。
ご精読ありがとうございました!
2008/03/21のBlog
[ 22:34 ]
[ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライター こがにです♪
東京都立東部療育センターで、最近配布されているのが
カラフルでかわいらしい、この花模様のシール。
なんだか春の訪れを感じさせる、ワクワクするもののようにも思えます。
けれども、ここに描かれているこのシールの中には
「We Need Nurse」
「最も弱いものを、ひとりももれなく守る」
そう・・・療育センターの悲鳴ともとれるような
そんなメッセージが書かれているシールです。
『看護師不足』
全国的にも問題視されているこの看護師不足。
原因の発端は、医療費を削減させようと厚生労働省が考えた
「診療報酬の改定」と、「手厚い看護体制」の新基準にあります。
実はこの「診療報酬の改定」というのは、入院病棟の看護師配置によって
病院が受けられる入院基本料が増減するというもの。
特に診療報酬がアップする、いわゆる「7対1」という手厚い看護を推奨することで
病院側も診療報酬がアップし、患者にとっても、メリットの大きいものだと
当初、厚生労働省は考えていたようですが・・・
蓋を開けてみると、とんでもない!
診療報酬をアップさせようと、大学病院を初め、大きな病院が躍起になるありさま。
現場では、主任クラスの看護師が何人も引き抜かれ、次々とやめていくという顛末に。
そのため、実は、全国の中小病院が悲鳴を上げ・・・次々に閉鎖に追い込まれる始末。
しかも、なんとか診療報酬を確保した大病院も、悠々自適とはいかず。
ベテランスタッフが離職してもなんとかやりくりするものの、
現場は悲鳴を上げるほど忙しい毎日。
そのハードな仕事のためか、離職者は後を絶たず、また看護師の確保に躍起になる。
そんな悪循環が起きています。
そして、この悪循環の連鎖は・・・
我が家のユニ育事情でさえ、脅かしています。
===
◆療育センターの場合
大学病院や大きな病院でさえ不足している看護師ということもあり
療育センターなどでも、慢性的に不足している状態が続いています。
特に、療育センターなどの場合。
すでに施設入所している人たちの看護師数を削減するわけにもいかないため、
仕方なく看護師を調整できるのは、「短期入所」を受け入れる数。
このため、「在宅」で生活する我が家のようなタイプの家庭が、思うように短期入所できず
24時間365日休む間もなく介護を継続的に強いられる状態が続いています。
また、都内のある施設では短期入所などに利用していた病棟を
まるごと1つ閉鎖した事例も起きています。
◆訪問看護
医療的ケアのある障害児者を支えるのは、なんといっても訪問看護。
けれども、訪問看護師をかかえる訪問看護ステーションが、
肝心の親病院の病棟に看護師をとられ、看護師不足に!
「募集をかけてもかけても、こないのよ」と
こちらも、悲鳴を上げています。
在宅の生命線でもある訪問看護のサービスがうけられず、
しかも介護者が疲労困憊しても、短期入所がうけられないという現実。
痰の吸引や栄養剤の注入といった医療的ケアがあるために、
家族は24時間休む間もなく、介護を強いられるのに・・
これでは、医療的ケアのある障害児者や家族の命を縮めることにもつながる緊急事態!!
このままだと、せっかく築いてきた在宅で暮らすという道さえ、
閉ざされてしまうことにもなりかねません。
「読売新聞ONLINE」2007年1月14日の記事によると、厚労省の発表では、
2005年の看護職員(看護師、保健師、助産師、准看護師)の
就業者数は130万8409人。
06年から5年間の需給見通しでは、需要に対し97~99%の供給が可能とされているようです。
けれども、過酷な労働実態であるためか、毎年約5万人が看護学校などを卒業し、
新たに看護職員になっているものの!!!!!
1年以内の離職率(病院間の移動も含む)は、9・3%(04年)に上るとされています。
しかも、資格を持ちながら現在は働いていない看護職員は、全国で約55万人。
この実態こそ、なんとかしなければ・・・
===
東部療育センターで配布されているこのシールには
「共にあゆむ看護を実践」という言葉も書かれています。
重症心身障害児者という、重度の身体障害と知的障害をあわせもつ我が家のユニ育ちゃんも含め
社会的にも「最も弱い」立場である人たちの生命が守られない現状は、
もしかしたら、大切な何かを置き去りにしているのではないでしょうか。
医療によって救われ、医療によって生きる喜びとチャンスを得られたからこそ
医療に携わる人たちの現実をなんとかしたい。。
そう感じている毎日です。
『We Need Nurse』
東部療育センターからの叫びを、どうぞ皆様ご理解いただき
看護師の確保に向けて、ご協力いただけたら幸いです。
重症心身障害児と呼ばれる子どもを持つ、1人の親のつぶやきでした。
★お読みいただき、ありがとうございました
東京都立東部療育センターで、最近配布されているのが
カラフルでかわいらしい、この花模様のシール。
なんだか春の訪れを感じさせる、ワクワクするもののようにも思えます。
けれども、ここに描かれているこのシールの中には
「We Need Nurse」
「最も弱いものを、ひとりももれなく守る」
そう・・・療育センターの悲鳴ともとれるような
そんなメッセージが書かれているシールです。
『看護師不足』
全国的にも問題視されているこの看護師不足。
原因の発端は、医療費を削減させようと厚生労働省が考えた
「診療報酬の改定」と、「手厚い看護体制」の新基準にあります。
実はこの「診療報酬の改定」というのは、入院病棟の看護師配置によって
病院が受けられる入院基本料が増減するというもの。
特に診療報酬がアップする、いわゆる「7対1」という手厚い看護を推奨することで
病院側も診療報酬がアップし、患者にとっても、メリットの大きいものだと
当初、厚生労働省は考えていたようですが・・・
蓋を開けてみると、とんでもない!
診療報酬をアップさせようと、大学病院を初め、大きな病院が躍起になるありさま。
現場では、主任クラスの看護師が何人も引き抜かれ、次々とやめていくという顛末に。
そのため、実は、全国の中小病院が悲鳴を上げ・・・次々に閉鎖に追い込まれる始末。
しかも、なんとか診療報酬を確保した大病院も、悠々自適とはいかず。
ベテランスタッフが離職してもなんとかやりくりするものの、
現場は悲鳴を上げるほど忙しい毎日。
そのハードな仕事のためか、離職者は後を絶たず、また看護師の確保に躍起になる。
そんな悪循環が起きています。
そして、この悪循環の連鎖は・・・
我が家のユニ育事情でさえ、脅かしています。
===
◆療育センターの場合
大学病院や大きな病院でさえ不足している看護師ということもあり
療育センターなどでも、慢性的に不足している状態が続いています。
特に、療育センターなどの場合。
すでに施設入所している人たちの看護師数を削減するわけにもいかないため、
仕方なく看護師を調整できるのは、「短期入所」を受け入れる数。
このため、「在宅」で生活する我が家のようなタイプの家庭が、思うように短期入所できず
24時間365日休む間もなく介護を継続的に強いられる状態が続いています。
また、都内のある施設では短期入所などに利用していた病棟を
まるごと1つ閉鎖した事例も起きています。
◆訪問看護
医療的ケアのある障害児者を支えるのは、なんといっても訪問看護。
けれども、訪問看護師をかかえる訪問看護ステーションが、
肝心の親病院の病棟に看護師をとられ、看護師不足に!
「募集をかけてもかけても、こないのよ」と
こちらも、悲鳴を上げています。
在宅の生命線でもある訪問看護のサービスがうけられず、
しかも介護者が疲労困憊しても、短期入所がうけられないという現実。
痰の吸引や栄養剤の注入といった医療的ケアがあるために、
家族は24時間休む間もなく、介護を強いられるのに・・
これでは、医療的ケアのある障害児者や家族の命を縮めることにもつながる緊急事態!!
このままだと、せっかく築いてきた在宅で暮らすという道さえ、
閉ざされてしまうことにもなりかねません。
「読売新聞ONLINE」2007年1月14日の記事によると、厚労省の発表では、
2005年の看護職員(看護師、保健師、助産師、准看護師)の
就業者数は130万8409人。
06年から5年間の需給見通しでは、需要に対し97~99%の供給が可能とされているようです。
けれども、過酷な労働実態であるためか、毎年約5万人が看護学校などを卒業し、
新たに看護職員になっているものの!!!!!
1年以内の離職率(病院間の移動も含む)は、9・3%(04年)に上るとされています。
しかも、資格を持ちながら現在は働いていない看護職員は、全国で約55万人。
この実態こそ、なんとかしなければ・・・
===
東部療育センターで配布されているこのシールには
「共にあゆむ看護を実践」という言葉も書かれています。
重症心身障害児者という、重度の身体障害と知的障害をあわせもつ我が家のユニ育ちゃんも含め
社会的にも「最も弱い」立場である人たちの生命が守られない現状は、
もしかしたら、大切な何かを置き去りにしているのではないでしょうか。
医療によって救われ、医療によって生きる喜びとチャンスを得られたからこそ
医療に携わる人たちの現実をなんとかしたい。。
そう感じている毎日です。
『We Need Nurse』
東部療育センターからの叫びを、どうぞ皆様ご理解いただき
看護師の確保に向けて、ご協力いただけたら幸いです。
重症心身障害児と呼ばれる子どもを持つ、1人の親のつぶやきでした。
★お読みいただき、ありがとうございました
2008/03/10のBlog
[ 21:35 ]
[ 海外の子育て事情 ]
こんにちは。
イラストライターの大枝桂子
です。
本日のお題は、
5>発達を促すコミュニケーション
。
さっそく参ります。
発達を促す介入法として紹介されたコンテンツは、
1子どもの興味のあることを話題にする
2子どもの発達に合わせた会話を心がける
3「それ」などの抽象的な言葉をさけ、明確な言葉、文章で話す
4同じ言葉や文章を繰り返して、覚える機会を増やす
5ゆっくり話す
6子どもにもゆっくり考え、話す時間を与える
7会話する機会を作り出す 等
以上、どれも分かり切ったような内容だと思うのですが、
7の「会話する機会を作り出す」のテクに含まれる
“Request for more strategy”は、ちょっと以外でした。(^_^;)
訳すと、「お願いもっと作戦」?
例1>子どもが好きなオモチャを
わざと手に届かない棚の上などに置いておき、
「またあのオモチャを取って!」という指さしや
発語を促す。
例2>ブランコを押してあげているときに、
わざと途中でその手を休める。
こうすることで、子どもの「もっとこいで!」という
言葉を引き出す。
例3>ランチのときに、
フォークだけテーブルに用意して
スプーンをわざと置き忘れる。
こうして子どもに
「スプーンもちょうだい!」と言わせる状況を作り出す。
つまり、欲しいものを手に入れるために
コミュニケーションを必要とさせるシチュエーションを
あえて作ってしまうという戦略ですね。
かなり不自然な気がしますが
「欲求」「要求」は発語の原点ですから、
なかなか言葉の出にくいお子さんには
効果があるのかもしれません。
「不自然」と言えば、
4番目の同じ言葉や文章を繰り返すというのも
こちらはやりかたが半端でないので、
少々不自然な印象を受けます。
園に観察しに行ったときも、
リンダ先生がくどいくらい同じ言葉、フレーズを繰り返していましたから。
(メーガフォン、メーガフォン、言ってごらん、
メーーガフォン!(^_^;))
実際、町でも何回かそういうシーンに出会ってます。
たとえば、あるおじいちゃん。
自分の孫に(ちょうど1才になったばかりくらいの子、
たぶん、この子には障碍はない)
近くにあった彫像の体の部位を指さしながら……
Granpa「イッツァ ショルダー。ショルダー。ショルダー」
Baby「ア~」
Granpa「イエース! (?)
ショルダー。イッツァ ショルダー。
ショルダー。ショールダー」
いかにも「インプット」って感じでしたよ。(笑)
受験期に何度も聞いた
「反復は力なり」とはまさにこのことかと思いました。
でも、それで英単語が覚えられるなら、
私も耳元で繰り返して欲しいと思った私・・。
右上にアップした図は、記憶のメカニズムを私が勝手に
イメージしたものです。
実用、もしくは練習の場面で出くわした言葉は、
記憶のエリアに向かってドンドントンネルを延ばしていく。
そして実用と記憶のエリアがつながって
しっかりしたトンネルができると、
その言葉を聞いて理解したり、使えたりするようになる。
ただし、
一度聞いただけでトンネルが貫通してしまうお得な人もいれば、
30回以上聞かないと通じない人もいる。(←私)
また、若いウチは地盤が軟らかいので、トンネル掘りも楽だから、
ドンドントンネルが増えるということもいえそうです。
(逆に年齢がいって地盤が固くなってくると、
トンネルが掘りにくくなるどころか
既存のトンネルが落盤を起こして
「ど忘れ」なんてことも頻繁に起こったり?(^_^;))
とまれ、トンネルを記憶のエリアにまで延ばすには、
何度もアクセスする必要がある。
しかも(これは私の経験によるものですが)、
同じ言葉やことがらを、同じ場所で学んだ場合より、
回数は同じでも違う場所で(違う人から)聞いた方が断然記憶に残りやすい。
つまり、園で「メガフォーン」を10回聞くより、
園の先生から5回、オウチのママから違うシチュエーションで5回聞いた方が
(あちこちで経験を重ねた方が)
より早く、トンネル工事が進むんですよね!
アメリカ式意識的リピート掘削法の善し悪しは別として、
よりたくさんの人がその子に関わることの大切さって、
そこにもあるのかなって思いました。
ではでは本日はこの辺で~。



本日のお題は、


さっそく参ります。
発達を促す介入法として紹介されたコンテンツは、
1子どもの興味のあることを話題にする
2子どもの発達に合わせた会話を心がける
3「それ」などの抽象的な言葉をさけ、明確な言葉、文章で話す
4同じ言葉や文章を繰り返して、覚える機会を増やす
5ゆっくり話す
6子どもにもゆっくり考え、話す時間を与える
7会話する機会を作り出す 等
以上、どれも分かり切ったような内容だと思うのですが、
7の「会話する機会を作り出す」のテクに含まれる
“Request for more strategy”は、ちょっと以外でした。(^_^;)
訳すと、「お願いもっと作戦」?
例1>子どもが好きなオモチャを
わざと手に届かない棚の上などに置いておき、
「またあのオモチャを取って!」という指さしや
発語を促す。
例2>ブランコを押してあげているときに、
わざと途中でその手を休める。
こうすることで、子どもの「もっとこいで!」という
言葉を引き出す。
例3>ランチのときに、
フォークだけテーブルに用意して
スプーンをわざと置き忘れる。
こうして子どもに
「スプーンもちょうだい!」と言わせる状況を作り出す。
つまり、欲しいものを手に入れるために
コミュニケーションを必要とさせるシチュエーションを
あえて作ってしまうという戦略ですね。
かなり不自然な気がしますが
「欲求」「要求」は発語の原点ですから、
なかなか言葉の出にくいお子さんには
効果があるのかもしれません。
「不自然」と言えば、
4番目の同じ言葉や文章を繰り返すというのも
こちらはやりかたが半端でないので、
少々不自然な印象を受けます。
園に観察しに行ったときも、
リンダ先生がくどいくらい同じ言葉、フレーズを繰り返していましたから。
(メーガフォン、メーガフォン、言ってごらん、
メーーガフォン!(^_^;))
実際、町でも何回かそういうシーンに出会ってます。
たとえば、あるおじいちゃん。
自分の孫に(ちょうど1才になったばかりくらいの子、
たぶん、この子には障碍はない)
近くにあった彫像の体の部位を指さしながら……
Granpa「イッツァ ショルダー。ショルダー。ショルダー」
Baby「ア~」
Granpa「イエース! (?)
ショルダー。イッツァ ショルダー。
ショルダー。ショールダー」
いかにも「インプット」って感じでしたよ。(笑)
受験期に何度も聞いた
「反復は力なり」とはまさにこのことかと思いました。
でも、それで英単語が覚えられるなら、
私も耳元で繰り返して欲しいと思った私・・。
右上にアップした図は、記憶のメカニズムを私が勝手に
イメージしたものです。
実用、もしくは練習の場面で出くわした言葉は、
記憶のエリアに向かってドンドントンネルを延ばしていく。
そして実用と記憶のエリアがつながって
しっかりしたトンネルができると、
その言葉を聞いて理解したり、使えたりするようになる。
ただし、
一度聞いただけでトンネルが貫通してしまうお得な人もいれば、
30回以上聞かないと通じない人もいる。(←私)
また、若いウチは地盤が軟らかいので、トンネル掘りも楽だから、
ドンドントンネルが増えるということもいえそうです。
(逆に年齢がいって地盤が固くなってくると、
トンネルが掘りにくくなるどころか
既存のトンネルが落盤を起こして
「ど忘れ」なんてことも頻繁に起こったり?(^_^;))
とまれ、トンネルを記憶のエリアにまで延ばすには、
何度もアクセスする必要がある。
しかも(これは私の経験によるものですが)、
同じ言葉やことがらを、同じ場所で学んだ場合より、
回数は同じでも違う場所で(違う人から)聞いた方が断然記憶に残りやすい。
つまり、園で「メガフォーン」を10回聞くより、
園の先生から5回、オウチのママから違うシチュエーションで5回聞いた方が
(あちこちで経験を重ねた方が)
より早く、トンネル工事が進むんですよね!
アメリカ式意識的リピート掘削法の善し悪しは別として、
よりたくさんの人がその子に関わることの大切さって、
そこにもあるのかなって思いました。
ではでは本日はこの辺で~。
2008/03/04のBlog
[ 19:22 ]
[ 海外の子育て事情 ]


前回、「統合保育における汎用的指導戦略」Generic Instructional Strategiesについて、2月中にアップすると書いておいて、
もう3月になってるじゃないですか!
なんでかな~

とにかく、気を取り直し、4>課題分析(課題の細分化)について書きますね。


課題分析(Task analysis)というのは、
平たく言うと、「やるべき行動がどんな流れ(Sequence)で構成されているか」を見てみましょう、といいうことです。
たとえば、一人で手を洗えない子に「自分で洗えるようになる」ことが
目標としてセットされた場合、
いきなり「はい、やってごらーん」という一言ではうまくいかないですよね。
どんな場合でも、まず大人がモデルを示すことになると思いますが、
それでも、ただ見ただけでは覚えきれないことがある。
というのは、ふだん私たちが何気なくやっている「手を洗う行動」も、
実は一連の行動の流れから成り立っていて、
知的にちょっと遅れがあるお子さんの場合、
全部一気に覚えきれないかもしれないんですね。
実際、「手を洗う行動」を細分化してみるとこんな感じです。
ステップ1

ステップ2

ステップ3

ステップ4

ステップ5

ステップ6

(手洗いの歌や、数を数える、砂時計を使うなどで、
必要十分な手洗いの時間をキープする)
ステップ7

ステップ8

ステップ9

こうやって書くと、けっこう大変なんだ~って思いませんか?
どんな行動(課題)でもだいたいはこんなふうに、
一つ一つの動作が鎖状につながって成り立ってるんです。
このうち、どのステップを飛ばしてしまっても、
ちゃんと手が洗えたことにならないんですから、
それができるようになるって、相当えらいことですよ。
一つの行動をマスターするための「課題分析の方略」としては、
1、その子に身につけて欲しい行動を目標として設定する
(手を洗う、食後のお片付けをする、など)
2、上のようにその行動をステップに細分化して書き出す
3、まず、ステップ1がひとりでできるように、サポートし、
それがひとりでできるようになったら、
次はステップ2…というように、
少しずつ一人でできるステップを増やしていく。
さらにもう一つ、
これは面白いな、と思ったのですが、
バックワードチェーンニングBackward Chaining という方法もあります。
「逆ステップ法」と訳すといいかもしれません。
つまり、ステップの後ろから、
9>8>7>…と、逆にマスターしていってもらうという方法ですね。
手洗いの例でいいますと、
まず、ステップ8までは大人と一緒に行い、
最後の「手を拭く」ことだけは一人でできるように覚えてもらう。
それができるようになったら、
次はステップ7まで大人がサポートし、
ステップ8

ステップ9

この二つをお子さんにひとりでやるように促す。
こうすると、最後のステップを先にクリアするので、
達成感も味わいやすくてモチベーションもあがる、という利点があるのだと
思います。
ところで、
こういったサポートを大人がするとき(特に日本人は?(^_^;))
ついつい、手は出さないまでも口であれこれ言いたくなりますよね。
まだ慣れないウチは、口頭で次の行動を示唆することが
必要かも知れませんが、
前にお話しした「足場理論」Scaffoldingに乗っ取って、
言葉の指示も少しずつ減らしていく必要があります。
そうでないと、指示されないとできなくなってしまうので。
余談ですが、
こちらでは、「自立」というのがすべての子どもの最終目標として
きっちりセットされています。
日本の保育者さんは、「子どもと一緒にあそぶ」というモードで
保育されるシーンがけっこうあるようですが、
こちらではそういうのはあんまり歓迎されていません。
子どもがコツをつかんだな、と思ったら、
「その子を見ない」「その場を離れる」ことが推奨されているんですよ。
おもしろいですね。
ではでは、本日はこの辺で!
2008/03/02のBlog
[ 19:28 ]
[ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライター こがにです♪
ユニ育な毎日というのは、どちらかというと・・・
寄付をするよりも、されることのほうが多いのが現実です。
人からの行為は本当にありがたいのですが、自分にも何かできるはず??
そう思いながら、ユニ育ちゃんと自宅でのんびり過ごしている毎日です。
ありがたいことに、今はインターネットが当たり前の時代。
私がブログを始めて、もうすぐ4年ほどの月日が経ちますが
この間に、ネット事情というものが大きく変化していることを実感。
特に「ネットオークションの売り上げを寄付」「クリック募金」のように、
自分の行為と社会とが瞬時につながるような寄付活動が急増!
自宅にいながら気軽に寄付する人になれちゃうのが・・なんともうれしいです♪
===
例えば、クリック募金を集めたサイト。
できた当時は、確か障害者や難病に関するものはわずかだったのに
今は、障害者スポーツの普及や盲導犬に関するものまで多種多様。
モバイル対応のクリック募金もでき、ますます活動が広がっているようです。
また、「ココロスキップ」が提案している点字名刺プロジェクトのクリック募金は、
名刺に点字を入れる活動を広めていると同時に、点字図書館への寄付も行われるというもの。
障害者の就業環境をさらに向上させ、広報もしながら寄付をするというこのクリック募金は、
企業とタイアップするだけの活動から、ちょっとずつ変化していることを感じます。
障害児者に関わるNPOなどは、どこも資金難であることが悩み。
これからは、こうしたクリック募金の活動もさらにパワーアップしてくるのかもしれません。
===
一方、クリック募金のような手軽さはないものの、
着実に注目されているのが、「TABLE FOR TWO」の活動。
これは、この活動に参加する企業の社員食堂やレストランでTABLE FOR TWOの健康基準を満たす食事をとった場合
1食につき、20円程度がTABLE FOR TWO に寄付される制度。
この寄付により、開発途上国の学校で給食が配給されるというものです。
エネルギー量を抑えたヘルシーメニューを取りながら、寄付までできちゃう、まさに一石二鳥の寄付活動。
川田龍平さんのメルマガによると、参議院食堂へのTABLE FOR TWO導入実現と、
来たるTICADやサミットへ向けての導入準備を検討しているとのこと。
政府主導で、こうした活動が広がりを見せているのも、なかなか面白い!
しかも日本からはじまったこの活動が今、中国・アメリカ・ヨーロッパへと広がりを見せているようです。
(詳しくはサイトをご覧ください)
先進国では、4億人以上が肥満、およそ16億人が太りすぎと診断されています。
しかし開発途上国では、8億5千万人以上が飢餓あるいは栄養不良の状態で
5秒に1人の子供が飢えで命を落としています。
両者の問題を丸ごと活かすこの活動に、寄付活動の未来の姿があるように私は感じています。
===
健康なからだを作りながら、寄付。
こちらの心理的な負担を軽減しながら、寄付。
寄付という行為そのものも、プラスアルファが求められる時代。
私を含めて、自宅でユニ育にどっぷりつかる毎日だと、
「手当てが減らされる!」「この制度のこの部分が、どうしても足りない!」と、
今の制度の不備や不満を訴えることだけに、どうしてもとらわれがちになるけれど。
すべての問題をまるごと解決するような活動が、必ずあるはずです。
ユニ育を知らない人たちに、少しでも知ってもらうために。
楽しく、そして手軽に、しかも無理なく継続するために。
時代の空気を感じながら、一人ひとりができることを積み上げていく。
アイデアと発想の転換こそ、今のユニ育な毎日に必要なのだと、ブログからネットの世界を見ていつも感じています。
ユニ育に関わる団体やNPOなどは、資金難が悩みで活動が広げられず
本当に困っているところがたくさんありますが、どうぞ知恵と勇気を振り絞り!
ユニークなアイデアで、ぜひぜひ乗り切ってください~!!!!
年度末で収支決算をしている団体の皆様を、心から応援しております♪
★お読みいただき、ありがとうございました
ユニ育な毎日というのは、どちらかというと・・・
寄付をするよりも、されることのほうが多いのが現実です。
人からの行為は本当にありがたいのですが、自分にも何かできるはず??
そう思いながら、ユニ育ちゃんと自宅でのんびり過ごしている毎日です。
ありがたいことに、今はインターネットが当たり前の時代。
私がブログを始めて、もうすぐ4年ほどの月日が経ちますが
この間に、ネット事情というものが大きく変化していることを実感。
特に「ネットオークションの売り上げを寄付」「クリック募金」のように、
自分の行為と社会とが瞬時につながるような寄付活動が急増!
自宅にいながら気軽に寄付する人になれちゃうのが・・なんともうれしいです♪
===
例えば、クリック募金を集めたサイト。
できた当時は、確か障害者や難病に関するものはわずかだったのに
今は、障害者スポーツの普及や盲導犬に関するものまで多種多様。
モバイル対応のクリック募金もでき、ますます活動が広がっているようです。
また、「ココロスキップ」が提案している点字名刺プロジェクトのクリック募金は、
名刺に点字を入れる活動を広めていると同時に、点字図書館への寄付も行われるというもの。
障害者の就業環境をさらに向上させ、広報もしながら寄付をするというこのクリック募金は、
企業とタイアップするだけの活動から、ちょっとずつ変化していることを感じます。
障害児者に関わるNPOなどは、どこも資金難であることが悩み。
これからは、こうしたクリック募金の活動もさらにパワーアップしてくるのかもしれません。
===
一方、クリック募金のような手軽さはないものの、
着実に注目されているのが、「TABLE FOR TWO」の活動。
これは、この活動に参加する企業の社員食堂やレストランでTABLE FOR TWOの健康基準を満たす食事をとった場合
1食につき、20円程度がTABLE FOR TWO に寄付される制度。
この寄付により、開発途上国の学校で給食が配給されるというものです。
エネルギー量を抑えたヘルシーメニューを取りながら、寄付までできちゃう、まさに一石二鳥の寄付活動。
川田龍平さんのメルマガによると、参議院食堂へのTABLE FOR TWO導入実現と、
来たるTICADやサミットへ向けての導入準備を検討しているとのこと。
政府主導で、こうした活動が広がりを見せているのも、なかなか面白い!
しかも日本からはじまったこの活動が今、中国・アメリカ・ヨーロッパへと広がりを見せているようです。
(詳しくはサイトをご覧ください)
先進国では、4億人以上が肥満、およそ16億人が太りすぎと診断されています。
しかし開発途上国では、8億5千万人以上が飢餓あるいは栄養不良の状態で
5秒に1人の子供が飢えで命を落としています。
両者の問題を丸ごと活かすこの活動に、寄付活動の未来の姿があるように私は感じています。
===
健康なからだを作りながら、寄付。
こちらの心理的な負担を軽減しながら、寄付。
寄付という行為そのものも、プラスアルファが求められる時代。
私を含めて、自宅でユニ育にどっぷりつかる毎日だと、
「手当てが減らされる!」「この制度のこの部分が、どうしても足りない!」と、
今の制度の不備や不満を訴えることだけに、どうしてもとらわれがちになるけれど。
すべての問題をまるごと解決するような活動が、必ずあるはずです。
ユニ育を知らない人たちに、少しでも知ってもらうために。
楽しく、そして手軽に、しかも無理なく継続するために。
時代の空気を感じながら、一人ひとりができることを積み上げていく。
アイデアと発想の転換こそ、今のユニ育な毎日に必要なのだと、ブログからネットの世界を見ていつも感じています。
ユニ育に関わる団体やNPOなどは、資金難が悩みで活動が広げられず
本当に困っているところがたくさんありますが、どうぞ知恵と勇気を振り絞り!
ユニークなアイデアで、ぜひぜひ乗り切ってください~!!!!
年度末で収支決算をしている団体の皆様を、心から応援しております♪
★お読みいただき、ありがとうございました
2008/02/22のBlog
[ 13:34 ]
[ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライター こがにです
ユニ育ちゃんも、来月で8歳。つまり私のユニ育歴も、あと少しで8年になります。
この8年の間に、医療や福祉といった数々のサービスのお世話になっていますが
その中で、唯一変わらないものというのが・・・いわゆる「訓練」のペース。
今でも、療育機関に月1回のペースで通院し、訓練を継続して行っています。
訓練とはいっても、高齢者のリハビリとはちょっと異なるのがユニ育の訓練。
その違いは、文字にも現れているのはご存知でしょうか?
高齢者の「リハビリ」は、「rehabilitation」。
頭に「re」という文字がつくように、
すでに獲得していた能力や機能が、何らかの原因で低下した場合。
その能力を回復させるために行う訓練です。
一方、ユニ育KIDSたちの「訓練」というのは、「habilitation」。
アルファベットの頭に、「re」がありません。
つまり、能力そのものを獲得する訓練になります。
そのため、子どもによっては短期間の訓練で終わる場合もあるし、
場合によっては、一生をかけてさまざまな訓練を取り組む必要がある。
ユニ育KIDSがもつ個性の違いによって、訓練の期間も方法もバラバラ・・・
それが、ユニ育KIDSの「訓練」の姿です。
身体障害の中でも、特に重度の知的障害も伴う肢体不自由児のユニ育KIDSの場合。
主にPT・OT・STという3種類の訓練を組み合わせて行うことがあります。
我が家がこれまでお世話になってきた訓練は、以下の通りです。
●PT(理学療法)
主に、下肢の訓練になります。
我が家のユニ育ちゃんの場合は、今でも首がすわっていないため
うつぶせになったり横に向くだけでも訓練になるのですが。
子どもによっては、下肢全体を装具で固定するので・・・
まるで、ロボット状態になりながら!歩行訓練をすることもあったり。
いわゆる健常児なら、あっという間に卒業してしまう歩行器も、PTでは大活躍。
そのため、療育センターでも広いスペースをとっているところが多いのが特徴です。
特に子どもは成長が早いため、装具は毎年のように作り変える必要があるのがネック。
整形外科との連携が、非常に重要になります。
●OT(作業療法)
主に、手や腕の運び方の訓練になります。
ユニ育ちゃんが幼い頃は、手や指がふれたら振動するような機械や
スイッチを入れるだけで、何か物が動くような・・・
そんなグッズを使いながら、感覚遊びを取り入れた訓練でした。
子どもによっては姿勢を維持しながら手が動くよう、訓練の先生がサポートしたり
お絵かきなどを取り入れることもあるようです。
●ST(言語療法)
言葉やコミュニケーションの訓練をするのが、主な目的ですが。
療育機関によっては、言語聴覚士の先生が摂食指導を行う場合もあるようです。
我が家の場合は、主にこの摂食指導をうけていました。
(今は、歯科医師に摂食指導をお願いしています)
食べ物をうまくとりこみ、ゴックンと嚥下するまでの口の中の動きというものを
実際に食べ物を食べながら、摂食指導をおこないます。
そのため、ランチタイムに行うことが多いのがこの訓練の特徴です。
===
東京都の場合。
就学してからは、特別支援学校にこうした専門家がオブザーバーとして入るので
学校の教育の中にこうした訓練の要素を取り込むことができるのが
通学籍の最大のメリットになりますが。
残念ながら、訪問籍になると・・・訓練士によるサポートがつかないのが悩み。
それぞれの訓練を療育機関などで継続して行う場合は、やはりここでも家族。
特に母親が!
訓練の予約、通院、訓練の付き添い、自宅のサポート方法を聞く・・・といったことを
ずっとずっと一手に引き受けのも、ユニ育KIDSの訓練の特徴です。
===
我が家のユニ育ちゃんは、生後6ヶ月のころからPTをスタートしたこともあり、
訓練歴は7年ちょっと。
その間、本当にたくさんの子どもたちの訓練風景を見てきました。
今、振り返り・・・ただ、一つ言えること。
それは・・・
ユニ育KIDSの成長は、ユニークな個性であるということ。
例えば毎日訓練を積み重ねることで、ゆっくりペースで歩けるようになった子どももいれば、
何年訓練を重ねても、歩けない子どももいます。
それは、母親の熱心さ・家族の愛情とは・・・また別のものではないかと思っています。
もちろん、機能を獲得することはすばらしいことです。
けれども、たとえ訓練を重ねて、思うように機能を獲得できない場合でも・・・
それを悲観したり、母親である自分のせいだと思う必要はない。
最近の私は、そう感じています。
ユニ育だからこそ、訓練に熱心になりすぎるあまり、リハビリを強要してしまったり
逆に、家族が「燃え尽き症候群」になるまで、熱心に取り組みすぎてしまうことのないように。
「habilitation」だからこそ、今ある機能をうまく活かしながら
のんびりのんびり成長を楽しむ・・・そんな時間を、大切にしてほしい。
ユニ育ちゃんと訓練に通院する今、ふとそんなことを感じているこがに家です。
★お読みいただき、ありがとうございました

ユニ育ちゃんも、来月で8歳。つまり私のユニ育歴も、あと少しで8年になります。
この8年の間に、医療や福祉といった数々のサービスのお世話になっていますが
その中で、唯一変わらないものというのが・・・いわゆる「訓練」のペース。
今でも、療育機関に月1回のペースで通院し、訓練を継続して行っています。
訓練とはいっても、高齢者のリハビリとはちょっと異なるのがユニ育の訓練。
その違いは、文字にも現れているのはご存知でしょうか?
高齢者の「リハビリ」は、「rehabilitation」。
頭に「re」という文字がつくように、
すでに獲得していた能力や機能が、何らかの原因で低下した場合。
その能力を回復させるために行う訓練です。
一方、ユニ育KIDSたちの「訓練」というのは、「habilitation」。
アルファベットの頭に、「re」がありません。
つまり、能力そのものを獲得する訓練になります。
そのため、子どもによっては短期間の訓練で終わる場合もあるし、
場合によっては、一生をかけてさまざまな訓練を取り組む必要がある。
ユニ育KIDSがもつ個性の違いによって、訓練の期間も方法もバラバラ・・・
それが、ユニ育KIDSの「訓練」の姿です。
身体障害の中でも、特に重度の知的障害も伴う肢体不自由児のユニ育KIDSの場合。
主にPT・OT・STという3種類の訓練を組み合わせて行うことがあります。
我が家がこれまでお世話になってきた訓練は、以下の通りです。
●PT(理学療法)
主に、下肢の訓練になります。
我が家のユニ育ちゃんの場合は、今でも首がすわっていないため
うつぶせになったり横に向くだけでも訓練になるのですが。
子どもによっては、下肢全体を装具で固定するので・・・
まるで、ロボット状態になりながら!歩行訓練をすることもあったり。
いわゆる健常児なら、あっという間に卒業してしまう歩行器も、PTでは大活躍。
そのため、療育センターでも広いスペースをとっているところが多いのが特徴です。
特に子どもは成長が早いため、装具は毎年のように作り変える必要があるのがネック。
整形外科との連携が、非常に重要になります。
●OT(作業療法)
主に、手や腕の運び方の訓練になります。
ユニ育ちゃんが幼い頃は、手や指がふれたら振動するような機械や
スイッチを入れるだけで、何か物が動くような・・・
そんなグッズを使いながら、感覚遊びを取り入れた訓練でした。
子どもによっては姿勢を維持しながら手が動くよう、訓練の先生がサポートしたり
お絵かきなどを取り入れることもあるようです。
●ST(言語療法)
言葉やコミュニケーションの訓練をするのが、主な目的ですが。
療育機関によっては、言語聴覚士の先生が摂食指導を行う場合もあるようです。
我が家の場合は、主にこの摂食指導をうけていました。
(今は、歯科医師に摂食指導をお願いしています)
食べ物をうまくとりこみ、ゴックンと嚥下するまでの口の中の動きというものを
実際に食べ物を食べながら、摂食指導をおこないます。
そのため、ランチタイムに行うことが多いのがこの訓練の特徴です。
===
東京都の場合。
就学してからは、特別支援学校にこうした専門家がオブザーバーとして入るので
学校の教育の中にこうした訓練の要素を取り込むことができるのが
通学籍の最大のメリットになりますが。
残念ながら、訪問籍になると・・・訓練士によるサポートがつかないのが悩み。
それぞれの訓練を療育機関などで継続して行う場合は、やはりここでも家族。
特に母親が!
訓練の予約、通院、訓練の付き添い、自宅のサポート方法を聞く・・・といったことを
ずっとずっと一手に引き受けのも、ユニ育KIDSの訓練の特徴です。
===
我が家のユニ育ちゃんは、生後6ヶ月のころからPTをスタートしたこともあり、
訓練歴は7年ちょっと。
その間、本当にたくさんの子どもたちの訓練風景を見てきました。
今、振り返り・・・ただ、一つ言えること。
それは・・・
ユニ育KIDSの成長は、ユニークな個性であるということ。
例えば毎日訓練を積み重ねることで、ゆっくりペースで歩けるようになった子どももいれば、
何年訓練を重ねても、歩けない子どももいます。
それは、母親の熱心さ・家族の愛情とは・・・また別のものではないかと思っています。
もちろん、機能を獲得することはすばらしいことです。
けれども、たとえ訓練を重ねて、思うように機能を獲得できない場合でも・・・
それを悲観したり、母親である自分のせいだと思う必要はない。
最近の私は、そう感じています。
ユニ育だからこそ、訓練に熱心になりすぎるあまり、リハビリを強要してしまったり
逆に、家族が「燃え尽き症候群」になるまで、熱心に取り組みすぎてしまうことのないように。
「habilitation」だからこそ、今ある機能をうまく活かしながら
のんびりのんびり成長を楽しむ・・・そんな時間を、大切にしてほしい。
ユニ育ちゃんと訓練に通院する今、ふとそんなことを感じているこがに家です。
★お読みいただき、ありがとうございました
2008/02/19のBlog
[ 05:32 ]
[ 海外の子育て事情 ]


さっそく、前回、お約束した残りの方略を紹介したいと思います。




3つじゃなくて、あと4つありました(^_^;)。
1回が長くなると、読みづらいので、
4回に分けます。今月中には全部、アップします。
それと…前回のブログを読んで思ったのですが、
表現が極めて専門家・研究者向け的になってますね。
とても冷たい印象を受けます。(自分で書いてて何を言う)。
英語の感覚でそのまま頭から出力するとそうなってしまうのかもしれません。
もう少し気をつけて書きます。スミマセン。


障碍のあるお子さんには、スケジュールの変更が苦手なことが
ままあるようです。
保育の中でも「日課・予定」をきちんと伝えて、
それに沿って行っていくと、子どもの不安感は減るはずですよね。
とくにカレッジの授業では「transitionトランジション」(一つの活動から他の活動に移る時)での慣例の必要性が強調されていました。
つまり、トランジションではどうしても「行動の変化」が要求されるので、
慣例を徹底させる必要がある、と。
たとえば、その方法として

子どもの注意をひき、お片付けの時間であることを知らせる。
自由時間→お片付けのときは、いつも必ず、この照明のオンオフを行う。
(実はこれ、こちらではメジャーな方法のようなんです。
英語のクラスの先生も、グループトーキングの終了の合図にこの照明のオンオフを利用していました。
会話していると聴覚がそちらに支配されているので、
視覚刺激で注意を喚起するためだと思います)。

次の行動に移ることを知らせる。
このときも、室内遊び→屋外遊びのときにだけ、この歌を使う。
混乱を避けるため、部屋に戻るときにはまた別の歌を利用する必要がある。
ベルを鳴らしたり、決まった音楽をかけることも可能。
帰宅時にも、帰りの準備のための曲をフィックスしておく。

パペットを使うというのもありました。
朝の導入の時に、
人形を使って「みんなおはよう!」と呼び掛けるんですね。
その人形、Mr. Quiet(ミスター静粛)っていう名前が付いていて、
朝、がやがやとしている子ども達を落ちつかせるための小道具として
使われていました。
なにか他にもいいトランジションのアイディアがあったら、
ぜひおしえてくださいね。
それではまた!
2008/02/16のBlog
[ 07:13 ]
[ 海外の子育て事情 ]


昨日、カレッジの中間テストが終わりました。
日本語でも説明が難しい「固有覚」とか「前庭覚」の定義、
さまざまな障碍の特徴・原因を「英語」で覚えなくてはならず、
あぁもう正直、大変でした。
覚えたことの中から、
「統合保育における汎用的指導戦略」の中で興味深い方法を書き連ねておきますね。


障碍の有無にかかわらず、子どもは興味のあることにしか注意を向けません。
ですから、その子が何に興味を持っているか知らなくてはなりませんが、
障碍のある子は表情が乏しかったり、障碍のない子とは違った興味の示し方をすることがあります。
興味対象がつかみづらい場合、
High Reference Inventory(興味一覧)を使って絞り込んでいくという方法があります。
その際、たとえば、オーチズムの子は「目の縁で対象物を見ようとする」とか、
脳性小児麻痺のある子の中には「喜んでいるとき体を緊張させることがある」など、その子の特徴を見つけた上で、分析する必要があります。
High Reference Inventory
●活動 ●与えたときの反応 ●取り去ったときの反応
───────────────────────────────────
バーニーの音楽 体を緊張させる 泣く
三輪車 微笑んで揺する 無反応
オマルに座らせる 泣く 泣きやむ
人形 顔をそむける 泣く
(さまざまな環境で見られた反応を集めて一覧表にし、
それをもとにその子の好きな遊びを割り出します)。


スキャホールディングScaffoldingというのは、
建築現場などで一時的に組まれる「足場」のことです。
なかなか特殊な言葉らしく、
宿題の下書きをチェックしてくれた個人指導の講師2人ともに
「へー、Scaffolding。どんな意味だか知ってる?」と聞かれたくらい。
教育の畑ではこれを「子どもの発達を一時的に介助すること」
という意味で使うようです。
つまり、
子どもがまだ一人で出来ないことに対して、
必要な量の「足場」=サポートを施し、
(足場は大きすぎても、小さすぎてもダメ)
それが少しできるようになったら、
少しずつサポートの量を減らす。
こうやって、子どもの発達を助けるというわけですね。
このスキャホールディングScaffoldingは、
ヴィゴツキーというロシアの心理学者の
「最近接領域理論」とセットで考えるとわかりやすい。
以前、ミクシーの日記にまとめたことがあるので、
部分的に変更して引用しておきます。







「さっちゃんはミカンで育つ」
ここにミカンがあります。
ふつうの、1袋に10個くらい入ってて、398円っていう種類のミカン。
このミカンの皮を、さっちゃんは自分で上手にむくことができます。
このように自分でできる発達の到達レベルを「完成した水準」と言います。
レタスをはぐとか、もっと簡単なことを含めて、
さっちゃんのできることの領域が、図の黄色の部分。
ところが、夏みかんはダメ。
皮が固いので、さっちゃんは自分でむけません。
この段階はまだ未完成の領域です。(グレー部分)
でも、私がナイフで切り込みを入れてあげると、
さっちゃんでも夏みかんをむくことができる。
それが「可能的水準」。
そして、「完成した水準」以上で「可能的水準」以下の、
「何らかの援助があるとやり遂げることができる」範囲を、
【最近接領域】と呼ぶとヴィゴツキーという心理学者が決めました。
(図のピンクの部分)。
フツウのミカンならもう朝飯前のさっちゃん。
そのさっちゃんが、切れ込みが入ったとは言え、
果敢に大きい夏みかんをむく。
そのことによってさっちゃんは器用にもなるし、筋力もつく。
むき終わったら達成感も味わえる。
こうやって、【発達の最近接領域】の中で、
さっちゃんは発達していくわけです。







この場合、何らかの援助=みかんに切り込みを入れることが
スキャホールディングScaffoldingであり、
切り込みを徐々に減らしていくことでさっちゃんの自立を
促していくことが教育目標になりますね。
カレッジで、
お父さんが赤ちゃんのオムツを替えるビデオを見ました。
1歳半くらいのかわいい男の子が、オムツ替えをしながら、
お父さんと会話をしています。
「ソック」
「ソックス」
「ソック」
「うん。ソックスだね。
自分で脱ぐ?」
「イエス」
男の子はひっぱりましたが、脱げません。
お父さんはかかとの部分だけ、引っ張って脱がしてあげます。
「ソックス、脱げるかな?」
男の子、引っ張って脱いで床に放る。
「ソック! フロア!」
これを見ていた生徒「Scaffolding!」
そう、このお父さんのかかわりもスキャホールディングScaffoldingですね。
(赤ちゃん、かわいかった

……しかし、
説明すべき戦略があと3つほどあります。
長くなるので、近日中に残りをアップすることにします。(^_^;)
2008/02/10のBlog
[ 23:07 ]
[ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライター こがにです♪
生活の基本と言えば、「衣・食・住」。
特に重症心身障害児と呼ばれる、我が家のユニ育ちゃんの場合。
年々体のサイズが大きくなり、背骨の側湾や足の緊張が強くなっているため
既成の洋服では、徐々に着せにくくなりつつあるこの頃。
「あ~、もっと着せやすくてかわいい洋服が欲しい!」
そんな風に思いながら、7年余り過ごしていました。
しかーし!
実は最近、そんなユニ育KIDSの洋服事情が
徐々に変わりつつあります。
===
障害児のための子供服として、既製品販売しているのが・・・
●バリアフリー子供服
●エンゼルキッズウェア
この2つが、わりと大々的に障害のある子どもの洋服を取り扱っています。
どちらの洋服も、大手の子供服メーカーとタイアップしていることもあり
素材や縫製にも、独自のこだわりがあるのが特徴です。
バリアフリー子供服:
着丈が既製品よりもTシャツ類は10センチ長いので、お腹が見えにくい
エンゼルキッズウェア:
胃ろうのチューブを出すための穴(チューブホール)や
気管切開をしている子どものためのスリットに対応するためのオプションも有。
このほかにも、バリアフリー子供服のサイトに掲載されているリンクには
肌着の販売をされている業者などもありました。
確かに規模そのものは、まだまだ小さいものかもしれませんが・・・
着実に、子どもたちの洋服を選択する幅を広げています。
===
また、既製品の洋服を着やすくリフォームしたり
「自分だけの、オリジナルの洋服を納得できる形で作りたい」と思っている人には
「ハンディ&シニア企画」のオーダーメイドやリフォームがオススメ。
(※ハンディ&シニア企画 TEL 03-3786-4209)
1994年設立されたボランティア団体ですが、
高齢者・障害者がいつまでも明るく楽しく生活できるよう、
特に衣服における問題解決のための活動を継続しているのが特徴。
もちろん多少の実費は必要ですが、それぞれの体の状態に応じた
オーダーメイドやリフォームに、細かく対応が可能。
着物のリフォームドレスや、車椅子利用者・高齢者のための介護服を披露する
ファッションショーも14年間で150回以上開催!
さらに、イギリスやドイツをはじめ、キューバやスリランカなどを訪問し
衣服を通じた交流を、世界中で行っている団体です。
一人ひとりの要望とじっくり向き合い、そして完成する喜び。
代表の菊池裕子さんは「この充実感は、お金には変えられない」という気持ちから、
今もなお、活動を継続されています。
===
「バリアフリーな世の中になってきたから、そろそろ私の活動はいらないかな?
そんな風に思っていたけど。この間もファッションショーをやったらね。
まだまだ知らない人がたくさんいたことに、私は驚いたの」。
先日、私もお会いしてきたのですが、
ハンディ&シニア企画の代表である菊池さんのさりげない言葉に、
ハッと気づかされました。
「そうか!バリアフリーで外出できるようになったからこそ、
障害児者と呼ばれる人たちも、どんどんおしゃれがしたくなる。
そんな世の中に、変わってきたんだ」。
装う楽しみが、生きる喜びと生活の充実感へ。
段差がなくなり、車椅子でも自由に出かけられるようになったからこそ!
オシャレ心をくすぐる社会に変化しつつあるのが、現在の日本。なんだか、うれしい変貌です。
季節は、もうすぐ春。
あたたかくなったら、どんな洋服を着て家族で出かけようかな?
みなさんも、ぜひご一緒に~♪
★お読みいただき、ありがとうございました
生活の基本と言えば、「衣・食・住」。
特に重症心身障害児と呼ばれる、我が家のユニ育ちゃんの場合。
年々体のサイズが大きくなり、背骨の側湾や足の緊張が強くなっているため
既成の洋服では、徐々に着せにくくなりつつあるこの頃。
「あ~、もっと着せやすくてかわいい洋服が欲しい!」
そんな風に思いながら、7年余り過ごしていました。
しかーし!
実は最近、そんなユニ育KIDSの洋服事情が
徐々に変わりつつあります。
===
障害児のための子供服として、既製品販売しているのが・・・
●バリアフリー子供服
●エンゼルキッズウェア
この2つが、わりと大々的に障害のある子どもの洋服を取り扱っています。
どちらの洋服も、大手の子供服メーカーとタイアップしていることもあり
素材や縫製にも、独自のこだわりがあるのが特徴です。
バリアフリー子供服:
着丈が既製品よりもTシャツ類は10センチ長いので、お腹が見えにくい
エンゼルキッズウェア:
胃ろうのチューブを出すための穴(チューブホール)や
気管切開をしている子どものためのスリットに対応するためのオプションも有。
このほかにも、バリアフリー子供服のサイトに掲載されているリンクには
肌着の販売をされている業者などもありました。
確かに規模そのものは、まだまだ小さいものかもしれませんが・・・
着実に、子どもたちの洋服を選択する幅を広げています。
===
また、既製品の洋服を着やすくリフォームしたり
「自分だけの、オリジナルの洋服を納得できる形で作りたい」と思っている人には
「ハンディ&シニア企画」のオーダーメイドやリフォームがオススメ。
(※ハンディ&シニア企画 TEL 03-3786-4209)
1994年設立されたボランティア団体ですが、
高齢者・障害者がいつまでも明るく楽しく生活できるよう、
特に衣服における問題解決のための活動を継続しているのが特徴。
もちろん多少の実費は必要ですが、それぞれの体の状態に応じた
オーダーメイドやリフォームに、細かく対応が可能。
着物のリフォームドレスや、車椅子利用者・高齢者のための介護服を披露する
ファッションショーも14年間で150回以上開催!
さらに、イギリスやドイツをはじめ、キューバやスリランカなどを訪問し
衣服を通じた交流を、世界中で行っている団体です。
一人ひとりの要望とじっくり向き合い、そして完成する喜び。
代表の菊池裕子さんは「この充実感は、お金には変えられない」という気持ちから、
今もなお、活動を継続されています。
===
「バリアフリーな世の中になってきたから、そろそろ私の活動はいらないかな?
そんな風に思っていたけど。この間もファッションショーをやったらね。
まだまだ知らない人がたくさんいたことに、私は驚いたの」。
先日、私もお会いしてきたのですが、
ハンディ&シニア企画の代表である菊池さんのさりげない言葉に、
ハッと気づかされました。
「そうか!バリアフリーで外出できるようになったからこそ、
障害児者と呼ばれる人たちも、どんどんおしゃれがしたくなる。
そんな世の中に、変わってきたんだ」。
装う楽しみが、生きる喜びと生活の充実感へ。
段差がなくなり、車椅子でも自由に出かけられるようになったからこそ!
オシャレ心をくすぐる社会に変化しつつあるのが、現在の日本。なんだか、うれしい変貌です。
季節は、もうすぐ春。
あたたかくなったら、どんな洋服を着て家族で出かけようかな?
みなさんも、ぜひご一緒に~♪
★お読みいただき、ありがとうございました

2008/02/05のBlog
[ 11:54 ]
福祉ジャーナリストの安藤です。
春を呼びこむ?大雪で青梅マラソンは中止になっちゃいましたけれど、みなさんスポーツしてますか~~~
〝健全な肉体には、健全な精神が宿る〟と体育では言いますけれど、今日は体育ではなくスポーツと健全な生活の話です。
先週、八方尾根スキー場(長野県白馬村)で開催されたジャパンパラリンピックスキー競技大会(アルペン)を取材してきました。
〝ジャパンパラリンピック〟はパラリンピックで活躍できる選手を育成する目的で開催される国内最高峰の競技会です。スキー(アルペン、クロスカントリー)、スレッジホッケー(アイスホッケーの車いす版)、アーチェリー、陸上、水泳の各競技で毎年開催れています。今回のアルペンは長野オリンピック女子滑降コースを使用。まさに国際レベルの大会です。出場選手にもワールドカップや世界選手権、そしてパラリンピックなど、国際大会で表彰台を狙える人たちがたくさんいます。
ところでスキーって道具は多いし、移動や宿泊もあるから大変、費用もかかると敷居の高いイメージが強いもの。そんなスキーを選手達はどうやってしているのでしょうか。
まずスキー場は積雪がありますから完全なバリアフリーは期待できません。それでも駐車場からすぐに滑ってゲレンデへアクセスできるところなど、チェアスキーでも便利なスキー場はたくさんあります。リフト乗車は、チェアスキーでも用具の機能としての問題はなく普通に乗れます。ただ係員にチェアスキーへの理解や接客経験があると安心して補助を頼めます。ゲレンデで一番問題になるのはトイレです。これは〝どこでできるか〟事前に調べておく必要があります。立位で滑るならバリアはそれほど気にならないでしょう。(むしろ滑るテクニックのバリアが・・・)
選手たちは移動や宿泊も一人でこなしちゃいます。自分でハンドルを握り運転し、ホテルへチェックイン。入浴そのほか、自分たちでちゃきちゃきとやっています。そして費用も自分で稼いだり、トップ選手になればスポンサーから援助を受けていることもよくあります。
車いすユーザーや肢体切断などの身体障がい者、軽度の知的障がい者など選手たちの障がいは多様です。そんな障がいのあるスポーツ選手達が、どうしてここまで自立してスキーや生活をできるのでしょうか? 福祉施設、授産施設などを知っている方ほど〝特別なケース〟と思うかもしれません。しかしこれは、ちっとも特別なことじゃないのです
そのヒントがじつはスポーツにあるのです。
身体障がいがあると、それをいかにして補うかが〝自分で暮らす〟ためのポイントになります。自分にマッチした補装具(義肢、車いすなど)や支援機器(パソコン、コミュニケーション機器など)、移動手段(自動車の運転補助装置、バリアフリーな経路の確保など)、人的介助(ボランティア、協力者など)を整え、生活する環境(自宅や職場)のバリアも排除します。これらは〝技術的〟にはすでに実現されていることですが、取材をしているこの支援技術を限り使いこなせている障がい者はまだ少ないという印象があります。
なぜなのか
その人にマッチした支援プランを横断的にコーディネートできる専門家がごくわずかしかいないためです。医者は治療の専門家だから暮らしを見据えた支援方法については素人。理学療法士や作業療法士についても、ケガのリハビリではなく、障がい者の自立生活について臨床経験と知識が豊富な人はとっても少ないのが現状です。障がい者団体にしても、稼いで自由自在に生活している会員が少ないので経験的な情報をそれほど持っていません。じゃあ特別支援校はといえば、熱心な教師の〝個人的なノウハウ〟と巡り会えればラッキー。各校のケースについて横断的なアーカイブさえないの教育界が現状ですから、学会で事例を知れる医療界よりも遅れています。
当事者が相談できる専門家が不在なのです
こうした状況で、とっても頼もしいのがスポーツ団体です
パラリンピック選手たちを取材していると、彼らの生活力にはとても驚かされます。スポーツで世界を目指すにはとても費用がかかります。1回の海外遠征で数十万円。それを年間数回こなしていますが、ほとんどの場合は費用を自己負担しているのです。
ということは、選手たちは生活費に加えて、スポーツの費用を稼ぎ、また大会や合宿で仕事を休んでいる期間の生活費も用意し、配偶者や家族の〝自分だけあちこち大会に行ってズルイ!〟という批判を押さえ込むだけのマネーも積み上げる、すごい稼ぎ人なのです。
なぜ稼げる=自立生活ができるのか?
それはスポーツで知り合った先輩から後輩へ、〝自分で生活する〟ために必要なノウハウが伝承されているからです。
どんな車いすなら自由自在に走り回れるのか?
どうすれば就職できるのか?
どうすれば車の運転ができるのか?
・・・・・どうすれば恋人をつくれるのか?
選手達は口を揃えて言います。
「障がいがあってもたくさんことができると体育館で知りました」
体育館とは各地にある障害者リハビリセンターのことです。車椅子バスケットボールなど、スポーツチームの多くがここを拠点に活動しています。そして入所していたときひまつぶしにのぞいた体育館で同じ障がいの〝先輩〟に呼び止めら、いろいろなアドバイスを受けるようになるのです。センターの正式なプログラムもありますが、体育館や打ち上げ会場のファミレスで提供されるインフォーマルな自立支援プログラムを頼りに自立生活するための環境を整えていくわけです。
あくまでもインフォーマルなことですから、だれもスポーツをすれば生活できるなどと教えてはくれません。選手達も体育館での偶然な出会いがあったからスポーツができる=ゆとりある暮らしをするための方法を知れたのです。
ですから、子どもたちにはスポーツをすすめたい。親よりも先生の言うこと、さらに先生よりも同じ障がいのお兄ちゃんお姉ちゃんの言うことに子どもは育てられるでしょう。かつての日本にあったガキ大将ヒエラルキーとでもいいましょうか、そんな互助プログラムがスポーツにはあるようです。
春を呼びこむ?大雪で青梅マラソンは中止になっちゃいましたけれど、みなさんスポーツしてますか~~~
〝健全な肉体には、健全な精神が宿る〟と体育では言いますけれど、今日は体育ではなくスポーツと健全な生活の話です。
先週、八方尾根スキー場(長野県白馬村)で開催されたジャパンパラリンピックスキー競技大会(アルペン)を取材してきました。
〝ジャパンパラリンピック〟はパラリンピックで活躍できる選手を育成する目的で開催される国内最高峰の競技会です。スキー(アルペン、クロスカントリー)、スレッジホッケー(アイスホッケーの車いす版)、アーチェリー、陸上、水泳の各競技で毎年開催れています。今回のアルペンは長野オリンピック女子滑降コースを使用。まさに国際レベルの大会です。出場選手にもワールドカップや世界選手権、そしてパラリンピックなど、国際大会で表彰台を狙える人たちがたくさんいます。
ところでスキーって道具は多いし、移動や宿泊もあるから大変、費用もかかると敷居の高いイメージが強いもの。そんなスキーを選手達はどうやってしているのでしょうか。
まずスキー場は積雪がありますから完全なバリアフリーは期待できません。それでも駐車場からすぐに滑ってゲレンデへアクセスできるところなど、チェアスキーでも便利なスキー場はたくさんあります。リフト乗車は、チェアスキーでも用具の機能としての問題はなく普通に乗れます。ただ係員にチェアスキーへの理解や接客経験があると安心して補助を頼めます。ゲレンデで一番問題になるのはトイレです。これは〝どこでできるか〟事前に調べておく必要があります。立位で滑るならバリアはそれほど気にならないでしょう。(むしろ滑るテクニックのバリアが・・・)
選手たちは移動や宿泊も一人でこなしちゃいます。自分でハンドルを握り運転し、ホテルへチェックイン。入浴そのほか、自分たちでちゃきちゃきとやっています。そして費用も自分で稼いだり、トップ選手になればスポンサーから援助を受けていることもよくあります。
車いすユーザーや肢体切断などの身体障がい者、軽度の知的障がい者など選手たちの障がいは多様です。そんな障がいのあるスポーツ選手達が、どうしてここまで自立してスキーや生活をできるのでしょうか? 福祉施設、授産施設などを知っている方ほど〝特別なケース〟と思うかもしれません。しかしこれは、ちっとも特別なことじゃないのです
そのヒントがじつはスポーツにあるのです。
身体障がいがあると、それをいかにして補うかが〝自分で暮らす〟ためのポイントになります。自分にマッチした補装具(義肢、車いすなど)や支援機器(パソコン、コミュニケーション機器など)、移動手段(自動車の運転補助装置、バリアフリーな経路の確保など)、人的介助(ボランティア、協力者など)を整え、生活する環境(自宅や職場)のバリアも排除します。これらは〝技術的〟にはすでに実現されていることですが、取材をしているこの支援技術を限り使いこなせている障がい者はまだ少ないという印象があります。
なぜなのか
その人にマッチした支援プランを横断的にコーディネートできる専門家がごくわずかしかいないためです。医者は治療の専門家だから暮らしを見据えた支援方法については素人。理学療法士や作業療法士についても、ケガのリハビリではなく、障がい者の自立生活について臨床経験と知識が豊富な人はとっても少ないのが現状です。障がい者団体にしても、稼いで自由自在に生活している会員が少ないので経験的な情報をそれほど持っていません。じゃあ特別支援校はといえば、熱心な教師の〝個人的なノウハウ〟と巡り会えればラッキー。各校のケースについて横断的なアーカイブさえないの教育界が現状ですから、学会で事例を知れる医療界よりも遅れています。
当事者が相談できる専門家が不在なのです
こうした状況で、とっても頼もしいのがスポーツ団体です
パラリンピック選手たちを取材していると、彼らの生活力にはとても驚かされます。スポーツで世界を目指すにはとても費用がかかります。1回の海外遠征で数十万円。それを年間数回こなしていますが、ほとんどの場合は費用を自己負担しているのです。
ということは、選手たちは生活費に加えて、スポーツの費用を稼ぎ、また大会や合宿で仕事を休んでいる期間の生活費も用意し、配偶者や家族の〝自分だけあちこち大会に行ってズルイ!〟という批判を押さえ込むだけのマネーも積み上げる、すごい稼ぎ人なのです。
なぜ稼げる=自立生活ができるのか?
それはスポーツで知り合った先輩から後輩へ、〝自分で生活する〟ために必要なノウハウが伝承されているからです。
どんな車いすなら自由自在に走り回れるのか?
どうすれば就職できるのか?
どうすれば車の運転ができるのか?
・・・・・どうすれば恋人をつくれるのか?
選手達は口を揃えて言います。
「障がいがあってもたくさんことができると体育館で知りました」
体育館とは各地にある障害者リハビリセンターのことです。車椅子バスケットボールなど、スポーツチームの多くがここを拠点に活動しています。そして入所していたときひまつぶしにのぞいた体育館で同じ障がいの〝先輩〟に呼び止めら、いろいろなアドバイスを受けるようになるのです。センターの正式なプログラムもありますが、体育館や打ち上げ会場のファミレスで提供されるインフォーマルな自立支援プログラムを頼りに自立生活するための環境を整えていくわけです。
あくまでもインフォーマルなことですから、だれもスポーツをすれば生活できるなどと教えてはくれません。選手達も体育館での偶然な出会いがあったからスポーツができる=ゆとりある暮らしをするための方法を知れたのです。
ですから、子どもたちにはスポーツをすすめたい。親よりも先生の言うこと、さらに先生よりも同じ障がいのお兄ちゃんお姉ちゃんの言うことに子どもは育てられるでしょう。かつての日本にあったガキ大将ヒエラルキーとでもいいましょうか、そんな互助プログラムがスポーツにはあるようです。