二つの平等<Equal とFairの違い>

(%王冠%)イラストライターの大枝桂子です。(%王冠%)

国の財政が逼迫する中、
「社会的弱者にも平等の負担を」という理論がまかり通って、
高齢者や母子家庭、障碍者支援への予算が削られています。
その「平等」についてですが、
カレッジの障碍児クラスで「ほお〜」と思う説明をもらったので、
ここにしっかり書きとめておきます。

たとえば、子どもが二人いて、
その子どもたちにリンゴを1つずつ与えたとしますね。
この状況は「equalイコール」。
それに対して、
その時リンゴ一つで十分という子にはリンゴ1つを与え、
おなかがすいていてリンゴが二つ必要な子に二つ与えた場合、
この状況を「Fairフェア」と言うそうです。

障碍児保育、教育についていうと、

平均的な発達や学習より遅れた子がいたとき、
その子に平均的な関わり、学習を与えるのは「イコール」であり、
その子の個性に合わせて、
その子がより発達できるように支えていくのが「フェア」。
つまり、同じリンゴを一つもらっても、
みんなが同じように発達できないことがあるので、
場合によっては手間やお金がかかっても、
その子の発達にリンゴが二つ必要ならリンゴ二つを与えていくのが
平等<フェア>な保育・教育
というわけです。

そして、民主主義においては、イコールもフェアも大事にされるべき概念であり、
先生は、「保育、教育はこのイコールとフェアを状況に応じて
使い分ける必要がある」と言っていました。
(インクルーシブクラスルームで、
全員がクリアできそうなら同じ課題を、
難しそうなら、違う内容、時間、加配で差をつける、というような
ことだと思います)。

それと同時に、もらった資料にはこのようなくだりがありました。

本当の民主主義は、個人個人の権利と必要性を尊重することであり、
それはすべての人を同じに扱うことを意味しません。

最終的な目的は、すべての子どもがその子の発達や知能に合った環境を与えられ、
そこからの成長を支援することなのです。
すべての子どもを同様に扱わないことは、
彼ら自身の個性とあらゆる人の違いを尊重するということを
彼らに教えることになります」。

障碍児保育、教育にひきつけてひらたーく言えば、
イコールよりはフェアであるべき、
ということだと思います。
もっと言ってしまえば、
民主主義国家は、障碍児保育、教育にお金をケチってはいけない、
それはすべての子に対する人権教育でもある、って意味になりますね。

ここで、初めに書いた「社会的弱者の負担」まで
広げて考えてみると──。
たとえば、平成18年、障碍者自立支援法が成立し、
所得に関係なく障碍者は応益負担を強いられるように
なっています。
応益負担はまさしくイコールの考え方であって、
フェアという考えには立っていません。

「本当の民主主義」を追求するならば、
所得の違いを勘案し、応能負担でなくてはいけないはず。
応益負担のために、平均的な生活や保育、教育が受けられなくなっている子が
たくさんいるんですから。
この現実を民主主義国家のリーダーはしっかり考えなくちゃいけない。

昨年10月9日の授業で、私のノートにしっかり書きとめた一文。

「Money Follows A Child」.
(子どもはお金の先を行く)

思いっきり意訳して、
「すべての子どもたちに、
フェアな環境、保育・教育機会を!」ってことで。(%星%)