ニックネーム:  パスワード:
| MyBlogトップ | Blogポータル | ブログガイド | よくある質問 | サポート |
ふれあい塾あびこレポ-ト
記事一覧イベント一覧
[ 総Blog数:1280件 ] [ このMyBlogをブックマークする ] [ RSS0.91  RSS1.0  RSS2.0 ][ ATOM ]
前のページ   |   次のページ
2017/04/17のBlog
[ 19:41 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
4/17 「北原白秋と3人の妻」

本日の講師は北澤和郎氏、氏は我孫子合唱連盟会長などを歴任され、現在は市内高野山に住んでおられます。以下のようなお話をして頂きました。

私は市内の男声合唱団『シャゥティング フォックス』で白秋の詩による合唱組曲『5つの断章』(團伊玖磨作曲)を歌ったのを契機としてその生涯に興味を持ち始め、資料をひも解いてきました。ことし没後75年となる「国民的詩人」白秋は生涯で3人の妻を娶とります。本日はその妻たちを中心にお話したいと思います。

1.白秋・復習(明治21年~昭和29年)
 白秋は明治18年、九州の水郷、柳河の旧家・北原家に生まれます。秀才の誉れ高く、早稲田大学文学部に進み、多くの文人と交流するようになります。明治42年、第一詩集「邪宗門」を発表、明治44年には第二詩集「思い出」を発表し、一躍詩壇の寵児になります。「城ケ島の雨」「この道」「砂山」「まちぼうけ」「あわて床屋」「ペチカ」など多くの名詩を残し、昭和17年、57歳で逝去。

2.第一の妻 福島俊子 (明治21年~昭和29年)
 俊子は三重県名張の開業医・福島家に生まれ、松下長平と見合い結婚します。千駄ヶ谷に転居した白秋は隣家に住んでいた美貌の人妻俊子と深い仲になります。しかし二人は夫松下に姦通罪で告訴され、ともに市ヶ谷の獄に入るはめになりました。夫と離婚の後、二人は結婚、没落した白秋の一家と三浦三崎で暮らしを始めます。しかし、そこでは俊子の居場所はなく、やがて離縁され、昭和29年孤独死します。

3.第二の妻 江口章子 (明治21年~昭和21年)
 章子は大分県国東の名家・江口家に生まれ、安藤茂九郎と見合い結婚するも、放蕩を繰り返す夫に耐え兼ね、離婚します。上京した章子は青鞜社の活動が縁で、白秋と知り合い、結婚します。ほとんど収入のない白秋との極貧生活にも耐えた章子は、自身の病気療養のため小田原に転居します。この頃から白秋は雑誌「赤い鳥」への連載により徐々に生活は豊かになってきます。しかし、洋館建設を巡って肉親との争いが起き、それがもとで白秋と離婚することになってしまいます。その後の章子は京都大徳寺の僧侶、中村戒仙を追いかけて柏の増尾に来るなど「恋多き女」となったあと、故郷の実家で亡くなります。因みに、柏の少林寺には章子の歌碑が建立されています。

4.第三の妻 佐藤菊子 (明治22年~昭和58年)
 菊子は明治22年、大分市の時計商・奈良屋に生まれます。大正10年に白秋と結婚、一男一女をもうけ、昭和58年東京で93歳で亡くなります。菊子はいわゆる良妻賢母。目を悪くした白秋を、資料の解析や口述筆記で支え続けるなど白秋を国民的な大詩人へと押し上げ、白秋は菊子との時代に大輪の花を咲かせたのです。一方、長男を東京大学に入学させるなど、子供の教育にも愛情を注いでいます。

ピカソは多くの女性と交流を重ねながらその画風を変えてきました。白秋もタイプの異なる3人の女性を妻として迎えながら、その作風を変えてきました。

白秋と3人の妻たち、とても新鮮で、人間臭い、印象に残るお話でした。また、お話しの合間には白秋の作品をCDによる男声合唱で聴かせて頂き、とてもよかったです。 (佐藤 明)

以下アンケート結果からいくつかご紹介します。
*白秋の詩と恋の遍歴をCDで男性合唱を聴かせる演出効果は、さすがに男性合唱団のリーダーの講演であった。講義の進め方もユーモアに富んだ分かりやすい内容で、声もさすがに素晴らしく大きく理解しやすかった。
*なぜどうして三人の妻たちが白秋に巡り合ったのか…推理小説にも似て、その展開は秀逸。白秋の裏面を改めて考えた、視覚と聴覚に訴えた講座は見事なり。
*とても分かりやすかったです、細かい資料のご用意に感動致しました。何と何と、北原白秋の劇的な人生!歌も入り本当に良い講演でした、ありがとうございました。
2017/04/11のBlog
[ 05:19 ] [ ふれあい塾講座記録 ]
“源氏物語を読む”第46回「手習巻」
國學院大學講師 文学博士 堤康夫氏

堤講師は「タイプが正反対の二人の男に愛されて進退が窮まり、入水した浮舟。
しかし、死にきれなかった浮舟は横川の地に籠っていた僧に宇治で発見されます。『源氏物語』もいよいよ大詰め近くを迎えます」と話されて、次のように解説されました。

*比叡山から北へ少し離れた横川に、ひとりの高僧が暮らしていた。宇治で暮らす母親が体調を崩し宇治に駆けつけた高僧は物の怪を祓い、大木の下に浮舟を見つける。その妹尼は亡き娘の生まれ変わりとばかりに懸命に介護する。

*更に物の怪祓いの祈祷を行ったところ、浮舟は意識が回復する。しかし川に身を投げた時以降の記憶が戻らず、なぜ尼寺にいるのか混乱する。

*そうこうするうちに、妹尼の娘婿の中将が浮舟を見初め言い寄る。口説き寄る中将と頑なに拒否する浮舟。浮舟は煩わしさから出家を考えるようになる。横川の僧都が山を下りてきた時をチャンスと捉え、浮舟は僧都に出家を切願する。

*浮舟は、薫が、居なくなった浮舟の弔いをするという話を聞きこんだが、会えない。薫は、明石中宮から浮舟が宇治にいることを知らされ、匂宮も知っているのではないかと気をもむ。宇治に訪ねるべきか、居なくなったものとして諦めるか…薫は心乱れる。

先生は「後世の人は登場人物にあだ名をつけています、例えば『紫上君』などです。浮舟には、三つのあだ名が付けられました。若い時は東屋君、薫と匂宮に挟み撃ちされた時は浮舟君、入水後が手習君です。夢の懸け橋、浮舟と薫は結ばれるのか、匂宮はどうなるのか。いよいよ次回はドラマの最終回、ハラハラドキドキが待っています」と話されて、解説を終えられました。

ご参加頂いたみなさまにも楽しんで頂けた、堤源氏の楽しいひとときでした。
*出てくる例、話題が面白い
*初めの男女若さと美しさの大恋愛物語が続き、週末の男と女の悲恋の物語の入水から出家という、悲しみと人の生きる苦々しさと悲しさと憐みを書く素晴らしさ、読者の涙 涙。
2017/04/04のBlog
紫式部の暗号 ~源氏物語の裏ポイントは「気象」~
作家・気象予報士 石井和子さん

きょうの公開講座の講師は石井和子さん。大学をご卒業後TBSに入社されてお天気番組のキャスターをお勤めになられました。その後日本気象予報士会会長などをご歴任、現在は文学作品の朗読をライフワークとされつつ、文学と気象の関係性をもご研究されておられます。

石井講師は源氏物語の序章を朗読されたあと、「紫式部の『源氏物語』には気象の描写がたくさん出てきます。平安時代は今より暖かかったのか、寒かったのか?千年の昔の天気は現代とどのように違っていたのか? 源氏物語の中のお天気のお話をいたします」と話されて、次のように解説して下さいました。

*日本には気象観測が始まった明治以前の資料は残っていません、しかし『源氏物語』の中には平安時代の気象現象が詳しく描かれています。この気象を通して、平安時代が身近になります。スーパーコンピューターが存在しない時代であったにもかかわらず、この気象現象は正確に記述されています。

*平安時代前半の200年は温暖な気候のもと、藤原氏の庇護もあって女流文学が盛んになり、源氏物語のような名作が生まれました。この物語を気象から読み解くと、光源氏が暑さに弱かったり、都の夏はマラリア天国だったことなどが伺えます。(野分)(五月雨)などの言葉が創られ、光源氏は19歳の時にマラリアに罹患しています。

*後半の200年は暗くて寒い時代で、貴族に代わって武士が台頭してきます。暗くて激しい気候は、社会や政治・経済と密接なつながりを持つことになります。紫式部は季節の移ろいに敏感で、人の本質を深く、鋭く見つめて源氏物語を書いています。

以上のようなお話のあと、石井講師は瀬戸内寂聴訳「源氏物語」の紫上の段を、桂田 實氏のリュート(日本でいう琵琶の仲間)の演奏をバックに朗読されました。
このリュートの演奏と朗読のセッションは予告にないことでしたが、参加頂いた方から以下のような温かい感想を頂きました。

*オリジナルの企画で何か温かいものが感じられました、源氏物語に改めて興味を持ちました。ここまで内在するものを思考出来て読めたらいいなぁ~、と思いました。
*お話も良かったのですが、朗読が聴けて感激しました。リユウトの音色も素敵でした。
*心が洗われるような朗読でした、音楽とよくマッチしていました。ありがとうございました。
*古典から読み解く当時の気象のことが面白く、楽しかったです。朗読は最高でした。
2017/03/24のBlog
春です! 美炎です! 馬頭琴です!
馬頭琴奏者 美炎(みほ)さんコンサート 
ピアノ:竹井美子さん パーカッション:前田 仁さん

馬頭琴奏者の美炎さんは千葉県のご出身で、馬頭琴をモンゴルの世界的馬頭琴奏者であるチ・ブルグッドに師事。馬頭琴の人間国宝チ・ボラグに認められ、馬頭琴アンサンブルの最高峰、野馬アンサンブルの一員としてアジア各国で演奏活動を行ってこられました。
ふれあい塾あびこでは2011年12月15日と2013年1月7日の2回、レクチャーコンサートにご登場頂き、いずれも大好評でした。第3回の今回は、幅広い分野での伴奏活動を続けておられる竹井美子さんのピアノ、メジャーアーティストと演奏活動をなさっている前田仁さんのパーカッションが加わったレクチャーコンサートで、過去2回よりさらに充実したすばらしいアンサンブルを披露してくださいました。

美炎さんは曲間には簡潔なレクチャーを織り込んでくださり、
「乗馬に慣れれば慣れるほど、馬頭琴は比例して上手になるとモンゴルの師に言われました。その実感はまさにその通りで、その体験を作曲『翼のある馬』に表現しました」
「敦煌では馬だけではなく、駱駝にも乗りました。身体全体が沈む感じが凄くて、喜多郎の『シルク・ロード』はまさにピッタリの曲です」
「ゴビの800kmを9日間かけて旅もしました、途中で500頭、1000頭単位の馬の移動を何回も目にしました。チ・ボラグの『万馬の轟』は、まさにその響きです」
などのエピソードや曲解説をして下さいました。
演奏曲は以下の通りです。
4歳の栗毛の子馬(モンゴル民話)
天上の風(モンゴル民話)
翼のある馬(美炎)
スーホの白い馬(チ・ボラグ)
風と空のうた(美炎) 
風の馬(美炎)
シルク・ロード(喜多郎)
森の名前(美炎)
ゴンドラの唄(中山晋平) 
リベル・タンゴ(ピアソラ)
レッドロックスピリット(美炎)
インスタントラブ(美炎) 
万馬の轟(チ・ボラグ)
ポラリス(美炎)
月みちる(美炎)

演奏を十分堪能された受講者の方々から、数多くのアンケートを頂きましたが、その一部をご披露致します。
*初めて聞きました、初めて実物を見ました。25年前によく「スーホーの馬」を子どもたちに読み聞かせておりましたので、大変興味がありました。素晴らしい音色で特に低音にうっとりと聞き入りました。
*馬頭琴の力強い音色に感銘を受けました、ピアノとパーカッションとのアンサンブルも素敵でした。モンゴルの大草原の中で聞いているような感じになりました、ありがとうございました。
*モンゴルの人が弾く馬頭琴を以前に聴いたことがありますが、その時は随分素朴な楽器だったという印象でした。きょうの演奏を聴き色々な可能性のある楽器で、ジョイントもおもしろくて楽しく認識を新たにしました。
2017/03/17のBlog
3/16 自著を語る② 「サイゴンの火焔樹 ―もうひとつのベトナム戦争」

本日はノンフィクション作家 牧 久氏を講師にお迎えし、以下のようなお話をして頂きました。

・1975年サイゴン陥落の前後、南ベトナムで何が起こったのか。北ベトナム政府の南ベトナム全面攻撃の直前に日経新聞サイゴン特派員として赴任し、目撃した事実をもとにお話をしたいと思います。詳しくは自著、「サイゴンの火焔樹」をお読み下さい。

・東西冷戦の渦中にあったベトナムは、1954年、17度線で南北に分断され、北はソ連が、南はアメリカがそれぞれ支援していました。
1973年、パリ和平協定が交わされ、アメリカ軍はベトナム全土から一斉に撤退しました。こうした状況の中、北ベトナム政府は南ベトナムに対しホー・チ・ミン作戦といわれる全面攻撃を開始、1975年4月30日、サイゴンは陥落しました。

・私が特派員としてサイゴンに派遣されたのは1975年3月、まさにホー・チ・ミン作戦が始まろうとする時期でした。私が国外退去となる10月まで、約半年間、サイゴンで見聞きしたものをまとめたのが本書です。
サイゴンに入ってきたのは北ベトナムの精鋭部隊で、正規軍による軍事制圧です。日本の新聞は、ある社は「サイゴン解放」と書き、ある社は「サイゴン陥落」と書きました。

・サイゴンに入った北ベトナム政府は共産主義革命を推し進めました。武器で抵抗することもなく北ベトナムの兵士を迎え入れたサイゴンの人々を大きく翻弄します。
外国人を次々に国外追放、市民の下放、財閥の解体と国営化、新紙幣への切り替え、そして思想の改造教育です。カンボジアのように市民の虐殺こそありませんでしたが、約300万人の人々がボートピープルとして国外に脱出しました。

・サイゴン陥落後、新聞原稿を日本に送ることが出来なくなりましたが、それでも様々な手段で私は原稿を日本に送り続けていました。その中で、1975年に書いた私の記事「南北統一時期尚早論」が政府の方針と異なるということで「反革命的」と言われ、国外退去を命じられました。1976年7月、ベトナムは統一され、ベトナム社会主義共和国が誕生します。実は既に1975年時点で北ベトナム政府は南北統一を決定していたのです。
この記事が原因で私のベトナム人通訳、ドアン氏のその後の人生を大きく変えることになったのには悔いが残ります。

講師の著書名になっている火焔樹は5月から7月にかけて真っ赤な花を咲かせます。ベトナムの人は日本にとても深い親愛の情を持っており、今年、両陛下はベトナムを訪問されましたが、大歓迎を受けました。今日は現地で取材された講師ならではのお話でした。 (佐藤 明)

アンケートからいくつかご紹介します。
*サイゴン陥落、解放などの各新聞社の捉え方の違いやベトナム戦争について詳しく知ることができました。
*実に生々しく、体験が滲み出ていました。迫力、満足でした。
*臨場感あふれる内容で飽きさせなかった、もう一度聞きたい。
*大変興味深いお話でした、初めてお聞きする事ばかりでした。
前のページ   |   次のページ