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古材文化の会活動記録
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2019/08/01のBlog
古材文化の会は25期目に入り、京都市文化財マネージャー育成講座(建造物)も第11期を迎えます。ますます多方面からの期待は大きくなっているようです。
 これは大切な建物だ、次世代へ残っていくべきものと誰もが思うような歴史的価値ある建築物であっても、それが個人の所有ということで、残らない、一瞬にして解体されることがままあります。世界の人々が注目している京都の街ですら、です。
 長年、主婦をやっていますと、マスコミやネットの情報では、日々の暮らしの中の親身な事実が伝わらないこともあることがわかってきました。阪神大震災の復興を眺めながら、住まい手目線で「住」をテーマにして活動していこうと決めたのも、今から振り返れば、一般市民には理不尽とも思える、街のランドマークと思っていた洋館がマンションと化してしまった事もきっかけの一つです。
古いとされる建物の魅力や存在感に、かけがえのなさを感じます。それは、合理性や経済性では語れない「造り手の心」や「宿るもの」が垣間見えるからです。
 建物は人間と違い、人の心が繋がれば何世代も繋いでいけます。そこで自分に「何ができる?」と自問の日々ですが、ある年「京都を彩る建物と庭園」所有者さんへのアンケート調査で廻っていた時に、「あなたのような同じ目線で相談できる人と話したかった。」と言われたことがあります。何回かお会いする中、一緒に片付けをし、今は無人の家に残されていた、要らないけれど、捨てるに捨てられない品々、誰かにとっては価値ある物を会員さんのお世話もあり、次の方へ託されました。その小さな安心から幸せなお屋敷の継承に立ち会うこともできました。
私一人では何もできません。ただ頷き、ウロウロと所有者さんと一緒に心配するだけですが、古材文化の会の会員だからこそ、会に相談ができて、動けました。同じ立場で、一緒に悩み、願うこと、諦めない第3者が傍らにいると思ってもらえることが最初の一歩かと思います。会の「見守るネット」はそのような取り組みです。
 住宅は建物と違い、「住」という字が示す通り、人が主です。人が街を造ります。その小さな一歩になにか貢献したいと、この歳になってもまだまだ道半ばです。
 あらためまして、今年もよろしくお願いいたします。

一般社団法人 住宅遺産トラスト関西事務局/
古材文化の会 見守るネット副部会長
原田 純子

※「古材文化」143号(2019年1月1日発行)より転載
2019/07/23のBlog
2018年12月に南丹市八木町の実家を黒竹信之介・芽以さんご夫婦に譲渡しました。ここまで、会の見守るネットにお世話になり、特にマネージャーの熊田さん、徳光さん、専門家として西川さん、またこのご縁をいただいた原田さんにもお世話になりました。また、権利関係を整理頂いた友人の弘中家屋調査士にも感謝です。
当家は過去帳を見ると江戸時代初期から続いていますが、江戸末期、大半の財を無くし、曾祖父とその母が倹約に務め、小規模ながら地主として財をなし、祖父は役場に務め、その後、富本村長を務めました。屋敷は地域の中心に位置し、1000坪の屋敷に長屋門、主屋、隠居、小屋、米倉、備品蔵がある典型的な地主屋敷です。譲渡に至る経緯は別項に譲りますが(4ページ参照)、母が15年前に京都市内に移ってからは時々帰省をし、草刈り等、維持作業を行ってきましたが、主人の無い住居は痛みが徐々に進んでいました。そのような中、2年前に古材文化の会にお世話になり、黒竹夫妻に屋敷及び田んぼを借りて頂きました。入居後はご夫妻の持ち前の気遣いや探究心などで、地元の方から野菜の栽培指導やビニールハウスの無償提供を受けられるようになりました。屋敷のあり方が変わっていくのは少し寂しい気もしましたが、数十年ぶりに家が生き返ったようで、帰省の度に驚かされました。2018年の豪雨、台風では黒竹さんは京都市内の勤め先から戻り、日置消防団員として徹夜で土砂危険地域のパトロールなどに従事されたそうです。
当家は文化財でもありませんが、明治、大正、昭和、平成と時代を経てきました。曾祖父の日記には大正6年、巷では米騒動ですが、浅田家ではお正月のお祝い、お年玉の事、近所の人の還暦の祝膳のメニューまでこと細く記載されています。また母は祖父が役目で出征兵士をこの家から送ったとも話していました。古民家を残す事は日本の伝統的な文化を守ることでもありますが、私は歴史を残す、二度と過ちを繰り返さないよう、次代の人に語継ぐだけでなく、「形」でも引き継ぐことだと思っています。一方、唐臼を使って家族で餅つきをし、納豆餅を食べたこと、躾と言って母に蔵に閉じ込められた事など、思い出が走馬灯のように浮かんできます。
 2年の賃借期間も終わり、契約締結に際してはすこし思いもあり、躊躇しましたが熊田さん等の親身なアドバイスで契約に至りました。
黒竹夫妻は農家民宿に改装し、教育民泊で中学生を受け入れたい、海外からの観光客を誘致したいと様々な計画をお持ちです。継承だけではなく、その時代に合った活用で実家も喜んでくれると思います。昨年9月9日~11日には隠居の改装ワークショップもされ、10名程度の若者が応援に駆けつけています。黒竹夫人を含む若い女性たちが、これからの日本の農家、新しい南丹市を盛り上げてくれると信じています。私も負けずに浅田家の由緒などの調査をして書き残したいと思っています。この秋に黒竹家+浅田家合同イベントを予定しています。是非、訪れて下さい。幼友達も多い地元には不義理で後ろめたい思いもありますが、これからも故郷の絆は繋いでいきたいと思います。

古材文化の会会員 浅田 徹雄(あさだ・てつお)

※「古材文化」144号(2019年3月1日発行)より転載
2019/04/16のBlog
[ 16:05 ] [ イベントや活動の様子 ]
古材市プロジェクトの活動記録

 2018年の秋、古材などの再利用で京都市から相談を受けた解体が三日後に迫った大きな町家(かつて白生地を主に商っていた大店)に入った折、会の“古材市チーム”が見つけた屏風6点(六曲一双と六曲二双)が1月25日、京都市美術館に引き取られた。
 その屏風は敷地の奥に建つ蔵の2階でホコリにまみれた杉の収納箱に収まっていて、2点(一双)は南画、傷みのひどい残り4点(二双)は日本画であり長い間蔵から出してもらえなかった様子。屏風が見つかったことを所有者に伝えてもらったところ「要らない」とのこと。価値も分からぬまま他の建具などと一緒に会で引き取った美術品だった。
 京都市に「屏風はどこかで引き取ってもらえないか」と写真を添えメールで連絡を入れると、市の担当から、「京都市美術館の学芸員が、名のある作者の作品かもしれないので見せてほしいとおっしゃっている」と返事があり、昨年11月15日、鑑定に来られた市美術館学芸員の後藤結美子さんから「真作です、市美術館で作品を管理させてほしい」と告げられた。
その後は美術館が所有者と連絡をとり寄贈の手続きを経て1月25日、会員が所有する北区原谷の倉庫から美術品運搬専用トラックに乗せられ旅立った。
 「市内には代々受け継がれた美術品をお持ちの方は多くいらっしゃるのですが、自ら申し出てくださったり、紹介でこられたりする方がほとんど。今回のように廃棄処分を依頼された中から救われたというのは初めて。私たちが知る前に大体は古物商が入られ、持っていかれる場合も多いので稀な事例です」とのこと。
 水墨風2点は南画家の白倉嘉入(しらくら・かにゅう)、別号二峰の作品。状態がよく現状のままでも展示できるそうだ。残りの日本画4点は春夏秋冬がテーマ。作者の都路華香(つじ・かこう)は幸野楳嶺(こうの・ばいれい)の弟子で竹内栖鳳らと並び、四天王と呼ばれ、京都絵専・京美工の校長として後進の指導にもあたった。都路華香の作品は美術館の展示に耐えられるまで修復するには相当費用と時間がかかるとか。こんなビッグな遭遇も古材市チームの醍醐味。みなさん、一緒に活動しませんか。 (平井 忠)

〔古材文化144 2019年3月1日発行より〕
2018/08/18のBlog
会員の田中貴子さんが、木津で営業されていたカフェ「AOTKE」。なんと京都駅近くにお引っ越し。1階はわずか8席ですが、AOTAKEのエッセンスがギュッとつまった素敵な場所です。京都駅近く、七条高倉角です。営業は、11:30-18:30でお休みは火・水。
メニューは、ダージリン、和紅茶などこだわりの紅茶。日本茶も煎茶、玉露、加賀棒茶など揃えています。パフェや週替わりの手作りケーキなどスイーツもあります。
店主の田中さんは古材や古い家具などを新たな使い方で蘇らせます。ガラス障子も再利用されていますが、前からそこにあったかのようになじんでいます。ガラス越しに見るお庭も素敵です。あえて塗り直さない壁にもなんともいえない味わいがあります。
ぜひ、お立ち寄りください。
2016/11/01のBlog
[ 16:28 ] [ 文マネ講座 ]
先日、滋賀県東近江市にある近江商人博物館へ行ってきました。秋季企画展 シリーズ近江商人群像として企画された「小泉重助展」を見てきました。享保元年(1716)に麻布商いの行商からスタートし、今年創業300年をむかえる企業の礎を築いた小泉重助家が所蔵する古文書や写真などが展示され、激動の時代を生き抜いた不屈の精神、近江商人の生き様をそこに見ることができました。
企画展では、1915(大正4)年に小泉重助商店を始めた3代目重助を中心に紹介されていました。欧米への視察でビジネスを学び、「特殊特徴品主義」を基本とし、独自性の高い商品を扱いました。1941(昭和16)年には株式会社となりますが、その背景には個人商店では莫大な税金を徴収されるためという理由もありました。廃業の危機を乗り越えたのには、息子の伊助を含む若手たちの成長がありました。1945(昭和20)年には戦後の焼け野原で再出発をはかり、暮らしに必要な電熱器を扱いました。それが、照明器具事業へとつながっていきます。…とこれだけでもなんと壮大なドラマでしょうか。

さてさて、東近江市五個荘には小泉重助本宅が往事の面影を残し、継承されています。2015年に国登録有形文化財になったこの邸宅は、京都市文化財マネージャーの修了課題として取り組まれました。友人から相談を受けていた受講者の1人が、修了課題のテーマとして班の仲間とともに発表会にのぞみました。その時はまだ十分な調査、評価ができず、引き続き、上級講座でも研究を続けられました。「あきらめない第三者」として、所有者に寄り添い、また仲間とともに調査をし、専門家の協力を得て登録文化財への申請へと至りました。文マネ講座の修了課題として取り組んだのが2011年、それから4年を経てのことでした。
建物はただ建築物としてそこにあるだけでなく、歴史や文化など時間を超えて表現する伝承者でもあることがわかります。その価値に着目し、調査し、評価する「マネージャー」の存在が今後もっと広がっていくことを目標に第9期にむけて事務局でも準備が始まっています。

小泉重助展は11/27日まで近江商人博物館で開催中です。詳しくは下記ホームページを参照ください。近江商人博物館<http://omishounin.boy.jp/event1/>
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