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☆HAPPY CHILD CARE☆ ~子どもは海~
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2008/02/10のBlog
[ 23:07 ] [ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライター こがにです♪

生活の基本と言えば、「衣・食・住」。
特に重症心身障害児と呼ばれる、我が家のユニ育ちゃんの場合。
年々体のサイズが大きくなり、背骨の側湾や足の緊張が強くなっているため
既成の洋服では、徐々に着せにくくなりつつあるこの頃。
「あ~、もっと着せやすくてかわいい洋服が欲しい!」
そんな風に思いながら、7年余り過ごしていました。

しかーし!
実は最近、そんなユニ育KIDSの洋服事情が
徐々に変わりつつあります。

===

障害児のための子供服として、既製品販売しているのが・・・
●バリアフリー子供服
●エンゼルキッズウェア

この2つが、わりと大々的に障害のある子どもの洋服を取り扱っています。
どちらの洋服も、大手の子供服メーカーとタイアップしていることもあり
素材や縫製にも、独自のこだわりがあるのが特徴です。

バリアフリー子供服:
着丈が既製品よりもTシャツ類は10センチ長いので、お腹が見えにくい
エンゼルキッズウェア:
胃ろうのチューブを出すための穴(チューブホール)や
気管切開をしている子どものためのスリットに対応するためのオプションも有。

このほかにも、バリアフリー子供服のサイトに掲載されているリンクには
肌着の販売をされている業者などもありました。
確かに規模そのものは、まだまだ小さいものかもしれませんが・・・
着実に、子どもたちの洋服を選択する幅を広げています。

===

また、既製品の洋服を着やすくリフォームしたり
「自分だけの、オリジナルの洋服を納得できる形で作りたい」と思っている人には
「ハンディ&シニア企画」のオーダーメイドやリフォームがオススメ。
(※ハンディ&シニア企画 TEL 03-3786-4209)

1994年設立されたボランティア団体ですが、
高齢者・障害者がいつまでも明るく楽しく生活できるよう、
特に衣服における問題解決のための活動を継続しているのが特徴。
もちろん多少の実費は必要ですが、それぞれの体の状態に応じた
オーダーメイドやリフォームに、細かく対応が可能。
着物のリフォームドレスや、車椅子利用者・高齢者のための介護服を披露する
ファッションショーも14年間で150回以上開催!
さらに、イギリスやドイツをはじめ、キューバやスリランカなどを訪問し
衣服を通じた交流を、世界中で行っている団体です。

一人ひとりの要望とじっくり向き合い、そして完成する喜び。
代表の菊池裕子さんは「この充実感は、お金には変えられない」という気持ちから、
今もなお、活動を継続されています。

===

「バリアフリーな世の中になってきたから、そろそろ私の活動はいらないかな?
そんな風に思っていたけど。この間もファッションショーをやったらね。
まだまだ知らない人がたくさんいたことに、私は驚いたの」。
先日、私もお会いしてきたのですが、
ハンディ&シニア企画の代表である菊池さんのさりげない言葉に、
ハッと気づかされました。

「そうか!バリアフリーで外出できるようになったからこそ、
障害児者と呼ばれる人たちも、どんどんおしゃれがしたくなる。
そんな世の中に、変わってきたんだ」。

装う楽しみが、生きる喜びと生活の充実感へ。

段差がなくなり、車椅子でも自由に出かけられるようになったからこそ!
オシャレ心をくすぐる社会に変化しつつあるのが、現在の日本。なんだか、うれしい変貌です。

季節は、もうすぐ春。
あたたかくなったら、どんな洋服を着て家族で出かけようかな?
みなさんも、ぜひご一緒に~♪

★お読みいただき、ありがとうございました
2008/02/05のBlog
福祉ジャーナリストの安藤です。

春を呼びこむ?大雪で青梅マラソンは中止になっちゃいましたけれど、みなさんスポーツしてますか~~~

〝健全な肉体には、健全な精神が宿る〟と体育では言いますけれど、今日は体育ではなくスポーツと健全な生活の話です。

先週、八方尾根スキー場(長野県白馬村)で開催されたジャパンパラリンピックスキー競技大会(アルペン)を取材してきました。

〝ジャパンパラリンピック〟はパラリンピックで活躍できる選手を育成する目的で開催される国内最高峰の競技会です。スキー(アルペン、クロスカントリー)、スレッジホッケー(アイスホッケーの車いす版)、アーチェリー、陸上、水泳の各競技で毎年開催れています。今回のアルペンは長野オリンピック女子滑降コースを使用。まさに国際レベルの大会です。出場選手にもワールドカップや世界選手権、そしてパラリンピックなど、国際大会で表彰台を狙える人たちがたくさんいます。

ところでスキーって道具は多いし、移動や宿泊もあるから大変、費用もかかると敷居の高いイメージが強いもの。そんなスキーを選手達はどうやってしているのでしょうか。

まずスキー場は積雪がありますから完全なバリアフリーは期待できません。それでも駐車場からすぐに滑ってゲレンデへアクセスできるところなど、チェアスキーでも便利なスキー場はたくさんあります。リフト乗車は、チェアスキーでも用具の機能としての問題はなく普通に乗れます。ただ係員にチェアスキーへの理解や接客経験があると安心して補助を頼めます。ゲレンデで一番問題になるのはトイレです。これは〝どこでできるか〟事前に調べておく必要があります。立位で滑るならバリアはそれほど気にならないでしょう。(むしろ滑るテクニックのバリアが・・・)

選手たちは移動や宿泊も一人でこなしちゃいます。自分でハンドルを握り運転し、ホテルへチェックイン。入浴そのほか、自分たちでちゃきちゃきとやっています。そして費用も自分で稼いだり、トップ選手になればスポンサーから援助を受けていることもよくあります。

車いすユーザーや肢体切断などの身体障がい者、軽度の知的障がい者など選手たちの障がいは多様です。そんな障がいのあるスポーツ選手達が、どうしてここまで自立してスキーや生活をできるのでしょうか? 福祉施設、授産施設などを知っている方ほど〝特別なケース〟と思うかもしれません。しかしこれは、ちっとも特別なことじゃないのです

そのヒントがじつはスポーツにあるのです。

身体障がいがあると、それをいかにして補うかが〝自分で暮らす〟ためのポイントになります。自分にマッチした補装具(義肢、車いすなど)や支援機器(パソコン、コミュニケーション機器など)、移動手段(自動車の運転補助装置、バリアフリーな経路の確保など)、人的介助(ボランティア、協力者など)を整え、生活する環境(自宅や職場)のバリアも排除します。これらは〝技術的〟にはすでに実現されていることですが、取材をしているこの支援技術を限り使いこなせている障がい者はまだ少ないという印象があります。

なぜなのか

その人にマッチした支援プランを横断的にコーディネートできる専門家がごくわずかしかいないためです。医者は治療の専門家だから暮らしを見据えた支援方法については素人。理学療法士や作業療法士についても、ケガのリハビリではなく、障がい者の自立生活について臨床経験と知識が豊富な人はとっても少ないのが現状です。障がい者団体にしても、稼いで自由自在に生活している会員が少ないので経験的な情報をそれほど持っていません。じゃあ特別支援校はといえば、熱心な教師の〝個人的なノウハウ〟と巡り会えればラッキー。各校のケースについて横断的なアーカイブさえないの教育界が現状ですから、学会で事例を知れる医療界よりも遅れています。

当事者が相談できる専門家が不在なのです

こうした状況で、とっても頼もしいのがスポーツ団体です

パラリンピック選手たちを取材していると、彼らの生活力にはとても驚かされます。スポーツで世界を目指すにはとても費用がかかります。1回の海外遠征で数十万円。それを年間数回こなしていますが、ほとんどの場合は費用を自己負担しているのです。

ということは、選手たちは生活費に加えて、スポーツの費用を稼ぎ、また大会や合宿で仕事を休んでいる期間の生活費も用意し、配偶者や家族の〝自分だけあちこち大会に行ってズルイ!〟という批判を押さえ込むだけのマネーも積み上げる、すごい稼ぎ人なのです。

なぜ稼げる=自立生活ができるのか?

それはスポーツで知り合った先輩から後輩へ、〝自分で生活する〟ために必要なノウハウが伝承されているからです。

どんな車いすなら自由自在に走り回れるのか?

どうすれば就職できるのか?

どうすれば車の運転ができるのか?

・・・・・どうすれば恋人をつくれるのか?

選手達は口を揃えて言います。

「障がいがあってもたくさんことができると体育館で知りました」

体育館とは各地にある障害者リハビリセンターのことです。車椅子バスケットボールなど、スポーツチームの多くがここを拠点に活動しています。そして入所していたときひまつぶしにのぞいた体育館で同じ障がいの〝先輩〟に呼び止めら、いろいろなアドバイスを受けるようになるのです。センターの正式なプログラムもありますが、体育館や打ち上げ会場のファミレスで提供されるインフォーマルな自立支援プログラムを頼りに自立生活するための環境を整えていくわけです。

あくまでもインフォーマルなことですから、だれもスポーツをすれば生活できるなどと教えてはくれません。選手達も体育館での偶然な出会いがあったからスポーツができる=ゆとりある暮らしをするための方法を知れたのです。

ですから、子どもたちにはスポーツをすすめたい。親よりも先生の言うこと、さらに先生よりも同じ障がいのお兄ちゃんお姉ちゃんの言うことに子どもは育てられるでしょう。かつての日本にあったガキ大将ヒエラルキーとでもいいましょうか、そんな互助プログラムがスポーツにはあるようです。
2008/02/04のBlog
[ 21:03 ] [ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライターこがにです♪

もともとペーパードライバーだった私ですが、
ユニ育ちゃんのおかげで、運転を10年ぶりに再開してから
今年でもう4年ちょっとになります。
初めは、ハンドルを握るだけでオロオロしていたのに
10キロ、20キロ、30キロと、どんどん走行距離がプラス。
療育センターや大学病院が遠いおかげで
気がつけば、都内はほとんど運転できるようになりました。

平日は、わりとハンドルを握っている私が
ここ数年の間に一番変化したと感じているのが、
実は、ガソリンスタンドのサービス。
フルサービスのステーションがどんどん減り、
変わりにセルフサービスが増えてきたのが目に付きます。
しかも、サービスルームの充実ぶりに驚くばかり。

例えば、JOMOの「Value Style」のお店の場合。
タバコの分煙化だけではなく、マッサージチェアの設置や
子供用の塗り絵やオムツ交換のシートがある上に、
入れたてのコーヒーが飲める、スタンドのあるところまで。
それはもう・・・
「癒し系ガソリンスタンド」と言わんばかりのサービス。
もちろんドライブウェイとサービスルームの段差はなく、バリアフリー。
車椅子用トイレも完備されているので、車椅子ドライバーも安心!
女性ドライバー1人でも、子供連れでも、みんながゆったりくつろげる空間へと
着実に変化しているのが、・・・ちょっとうれしいこのごろです♪

もちろん、既存の古いスタイルのガソリンスタンドも、負けてはいません。
先日、家族で出かけたガソリンスタンドの入り口にあったのが
「障害者ドライバー、ぜひお声をかけてください」という看板。
店舗そのものは、決して新しいわけではないのですが
「気軽に一声かけてくれたら、、いつでも僕らが対応しますよ」と
何ともうれしいコメントを言う、フレンドリーなスタッフ。
確かに、このステーションは入り口が狭い上に
歩行者の往来も多いので、入店しづらい店ですが
こうしたスタッフがいるということが、何より心強い。

全国のガソリンスタンドに、こうしたサービスに対応できる
ハートフルなスタンドが、たくさん増えてきて欲しい。
そんな思いもあり、今日はこのブログに書いてみることにしました。

===

環境の面から考えたら、本当は車での外出は控えたいところ。
それでも、重症心身障害児と呼ばれる子どもたちの外出には
まだまだ車は欠かすことのできない乗り物です。


ある時は、栄養剤の注入場所となり。
ある時は、オムツ交換のシートにもなる。
ある時は、ゴロンとお昼寝もできる上に
ある時は、痰の吸引などを心置きなくできる場所。
それが、我が家にとっての車という乗り物です。

エコドライブを心がけながら、
これからも、いろんな場所に家族そろって出かけられる・・・
そんな幸せな時間を、大切に過ごしていきたいです

★お読みいただき、ありがとうございました
2008/02/02のBlog
[ 03:33 ] [ 海外の子育て事情 ]
イラストライター 大枝桂子です。

本日は今所属している「統合保育」のクラスで学んだことを
紹介したいと思います


こちらの教育現場では、なんですが、
●明確に目標設定をすること
●目標にどの程度近づいたか評価すること
この二つが大変重要視されてます。

今まで取ったクラスでもすべて、学期の初めに
「あなたのGoal(ゴール・目標)はなんですか?」
を調査書に記入させられ、
クラスによっては学期の最後に「自己評価」させられました。

障碍児保育でもまたしかり。
先生と親、時に専門家も交えて、
「今のこの子の目標は?」というのを明確に設定し、
評価していく。

日本の保育現場と比較して、
面白いなあと思うのはそこなんですが、
たとえば、ある園に軽度発達障碍が疑われる
やんちゃな子がいたとしますね。
日本でその子についてミーティングが職員間で
開かれた場合、おそらくその会議のタイトルは、

「A君の事例」。

会議はたぶん各先生が、
「A君はこんなことをした。そこが心配」
「こんなこともした。そこも心配」ということを
あげてく。
そして会議がドンヨリ暗くなってきたあたりで、
「どうしたらいいでしょうねえ」という話になってくる。

一方、こちらの場合は、
(授業でロールプレイはしますが、
本当の会議には出たことがないので
実際の現場はわからないのだけれど)、
おそらく会議のタイトルは、

「A君の目標達成のための戦略会議」。

もちろん、こんな心配事がある、
こんなこともやらかした、という気になる点は
同じようにあげていくんですが、

心配な状態→→→→心配でない状態(目標)

というように、「心配でない状態が彼のゴールなのだ」と
はっきり意識化、言語化される。

(日本の会議の場合は、
「言わなくても当たり前」的に意識されていないでしょうか?)

さらに授業では、
その目標(Gaol)に向かうまでに
幾つかの小目標(Objectives)を設定するよう指導されました。

たとえば、ひどいカミツキ癖のある子がいたとします。
1日に10回くらいかみついてしまう子。
この場合、「カミツキ0」が最終目標になると思いますが、
いきなりそこに目標を置かず、

「明日は5回くらいになるようにする」(小目標)
 ・引き金になりやすいB君の行動をマーク(C職員担当)
 ・多発する時間帯にマンツーマンで付く(Dアシスタント担当)
 ・背後の要因を調べる(E職員担当)

というふうに、各々の職員の目標も決めていく。
そしてまた会議をやって、
戦果を報告し、評価し合い、

「じゃ、明日は目標値を2回に設定しましょう。
C職員はターゲットにFちゃんも加えて」

とか、それぞれの職員の目標も調整し直す。

プラス、記録を取るときに、
その目標がどのくらい達成できたかを「常に」意識できるよう、
記録紙に初めからその小目標値を書き込んでおくという
方法も教えてもらいました。

たとえば、簡略化して書くとこんな感じ。↓
──────────────────────────────
 発達段階エピソード記録紙 C職員

対象児 A 日付2008.1.31
──────────────────────────────
<A君の小目標>
 カミツキを5回に減らす 

<C職員の目標> 
 ─B君との関わり 
 ・トラブルを回避 
 ・A君との関係向上
 
────────────────────────────── <コメント>
B君がA君のおもちゃに興味を持った。すかさず、同じ物がある
事を伝え、トラブルを回避。A君とそれで一緒に遊ぶことを提案するが、
それは却下される。

──────────────────────────────
(アンダーライン以外の部分は、仕事が始まる前に記入されている)。


こんな風にシステマチックにする最大の理由は、
アメリカの保育界もまた人材不足の問題があるからだそうです。
フォーマットを決めて動けば、時間を節約できるからですね。
つい、日本人の私は、
「そんな子どもを物のようにマニュアルで管理するような方法はちょっと…」とか頭をかすめてしまうのですが、
理想と現実をきっちり分けて考えろ、と。(笑)
どこまでも合理理的なアメリカ。
でも、学ぶものはあるんじゃないかな?

2008/01/15のBlog
[ 17:47 ] [ 「障害児」改名キャンペーン ]
ライターの弾丸ひろこです。

今回、「チャレンジド」という言葉をめぐる第二弾を書く予定でしたが、急きょ変更。
シンポジウムのお知らせをさせていただきます。

“「障害」の有無を越えて~ユニバーサル社会の幕開け~”というシンポジウムが1月19日、世田谷ボランティアセンターで行われます。
詳しくは下記を参照してください。

☆★こどもプロジェクトフォーラム★☆
「障害」の有無を超えて ~ ユニバーサル社会の幕開け ~


その第二部で、NPO活動などをしている母親3名が、「障害」のあるわが子を持ったことをきっかけに始めた、ユニバーサル社会に向けたそれぞれの活動報告を行います。

そこで、昨年11月より展開されている「障害児」改名キャンペーンの中間報告なるものをさせていただきます。

まだ改名キャンペーンは決して盛り上がっているとはいえませんが、
現時点(1月14日現在)で投稿書き込みなどを含め40ほどの貴重なご意見をいただいています。

改名に関しても「要支援児」「チャルドレン」「たいよう」「ユニ育」「ユニ」「ユニっ子」「健尊児」「希望児」「ワンダーキッズ」「原子の子・アトム」「利用児」などの妙案・名案をいただきました。

注目すべき投稿として、ある「障害」を持つ親御さんから以下のようなコメントをいただきました。

『「障害」という言葉が恐怖だった。「奇形」という言葉も嫌だった。わからない言葉ばかりで不安でいっぱいだった。言葉の持つイメージが先行して、事実を冷静に見ることができず、本当は純粋な赤ちゃんだったのに、必要以上に言葉に叩きのめされていた気がする』

わが子にハンディがあるとわかった時の親の気持ちをリアルに表現していただき、ありがとうございます。

このコメントを読んで、私もわが子の「障害」を告知された当時のことを思い出しました。

もちろん、お子さんの状態によって違いがあると思いますが、「障害」、「奇形」の他に、「異常」あるいは「正常下弦」、「遅滞」「機能低下」「欠損」「欠陥」とまあ、確かに否定的で恐~い言葉のオンパレードなのです。

医学用語も入ってくるので、しかたない部分もあるかもしれませんが、
それだけに、「障害児」のように、教育の現場など公的に使用する言葉ぐらいは、
少なくとも否定的なものでなく、せめてニュートラルなものであって欲しいと、
このコメントを読んで改めて思いました。

それ以外にも

『まずは「碍」の字を復活させ、周知を図るべき』

『行政用語と愛称と二通りで行く』

『健常者という言葉こそどうにかすべき。いわゆる健常者を指して“定型発達”と呼ぶ場合もある』

『「障害」という言葉を使わないで表現していく方向をさぐる』


といった、運動の方向性に関する現実的なご意見もいただきました。

私の方からは、
『「障害」という言葉を、「児・者」とハンディのある特定の人につけるのではなく、むしろハンディのある人を疎外する物理的・社会的環境につけるべき』

という意見を投稿させていただきました。
例えば利用者が多いのにもかかわらず、段差が多くエレベーターもない駅を指して
「障害環境」と呼ぶなど。

その方が、「特別支援教育」や最近話題になっている「ICF」、しいてはその基礎となっている「ノーマライゼーション」の理念に合致していると思うのですが、この件に関してはまた詳しくブログに書いていきたいと思っています。

更に、障害児だけでなく「自閉症」という言葉に関しても以下のようなコメントがありました。

『自閉と引きこもりを混同させるような、誤解されやすい呼称を使い続けていることに問題がある』

『私の子供は決して“自閉”しているわけではない。「自閉症」と呼ばれることにとても違和感がある』


繰り返しますが、このキャンペーンの一番の目的は、何が何でも改名するということより、
むしろ言葉を通し、ハンディのある子をめぐる現在の環境について理解を深め、広げていきたい
ということです。

そういう意味でも本当に参考になり、パワーを得ました。
書き込みをしてくださった方々に深く、深く感謝します
シンポジウムで中間報告としてまとめて発表をさせていただきます。

改名キャンペーンは一応1月17日までとしていますが、3月一杯まで期限を伸ばし、
ネット上でもう少しこのテーマを広く、深く掘り下げていきたいと思いますので、
まだまだ書き込みの方宜しくお願いします。
コチラの記事のコメント欄に書き込んでください。)

そして、ネット上だけでなく、介護保険関係も含めた「福祉をめぐる言葉」にフォーカスした学習会シンポジウムなども開いていきたいと思っています。

関心のある方、是非一緒に考えていってください。
宜しくお願いいたします。

さて、実は19日のシンポで注目していただきたいのは、私が発表するキャンペーンの中間報告もさることながら、他の母親仲間がプレゼンする内容です。

そのひとつが「ユニバーサル・スポーツ・トライアルin 玉川高校」に関する報告。 

これは、今年3月をもって廃校になる都立玉川高校を、
将来的にハンディのある子もない子も活用できる場に開放しようというアピールも含め、
昨年11月に、地元のサッカーチームの子供たちと、ハンディのある子どもや大人たち、
在日外国人の子供らが集って行われたスポーツ大会の様子について報告です。

実は、私が仲間と一緒に最も力を入れているのがこうした活動。

ハンディのある子もない子も共に楽しめる、“統合的な活動”の場づくりです。

私もこれまでいろいろ模索し、紆余曲折する中で、
互いの心の壁をなくすには、「楽しい経験を共にする」
「同じ釜の飯を食う」
というのが一番だということにたどり着きました。

それも、大人はちょっと手遅れなところがあって、
なるべく子供の頃に経験するのが良いと。

しかしながら、そういう場は、残念ながら今の日本、私が住んでいる首都東京にさえ
、極めて稀というのが現状。

だったら、少しずつでもいいからそういうチャンスを私たちの方から作っていこうと
「障害」のある当事者や、「障害児」の母親らが共に活動しています。

「改名だけしても事態は変わらない」とよく言われるのですが、もちろんそれだけじゃない。
それに、何事も石を投げてみなければ、わからない。

やれることはやってみないと、この世界は本当に変化が遅いのです。

ICFにしても、特別支援教育制度にしても、今、せっかくWHOから新しい進んだ概念が入ってきているのに、このままじゃ、日本には根付くことなく、宝の持ち腐れになっってしまいます。

そこで、

ネット(例:改名キャンペーン)でもグラウンド(例:統合イベント)でも、
PTAでもNPOでも、
サポートしてく下さる人たちと柔軟にコラボして、
できることは、同時多発的に楽しみながら、


を身上に活動しています。

そんな様子を少しでもご報告できればと思います。

ちなみにこのシンポジウムでは、このサイトの船長さんも「食」の視点からアピールをします。
ハンディのあるお子さんを持ったことから、
とうとう「食・環境問題」に関係する活動にまで至った船長さんのエネルギーには脱帽します。

シンポジウムのタイトルに~ユニバーサル社会の幕開け~とありますが、

本当はまだ幕開けなんて程遠いことは、よくわかっています。

でも、「子どもたちのために、とっとと幕を明けちゃおうよ!」という想いを
、参加する皆さんで共有できたらなと思います。

ご都合つけば、是非にご参加くださいませ。



2008/01/10のBlog
[ 03:22 ] [ 「障害児」改名キャンペーン ]
ライターの弾丸ひろこです。

「改名キャンペーン」の立ち上げなどで、すっかり間が空いてしまいました。すいません(ペコリ)

さて、今回のテーマも改名キャンペーン絡みで、「チャレンジド」という言葉について取り上げたいと思います。

「チャレンジド」とは、米国ではすでに「障害」のある人を表現する言葉として一般的になっています。

従来のマイナス面にフォーカスした“the handicapped”に対し、”the challenged”は、「神から挑戦という使命や課題を与えられた人」という前向きな想いが込められています。

日本でも最近よく聞かれるようなりましたね。

この間、「障害児」のママに会う度に「障害児」改名について、そしてこの「チャレンジド」という言葉について簡単に聞き取りを行ってきました。

現時点で20名、お子さんの年齢は、2歳から15歳まで、ママの年齢はだいたい30代前半から40代後半まで。

そして、お子さんの「障害」は、皆さん何らか「知的障害」があるのが共通しています。

意外というべきか想定内というべきか、ほとんどのママたちが、「障害児」と言う言葉にも違和感はあるけれど、「チャレンジド」という言葉にも別の意味で違和感があると異口同音におっしゃられていました。

ちょっと気になった具体的なコメントを、ご許可を得た上で無記名で挙げてみますと‥

チャレンジドと言う言葉には、プレッシャーを感じる。自閉児を育てていく中で、日々を無事乗り越えるのが精一杯なのに、もっと頑張らなければいけないのかなと。

言葉として敷居が高いし、おこがましい。一般の方に使う際にも説明が必要。使い慣れている「障害児」のままで良いと思う。

うちの子はちょっとおバカなだけで、普通の子と変わらないと思って育てている。「障害児」でもなければ、「チャレンジド」といった崇高な使命を負った特別な子だとも思わないようにしたいので。

チャレンジドとかハッピー・チャイルドとか敢えて前向きな言葉を使わなければならないところがかえって苦しい。肩に力の入ったマイノリティーの悲しさが伝わってしまう。

かつてアメリカに在住していたことがあるだけに、言葉の持つ理念はよくわかるし、素晴らしいと思うけれど、あくまでアメリカという国の文化土壌から生まれたもの。日本の文化やこの国で「障害児・者」が置かれている状況とはあまりにかけ離れていて、少なくとも今の日本で日常的に使うには無理がある。改名をするのは、もっとユニバーサルな社会になってからの話だと思う。



‥‥とまあ「チャレンジド」という言葉をめぐって、いろいろなことを感じ、考えていらっしゃる方もいましたが、違和感を感じている方たちの概ねは、言葉自体知らなかったという方も含め、さほど深くは考えていないようで、「実際問題、“うちの子チャレンジドです”なんて、気恥ずかしくて使えないでしょう」といったところです。

こうしたママの中には、そういう質問をされること自体に、「はぁ?」という感じで引いてしまったり、改名キャンペーンについても、「まぁた変わったことやらかしてるのねぇ~」といった反応もあったこともご報告しておきます !! f(^_^;)

さて、一方、「チャレンジド」賛成の方も若干名いらしたので紹介します。

限られた能力を駆使して生活している子供を見ていると、日々何をするにも挑戦であると感じる。まさに「チャレンジド」だと思うけれど、勇気がなくて使えない。使ったら、バス停(←特別支援学校のスクールバスのバス停のこと)で確実に村八分になるだろう。いつの日かもっと一般的な言葉になることを願っている。
 
バス停でスクールバスを待つお母さん仲間から村八分になるとは、なかなかリアリティーのあるご意見です。

また、こんな賛同のご意見もいただきました。

日本の実情にはまだ合わないかもしれないけど、敢えてこういうメッセージ性の強い言葉を戦略的に使って世の中の意識を変えていくことが、今、ユニバーサル社会への過度期だからこそ、必要だと思う。

私が「改名キャンペーン」に抱いている想いもこの方のご意見と大変近いので、嬉しくなって、「そうよね、そうよね!」と思わず手を握ってしまいました。

私が「障害児」母という、いわゆるマイノリティー当事者になって実感していることは、人の意識の進化は遅いんだということです。

この20年、テクノロジーはすごく進化しましたね。
20年前、例えばこんな風に多くの市民がブログで情報発信しているなんて考えられなかったですよね。

でも、「障害者」関係の施設を建てようとするとその土地の住民から必ず反対運動があるのは、20年前と全く変わりません。

「障害者」関係の施設が建つと“不動産価値が下がる”とか、“盗みや不法侵入者が増える”とか、昔と相も変わらぬ偏見に満ちた理由で‥‥。

普通の小学校への敷居もこんなに高いとは正直思いませんでした。

どんな障害があっても、親と本人が希望すれば入れる時代になっているのではと思ったらとんでもなかったです。(←またこの件については詳しく書きたいと思います)

だから、いろんな手段を使って、できるところから、人の意識にゆさぶりをかけていく必要があると思うのです。

ユニバーサルな社会になるまで、「障害児」と呼ばれることに我慢する必要はなくて、敢えて前向きな呼び名に改名していくことを、逆にユニバーサル化への一戦略にしてしまったら良いと思うのです。

今から20年後、例えば、うちの子のグループホームを建てようとした時、やっぱり住民の反対が昔と同じようにあったとしたら、それは正直、私ら、本人の親も含めた当事者の責任だと思います。

いったい、この20年何をやってきたのかと‥‥。

当事者から嫌なもんは嫌だ、こうあって欲しいと声を上げて行くことからしか、事態は変わっていきません。

神から挑戦する使命を受けているのは、「障害」のある本人だけでなく、家族も同様だと思っています。

さて、話しがそれました。私も「チャレンジド」という言葉にはいろいろと思い入れがあります。

次回は、私の身近で「チャレンジド」という言葉が使われているし現場の様子の報告と共に、「障害」のあるわが子に照らし合わせながら、私なりの想いを綴りたいと思います。

あぁ、こぉ~のままぁ~、何時間でもぉ~、書いていたいけどぉ~
ご精読ありがとうございました!!

2008/01/09のBlog
[ 17:25 ] [ 特別支援教育について ]
福祉ジャーナリストの安藤です。
本年もよろしくお願いします。

本業?の介護関連で記事をまとめていたとき聞き慣れない用語と出くわしました。

「ICFでケアプランをまとめる」

・・・・・ICFって、何?

福祉ジャーナリストを名乗ってておきながら、これまでまったく知りませんでした。冷や汗ものです。大急ぎで、コッソリ調べます。


ICFとは2001年にWHO(世界保険機関)で採択された新しい〝人間の生活機能と障害の分類法〟なのだと知りました。International Classification of Functioning, Disability and Healthの頭文字ですね。日本語では、「国際生活機能分類」と訳されています。また、子ども向けのICFとして、ICF version for Children and Youth (ICF-CY,児童青年期版(仮訳))がWHOの関係会議で2006年に承認されています。

国もこの新しい分類法を活用すべく、すでに動き始めています。厚労省は2006年に社会保障審議会に専門委員会を設け、ICFに関する諸課題について検討を進めています。また中央教育審議会でも特別支援教育への活用がすでに検討されています。

さて、具体的なICFの内容です。

ICFの分類によると、ある人物はさまざまな要素が相互に関係している中、ある活動に参加することが制約されていると分析されます。分類要素には以下のようなものがあります。

心身機能 : 身体系の生理的機能(心理的機能を含む)
身体構造 : 器官、肢体とその構成部分などの、身体の解剖学的部分
活動 : 課題や行為の個人による遂行
参加 : 生活・人生場面への関わり
環境因子 : 人々が生活し,人生を送っている物的・社会的・態度的環境
個人因子 : 個人の人生や生活の特別な背景

支援する視点でみると、これまでは機能障がい、能力障がいや社会的制約などで分類されていたのとは違い、暮らしの背景や個人の意欲(希望)などをきちんとアセスメントしていくわけですね。「活動、参加、環境因子、個人因子」がその部分でしょう。そして分類結果からさまざまなことを推察して、ニーズ(必要)やデマンド(希望、意欲)にマッチした生活や活動への参加を実現するために環境設定をする、支援を提供していくことになります。

ICFによる自立支援とは、障がいを補うバリアフリーや個人的原因に終始する医療発想から、生活機能を整えることへの転換でしょうか。

中教審の特別支援教育専門部会に提出された資料にあるケースで見てみましょう。

仮想事例A君の場合
・ 中2 男子。
・ 内向的な性格である
・ 脳性麻痺という診断を受けており、下肢に運動麻痺がある。
・ 移動は、クラッチでの歩行及び車いすの使用である。
・ 住民の転出入があまりない、比較的保守的な地域に3世代家族で住んでいる。
・ もっとも近いスーパーは、家から50メートル程の距離のなだらかな坂を上った所にある。
・ スーパーに買い物に行きたいが、心理的な抵抗があり、行けない。

従来の分類ですと、「脳性マヒで下肢に機能障がいがるため移動が困難。その結果、一人で買い物に行けない」となります。支援を考えると、スーパーまでの動線でバリアフリーを確保するとか、介助者を付けるとなるでしょうか。

これをICFで考えてみましょう。
上記に加えて、「上り坂がある」「車椅子の性能が低い」「近所の目を気にする祖父母」(以上、環境因子)、「内向的な性格」(個人因子)といった背景因子についても検討されます。

この分類結果から一人で買い物へ行くための自立支援策を考えると
・下肢運動マヒの軽減(PT理学療法士)
・家族・近所の人たちの支援的な態度(保健師)
・省力で自操できる車椅子(自治体福祉課、PT)
といったことも必要になってきます。

あやめさんの投稿からひきますと、平等な福祉から公平な生活支援への転換でしょうか。これまで特別支援学級(旧 養護学級)では個々の教師の経験則を頼りに教育や自立支援プログラムが実施されていましたが、このICFが普及することで経験の浅い教師でも子どものアセスメントと支援提供を適切に行うことができるようになるでしょう。期待です。

ICFについては年末から勉強をはじめたばかりで、理解の怪しい部分があるかも知れません。お詳しい方、おいででしたら、ぜひご指摘下さい。
2008/01/06のBlog
[ 23:10 ] [ 海外の子育て事情 ]
イラストライターの大枝桂子です。

国の財政が逼迫する中、
「社会的弱者にも平等の負担を」という理論がまかり通って、
高齢者や母子家庭、障碍者支援への予算が削られています。
その「平等」についてですが、
カレッジの障碍児クラスで「ほお~」と思う説明をもらったので、
ここにしっかり書きとめておきます。


たとえば、子どもが二人いて、
その子どもたちにリンゴを1つずつ与えたとしますね。
この状況は「equalイコール」。
それに対して、
その時リンゴ一つで十分という子にはリンゴ1つを与え、
おなかがすいていてリンゴが二つ必要な子に二つ与えた場合、
この状況を「Fairフェア」と言うそうです。

障碍児保育、教育についていうと、

平均的な発達や学習より遅れた子がいたとき、
その子に平均的な関わり、学習を与えるのは「イコール」であり、
その子の個性に合わせて、
その子がより発達できるように支えていくのが「フェア」。
つまり、同じリンゴを一つもらっても、
みんなが同じように発達できないことがあるので、
場合によっては手間やお金がかかっても、
その子の発達にリンゴが二つ必要ならリンゴ二つを与えていくのが
平等<フェア>な保育・教育
というわけです。

そして、民主主義においては、イコールもフェアも大事にされるべき概念であり、
先生は、「保育、教育はこのイコールとフェアを状況に応じて
使い分ける必要がある」と言っていました。
(インクルーシブクラスルームで、
全員がクリアできそうなら同じ課題を、
難しそうなら、違う内容、時間、加配で差をつける、というような
ことだと思います)。

それと同時に、もらった資料にはこのようなくだりがありました。

本当の民主主義は、個人個人の権利と必要性を尊重することであり、
それはすべての人を同じに扱うことを意味しません。

最終的な目的は、すべての子どもがその子の発達や知能に合った環境を与えられ、
そこからの成長を支援することなのです。
すべての子どもを同様に扱わないことは、
彼ら自身の個性とあらゆる人の違いを尊重するということを
彼らに教えることになります」。

障碍児保育、教育にひきつけてひらたーく言えば、
イコールよりはフェアであるべき、
ということだと思います。
もっと言ってしまえば、
民主主義国家は、障碍児保育、教育にお金をケチってはいけない、
それはすべての子に対する人権教育でもある、って意味になりますね。


ここで、初めに書いた「社会的弱者の負担」まで
広げて考えてみると──。
たとえば、平成18年、障碍者自立支援法が成立し、
所得に関係なく障碍者は応益負担を強いられるように
なっています。
応益負担はまさしくイコールの考え方であって、
フェアという考えには立っていません。

「本当の民主主義」を追求するならば、
所得の違いを勘案し、応能負担でなくてはいけないはず。
応益負担のために、平均的な生活や保育、教育が受けられなくなっている子が
たくさんいるんですから。
この現実を民主主義国家のリーダーはしっかり考えなくちゃいけない。


昨年10月9日の授業で、私のノートにしっかり書きとめた一文。

「Money Follows A Child」.
(子どもはお金の先を行く)

思いっきり意訳して、
「すべての子どもたちに、
フェアな環境、保育・教育機会を!」ってことで。
2007/12/29のBlog
[ 17:57 ] [ 海外の子育て事情 ]
こんにちは。
イラストライターの大枝桂子です。

今日こそは児童発達のクラスの宿題(シャドウイングプロジェクト)のために
大学の保育園を参観したときの様子を
レポートいしたいと思います。
2007/11/09のBlogの続きです。(^_^;)。




私が参観に入ったのは
De Anza Collegeの児童発達コースのビルに付設される
保育室の4歳児クラス。
ここには2歳児からのクラスがありますが、
4歳児クラスを選んだのは、
このクラスの保育士、Linda Conroyリンダ・コンロイが
障碍児教育の有資格者だったから。

4歳児さんは全部でざっと25人くらい。
そこに2人の先生と、
2人~3人のアシスタントティーチャーが付きます。

しかし、この観察で私が何に一番驚いたかというと、
リンダ先生の学生(私)に対する対応です。
(日本の園だとあくまで園児第一で、
「学生は保育の邪魔をしないでね」というのが一般的だと思うんですが、
日本でも、大学付設の園では違うんでしょうか…)。

まず、観察の初日、私がリンダに
「障碍のある子と、その子に先生がどのように接するかを
拝見させてほしい」と宿題の趣旨を伝えると、
リンダはいともあっさり、「じゃあ、カール(仮名)がいいわね。
彼には発達遅滞があるの」。
そう言うなり、
それまで他の子どもたちを同等に気にかけていた保育士リンダは
カールをターゲットにして
突然、学生(私)に教える先生に変身!
印はリンダが私にこっそり話した台詞デス)。

「カール! トミーと三輪車で遊んでたの?
今度はプレイジムでみんなと一緒に遊ばない?
こっちに来てごらん。
みんなも、カールに一緒に遊ぼうって誘ってちょうだい!」
「カールはそのままにしておくと、
友達とかかわろうとしないのよ」。

「カール、三輪車がひっかかって動かせないのね。
トミーにHelp me, please.ってお願いしてごらん。
Say, ‘Help me, please!’.
そうよ。
それで、手伝ってくれたトミーには、なんていうの?
そう、Thank youね! えらいわ!」
「カールは言葉の遅れがあるから、
できるだけチャンスを見つけて、
友達と話すよう働きかけるの」

「カール、メガフォン(←赤い円錐の‘コーン’を
なぜかこう呼んでいた)を見つけたのね。
それはメガフォンよ。メガフォン。
言ってごらん! メガフォン!」
(メガフォンという単語は他の4歳児にとっても
めずらしい言葉だったのか、
カールだけでなく、他の何人かの子どもたちも、
メガフォン、メガフォン、とリフレインしていた。
こういったリンダのカールに対する丁寧な関わりは、
カールだけでなく、他の子どもたちにも影響を
与えているようでした)。

翌日保育園に再び訪れると、リンダは、
「今日はオーチズム(自閉症)のジョン(仮名)が来ているから、
彼の様子を見るといいわ。
あなた(私)にとって、とてもいい機会だと思う。
ジョンの行動をしばらく観察してみて」。

しかし、私がジョンを見る限り、
彼にはあまりオーチズム的なところが
見受けられない。
他の子どもたちと遊ぼうとしないものの、
アシスタントティーチャーに楽しそうにちょっかい出して、
「ボクを追いかけてよ! Chase me!」と言っては
鬼ごっこを楽しんでいる。
障碍のない4歳児でもありがちなシーンでは?と思ったので、
そのことをリンダに告げると、リンダは、
「彼は高機能のオーチズムだからね。
じゃあ、部屋に戻ったら、
テーブルワークを見る機会を作ってあげましょう」。

外遊びの時間が終わって部屋に戻ると、
さっそくリンダは子どもたちに、
「今から、カールとジョンとでブロックを使って
遊ぶんだけど、
他に一緒に遊びたい人はいないかしら?
じゃあ、マークとアレン。一緒に遊びましょうね」
(…どうやら私のために、
障碍のあるカールとジョン、
障碍のない子どもたちを比較させてくれるつもりらしい…)

「さあ、この絵本にいる動物は何?
そうシマウマね。
シマウマの模様のパターンはどうなってる?
そうね。白、黒、白、黒って
順番に白と黒が並んでる。
じゃあ、シマウマと同じパターンをブロックで
作ってごらん」。

カールとジョンは先生にヒントをもらいながらも、
最終的には4人の子どもたちはシマウマパターンを完成。

「Good job!
じゃあ、次は何かしら。
そう、イモムシね。
このパターンはどうなってる?
白、黄色、オレンジのパターンね。
じゃあ、ブロックで作ってごらん」。

2色は理解できるのに、
3色になると混乱する。
4歳児ってそういう年齢なんですね。
5歳に一番近いマークは、コツをつかんで
イモムシパターンを完成させましたが、
アレンも初めは、かなりもたついてました。
でも、ジョンとカールはリンダがいくら説明しても
白、黄色、オレンジのパターンはできずじまい。
自由に、色とりどりにブロックをつなげているうちに飽きて、
電車遊びなどに移行していきました。

「わかったかしら。これが発達に遅れのある子とない子の違いなの。
それに、たとえばジョンは電車遊びが大好きだから、
自由にしておくとずっと電車遊びを続けてしまうのね。
だから、こうやって、友達とブロックをしたりする機会を
意識的に作っていくことが大事なのよ」。


インクルーシブ クラスルーム(統合保育室)ですから、
学生にとっては、比較して違いを見て学ぶには
大変いい環境と言えるかもしれません。
おそらく親も、「学生が子どもを観察する」ことを知らされた上で
預けているのだと思います。
しかし、資料作成のためといって、
(障碍のあるなしにかかわらず)写真をいっぱい取ってるわ、
こまめにメモを取っているわ、
日本ではあまり見かけない風景があったのも事実。
(正直に言うと、保育園というよりは、
研究所みたいな印象でしたね(^_^;)。
確かに学生に一生懸命教えてくれるのも、
資料作成に熱心なのも長い目で見れば子どものため
ではあるんですけれどね・・・)。


日本の保育者養成校で障碍児保育のための教育が
どのように教育が行われているのかわからず、
比べようのないのがちょっと残念。
日本に帰ったらぜひ、養成校におじゃましたいと
思ってます。
そのときまた機会があったらまたレポートしますね~。

[ 15:06 ] [ ポジティブ子育て ]
ユニ育ライター こがにです。

今年も、あと残すところ数日。
もともとあわただしいユニ育な毎日なのに、年末も重なると・・・
必ず、ミスやら失敗をする私。
特に年賀状ともなると、そそっかしい私はパソコンでプリントアウトする時。
必ず、上下を間違えて機械に入れてしまうことを何度か繰り返します。
こういう時、いつも思います。
「あ~、くぼみの入ったはがきが、当たり前になっていたらなあ」。

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くぼみ入りはがきとは、はがきの表面左下部に半円形のくぼみを入れ、
上下・表裏がすぐ分かるようにしたもの。
こうした工夫は共用品と呼ばれ、身体的な特性や障害にかかわりなく、
より多くの人々が共に利用しやすい製品・施設・サービスの一つ。
(財団法人共用品推進機構より定義を引用)
シャンプーにある凹凸や、缶チューハイなどのプルタブ部分にある点字の「お酒」の文字。
そして牛乳パックの上部にある凹みなどが、これらに該当します。

このくぼみ入りはがきは、全国の集配支店で販売している上に、
申し込みがあった場合は、自宅まで配送してくれるというもの。
もちろん障害のある人もない人も、自由に申し込みできるものです。

けれども、日本郵便の報道資料によると、今年の発行枚数は40万枚。
すべての年賀ハガキの発行枚数39億万枚の中の
わずか・・・0.01%という、きわめて少ない枚数です。
しかも、全国の発行枚数は「対前年比100」というもの。
昨年も、同じぐらいの発行枚数だったことがうかがえます。

郵便局から、日本郵便になった今年は「あたらしいふつうをつくる」というスローガンのもと。
年賀状のデザインにも力を入れ、スタッフの人たちも懸命に努力しているようですが
残念ながら、くぼみ入りハガキの営業活動が増えているかというと、そうではありません。

一方、共用品の市場規模は2005年度で2兆8912億円。
調査をスタートした1995年には4869億円だったことを考えると
ほぼ6倍近い成長!!
(財団法人共用品推進機構2005年度共用品市場規模調査結果報告より)
不便さが不自由さが、あらゆる面から見直されている社会であるのに対して
このくぼみ入りはがきの現状が、
どうも営業不足であるような気がしてならないこのごろです。

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もし、すべてのはがきが、くぼみ入りであったなら。

私のようにパソコンのプリントアウトに失敗する人が、ほんの少しでも減ることは、もちろん。
このくぼみが、なぜ必要なのか?
そのことを、多くの人たちが考えるきっかけになるかもしれません。

くぼみ入りはがきが特別なものではなく、当たり前になる時代が来れば
世の中の当たり前も、少しずつ変化してくるかもしません。

「年賀状は、贈り物だと思う。」
というコピーが、今年のテーマになっている日本郵便。
くぼみ入りはがきという贈り物も、これからは当たり前になるかもしれません。

ちなみに・・・
年賀状を送った後、くぼみ入りはがきの存在を知った私(涙)
時、すでに遅し。。。。
来年こそ、ユニバーサルな贈り物へと、見直していきたいです。

★お読みいただき、ありがとうございました
皆様、よいお年を~!